第31話 二人の世界


 今年三月末の取締役会への最終報告によりネオ・ギャラクシー・プランNGPの活動は終了した。

 麻耶たちが提案した「コンビニ・リゾート・プラン」――何もないところにコンビニを作ることで、そこを一つの街に発展させていく計画の予定地は、仙台市郊外の人里離れた山中に決まった。ただ、施設の建設は未着手。

 もともと何もないところだけに、まずはそこへ行くための道路が必要だった。はあるけれど、未舗装で乗用車一台がやっと通れるぐらいのもの――獣道けものみちに毛の生えたようなものだった。

 お客さんに通ってもらう以前に、コンビニ施設を建設するのに必要な資機材を運ぶ大型車を通さなければならないことから、まずは、現在ある道路を改良して、いわゆる「工事用道路」を整備する必要があった。また、予定地には、電気・ガス・水道といったライフラインが通じていないことから、道路と並行して、ライフライン関連設備の整備も必要だった。


 関係機関との調整は、リーゼント弁護士のジョニーさんが抜かりなくやってくれたけれど、実際にコンビニ施設に着手できるのは、雪の影響も考えると、早くて来年の四月。でも、計画が少しずつ前に進んでいるのが実感できて、麻耶は自分のことのようにうれしかった。

 そんな風に思えるのは、きっと、第一回NGP戦略会議の場で麻耶が提案したことがベースになっているから――なんて言うと偉そうに聞こえるけれど、麻耶は好き勝手に話しただけ。それを肉付けして具体化してくれたのは他の五人。


 でもね、今岡さんの送別会のとき、みんなが口をそろえて言ってくれたの――「麻耶がいたおかげでNGPがすごく楽しいものになった」って。「お世辞」っていう言葉が脳裏をよぎったけれど、歯に衣着せぬ言い方をする五人が、今更麻耶にお世辞を言うなんてあり得ないから、素直に喜んだの。


 麻耶が生まれ育ったところも何も無いところだったけれど、コンビニ・リゾートの予定地はそれに輪を掛けて何もない、辺鄙へんぴなところ――電車で行くには、JRの駅から本数がほとんどない路線バスに乗って一時間半。車で行くには、高速道路のインターチェンジを下りて一時間。冗談抜きに、迷い込んだら遭難することもありそうな、秘境のような場所。

 ちなみに、ここを候補地に選んだのは、残念和服美人の五十棲いそずみ さん。麻耶は難しくてよくわからなかったけれど、いろいろなデータを使ってビジネスとして成り立つかどうかシミュレーションしたら、ここなら「七年後に収支がプラスに転じて、しばらく右上がりの収益が期待できる」っていう結論に達したの。


 ただ、取締役会に報告したら、シミュレーション結果を疑問視する声が上がった。

 憤慨した五十棲いそずみ さんが眉毛のあたりをピクピクさせながら、京都弁で反論しようとしたとき、それを今岡さんが制したの。


「何の根拠もなく不安を口にするのが素人の悪い癖ですね。そんな不安は感染力の強い伝染病みたいに一瞬で広がります――僕たちにはそんな不安を払しょくする根拠がある。の分析結果には絶対の自信を持っています。これが理解できないようでは話になりませんがね……はっきり言います。このプランを却下したら、我社は大きなビジネスチャンスを失うことになります。僕たち六人ごとライバル社に売り込みたい気分ですよ」


 今岡さんの顔には笑みが浮かんでいて口調も穏やかだったけれど、言葉には威圧感が感じられたの――結果は、全員一致で承認。予定地は、原案通り、本当に何もないところに決まった。

 言っていることが矛盾するけれど、決して

 綺麗な空気や水があるし、いろいろな動物が住んでいる。景色も最高で、特に、お天気のときに見える、早朝の雲海や夜の星空は「異世界に来たんじゃないか」って思うぐらい素晴らしいの――これは、グルメ・アンパンマンの三上さんの受け売り。彼はすでに地元の特産品を使って五十種類ぐらいの料理や土産物を企画している。


 そんなこんなで、計画は今岡さんとみんなのおかげで、確実に形になっている。

 コンビニ・リゾートがどんな風に展開していくのか、すごく興味がある。コンビニを中心に街ができていくなんて考えただけでワクワクする。コンビニが訪れる人を幸せにできるなんて夢みたい――それは、まさに麻耶がずっと抱いてきた夢。


 でもね、麻耶はそんなコンビニを見たくない。見たいの。ずっと、ずっと、いっしょに見ていたいの。だから、麻耶は選んだ――ずっと「彼」といっしょにいることを。それが麻耶にとって「違和感のないこと」だから。


