第15話 A secret makes a woman, woman.

 どうしてこうなった。


 未菜を恨んでいるわけではない。力弥を非難しているわけでもない。ただ、どこかで安心しきっていた自分に腹が立って仕方がないのだ。


「何を心配しているの?」


 店を閉め、瀬里花の話を聞いた母は、特段驚いた様子もなかった。


「ただみんなが同じラインにたっただけじゃない」


 グラスをあおりながら、戯れ言だとで言わんばかりに母はそう吐き捨てた。


 そう、競争は既に始まっているだけで、その機会が平等に与えられただけなのだ。母は瀬里花よりもよっぽどこの世のシステムが何たるかを理解していたのだ。抜け駆けをするつもりはなかったが、欲に目が眩み、周りが見えていなかった瀬里花は、ただただ自己嫌悪した。


 ――切り替えなくちゃ。


 瀬里花は瀬里花らしく。笑顔でいればきっと大丈夫。自己暗示をかけるように、瀬里花は自分に何度も言い聞かせた。


「ねえ、茉莉花。私は私でいられてる?」


 瀬里花の相手は、ただ笑顔で一方を見続けていた。



 そして翌日から、研修の合間を縫った自主企画コンテストが開始された。


 日を追う毎に、着々と数字を伸ばす他の新入社員たち。その中でもやはり力弥と未菜の二人が、頭一つ抜けている印象だ。二人での勉強の成果が、早速未菜にも表れていたようだ。もしかしたら、力弥は指導のスキルが高いのかもしれない。短髪で凛々しい顔つきも、スポーツに明け暮れた学生時代を容易に想像させる。ずっと部活やサークルの部長や主将だったと言われても、頷けるほどの見た目とカリスマ性を持ち合わせていた。


 だからこそ、未菜は惹かれたのだろう。そうして他の新入社員さえ、彼は自らの輪の中に取り込もうとしているのだ。そう、彼が望むと望まざるに関わらず。人は自分が動いていると、周囲が止まって見える。でも自分が止まっていると、世界はまるで自らの意に反するかのようにぐるぐるに渦巻き、虚実を見極められなくなる。そして人は自分を見失うのだ。


 ――そんなことは知っている。


 ずっとそうだったから。


 ――でも。


 それでも瀬里花は、今、その世界を改変しようとする力弥と未菜の二人を、また競い合うみんなの姿を微笑ましく眺めていた。



 ――ねえ、



 四月末現在、瀬里花の数字は両方ともゼロだった。


 先輩たちの話を聞く限り、カーディーラーで働くことのメリットは、お盆・正月・ゴールデンウィークと、長期連休が取得出来ることなのだそうだ。ただある意味でそれだけが唯一の楽しみだと、本社や九条大橋店のスタッフが毒づいていた。求人の募集要項に記されているほど、土日に休日を取得することは難しそうだ。サービススタッフは良くても、営業職で土日の休みが取れるのは、一年目くらいとも脅されもした。でも、お客様の目線でいくと、土日にしか車を見て回る時間が取れない人がほとんどだ。瀬里花も覚悟しなければなとどこかで思っている。


 そんな瀬里花が取得出来る就職後、初めての大型連休。四月最後の研修が終わり、今まさに帰路に向け立ち上がろうとしていたこの最中、不覚にも瀬里花を呼び止めるものがいた。


「許斐さーん、ゴールデンウィーク中、どこか暇ない?」


 一度も絡んだことのない男子だった。名前なのだろうか、力弥や結城からは千秋と呼ばれていた。千秋と聞けば王子様のようなイメージを持つ瀬里花。しかし、千秋の見た目は、驚くほど影が薄い印象だった。何から何までもが普通。だからこそ、瀬里花は今まで彼を認識していなかったのかもしれない。ただ正直に「誰?」とは聞くことが出来なかったので、曖昧に返事をしてみる。まずは様子見だ。


「うーん、いつも忙しいからね。せっかくの休みも自由な時間はなさそう」


 きっと夜はずっと母の手伝いだろう。大型連休ともなれば、それこそかき入れ時だ。それでも昼間はいくらか時間がありそうだが、休みの日くらい他に行きたい場所がある。


「許斐さんって、夜とかモデルの仕事でもしてるの? いっつも真っ先に会社出るし、出る時は朝よりも綺麗だからさ」


 普通の外見の割に、言うことはなかなか気障だ。こんな発言をするような人間なら、研修中に一度くらい瀬里花の印象に残る発言をしているだろうに。何故瀬里花は見落としたのだろう。どこか不思議な感覚に、瀬里花は苛まれた。


「千秋……君? あのね、夜に撮影とか、よっぽど名の知れたモデルくらいしか出来ないよ。普通は早朝から長時間行われるのが、雑誌とかのモデルの撮影だから。夜に行われる撮影は、きっと水商売とか風俗業のサクラの顔写真だよ」


 瀬里花の言葉に絶句する全員。何か変な言葉でも使っただろうか。水商売や風俗などの言葉も、母の手伝いをしていれば当たり前のように耳にしていたし、今では新聞やニュースサイトの占いコーナーくらい、何も感じなくなっていた。


「それに私ね、夜は家の手伝いがあるから絶対に駄目なの。ごめんね。でも、もし私のこの顔が、夕方の方がましに見えるとすると、きっと午前中よりも顔のむくみが取れてるからかもね」


 そうふざけたように笑う瀬里花。瀬里花の笑みに男子たちの表情が一気に緩んでいく。


「えー、じゃあさ。許斐さん、昼間はどこに行く予定?」


「それは恥ずかしいから、あまり人前では言えないかも、ごめんね」


 わざと含みを持たせてしまったが、実際に瀬里花にとってそこは他言無用の秘密基地だったのだ。


 秘密は女を綺麗にすると、漫画かアニメで言っていたのを思い出す瀬里花。


 A secret makes a女は秘密を着飾 woman, woman.って美しくなる

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