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 外観からして雰囲気が良さそうな喫茶店のドアを開けた。

 外の喧騒が遮断され、柔らかなピアノの音色が耳に入り込んできた。クラシック系かな? 誰の曲かはわからない。

 白い壁にこげ茶色のフローリング。落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 近くの席にはかけずに、店の中を進んでいく。すると、一角にふすまを見つけた。店の雰囲気とは不釣り合いな箱のような小部屋である。


「この個室、防音使用になっているんです」

「なんで防音の部屋に?」

「私の声が外に漏れるのが恥ずかしいんです」


 うつむいて手をもじもじさせてる。かわいいなぁ。あまり学校でも話さないタイプの子なんだね。

 靴を脱いで座敷に上がる。四畳ほどの広さで真ん中には漆塗りのテーブル。棚には日本人形と5円玉で作られたかぶとが置かれていた。イグサの香りが心を安らかにさせてくれる。

 ふかふかの座布団に座ってメニュー表を眺める。私は抹茶パフェ、彼女――そういえば来る途中で名前を聞いたんだった――文女あやめちゃんは、団子のセットを注文した。


「さっきの話の続きなんですけど、どうしてカツオ漁師を好きになったんですか?」


 私が文女ちゃんにきく。


「来た当初は心が男性だったのに、扱われ方や対応で自身が変化してだんだん女性になっていくのがいいんです。主人公が苦悩して苦悩して、元の姿にも戻りたくても戻れないから、少しずつ受容していく様子もまたかわいいなと思うんですよね。ただ単に、作者の性癖や女性ホルモンに浸食されているという見方もありますが、私は違うと思います。人間は男性だろうが女性だろうが、度合いはあれど好きになっていくものです。好きのうちのふたつある友情と恋愛感情のうち、後者の目覚めのタイミングは異世界に来てからやって来ただけであって、きちんと段階は作中において踏まれています。だから、読みもせずただの疑似BLだ逆ハーレムだと決めつけ毛嫌いするのは、本当にもったいないことだと思うんです」


 と、ここで早々と注文したものがやってきた。文女ちゃんは貝のように口を閉じる。まあ、あまりBLだ逆ハーレムって話は聞かれたくないよね。……だけど、ちゃんと分析している感がすごいなぁ。私はそこまで意識して読んだことなかったよ。


「ごめんなさい。語りすぎてしまって」


 文女ちゃんがバツの悪そうな顔をしている。


「本当に好きなんですね。悪いことなんて全然ありませんよ」


 私はまだまだなんだなと思う。もっと考察するような目も持たないと……!


愛里あいりちゃんは優しいんですね」

「いや、そんなことはないですよ。それを言うなら文女ちゃんのほうが優しいですよ」

「私が優しい? ふふふ……」

「だって、痴漢と間違えた私を許してくれたましたし」


 文女ちゃんは下を向いてまだ笑っている。


「くくく、あはははははっ」


 だんだん狂気すら感じてきた。大丈夫かな? この人。なんて思ってたら、顔を上げてきて目がバッチリ合った。目が据わってる。雰囲気が変わったように見えた。


「私は優しくなんかない。愛里を利用しようと企んでるずる賢い女子高生だよ」


 声のトーンが低く、言い方ががさつになった。もしかして二重人格者か何かかな。


「あのとき愛里の尻を掴んだのは私だよ。犯人は私さ」


 突然の告白に頭が真っ白になる。文女ちゃんは何を言ってるの。


「さてここで、ちょっと聞いてほしい。私も愛里に広義の意味では痴漢をした。どうしてだと思う? ちなみに理由はふたつある」

「どうしてって言われても……」


 見当がつくわけがない。自分で言うのもなんだけど、お尻の形がいいとよく言われる。多分、小さいころから今までずーっと運動をしていたおかげだと思う。自分ではまじまじと見ないけど、他人から見れば魅力的なものなのかな。


