第4話 ガルフェンダー


男は同じ場所で呑気に寝転がっていた。

 なんだか腹が立って、一瞬、蹴り飛ばしてやろうかと思った。

 男は僕に気づくと、おおと手を振って


「で?どうだった?」


 そんな傲慢ともとれる態度を示してきた。


「なにがですか?」


「いや、村長に話は通じたかっていうこと」


 なんでこんな貧乏くじを引いてしまったんだろうか。

不幸な自分に頭を抱えたくなるが、村長が認めたということは、正式にこの村の客人になったわけで、無下にも出来ないところがやるせないところだった。

そんな僕に気も知れないで、こいつはこっちをニコニコと見てくる。


「はいはい。通じましたよ」


「おう。そいつは行幸だな」


「村長にお連れしろと仰せつかってきました」


 そんな僕のぶっきらぼうな態度を気にした様子もなく、男は手を貸してくれと頼んできた。


「すまんな。一人で村の中心まで歩く体力もなくなってしまって」


 端々に見え隠れする礼儀正しい言葉づかいから、根っこから悪い人間ではないということは伝わってくる。


「いえ、僕も村長には返しきれない恩があるので」


「なんだ。お前もその口か」


「え?」


「いや、俺もな昔、レインに助けてもらったことがあるんだ」


「そ、そうなんですか」


 なんだか意外だった。

 僕みたいな風が吹けば倒れてしまいそうな、ひ弱な奴なら他人に助けを求めないと、どうしようもないこともあるかもしれないが、こんないかにも、屈強で頑強そうな人が助けを借りないといけないようなことになるなんて。

