第10話 嵐の後には、次の嵐がやってくるのです

 あれから約三時間、瀬里花はひたすら年配の男性客の話し相手になっていた。母の手伝いで、男性客のあしらい方は学んでいたつもりだったが、ディーラーのお客様のほとんどは、自分の車やその遍歴について、かなり語りたがりの人ばかりのようだ。最も瀬里花も昔話が聞けて嬉しくはあったのだけれど、なかなか飲み物を聞いて回れないことに、苛立ちさえ覚えていた。やる以上は仕事を完璧にこなしたい。これが瀬里花のスタイルだったからだ。


「すげえなーあんた、もうお客と仲良くなったのかい? アジェンダの多々良たたらさんなんて、気難しくて、正直あんまり話すほうじゃねえんだけどな」


 余裕が出てきたのか、向井が瀬里花に話しかけてくれる。アジェンダというのは、多々良という年配のお客様がもう十年以上乗っている白い車の名前だ。一ノ瀬に注文を貰ったカティアラよりは価格帯は少し落ちるが、アッパーミドルセダンとしてまだまだ年配の方々には人気が高いようだ。


「仲良くなったというか、好意を持って頂いたというかですね……。仕事中じゃなければ、ずっとお話してても良かったんですけど。おかげで未菜に飲み物を任せっぱなしで……ねえ、未菜?」


 流石に途中からは未菜が気を利かせて、自分から飲み物を聞いたりしてくれていた。未菜としては面倒なお客様が瀬里花で食い止められて、逆に助かったといった表情をしていた。


「まあ、お客と話して顔を覚えて貰うのも仕事さ。そうしていつか君を尋ねてくれるようになれば、それはもう君のお客の一人さ。そういうお客との接点をこれから大事にしていくといい」


 そう言って硬い表情を急に緩める向井。こういう一見不愛想な男性の表情の変化には、キュンとしてしまわない女子はいないと瀬里花は思う。そして何より言葉が優しい。もっとも女子に対してだけかもしれないけれど。


「じゃあ、瀬里花ちゃんも未菜ちゃんも、あと少しだけ頑張って!」


 キッチンのコーヒーで軽く一息をつくと、向井はまたコンピュータとの戦闘の最前線へ戻っていった。瀬里花と未菜も、ようやくそこで一息つくことが出来た。


 一方外の男性陣は、あまりの来客の多さに、なおも広い駐車場から店舗と駆けずり回っているようで、不憫であることこの上なかった。後で少しくらい笑顔で気づかってあげようと、瀬里花は未菜と二人で話していた。


「ごめんね、そっち任せっきりで。受付はどんな感じ?」


 時間の合間を見て、瀬里花は受付に座っている美波と河出に声をかけることにした。未菜に作られた流れとはいえ、女子の嫉妬だけは買いたくないのが本音だった。これまでの人生、瀬里花が受けた嫉妬の数々は、一冊の本にさえ出来るほどの量だった。そしてその嫉妬は、いつも瀬里花に良い結果を与えなかった。


「全然ー、こっち楽だったから、逆に助かりましたよ」


 先に答えてくれたのは、茶色い髪を頭の上でお団子にしている美波みなみ由奈ゆなだった。赤いフチのお洒落な眼鏡をかけているのが特徴的で、笑った顔が同性から見ても素敵だった。


「ですよーですよー! 私も電話は前のアルバイトで慣れていましたから、本当にこっちで良かったです。それに男の人と許斐さんくらい長く話したら、私、顔が蒼褪めて死んでしまいますよー」


 「いや、死んだら駄目でしょ!」と速攻ツッコミを入れられていたのが、少しぽっちゃりした体型の髪の短い河出かわいで千桜ちはる。体型こそふくよかだが、その目も大きめで、そしてその胸には未菜と変わらぬほど大きな武器を備えていた。瀬里花と違って女として需要がありそうである。


 その後二人と軽く雑談をして、瀬里花は持ち場に戻ったが、特に心配したような雰囲気はなかったようだ。それどころか、瀬里花と話す時の、二人の表情はまるでアイドルとでも話しているかのように嬉々としていた。


 ――また女の子に告白とかされないよね?


 瀬里花を見る二人の目は、学生時代に瀬里花に告白をしてきた何人もの同性の目そのものだった。


 ――されないよね?


 受付から突き刺さる視線が、瀬里花には痛くて仕方がなかった。


「彼女たち結構大人しめだったでしょ? 昨日もずっと私が一人で、場を盛り上げてたんだからー。まあおかげでみんなの視線は私の口元と身体に釘づけだったけどー」


 未菜の言葉で、昨夜のある意味コンパがどんなものだったのか、想像が出来る。きっと男子の視線が、二人の巨乳の持ち主に注がれ、下ネタばかりの話になっていたはずだ。男子としては楽しいものだったろうが、他の二人はどう感じたのかは定かではない。やはり行かなくて良かったと瀬里花はホッと息をついた。


 そして更に一時間が経過した頃、ようやく本社から数人の女性スタッフたちが帰ってきた。クビレをはっきりと強調した制服に、控え目ながらに色艶のあるメイク、そしてきちっと結われた黒髪は、大人の色気をプンプンとさせている。これは瀬里花には皆無なものだ。そして何よりその表情は女であることの自信に満ち溢れている。未菜が身体でそれをアピールしているとすると、彼女たちは微かに動かす柔らかい口元からそれを体現しているのだ。圧倒されてしまう瀬里花たち。


「あなたたちがお茶を入れてくれたのね。ありがとう。でもお茶の入れ方がなってないわね。また別の機会に教えてあげるから、時間があったらまたこっちに遊びに来てね」


 女性スタッフのリーダーっぽい女性の攻撃力に、思わずたじろいでしまう二人。別に今日は遊びに来たわけではないのだけれどと、言葉をひたすらに噛み締めるしかなかった。ディーラーでのお茶出しは、流石にスナックでのお酒のようにはいかないようです。


 そこで事務所からショールームに、帰社したばかりの男性スタッフが顔を出してきた。


「ご苦労様、それで新車は何台か売れたのか?」


 ――綺麗な顔。


 胸がチクリとした。


 ――子猫を抱えた。


 指先が震えた。


「ん、君は、まさか、あの時の?」


 ――


 ずっとお礼を言いたかった相手。そして呪い殺したいほど、文句を言ってしまいたかった相手。そんな彼と、出会ってしまうこともあるのだ。


「見つけた……やっと見つけた」


 嵐の後には、そう、次の嵐が必ずやってくるのです。

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