第1章 転生

第1話 目覚め



「―ッ⁉」


 目覚めるとそこは雪国…ではなく竹林の中みたいだった。


「知らない天井だな」


 ゆっくりと体を起こし、周りの様子を伺う。部屋には僕が寝かされていたベッドとタンス、それに古めかしい照明器具っぽいものしかない。

 ベッドは窓際に置かれていて、鉄格子も嵌められていない。やろうと思えば今すぐにでも逃げられそうだ。

 その事実からか、僕の心は少しずつ安静を取り戻して行った。

 窓から見える太陽の角度からどうやら今は夕暮れ時の様だった。見渡す限り人工物が何もない景色から見える黄昏は、どうしようもないほど美しさを孕んでいた。

 どれほどボーっとしていたのだろうか。気が付くと黄昏はもうほとんど見えなくなっており、今にも太陽は沈んでしまいそうだった。僕の頭には火星からロボットが攻めて来るあおきえいのアニメサウンドが鳴り響く。



 

 ―コンコン




 静かに響いたノック音でハッとなる。


「***?」


 あぁ。やっぱりか。捕まる直前の記憶はあいまいだったが、僕はどうやら奴らに捕まってしまったようだ。しかも当然というべきか意思疎通は図れそうにな

い。


「****!」


 扉を開いて顔をのぞかせたのはやつらの小さな女の子だったが、僕の意識が戻っていることに気が付いた途端、何かを叫んでどこかに駆けて行ってしまった。

 僕にとって奴らの顔は見るに堪えない程ではないが、かなり美形から遠い造形だった。

 それは、やつら、強いては彼女にとっても僕の造形はかなり醜悪なものだということかもしれない。

 そう考えると、なぜだか無性に泣けてくる。僕はなじられても喜べる質だが、そこに愛がないとだめだと思う。しかもさほどかわいくない子に生理的拒否感を覚えられるとか救えないにもほどがあるだろ。


「はぁ」


 僕がため息を付いたタイミングで扉は開いた。

 今度は誰だろう。そう思い、外に向けていた視線を扉の方へと向ける。


「****!**、****?」


 どうやらさっきの小さな女の子が近くの大人を連れてきたみたいだった。

 でも、やはり何て言っているかは分からない。大人でもダメなのだから、言葉での意思疎通は難しいのかもしれない。どうにかしなければ。

 僕はかぶりを振って意味が理解できていないことを示した。

 するとその大人は、肩をすくめながら小さな女の子に何かを指図して、腕を組みながら扉付近に寄り掛かった。

 女の子は勢い良くうなずきながら颯爽と走り去っていった。


「…」


「……」


「………」


「………」


 しばらく無言の時間が続いた。小さな部屋にむさいおっさんと二人きりなんて、何も嬉しくない。

しかも見張る為なのか最初はじっとこちらを見つめて来る。何も嬉しくない。

仕返しに、こっちも見返してやったら微妙に顔を赤らめて下を向きやがった。え?ゲイすか?ゲイなんですか?やっぱり何も嬉しくない。

そのままずっと下を向いていれば良かったものを、見張りの事を思い出したのか、こっちをチラチラ見てきやがる。乙女かってんだよ。悲しいほどに嬉しくない。

そんな三文芝居に付き合ってやる気も起きず、外の景色を見る。

けれど、人工物が何もないことから分かるように、光に慣れた僕の目は真っ暗な景色を何も映してはくれない。ともすれば、間接的に奴の顔と僕の顔を見ることになる。

諦めてベッドに仰向けになると、これからどうするべきかを漠然と考え始める。

最終的には日本に帰ることが目的になると思う。問題はどうやって帰るかだ。

森にいる時には、直視していなかったがここは地球ですらないのではないかと思う。最初からしておかしかった。何故か光始めた地面。止まった景色。どれも僕の知っている物理法則では実現することは難しい。それに瞬間移動ともとれる。瞬時に切り替わった風景。これで同じ地球だったら、論文にして学会に発表したいくらいだ。そうすると、帰るということ自体が不可能なのかもしれない。でも、希望はないとは言い切れないとも思う。科学や物理はもともと自然を観察して生まれたものだ。僕がここに召喚されたということは、その逆も原理的に可能だということになる。まだ希望はあるはずだ。

今は、いつか帰れる。そう思い込むことにする。

でも、取り敢えずは生き延びなければならない。それに情報を得るために大きな都市に行く必要があると思う。

 まずはこの人たちと意思疎通を図ることだ。幸いにも、あの時は恐怖しかなかったけどこうして考えると、この人たちはあの時、僕を助けてくれようとしていたんじゃないかと思う。

本当に人喰いではないとは言い切れないけど、こうして生かしておく必要があるとは思えない。このベッドもこの人たちが着ている服から察するに、日用的に使われているものではない可能性が高いと思う。

