第16話 許斐瀬里花の休日
入社してたった一カ月足らずで長期休暇に入り、解放感と共にどこか後ろめたさを感じる瀬里花。実際数日前に入った初任給も、ただ研修を受けているだけで貰えたものだ。浮かれるものがほとんどだったが、会社としては将来への投資ともいえるだろう。そう、新入社員とはただそれだけでは負債なのだから。
数字だけで物事を見ると、新入社員も子供も、存在しているだけでマイナスなのだと、入社当時母は言った。でも、それをマイナスとみるか否かは、そのものに対する愛情か下心に依るとも言い張っていた。つまり会社という企業は良くいえば、新入社員に愛情を注ぎ可愛がっているとの見方も出来るが、実際は将来利益を生み出す存在を作り上げるためだけに、先行投資をしているのだ。そう、会社という組織は、あくまで慈善事業ではないのだから。
それがわかっているからこそ、瀬里花は冷めているのかもしれない。それを知っているからこそ、瀬里花は利用しようとしているのかもしれない。瀬里花にとって会社は、居場所ではなく手段なのだ。
「いらっしゃいませ、お客様。本日はどのキャストにしますかニャ?」
そんな瀬里花の居場所は、繁華街から外れたビルの二二階にある猫ホスだった。猫ホスというのは、猫をホストとして指名出来るホストクラブのような猫カフェで、一つのテーブルとソファーで、時間いっぱい猫とイチャイチャ出来る夢の国のような世界だった。本当は
「出ない、出ない、ミヤビが出ない」
ミヤビというのは、もちろん瀬里花の愛するこの店のナンバーワンホストのマンチカンだ。この種の中では非常に珍しい全身ポワポワの真っ白の毛の猫で、まるで白い天使のように綺麗で愛らしい。巷ではお金や幸運を運ぶ天使とさえ言われている。愛車が動かなくなった今、そんな天使との濃密な二人だけの時間だけが、瀬里花の唯一無二の癒しの時間だった。
そのせいもあるのだろう。瀬里花はミヤビに会うために、度重なる課金を繰り返している。この店内からのネットワーク経由で唯一引けるプレミアムパートナーガチャがあり、その限定抽選でのみ配布される、ミヤビの擬人化した姿を目指し、何度もガチャを引き直す瀬里花。噂では、白く長い髪の美形の男子が、両手を前に広げ、持ち主を迎えに来たような姿が描かれているそうだ。
「ミヤビ……ミヤビ……」
彼を出そうと周りが見えなくなってしまう瀬里花。一体何度彼の姿を夢見ただろう。一体何回ガチャを引き直しただろう。
「私のミヤビが、私を迎えに来てくれない」
しかし、プレミアム級のキャラだけに容易には瀬里花の前に姿を現してはくれなかった。
このゲームは所謂課金制の高いゲームで、カードを手に入れた中から選んだキャラが、本物のペットのようにずっと側にいてくれ、豪華声優ボイスがあてがわれているのも瀬里花を虜にした理由だった。一回三百円。十連ガチャならレア度が増しやすいのも、廃課金者を生んでいる理由でもある。
瀬里花にとっても、最初はコンビニのサンドイッチを買うような感覚だった。しかし気づいたら今日稼いだ分だけという感覚に変わり、いつしかそれは完全に麻痺するようになってしまった。そしてそれは、入社したての社会人の瀬里花には、あまりにも酷なものだった。
「お会計が……じゅ……十二万三千円になります……」
レジにて抜け殻のように真っ白になる瀬里花。女性定員さえ、その金額に顔を真っ蒼にしている。
「はい……」
トートバッグから長財布を取り出し、札の数を出来るだけ見ないように店員に渡す瀬里花。
「あの……女優さんかモデルさんですよね?」
「いえ……」
「でも、前に日本一可愛い高校生企画の西日本代表に選ばれていらっしゃいましたよね? てっきり今モデルさんか何かをされてるのかと思っていました!」
「いえ……全然」
「えー、私あの雑誌購読していたのでわかりますよー。だってあの超有名読モのセリカさんですよね?」
「人違いです……」
「私ファンだったんですよー!」
既に過去形だし。そんな人のことは知らないと瀬里花は思った。
「本当に人違いですから。急いでますので、すみません」
どうか、瀬里花の唯一の聖地を侵さないでください。
「それは失礼致しました。あ、でもファルコンがお好きなんですね」
「はい……?」
ファルコンって何だろう。瀬里花には聞き覚えのない言葉だった。
「あのマンチカンのミヤビ君。みんなからはファルコンって呼ばれてるんですよ? 古い映画に出てくる幸運を呼ぶ白いドラゴンとかで」
――ファルコンじゃねえし!
「猫ですよ、ミヤビは。絶対に猫です。それに幸運は呼んでも金運は呼ばないかもしれません」
カルトンの上のお札の束を見て、ハッとする女性店員。
「す、すみません……そんなつもりは……」
「早くお釣頂けますか?」
慌ててお釣の札を渡してくれる店員。プライベートなことを聞かれるのは、あまり嬉しいことではないなと、瀬里花は改めて思ったのだった。
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