第14話 質問と回答


 ジャズのスタンダードナンバーMistyミスティが流れる、静かなショットバー「Misty Lakesideミスティー・レイクサイド」。

 奥の席で、モスコミュールの入った、背の高いタンブラーを傾ける「桜木麻耶」。カウンターの中でグラスを磨く、シックなスーツをまとった女主人マスター「泉美さん」。どれも、いつもの見慣れた風景。

 でも、今夜は少し違う。それは、麻耶の隣に彼――「今岡恒彦」が座っているから。


 間接照明のライトが灯る、薄暗い店内では、お互いの表情がはっきりとわからない。だから、カップルは身体を寄せ合い顔を近づけて話をする。これまで麻耶はずっと一人だったから、カップルの気持ちなんかわからなかった――でも、今夜はわかる。「こんな感じなんだ」って。


 麻耶の左肩と今岡さんの右肩がピッタリくっ付いている。触れている部分がとても熱い。それに、麻耶の左手には、さっきまでつながっていた、今岡さんの右手の感触が残っている。三十分も手をつないでいたせいか、手をつないでいないことでかえって違和感が感じられる――「今岡さんはどうなのかな?」。ぼんやりと考えながら、麻耶は今岡さんの方を横目でチラリと見る。今岡さんはバーボンの入ったショットグラスに視線を落としている。


「桜木くん、昼間に僕がみんなの前で言ったこと――どう思った?」


 グラスを揺らして氷でカラカラと音を立てながら、今岡さんがポツリと言った。


「なぜ私にそんなことを訊くのですか?」


 クールガールの麻耶の口から出たのは、質問に対する回答ではなくて新たな質問。

 今岡さんはフッと小さく笑うと、バーボンのグラスを口に運ぶ。


「あのとき、桜木くんの大きな瞳が僕をジッと見つめていた。まるで何か大切なことを伝えようとしているみたいに――桜木くんが何を考えていたのか知りたいんだ」


「それを知ってどうするのですか?」


 麻耶の口から飛び出したのは、またまた回答ではなくて質問。

 ちょうどCDの曲が終わったところで、店内にカラカラという氷の音が響く。


 はっきり言って、麻耶ったら最悪の女。場の空気が全く読めていない。今岡さんが黙っちゃったのは、たぶん呆れてものが言えないから――身体が小刻みに震えているのがその証拠。これはかなりマズイかも。


「あははは! その通りだ。キミの質問はもっともだよ。桜木くん。何の説明もしないで話を進めた僕に非がある。大変申し訳なかった」


 今岡さんは声を上げて笑うと、麻耶に向かってペコリと頭を下げたの――想定外のリアクションだった。だって、麻耶はそこまで深く考えていたわけじゃない。いつものように接しただけ。と言いながら、命拾いしたことに代わりはない。


「じゃあ、順序立てて説明させてもらうよ」


 今岡さんはバーボンのグラスをテーブルの上に置くと、身体を少し麻耶の方へ傾ける。そして、はっきりとした口調で話し始めた。


「サン&ムーンが東北で事業を展開するにあたって、基本的にはマニュアルに沿った、画一的な店舗を出店するつもりだ。でもね、これから生き残っていくためには、他社と差別化を図ることが重要なんだ。これまでとは違った『特色のあるコンビニづくり』をするってことだね。

 サン&ムーンが本格的な事業展開を図っていない地域――東北地方は、そんなコンビニを試験出店するには絶好の場所なんだ。失敗したってそれほど痛くないし、話題になればいいと思っている。もちろん、成功したら言うことはないけどね。

 そのためには、早急に、コンセプトを固めて事業内容を具体化していくための『プロジェクトチームPT』を立ち上げる必要がある――ただ、僕としては、常識にとらわれない、思い切ったものにしたいから、PTのメンバーについては、創造力豊かな個性派を集めたいと思っている。

 サン&ムーンの中にも優秀なメンバーはいるけど、優等生タイプばかりなんだ。彼らの成果品は、コンパクトにまとまってはいるけど面白味に欠ける。リスク回避を徹底的にやりたがるからね。フタを開けてみたら、既存の店舗に毛の生えたようなものしかできない気がする。そこで、桜木くんに白羽の矢を立てたってわけ。

 ただ、キミはまだPTメンバーの『候補』だ。メンバーとして適任かどうかはこれから面談をして決める――こんな説明なら僕の質問に答えてくれるかな?」


 説明を終えた今岡さんはバーボンをグイッと喉に流し込む。

 今岡さんの話を聞いて状況は理解できた――同時に、少しがっかりした。だって、今岡さんは、時間外でも、二人でお酒を飲んでいるときでも、やっぱり「部長」だったから。麻耶をここへ連れてきたのはあくまで仕事の一環。麻耶はあくまで「一人の部下」であって「一人の女」じゃない。でも、麻耶みたいな「熱しにくく冷めにくいタイプ」は熱せられる時間も長いから、沸点に到達する前にに気づいて良かったのかもしれない。


★★


「あのとき私が感じたことを今岡部長に話して、適任かどうかなんてわかるのですか?」


 タンブラーに添えられたカット・ライムを指で突っつきながら、今岡さんの質問に再び質問で返す麻耶――すると、間髪を容れず、今岡さんの口から言葉が発せられる。


「それは面接官である、この僕が判断することだよ。キミは面接を受けるとき、質問の意図を確認するの? そんな質問に答えてくれる面接官はいないよ」


 今岡さんが手にするショットグラスに照明が当たって、テーブルの上にプリズムのような模様が浮かぶ。オーロラのような模様と、カラカラという、氷の音。不意に麻耶の脳裏に南極の景色が浮かんだ――確かに、今岡さんの言うとおりかもしれない。ここは麻耶が質問するところじゃない。


「わかりました。私があのとき感じたことを簡潔に述べます」


 麻耶が鋭い眼差しを向けると、今岡さんは「そう来なくっちゃ」と言わんばかりにうれしそうに微笑んだの。


つづく

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