第13話 身近に先生がいるものです

 当面の瀬里花の目標は決まった。未菜は、瀬里花は既に一台売っているし問題なさそうと言うが、会社というものは、最初の配属先で全てが決まると、母の店のお客様が言っていた。最初でつまずけば、何のために就職したのかわからなくなる。やはり手を抜くわけにはいかないと瀬里花は思った。


 ――携帯とJAFか。


 一体どうしたら獲得出来るのだろう。講義が終わり、母の店を手伝いながら、瀬里花は一人思いを巡らす。


 未菜が、携帯電話は新規やナンバーポータビリティではなく、機種変更やタブレット端末でも良いと言っていた。最悪自分や母の分を替えれば良いとして、問題はJAFだ。


「ねえ、平野さん。平野さんって、確か損保会社の方でしたよね?」


 ウイスキーの水割りを作りながら、瀬里花は丁度良い人が来ていたことを思い出した。


「そうそう、何か困ったことでもあった?」


 平野は四十代の半ばの男性だが、頭頂部が少し薄くなってきているのをいつも気にしている。若いと確かに気にはなるが、それくらいの年齢なら気にする必要はないと瀬里花は思う。だって、男性ホルモンの強さの表れだというし、男らしさの一つの象徴ではないだろうか。


「ロードサービスのJAFってありますよね。あれって、良く損保会社のロードサービスと内容が被っているって言われません?」


「ああ、セリちゃんはディーラーに勤務し出したんだったね。そうだね、被っていると言われれば間違いないんだけど……」


 やっぱりそうか。だとしたらJAFを獲得するのは、なかなかに難しい気がする。


「ただ、根本的に勘違いしたらいけないんだが、損保会社のロードサービスは、あくまで無料で自動付帯しているため、JAFと比較すると範囲が限られるということなんだ」


「え? どういうことですか?」


「ほとんどの損保会社のロードサービスに共通していることは、たとえば君の車がパンクしたとしても、レッカー移動はしてくれるが、現地でのパンク修理はしない。あくまで派遣されるのは契約している整備工場だからね。契約上、その作業は出来ないなっているんだ」


「じゃあスペアタイヤに交換してくれるだけなのですか?」


 瀬里花の車にもスペアタイヤは載っていた。しかし、自分で使うケースはなかったし、女の腕力では、タイヤを外すことさえ難しいだろう。


「ああ、少し前の車業界ならそれで良かったんだが、近年発売される車が燃費重視の設計のために、標準ではスペアタイヤを積んでいないケースが増えてきたんだ。もちろん応急用のパンク修理キットによる処置だけはやってくれる損保会社もあるが、あれは一回使い切りだからね。またディーラーで購入すれば三千円ほどキット代がかかるんじゃなかったかな。だが、もし君がJAFに加入しているのであれば、タイヤの側面を切ったりしていない限りは、その場でパンク修理をしてくれるだろう」


 ウイスキーを軽く口に含みながら、ゆっくりと喉を通していく平野。


「なあ、セリちゃん。JAFや保険のロードサービスを含め、事故以外で救援を要請される要因のトップスリーが何か知ってるかい?」


「えー、わからないですけど、もしかしてバッテリー上がりと、今のタイヤのパンクと、ガス欠ですか?」


 そう尋ねながらも、平野からグラスを奪い、ウイスキーをつぎ足す瀬里花。この際だ。とことん酔わせて、知ってることを全部吐かせよう。


「惜しい! 最初の二つは合っているんだが、最後は実は鍵の閉じ込みだよ。そしてこの場合も、損保会社にもよるが、三十分以内までしか無料対応をしないところもあるし、年に一度だけという制限があったりもする。だが、JAFなら何度でも無料だったりするし、たとえ特殊なキーであっても、最悪提携している鍵の専門業者に依頼し、開けることが出来る。もちろんバッテリー上がりによる救援も、回数制限などはない」


