第11話 想いをぶつけてもいいですか?


 目の前で涼しげな顔をしているのは、瀬里花が事故をした時に、救急車を呼んでくれたあの髪の少し長い男性だった。


「き、君がどうしてここに?」


 急に顔色を変える男性。まるでずっと瀬里花を避けていたかのようにも感じられる。それはつまり、そう、ということだろう。


「まさか、君は僕を探してウチに入社したのか?」


「そんなことあるわけないでしょ!」


 明らかに焦りの色を浮かべる男に、瀬里花は即答で否定した。そう、瀬里花がこの会社に就職したのは、別の理由があったからだ。


「ねえ……」


 瀬里花の手が震えている。


「ねえ、どうして……」


 瀬里花の唇が震えている。


「どうして簡単に治せるだなんて言ったの?! どうして平気で嘘をついたの?!」


 瀬里花の叫び声が、ショールームに響き渡った。しまったと口を閉じる瀬里花だったが、最早、後の祭である。「何だ、痴話喧嘩か?」「てか、知り合いだったんだ」とお客様も他のスタッフたちも、野次馬のようにこちらを覗き込んでいる。自分らしくもなく感情的になってしまったなと、瀬里花は自己嫌悪した。


 ――でも。


 それでもこの男だけは、どうしても瀬里花は許せなかったのだ。


「場所を変えようか。これ以上は、お客様にご迷惑がかかる」


 そう理由づけしながらも、彼は自分に降りかかる火の粉を、出来るだけ穏便に払いたいだけなのだ。瀬里花は彼に連れられて、会議室に案内された。未菜が瀬里花に何か囁いていたが、怒り心頭に発した瀬里花には、何も聞こえなかった。今だけはわがままを押し通したいと、瀬里花は願った。


「ここなら叫ばれても、警察を呼ばれたりはしないな。もっとも、君にどんなことが起ころうと、周りのみんなが揉み消してくれるかもしれないがな」


 男の笑い声に、瀬里花は更なる怒りと苛立ちを募らせる。


「最低ですね。あなたは……」


 冷静を取り戻そうとする瀬里花。言い争いをするのに、怒りに身を任せては、自分を見失うことになる。そうして過去何度も瀬里花は、自分の弱さを悔いることになった。


「はははっ、助けた人を捕まえて最低扱いか。だが、以前の君の言葉が本当ならば、そう思われても仕方がないだろうな」


 ムッとする瀬里花。以前の話というと、あの言葉しか思い浮かばなかったからだ。


「君はまだ車に恋をしているのかい?」


「当たり前じゃない! だからこんなにも、あなたを恨んでるんだから!」


「なるほど。別れた女や、自分より成績が下位の営業に恨まれることは多々あるが、こんな恨まれ方はなかなか堪えるな」


 またもや思ってもいないことを、平然と言ってのける男。しかしその表情は、確かに失意に包まれているようだった。だからといって、彼がしたことは許されるわけがない。


「あの後の話は、僕もサービスに任せっきりだったから、後で話を聞いたんだが、修理しようにも君の車が古すぎて、メーカー在庫どころか、部品の金型となる型がメーカーにもなかったんじゃなかったかな。もう四十年も前の車だ。いつまでもとっておけるものでもないだろう。仮に残るとしてもだ。せいぜいメーカーの生産終了から十年そこらだ。いや需要がある車でも、十五年足らずといったところだろう。だから、ウチのサービスマネージャーの向井が、車検証を見て、普段から整備をしているモータースに連絡を取って、その社長が引き上げに来てくれたんじゃなかったかな」


 あの向井がそんなことを。きっと好意でそうしてくれたのだ。少し話したからこそ、わかることもあった。


「確かに軽口を叩いたのは、正直すまなかったと思っている。だが、ああでも言わなければ、君は車から出てはくれなかっただろう? 僕はあのまま君を見殺しには出来なかった。そしてあの時点では君の相棒が助かると思っていた。だから君に感謝される覚えはあっても、恨まれる覚えは決してない」


