第15話 希望と失望


「まず今岡部長のお話全般についてですが――『希望を抱くことができた』というのが正直なところです。私のいた会社がサン&ムーンと対等合併したならともかく、吸収合併されたわけですから、私たちの処遇が厳しくなるイメージを持っていました。私以外にも不安に思っている人は多かったです。でも、今岡部長のお話を聞いて、新しい会社に移行することでこれまで以上に希望が持てるような気がしました。

 ご存じかも知れませんが、これまで私に対する会社の評価は最低で最悪でした――「愛想がない」、「言い方が冷たい」、「理屈っぽい」、「気が利かない」、「着飾らない」、「飲み会に付き合わない」、「余計なことを言い過ぎる」。私にはいつもそんな言葉がついて回りました。

 欠点と利点は表裏一体で、捉え方一つで評価が百八十度変わります。言い換えれば、評価者のさじ加減ひとつで如何様いかようにもなります。結果として、私の場合は『負の評価』ばかりでした――そのことは、いろいろなところから漏れ聞こえてきました。同期入社のと話をしたとき、私だけ給料が上がっていないこともわかりました。自分ではがんばってお客様や社員にとって有益な提案をしてきたつもりでも、会社はそれを『積極性』ではなく『出しゃばり』と捉えました。私のやることなすこと全てが面白くなかったみたいです。

 辞めることも考えましたが、景気が後退局面に入っている状況では、同じような条件の再就職先が見つかる保証はありませんし、私には身体を悪くしている母がいるため、ここで収入が途絶えるわけにはいかず、ずっと我慢してきました。でも、これから新たなスタートを切ることで、私にとって良い流れになると思いました。これまで以上に悪くなることはないと思いました」


 麻耶は顔色一つ変えず、淡々と言い放った。

 ただ、「すごくカッコ良かった」の一言は言えなかった――クールガールだってこともあるけれど、もしかしたら、今岡さんが麻耶を誘った目的が期待外れだったことが影響しているのかもしれない。


「――それから、今岡部長が長谷部さんを論破したことについて、結果的には上手くいきましたが、対応として適切だったかどうかは疑問が残るところです」


「どういうこと? 僕のやり方に何か問題があった?」


 上から目線で一席ぶったような、麻耶の言い方に、間髪を容れず、今岡さんが訊き返す。表情は変わらないけれど、どこかムッとしたような雰囲気が感じられる。

 ここはニッコリと笑って柔らかい言葉で歩み寄るのが得策――心の中ではそう思っだけれど、そんなこと、麻耶には逆立ちしたってできっこない。


「あくまで『結果オーライ』ということです。あの場面で長谷部さんを黙らせなければ、今岡部長の求心力が低下するとともに、社員の士気の低下も免れられませんでした。今後のプロジェクト推進にも少なからず影響を及ぼすことになったでしょう。そういう意味では、強気に出たこと自体は間違っていません。

 ただ、もしあの男が会社法務に明るくて訴訟を受けて立つような流れになったら、大きな問題に発展したのではないでしょうか?――サン&ムーンがこれから新事業を展開していくうえで、週刊誌を飾るゴシップ記事にあるようなスキャンダルは絶対に避けるべきです。M&Aを仕掛けたことで内紛が勃発したというのは、週刊誌の格好のネタになります。つまり、あんなことをマスコミに公表したら、強い向かい風に煽られて、事業が暗礁に乗り上げることにもなったのではないでしょうか?」


 麻耶が強い口調でまくし立てると、今岡さんは「へぇー」と感心するような素振りを見せる。そして、手に持ったグラスをテーブルの上に置くと、麻耶の方へ身体を向けたの。


「じゃあ、桜木くんが僕なら、あのときどんな対応をとったの?」


 心なしか今岡さんの目つきが鋭くなった気がした――「言い過ぎました。ごめんなさい」。そう言いたいところだけれど、こんなことで引き下がる麻耶ではない。


「私は長谷部さんがどんな人なのかよく知っています。何ら専門的な知識や技量は持ち合わせておらず、論理的に物事を考えたり判断することもできません。ただ、酒やゴルフといった仕事以外の場を使って人脈を形成することについては天下一品で、彼の右に出る者はいません。また、人脈を使って様々な情報を集めることが得意で『情報通』として高い評価を受けてきました。厄介なことに、長谷部は入手した情報を小出しにしたり、都合の良いように書き換えて伝えたりします――嘘ではありませんが、正確ではありません。