「ここまで聞くと、平野さんが損保会社の社員さんというよりは、JAFの社員さんかと思ってしまうくらいの贔屓っぷりですね」


 瀬里花が聞きだしたいことがわかってくれているからこその、話の展開だろう。口元に手をあて、クスクスと笑いながらも、彼には感謝していた。


「ははは、よく言うよ。ディーラーに入社した新入社員が最初に取らされるのは、JAFと相場が決まっているからね。君が聞きたいことはつまりそういうことだろう?」


「えへへ、正解です。平野さん、もっと飲んで下さいね」


 強引にまた飲み物を作る瀬里花。瀬里花が作ると、男性からそれを止められることが少なかった。


「で、セリちゃん。一番聞きたいことは何だい? こんなに飲まされると、答える前に酔い潰れてしまうぞ」


 確かに若干手元が怪しくなってきた。これは立ち上がらせると千鳥足だろう。結論を急がなければと瀬里は思った。


「私が知りたいのは、JAFにしかないメリットと、そして損保会社のロードサービスがあるのに、JAFに入るメリットがあるかどうかです」


 「なるほど、なるほど」と顔を真っ赤にしながら何度も頷く平野。頭の先まで赤くなっているのが、何とも可愛らしい。

 

「わかった。まずJAFにしかないメリットを簡単に言うと、部品代を除いたその場でするいかなる作業の工賃もかからないこと。パンク修理やタイヤチェーンの着脱、そして雪道やぬかるみにスタックした時の引き上げにお金がかからなかったりするし、ガス欠つまり燃料切れに関しても、損保会社のように回数制限がなかったと思う。そしてJAFは、車ではなくあくまで人にかかっているものだから、加入者が他人の車に乗っていたとしても、無料で助けてあげることが出来るはずだ」


 思わずメモを取りたくなる内容だが、瀬里花はこと記憶力に関しては良いので、頭の中に記憶することにする。


「そして最後に、損保会社の任意保険に加入している人が、JAFに入るメリットがあるかどうかの質問だが、もちろん、先に言ったJAFにしかないメリットの部分プラスでいくと、例えば車が動かなくなった時の無料牽引距離が、二つを併用することで大幅に伸びたり、その場でバッテリーなどを交換するにしても、四千円以内であれば部品代が無料だったり、仮にバッテリーなどやや高額な部品にしても、四千円ほど保険会社が負担するという形で値引きが出来たりもする。それから、基本的に損保会社のロードサービスは、地震や雷、津波などの自然災害時には免責として無料対応は出来なくなっているが、JAFに加入していればその範囲ではない。まあ、身近なわかりやすいところで、こんなところだと思うけど、セリちゃん、どうだろう?」


 そう言いながら、平野はだいぶ沈みかけていた。これまで瀬里花のためによく頑張ってくれたと思う。もうそろそろ解放してあげてもいい気がしてきた。瀬里花は平野のグラスにウイスキーをつぎ足し、水を入れる振りをして更に中身を濃くした。


「はい、平野さんすごいです。私の聞きたいこと、ぜーんぶ教えて貰えました」


 そう言って瀬里花はニッコリ笑みを見せながら、グラスを握る平野の手を上から握ってあげる。そしてそのまま、身体が揺れるように、グラスごと、彼の手をテーブルの上で左右に動かした。


「そうかそうか、じゃあ次は僕がセリちゃんから色々聞き出す番だ……って、あれ……」


 何度も瞬きを繰り返しながら、再びウイスキーを口に含む平野。


「どんなことが聞きたいんですか? 今日は何でも教えちゃいますよ?」


 瀬里花が悪戯っぽく微笑むと、平野は再びグラスの中身をグイッと飲み干した。


 ――あーあ。


 案の定、平野は沈没寸前にまでなってしまった。そんな彼の側まで瀬里花は立ち上がり、その耳元でそっと息を吹きかけた。


「平野さん、これ以上飲むと悪酔いしちゃいますから、この話はまた次お話しましょうね。今日は、もう外にタクシー呼んであります」


 タイミング良くお店のドアが空き、タクシー運転手が店内を見回した。


「え……? あ、はい……そうなのか……。じゃあ次は絶対だからな……」


 平野と口約束をする瀬里花。でも明日にはもう忘れているだろう。瀬里花が口元を緩めると、カウンターで母が軽くウインクをしてきた。こういうやり口を覚えたのも、母の指導の賜物である。この世界、やはり身近に先生がいるものである。


 やがて平野の乗ったタクシーが見えなくなるまで見届けると、瀬里花は頭の中を整理し始めた。



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