 考えれば考えるほど、不思議が深まるような人だ。

 一体どんな人生を送ってきたんだろうか。

 横目でチラッと見ると、引きずっている足が痛むのか、顔を歪めながら無言で前を向いて歩いている男の姿が映る。


「なんだか、昔来た時とは雰囲気が変わっているな」


 住宅地が増えてくると、男は周りを見渡しながらそんな事を言った。


「何も変わっていないようで、何かが違う。そんな感じだ」


 僕が黙っていると、男は言葉を続ける。


「そうなんですか」


「ああ」


 …ダメだ。会話が続かない。


「あと、少しで着きますから」


「あ、ああ。そうだな」


 その言葉は嘘ではなく、やがて人の群がる村長の家が見えて来た。

 近づいていくと、僕たちに気づき始める人が増えてきて、何人かの村の男の人が助けてくれる。


「ここまで送ってくれてありがとな」


 男はそう言うと、村の男たちに肩を貸されながら家の中に入って行った。


「不思議な人だった」


 僕はまた会う機会もあるだろうと、帰路についた。





「お帰りなさい慧さん」


「ああ、ただいま」


 この他愛もない会話が僕にとっては幸せのひと時だ。

 こっちの世界に来て、良いことがあったとすれば、家に帰ったら出迎えてくれる人がいるということだろうか。

 僕はいつも通り、水で手を洗った後、レイシアと一緒に夕食の準備を進める。





「…さん。さ…さん。慧さん」


「…ん?おはよう。レイシア」


「はい。おはようございますなのです」


「どうしたの?こんな朝早くから」


 目の前にはセミロングの髪を後ろで束ねて、ポニーテールにしたレイシアが僕にのしかかっている。


「今日は広場で村長さんが客人の説明をするって、昨日言ったではないですか」


 レイシアは眉にしわを寄せて、僕を問い詰める。


「ご、ごめん。聞いてなかった」


 僕が手を合わせて謝ると、レイシアはもうっと呟いて僕の布団を力任せに一気にめくり上げる。


「さっさと着替えてくださいね」


 フンッとそう言うと、レイシアは部屋を出て行ってしまった。

 僕はいそいそと着替えを済ませてレイシアの後を追う。


「ご、ごめんって」


 レイシアはなかなか機嫌を直してくれそうにない。




 午前中のお昼前、村の中心の銅像にて村長からの発表は行われた。

 村の全員と言う訳ではないが、客人なんてものが久しくいなかったこの村では、ほとんどお祭り騒ぎで、広場は人でごった返している。

 男の名は、ガルフェンダー。

 昔、まだ村長が若いころ、バンブスの王都で冒険者のパーティーを組んでいたらしい。

 なんでも、20代後半になって、この村に帰ってくるときに、必ずここを訪れると約束したらしいが、10年は来なかったんだとか。

 昨日の件と言い、どうやらあまり真面目な性格ではないようだ。

 ガルフェンダーはバンブスでも腕利きの剣士で、騎士にならないかと誘われたこともあったらしい。

 でも、その性格からか、断って冒険者を続けているということだ。

 ギルドから魔物が活発になっているかを調査する依頼を受けたのは良いが、予想以上に活発になっており、連戦で集中が切れていたところを奇襲されたらしい。

 そこで、近くのこの村まで逃げてきたと。

 足の方は完全に骨が折れているらしく、治るまでは一ヶ月以上かかってしまうらしく、その間はこの村に滞在させるのでよろしくするようにとのお達しが出た。

 ちなみに、ギルドへは村から選りすぐりの五人を選んで向かわせるようだった。




 村長からの報告が終わると、幾分かは人が減ったように感じるけど、それでも目の前は人で埋め尽くされる。


「はい」


 レイシアはそう言うと、小さな手を差し出してくる。

 僕はそれに首をかしげていると、


「また、迷子になられたら困りますからね」


 さすがに一ヶ月も経った今、この小さな村で迷うことはないが、そのツンとした表情と可愛らしいしぐさに僕は黙って従うことにした。

 僕がそっとレイシアの手を握ると、レイシアはにかむように頬をほころばせて、握り返してくれた。




 しかしして、人の噂も75日というもので、こんな山中の辺鄙な場所にあるドアーフの里の、その一つという小さなスケールでの噂は風のように去って行ってしまった。

 僕はというと、ガルフェンダーさんと劇的な出会いがあっただけで、療養中のあの人にはなかなか出会わない。

 そんな、ある日のまだ霧煙る頃の朝。

 いつにも増して、冷え込んだ朝に僕は目を覚ましてしまって、そのまま二度寝するのももったいない気がして、いつもの見慣れた、けれども人気のない街に繰り出した。


「…はぁ」


 朝の澄んだ空気は何も違わないはずなのに、何かが決定的に違う気がして、すぅ。はぁ。と何回か深呼吸をする。

 それはさながら、心や体に残った穢れがそぎ落とされていくような気がした。

 けれど、すぐにまた自分という存在が穢れているんじゃないか、ということを疑い始める。

 町からはじれて、森に近くなり、気がポツリポツリと見え始めたころ。

 ビュン、ビュン、と何かの風切り音が聞こえてきて、それはどうやら、町はずれにあるちょっとした広場から聞こえてきているようだった。

僕は何だろうとちょっとした好奇心からその広場に近づいていく。

 そこには、一心不乱に剣を振り回すガルフェンダーの姿が見えた。

 その動きは力強く、しかし優雅に、そして軽やかに動き続けていた。

 しかし素人の僕には、それが癖なのかけがの影響なのかは分からなかったけど、ときどき動きが乱れる部分があった。

 僕にはそれが、まるで演劇を見ている最中に動きが乱れた役者の様に無性に残念に感じた。

 ガルフェンダーのその動きは、ずっと見ていると何か共通点があるように感じる。

 そう、まるで何か、もしくは誰かを想定して戦っているかのように感じるのだ。

 しかしそれは、決してあやふやなものではなかった。

 まるでガルフェンダーの前に何者かがガルフェンダーと戦っているかのように感じるのだ。

 それは、もはや一種の芸術のようでいて、残酷な悲劇を見ているかのような気分だった。

 もっと近くで見たい。その一心で一歩を踏み出してしまったのだが、その一歩でザッと音を発ててしまい、芸術はそこでピタリと動きを止めてしまった。


「お?なんだ。この前の坊主じゃねぇか」


 ガルフェンダーは何事もなかったかのように振る舞う。

 しかし僕の心はそこまで穏やかではなかった。


「さっきの」


「…?」


「剣の稽古をしていたのか」


「いや、稽古ってほど立派なもんじゃないさ」


 ガルフェンダーはそうやって気丈に振る舞うが、僕の目には照れているのがまるわかりだ。

 しかしして、おっさんが魅せる表情としては些か気まずいものがあった。


「うん。キモい」


「な⁉お、お前キモいって…」


 僕は狼狽するガルフェンダーを無視して言葉を続ける。


「ところで、僕には慧っていう名前があるんだけど、決して坊主とか言う名前じゃないんですけど」


「お、おお。悪い。悪い。慧な」


 ガルフェンダーは少しも悪びれた様子を見せずに言う。


「ところで、慧はいつからいたんだ?」


「え?そこまで長くはなかったと思うけど…」


「そう、か」


 そう言うと、ガルフェンダーは何か思いつめるような顔をして黙り込んでしまった。

 すると、数舜、何とも言えない空気が流れる。


「ねぇ。ガルフェンダーさん」


「ん?なんだ?」


「途中で動きが乱れる時があったよね?…怪我の影響?」


「え?」


 ガルフェンダーは今度こそ驚いたというような様子を見せて、声をあげる。


「お前、気づいたのか?」


「いや、気づいたって素人目にも分かると思うよ?」


 僕がそう言うとガルフェンダーは、そうか。と頷いて、


「なぁ、慧。お前、剣を学んでみる気はねぇか?」


 そんな突拍子もないことを言ってきた。


「へ?剣?」


「ああ。お前にはきっと才能がある」


 ガルフェンダーはそれまでの見せていたお調子者の目を殴り捨て、覇気をまとわせた真面目な顔で僕に迫ってきた。


「いや、剣て。僕はこれまで一度も触ったことがないんだよ?」


 僕が若干引いたような様子を見せてしまったからだろうか、ガルフェンダーはバツが悪いかのように頭を掻きながら、


「いや、剣を扱う才能っていうか、剣術の才能っていうか…」


 ガルフェンダーは困ったように言葉を紡いだ。


「どういうこと?」


 意味が分からなくて、僕がもう一度聞き返すと、ガルフェンダーは頭をガシガシと搔きながら、うううっと唸って、


「と、とにかく‼お前には剣の才能があるんだ!」


「は、はい」


「やるのか、やらないのか、決めておけよな!」


 ガルフェンダーはそう言うと、この場から逃げるように足早に立ち去ってしまった。

 僕はその後ろ姿を見送りながら、うーんと空を見上げて、太陽が家を出たときよりもずっと高く昇っていることに気が付く。


「あれ?ガルフェンダーといた時間が思ったよりも長い…?」


 もしかしたら、ガルフェンダーの剣舞に見とれていたから時間を忘れてしまったのかもしれないな。

 そう思うやいなや、僕も足早に帰路についた。

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