第3話 ミルキィ先生
冴えてしまった頭でベッドに横になりながら状況を整理する。
まず僕がこの世界に迷い込んでしまったのは、太陽の角度から言って昨日のお昼過ぎだったと思う。それで森でさ迷っていた時間はおそらくそれほど長くない。せいぜい3時間くらいかな。
それから、このベッドの上で目覚めて、あの石板の文字を読んだ。
でも、あの石板には、先代の勇者は高2のときで2030年だったはずだ。僕は2017年の時に飛ばされてきたから、13年も先輩ということになる。
でも、こっちではもう死んでるくらい昔の人。
つまり、時間が狂っているということになる。
だから、もし帰れたとしても向こうで思った時間に帰れるとは限らないんだ。
「はは。浦島太郎かよ」
それに、偏差値70もの人が人生を掛けて追い続けた人でも解明できなかった召喚の謎。僕には理解することもできないかもしれない。
…今、僕はとりあえずで生きている。
僕自身自殺するような勇気もないし、この世界の人も何かの約束事があるのか、生かそうとしてくれている。
普通に考えれば異常だった。
僕だったら、こんな見ず知らずの、それも言葉も通じないような奴は助けない。
いっそ死んでしまった方が良いのかな?
やることも、やりたいことも、生きる希望も見つからない。
ただ惰性で生きている日々に意味なんてあるのかな?
その時、僕の頭の中に、ある一人の女の子の姿がよぎった。
地球にいたとき好きだった女の子。でも、容姿も頭の良さもスクールカースト、生きている世界自体が違い過ぎて会話する事はおろか、話しかける事すら出来なかった女の子。
もしもあの魔方陣が教室全体に及んでいるならば、いや、あの魔方陣は確実に市ヶ谷君から広がっていた。あいつの近くにいたあの子なら、確実にこっちに召喚されているはずだ。
もし、叶うならこのもどかしい気持ちを告げてから死にたい。それまでは死ねない。
地球にいたころは、後悔の毎日だった。
毎日、ほとんど何もしない内に終わっていた。
将来の夢もやりたいことも思いつかず、進学か就職かも決めていなかった。
授業は寝る事は少なかったけど、記憶にも残っていない。
いじめに加担することもいじめられることもなかった。
別段隠していた記憶はなかったけど、ヲタクであることをなじられることもいじられることもなかった。
そんな誰かも相手にされない、惰性の日々を送っていた。
だけど、何かをやりたいっていう漠然とした気持ちをくすぶらせていた気がする。
誰か救いたいとか、誰かの役に立ちたいとかそんな大層なことを思っていたんじゃない。
ただ、この社会という世界の中で何かの歯車になりたいと思っていた。
こんな自分でもピッタリと当てはまる何かがあるはずだ。ただ今は、それを知らないだけなんだ。もしも、知ることが出来たなら僕はちゃんとできる。みんなと同じように日向に歩いていけるはずだと思っていた。
けど、そんなものが訪れることもなく、こっちに飛ばされてしまった。
こっちでは、僕はきっと役立たずだ。そんなことは分かってる。
恐らく僕がいなくたって、あの子は今日も笑っているはずだ。
でも、周りを気にして、気にされて。
そんな、人から忘れられないために、笑って笑い続けるなんて、僕にはできなかった。
惰性で生き続けて、忘れ去られてしまうことが怖かっただけなのに。
だから、僕はこの世界で考えることを止めようと思う。
やるべきことは山積みだ。
やりたいことは何もない。考えることも何もない。希望も何もありはしない。
だから僕は、やるべきことをやろうと思った。
それからの毎日はルーチンワークのようだった。
同じ事ではないのかもしれないけれど、記憶力も良くなく、頭も悪い僕にとっては同じことの繰り返し。
でも、毎朝の幼女分と毎晩の幼女分で救われた気がしていた。
こっちの世界に来て、一ヶ月が経つころには次第に幼女の言っていることが分かるようになって来ていた。
最初は何を言っているのか察し、察される仲だったのに、言葉って本当になくてはならないものなんだなと痛感したよ。
まだ言葉もなかった人たちはどうやって暮らしていたんだろう。
昼間の勉強は研究だからと称して、例の女の人一緒だった。名前はミルキィと言うらしい。幼女はレイシアだった。