 真顔で語気を強くする男。確かにそれは彼の今の気持ちに違いないようだった。


「だったら」


――そう、だったら……。


「じゃあ、責任取ってよ」


「ん? 責任? 一体何のだ」


「一緒に!」


「はい……?」


 面食らったように、何度も目をパチクリとさせる彼。瀬里花は自らの長い黒髪を振り乱しながら、男に想いをつきつけた。


「私はね、今でもあなたが私の車に止めを差したと思ってるの。だから、あなたには、これから私と一緒に、あの車が息を吹き返すために必要な部分を探して貰います。それを見つけるために、私はこの会社に入ったんだから」


 かつてこの会社は、瀬里花の車を取り扱っていたと目の前の男が言っていた。だとしたら、古すぎてもう動かないにしても、良い状態で眠っている車に出会えるかもしれないと、府内モータースの社長がアドバイスをくれたのだ。もちろん、簡単に譲って貰おうだなんて思っていないが、実物があれば、そのパーツを元に、モータースの社長がオーダーメイドワンオフで部品を作ってくれると、瀬里花に希望を持たせてくれたのだ。


「……ってか、部品取り車くらい、全国探せば何台かはあるだろうが? 今の時代ネットで探して電話して代金さえ払えば、きちんと君の家かモータースまで届けてくれるぞ」


 呆れ顔の男。言いたいことはわかる。でも、瀬里花にはそれが出来なかった。


「あの車の部分取り車は、かなり高額で私のお給料では買えそうにありません。それに私言いましたよね。あなたがあの車に止めを差したって。だからちゃーんと責任取って貰いますからね」


 瀬里花がそう言うと、顔を真っ青にして首を横に振る男。まるで悪夢を見ているかのような顔つきだった。


「いやいや、そもそも林に突っ込んだのは君だろうが。それがどうして僕のせいになる……頭おかしいんじゃないか、君は!」


「許斐瀬里花です」


「名前なんて聞いてない!」


先輩せぇーんぱい、よろしくお願いします」


 瀬里花は母の手伝いで鍛えた最高の笑顔を、彼に向けて放った。


「こ、この野郎……」


 ここまでくればもう瀬里花の勝利だった。流石の彼も、舌打ちをしながら、唇を噛み締めるしかなかったようだ。


「約束はしないぞ。それに、今はまだ君は僕の部下でも何でもない。それこそ、入社したばかりのただの新入社員なんだからな。だからもし六月になって、君がこの九条大橋店に配属になるようなことがあるならば、上司として君の相談には乗るようにしよう。それが今の僕に出来る精一杯だ」


「わかりました。この店に来たらいいんですね。でも、どうやったら、この店を配属先に指定出来るんですか?」


「やっぱり君は何も知らないのだな」


 呆れたように溜め息をつく彼。


「この九条大橋店は、ウチの会社の主力店舗だ。だから、ここには他の店舗よりも車を売ることに関して突出した人材が集められている。だからもし、君が車を売ることが出来る人材だと会社に判断されれば、望むと望まざるに関わらず、この九条大橋店に配属されることになるだろう。そして僕はこの九条大橋店、いやウチの会社のトップセールスである柊木ひいらぎだ。研修はたった二カ月しかないが、その間に会社に君の素質を見極めさせるのは、なかなかに難しいと思うぞ」


 柊木、それが恨みに恨んだ彼の名前か。


 ――それにしても。

 ――まさか、心配してくれている?


 瀬里花は、きっと彼が、何らかのアドバイスをしてくれるものだと思っていた。しかし、その予感は見事に打ち崩されたのだった。


「だからまあ、今後僕が君に出来ることは、かもしれないが、まあ、楽しみに待ってるよ。可愛い


 柊木は、そう言って皮肉を交えながら、瀬里花にやり返してきたのだった。


 ――絶対、殺す!


 会議室を出ていく彼の背中に、携帯でも投げつけてしまいたいくらいに、瀬里花は物凄く腹立たしい気分だった。

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