「ひとつはいい尻をしていたから。しかも姿勢もいいし、体全体が引き締まってる。んじゃ、尻でも掴んでみるかってなったわけ」


 意味不明だ。……いや、痴漢をする人間の思考回路は案外こんな感じなのかもしれない。


「掴んでみて正解だったよ。だって、愛里が私の手首を尋常じゃない力で掴んでくれたから」

「それについてはごめんなさい」

「謝んなくていいよ。先に手を出したのは私だから。さて、なんで愛里の尻を掴む必要があったか。わかる?」

「痴漢常習者でお尻フェチだから……?」

「バカじゃないの。どうしてわざわざ危ないことをしなきゃならないんだよ」 


 怒られてしまった。わかるわけないじゃん。くぅーってお腹も鳴っちゃったし、すごく恥ずかしいじゃんか。


「まあ、とりあえず来たものを食べよ。糖分が頭に入れば回路が繋がって答えが導き出せると思うから」


 話の途中で食べるわけにいかないから、てっぺんに鎮座ちんざしている丸い抹茶アイスが溶けかかっていた。スプーンですくって一口。


「おいしい!」

「そうだろ。うまいだろ。どんどん食べな」


 促されるまま夢中で食べる。次第に頭の回路が活発に動いてくるのがわかった。そして、ひとつの答えが浮かび上がった。


「もしかして、文女ちゃんも痴漢されていたり……?」

「ああ、そうだよ。だから、助けを求める半分、下心半分で愛里の尻を掴んだ」


 いやいや、あっけらかんとし過ぎでだってば。


「後半の言葉は聞かなかったことにします……」

「実はここ数日間触られててね。私の場合は足だけど、さすがに頭にきてたわけ。でも、こんなナリじゃとっちめられないし、世間体の重視の高校に入ったもんだから、痴漢騒ぎが起こった日には、面倒くさいことになる。で、身動きも取れやしない。だから、さっきの理由でいろんな人間の体を触ってたんだ。けどまあ、だーれも反応してくれなくてさ。そしたら愛里が反応してくれて、助かったなと思ったわけよ」

「大変だったんですね」


 文女ちゃんは文女ちゃんで被害者だったんだ。人があんなに大勢いるのに誰も助けてくれない。それがどんなに悲しく残酷なことか。


「それで、さ――」

「私も文女ちゃんに痴漢した人間を捕まえるのに協力する!」


 思わず宣言してしまった。自分の脳内会議では賛成反対が半々だったのに。多分今、お互いに驚いた顔になってると思う。


「それなら話が早い。武道の経験は? あんな力があるんだから、何かやってたでしょ」

「小学校のころだったかな。一時期柔道をやってたよ」


 文女ちゃんの顔がパアっと輝く。


「完璧だ! これで奴をブタ箱にぶち込めるぜ!」


 清楚な顔してなんて物騒な言葉を遣うんだろう。清楚なキャラが崩壊していくなぁ。


「私に考えがある。よく聞いてくれ」


 文女ちゃんが考えを話し出す。前から考えていたのか、説明によどみがない。


「うまくいくのかなぁ」


 話を聞き終えての感想が不安しかない。そんな都合よくことが運べばいいけど。


「大丈夫だって。私は愛里の力を信じてる」


 真剣なまなざしで見つめてくる。意志の強さが感じられて、いやいやあなたひとりで捕まえられるでしょと思ってしまう。それを感じ取ったのか、いったん顔を下に向けた。


「お願いします。助けてくださいっ……」


 一転して弱々しい表情。上目遣いに困り眉でさらに涙を溜めて手を軽く握ってくる。女優にでもなれるんじゃないかな。


「助けて……!」


 例え演技だとしても、ここまでお願いされて助けないのは私のプライドが許さない。それに、かわいすぎて悶え狂う前に返事をしないと、鼻血を出して倒れそうなくらい心臓がバクバクしてきた。


「わかった。私は文女ちゃんを守るよ」

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