今ではちゃんと名前で呼んでいる。
それと、当初から気になっていた年齢はレイシアが10才。ミルキィが18才らしい。
レイシアのことを幼女幼女と呼んではいたけど、小学4年生というなんとも幼女とそうじゃない境目の年齢だったわけだ。
自分の小4はどんな感じだったかと思い出してみるけど、どんなに逆立ちしてもこんなにも大人びてはいなかった。
女の子は成熟が早いって聞くけど、小学4年生にもなるとこんなにも大人びて来るのか。それともレイシアが特別大人びているだけなのか。
レイシアは周りが大人たちばかりだから成熟が早かったのかもしれないな。
もしかしたら、辛いこともあったのかもしれない。そう思わせるほどの哀愁を漂わせていたことがあったことを思い出す。
それに比べると、ミルキィの中身は何とも残念な感じだった。いわゆるドジっ子というのかもしれないけど、なんというか頭脳は天才的なのに残念な子だった。
ミルキィさんはバンブスのこの村で生まれ育ったらしいけど、幼いころからその頭角を現していたみたいで、10才になる頃にはこの村を出てバンブスの教育機関に行くことになったらしい。なかなか入れないみたいで才能が必要らしかった。
本当は八才になる頃から催促されていたらしいが踏ん切りがつかなくて二年も経ってしまったと顔を赤らめながら話していたミルキィさんのかわいさはもう絶対忘れない。
三年教育のところを一年に短縮してしまったミルキィさんは卒業するときに実施される試験で最高ラインの導士の資格を得たらしい。
この資格は全国の高等でない教育機関で最低でも教員になれる免許らしかった。
それからミルキィさんは、その時に親しかった先生に推薦されて導士の上の免許である、導師の免許を取得するべく高等教育機関に進んだらしい。
話を聞いてみると、その高等教育機関は日本で言う大学と院を合わせたものらしく、一定ラインを超えるまで勉強してその後に研究室に入るというものだった。
ミルキィさんは初等、高等共に成績が優秀だったらしく特待生で入学金以外はかからなかったとか。それと里の後押しも高等教育機関に進む決め手だったらしい。
高等教育機関は選択科目にもよるけど、研究室に入るまでは最短で三年は掛かるらしい。
ミルキィさんは魔方陣学を専攻していたらしくて、魔法陣の意味と組み合わせを考える学問のようだ。
これはこっちで言ったら、薬学みたいなものなのかな。
そのまま研究室に入ることも考えたみたいだったけど、結局里恋しくなっちゃったミルキィさんはそれでも恩師との約束を果たすべく一年間の勉強と資格を取得
してから実際に効力を発揮するために必要な公的な実地演習を一年間やって、導師の免許を取得し、里に帰って来たらしい。
導師の免許は最低でも全国の高等教育機関の講師に成れるというものだから相当すごいと思う。日本で言ったら慶應とか東大の講師でしょ?もはや天界人だよ。
ちなみにミルキィさんが勇者の石板の管理をしていたのは、留になっていたのがこの里の近くだったことと、ミルキィさんが魔方陣学専攻だったこと、それに一年間の実地演習の成績が優秀だったことに起因するだろうとのことだった。さすがに上からそのことを言われたことはびっくりしたよう。
お上さんもこんな優秀な人材を野放しにしておくのはもったいなかったってことだろうなきっと。
その点、勇者の石板という、いざという時が来たら正しい行動をしてくれる人を必ず一人は付けなきゃいけない厄介なお荷物のことを考えると、丁度良かったのかもしれない。
しかも任されてから二年も経たない内に本番がやってきてしまったんだから、
ミルキィさんの人生はつくづく忙しい人生だなと思う。
「ふぅ」
情報を整理してて思ったけど、ミルキィさんって本当にすごいんだな。
学者さんか何かだとは思ってたけど、こう現実を突きつけられると、尊敬というか羨望みたいな目で見てしまう。
「っていうか。ミルキィさんってちょっと失礼じゃないかな?」
情報を整理してて何度か無意識に先生って言おうとしてたし、僕の頭の中ではすでに先生のポジションなのかもしれない。
それにしたって、ミルキィ先生には言葉でもこっちの常識でも何でも教えてもらってるし、すでに僕にとっては恩師になってるのか。
言葉にも慣れてきたし明日からは魔法を教えてもらう約束になっている。