 そんな裏舞台でしか力を発揮できない人間は、表舞台に引きずり出されることを忌み嫌います。そして、権威には滅法弱く、いつも長いものに巻かれることを望みます。権力者の隣で甘い汁を吸う、コバンザメみたいなものです――私も、長谷部を黙らせる『脅し文句』を使って、今岡部長がされたのと同じような策を講じたと思います」


「桜木くんの説明だと、僕がとった行動は百点だと思うけど――違うのかな?」


「行為に至る『動機』という点では評価が下がります。長谷部さんという人間を深く理解して行った行為であればいいのですが、それが『はったり』だとしたら、リスクが大きく、ギャンブル的なものだったと言わざるをえません」


 麻耶の手厳しい一言に今岡さんは驚いた顔をした。目を逸らして「まいったなぁ」といった表情で首を左右に振る。きっと、ここまで言われるとは思わなかったのだろう。確かに麻耶から見ても言い過ぎだったと思う。「彼女」は空気なんか全く読まないから。


 ちなみに、今岡さんのリアクションはこれまで麻耶がよく目にしてきたもの。麻耶が接してきた、と同じだった――でもね、ここからが違ったの。


「恐れ入ったよ。すごい分析力だ……でも、桜木くん? 僕が今回のM&Aの責任者だってこと忘れていない?」


 今岡さんの顔に再び穏やかな笑みが浮かぶ。


「――M&Aで一番難しいのは、企業文化が異なる被合併会社や消滅会社の社員を、いかにスムーズに新たな環境に解け込ませるか――会社の戦力として取り込むかだよ。切り捨ててしまうのは簡単だけど、社員一人ひとりが持つ情報やスキルも財産なんだから有効活用するべきだと思うんだ。

 放っておいても、それぞれに『がんばろう』という意識が生まれてくれたら何も問題はない。でも、普通はそうはならない――危機感を抱かない人もいれば、感情的になる人もいるからね。

 法律上会社は人として扱われるけど、心や感情は持ち得ない。法令、定款、規則といったルールによって意思決定がなされ、ある意味機械的に統治・運営される法人に過ぎない。でも、会社を支えているのは熱い血の通った人であって、機械のように単純には扱えない――じゃあ、どうすればいいか?

 答えは、一人ひとりがした状況を作ること――自分の立ち位置や役割をしっかり理解して、新たなやり方に納得してもらうことだよ。

 イソップ童話の『北風と太陽』の中で、北風は、旅人の服を力任せに吹き飛ばそうとした。それに対して、太陽は、暖かな光を浴びせることで自発的に服を脱がせようとした――結果として、太陽のやり方がOKで北風のやり方はNGだったけど、旅人の性格によっては結果が変わっていたかもしれない。それは、M&Aでも同じだ。人によって『北風流』と『太陽流』を使い分けることが必要なんだ。もちろん、両方のコンビネーションもありだと思う。

 それから、M&Aをソフトランディングさせるためには、被合併企業のの扱いが重要なんだ。だから、ある意味キーマンである長谷部さんのことは事前にしっかりと調べさせてもらった。公私ともにね。たぶん、桜木くんが知らないことも僕はいろいろ知っているよ。

 上手くいったのは偶然なんかじゃない。綿密なリサーチを行ったことではできていた。競馬に喩えるなら、配当が百倍を超えるような『大穴』を当てたものじゃない。僕の中では、断然人気の『本命』を当てたんだ――結果は必然だったってことさ」


 「この人はスゴイ」って思った。顔色一つ変えない麻耶だったけれど、心の中では、驚きを通り越して深い感動を覚えていたの――先を見据えた、論理的な考察に裏付けされた言葉は、どれも説得力があって、これまで会社の連中から聞かされてきた、何の役にも立たない説教もどきとは次元が違った。


 でもね、今岡さんがその後に言った一言に、麻耶は自分の耳を疑ったの。


 そのときの気持ちを言葉にするのは難しいけれど、喩えるなら、ありがたい存在だと感じていた神様が実は悪魔が化けていたとか、ショーウインドウの光輝くダイヤの指輪に目を奪われていたら真っ赤な偽物だったとか、三ツ星のレストランの料理が集中調理されたものをレンジで温めていただけだったとか――とにかく「騙された」っていう気分だった。


「ちなみに、桜木くんのスリーサイズだって把握しているよ。『78・60・86』。少し子供っぽい体型だけど――ビンゴ?」


 麻耶は千尋せんじんの谷に突き落とされた気がしたの。


 つづく

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