★★


 絶え間なく流れ落ちる滝の水が、夜の闇の中に白く浮かび上がる。

 赤や黄色に彩られた華やかな樹木とのコントラストがとても幻想的で、それぞれが自らの存在を主張しているように見える。


 今、麻耶が立っているのは文字通りのがけっぷち。秋津大滝がとても綺麗に見える場所――二メートル先にあるのは、新しい世界への入口。


「麻耶、行くわよ」


 「彼女」の声に首を縦に振ると、麻耶は静かに目を閉じた。

 五感のうちの一つが失われると、他の四つが鋭くなるらしい。目を閉じた麻耶もそんな状態なのかもしれない。風と水が奏でる音色がとても心地良いものに思えたから。

 「彼女」の左手に導かれるように麻耶は少しずつ進んでいった。


 不意に違和感を感じた――「彼女」の左手から伝わっていた、温かい感触が突然消えてしまったから。身を切るような風の冷たさにぶるっと身震いすると、麻耶は思わず目を開けたの。

 麻耶はがけっぷちに立っていた。数十センチ先で足場がなくなっている。自分の右手に目を向けると、「彼女」の手は放れていた。

 何があったのか尋ねようとしたとき、麻耶の目に思わぬ光景が飛び込んできた。ぼんやりと白い光を放つ「何か」が空中に浮かんでいる。次の瞬間、それは人の形になった――麻耶がよく知っている「あの人」の形に。


『今岡さん?……今岡さんなの!?』


 空中に浮かんでいるのは、紛れもなく今岡さんだった。

 その身体はもう一人の麻耶みたいに白く光っている。でも、その優しい笑顔を見間違えるわけがない。


「麻耶、会いたかったよ。キミを迎えに来たんだ。いっしょに行こう」


 今岡さんの言葉を聞いて涙があふれた。

 やっぱり今岡さんは麻耶のことを忘れてなんかいなかった。離れていても麻耶のことを思っていてくれた。だって、こうして迎えに来てくれたんだもの。麻耶の選択は間違っていなかった。


 麻耶は、空中に浮かぶ今岡さんの方に手を伸ばして最後の一歩踏み出そうとしたの――その瞬間、麻耶の前に「彼女」が立ちはだかった。


「麻耶、ごめんなさい。少し事情が変わった。あなたとはここでお別れ。あなたも帰るの。へ――じゃあね」


 麻耶に小さく手を振ると、「彼女」の身体がふわりと宙に浮きあがった。

 呆気あっけにとられる麻耶を後目に、「彼女」は今岡さんの方へ飛んでいくと、二人は抱き合って唇を重ねた。そして、一つの光のかたまりとなって滝の中へと吸い込まれるように消えていった。


 時間にすると、ほんの数秒の出来事。

 麻耶は、ぽかんと口を開けたまま、その場に立ち尽くしていたの――何が起きたのか全く理解できずに。


 今岡さんが麻耶を迎えにきてくれたと思ったら「彼女」を連れていなくなってしまった。麻耶はにも見放された――でも、麻耶に残された選択肢が一つしかないことに代わりはない。今岡さんがいない世界に麻耶だけがいる意味なんてないから。別れ際に「彼女」は、麻耶に自分の世界へ帰るように言っていた。麻耶が帰る世界なんてもうどこにもないのに。


 そのとき、麻耶の背中を押すように突風が吹いたの――バランスを崩した麻耶の身体が滝の方へと傾く。右足に力を入れて踏み止まろうとしたけれど、痛めたところに力が入らなくて、そのまま崖の方によろめいたの。


『ちょうど良かった……今岡さん、今度こそ行くね』


 瞳を閉じた瞬間、真珠のような大粒の涙が飛び散った。

 どこからか麻耶の名前を呼ぶ、今岡さんの声が聞こえたような気がした。


★★★


 麻耶は天国に来たのかな?

 目を開けるのが怖い――だって、麻耶だけが「地獄」に来たかもしれないから。もしそうなら、今岡さんに会えない。もちろんその逆でもダメ。理論上は、二人が天国で会える確率は二十五パーセントしかない。

 それにしても右足が痛い。死んだ後もこういう感覚って残るものなんだ。

 それに、麻耶の左手に何かが触れている。


「――やっぱり、こうしていると違和感がないね」


 不意に耳元で声が聞こえた――麻耶は思わず目を開けた。

 がけっぷちに立つ麻耶を誰かがしっかりと抱きかかえている。麻耶の左手をギュッと握って引き寄せるようにして。


 ぼやけた視界が少しずつはっきりして来た。


『……ウソ? だって、こんなところにいるわけない。生きているわけがないんだから……これは夢。きっと麻耶は帰りのバスの中で夢を見ているんだ。そうに決まっている……でも、それでもいい。このままずっと、仙台駅に着かないで欲しい……』


 麻耶に向けた優しい笑顔と麻耶の手を握る、温かい手の感触――他の誰かと間違えるわけがなかった。でも、さっきのことがあって、麻耶は半信半疑でジッと見つめていたの。


 つづく

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