言葉については、エスペラント語っていうのを教えてもらっている。
この言葉は先々代の勇者が広めたものらしくて700年経った今では、知識人だったらほとんど誰でも話せるらしい。
ちなみに知識人と言っても、学者さんのような人たちの事ではなくて、商人とかちゃんとした大人なら誰でも話せるらしい。
孤児院の牧師さんも普通に話すから孤児院の子供でも話すことが出来るというレベルだ。
個々の部族での言葉はまだ根強く残っているけど、それは文化としてしっかりと残して行こうという意識が強いみたい。
今日はひと段落ついたということで、一日休みをもらっている。
今は、夕暮れというにはまだ日は高く、夕食にはまだ少し時間がある。
さすがに一ヶ月もあれば家に帰って来れないという程土地勘に慣れていないということもなくなって、少しの散歩ならできるようになっていた。
だからと言う訳ではないけど、なんとなくふらっと散歩に出てみたくなった。
「今日は森の方に行ってみようかな」
勇者が召喚されて魔物たちが活動的になってて、森は危ないって言われたけど、さすがに柵を越えなければ大丈夫だろう。
こうしてゆっくりと蒼み始めた空の下を歩いていると、目まぐるしく動いていたこの一ヶ月と日本での日々を思い出すな。
涼み始めた澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで吐き出す。それだけで時の流れがゆっくりになったように感じる。
自分だけが時間という織りの中に取り残されたようだった。
そういえば、優雅なブレックファーストというものを味わってみたかったな。
あの子はどうしているだろうか。
あのデブはこっちでもちゃんと生きていられるのか。
クラスの中でも唯一仲よくと言えて話せていたヲタ友は大丈夫かな。願わくば三人ともまとまってどこかの国にでも勇者召喚されていればいいんだけど。
僕みたいな迷い人としてこっちに飛ばされてしまう確率はかなり低いみたい。
同じ地球で飛ばされたよしみからか、勇者同士はその存在を認識しあっていて、迷い人の数は正確に確認されているみたい。
でも、たまに暗黒大陸。
―魔族の住まう大陸に飛ばされてしまうケースもあるから安心できない。
もし仮に暗黒大陸に飛ばされてしまった時は、まず助からないと言われている。
―ガサッガサッ
「ッツ⁉」
まさか、魔物…?
確かに柵に近いけど、まだ柵は超えてない……。
もし、もし本当に魔物なら大変なことになる。
ゴクリっと僕は喉を鳴らした。
「なぁ。誰かいるのか?」
男の声?これは、…エスペラント語だよな?
「なぁ。もし誰かいるなら助けてほしいんだけど」
どうしよう。本当に困っているなら、助けるべきなんだろうけど山賊とか盗賊の可能性もあるし…。
「この里に向かっている途中で魔物の手段に襲われちまって、足をくじいたんだ」
魔物の集団…?そんなものに襲われて生きていられるものなのか?
「そうだ。村長。村長にガルフェンダーのガルが来たって言えばわかるからさ。
なんとか伝言だけでも頼めないかな?」
伝言か。仮に山賊だとしても僕一人じゃ何もできないし、な。
「わかった。そこで少し待っていろ」
「おー。さんきゅ」
僕は急いで村長さんのところへ向かった。
「村長さん。村長さんはいますか⁉」
走ってきたから、ちょっとハイになって声をあげながら村長を探す。
「おう。そんなに大きな声を出してどうしたんだい?」
「はい。なんか村のはずれに人が倒れていて」
「なに?山賊じゃねぇのか?」
「それで、ガルフェンダーのガルが来たと言えば分かるって」
それを聞くと、レインはカカッと笑って、
「やっと来たかあやつめ」
どこかに置き去りにしてきた闘志を目に宿してニヤリと笑みを見せた。
「よし分かった。わしはちと用がある。慧。お前がこの家まで連れてこい。丁重にもてなしてやる」
そう言うとレインは奥に引っ込んでしまった。
その様子を仏頂面で眺めると、
「なんか骨折り損のくたびれ儲けな気がする」
そう呟いて、僕は何か釈然としないものを抱きながらさっきの男が倒れていた場所へと急いだ。
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