 なら、僕を客人として向かい入れていると考える方が自然だろう。

 言葉を、言葉を覚えなければならないのか。僕の英語の成績はお世辞に出来るとは言えない点数だった。はっきり言って自分にない新しいことを覚えるのは苦手だ。

 でも、はいかいいえくらいは言えるようにならないと、

 ―タッタッタッタ。

 聞き覚えのある足音が響いてきた。さっきの子が戻ってきたみたいだった。

 その後ろからいくつかの足音が聞こえて来る。一つは鈍重そうな音。一つはそれよりかは軽そうな音。もう一つは軽そうな音だ。


「**!」


「****」


 さっきの女の子だ。走ってきたことがいけなかったのか扉に寄り掛かっていたやつに怒られている。どうにも親しそうな様子から親子なのかもしれない。


「***」


「**」


 その後ろから二人の男が顔を表した。一人は何故か石板のようなものを持っている。もう一人はその石板を支える木材?を持っているな。

 なるほど。だからあんな鈍い音がしていたのか。床がきしんでいたしな。


「***」


「**。****」


 もう一人はやはり女の人みたいだった。髪がぼさっとしているから寝起きなのかもしれない。

 一連の流れを眺めていると、扉の男がこっちを指さして何か言っている。すると、二人の男がこっちに寄ってきて、持っていた石板を設置し始めた。

 それを女の人がそわそわしながら眺めている。横から女の子に何か言われて、顔を赤らめながらぼさっとしていた髪を直し始めた。見た目とは裏腹に意外に若いのかもしれない。

 設置し終えた男たちが女の人に声を掛けると、女の人はさっきまでとは打って変わって緊張した面持ちになった。そして、そろりそろりとこっちに近づいて来る。その視線は僕の右手に釘付けだ。どうやら女の人は僕の右手さんに用事があるみたいだった。

 やがて、僕のもとへとたどり着くと意を決した様子でグッと握りしめていた両手を開き、僕の右手を掴んだ。そして足早にそのまま設置された石板の上にと誘導し始めた。

 どうやら、この女の人は僕の右手を石板の上に置きたいみたいだ。そのまま誘導されてもいいけど、さすがに今にも泣きそうなその顔はかわいそうだったから自分で石板の上に手を置く。

 女の人はあぁ⁉と泣きそうな顔で驚いたように声をあげ、


「え?」


 しかし僕の思考はそこでフリーズする。

 突然石板が光り始め、僕の向いている面に文字が浮かび上がってきたのだ。それも、その文字はとても見慣れた文字。日本語だった。

『やぁ。初めまして。僕は勇者をやっているものだ。勇者というと荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、僕はバンブス共和国に召喚された正真正銘の勇者ということになる。

 さて、この文字が浮かび上がったということはあらゆる様々な条件が整ったということだろう。僕はそれを前提として話すことにするよ。

 まず、気づいていると思うけどそこは地球ではない。僕たちはやがて訪れるであろう次の迷い人に向けてメッセージを残している。迷い人とは勇者とは違い手違いで召喚からはじき出された人の事だ。だから君はこっちの言語を理解する加護を得ていないはずだ。考えた末に、僕たちはイエスとノーだけを教えることにする。

 イエスは、ヤ―。ノーは、ニーブスだ。

 こっちの言語はどうやらドイツ語に似ているらしい。詳しいことは僕にも分からない。

 さて、1番大切なことは言ったから、2番目を話すよ。

 僕たちは出来る限り手を尽くして考えたし、実験もしたけど地球へは帰れそうにない。だからこのメッセージを残すことにしたんだ。いつ死ぬか分からないからね。

場所は僕たちが召喚されたバンブスの特異点。つまりマナが渦潮のようにぶつかっていて留になっている付近の大きめの里だ。そこはドアーフ族の大きな里になっているはずだ。特徴は老けているように見えることと肌が茶色。この石像は僕たちの功績で各地の特異点に置かれ守られるようになっている。内容はさほど変わらない。

 次に僕たちの自己紹介だ。

 僕はバンブスの勇者。魔法剣士の健斗だ。他に大魔導士の奏と剣闘士の悠がいる。僕はからっきしなんだけど、奏はすごく頭が良くてね。偏差値は70ぐらいあったんだ。この石板とメッセージの内容を考えたのも奏なんだ。僕たちは平成25年、2013年生まれで高校二年のとき、こっちに飛ばされた。年は統合歴225年だ。

次に……』

 その次の行を読もうとした途端に光っていた文字は消え入るように徐々に消えてしまった。

 そのことについて残念に思っていると、女の人がまたもや手をきつく握りしめ、生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えながらこちらに近づいてきた。とても緊張しているようで、かわいいなとは思ったがその後ろで「俺の***ちゃんに何かしたら殺すぞ」と言わんばかりに睨み付けてくる男二人がいたので、こっちもかたずを飲みながら見守るしかなかった。

 何回か息を吐きながら自分を落ち着けると、意を決して歌い始めた。

 その歌は子守歌のようにゆったりとしたもので、二分くらいの長さだったが、最初の歌いだしと石板の前振りで気づくことは容易だった。

 この歌は日本語とこっちの言葉のいろは歌なんだ。おかげでそれぞれの言葉の発音に関しては何とか覚えられそうだ。

 僕はもういない、勇者に感謝した。

 どうにかこの人たちに感謝の印しを送りたい。考えた末。外国人がイエスイエスと言いながら拍手するのを思い出した。


「ヤー。ヤーヤ―‼」


 僕は普段は決して使う機会のないぎこちない笑顔を浮かべながら拍手をした。


「***!」


 女の人は驚いたように顔をほころばせ、何かを笑顔で言い返してきた。おそらく今のが感謝の言葉で良いと思うけれど、やっぱり言葉が通じないと不安でどう思われているかは分からない。

 女の人はそれから二人の男に何かを言うと、部屋から出て行ってしまった。

 ああ。まだ全部覚えてないのに…。

 扉の男の人がそれを見送ると、部屋の照明器具っぽいものに何やら呟くと、明かりが灯った。

 え?いや、うすうす感づいてはいたよ?あれよね?あれだよね?噂に聞く、魔法ってやつですか?スゲェ、

 感動しながら明かりの灯るランプを見てたら、女の子がご飯を持って来てくれた。

考えてみれば、中学生くらいに考えてたこの子ももっと幼いかもしれないってことだよね?

まさか、幼女?


「ん」


 無言で差し出されるかと思ってたけど、その自然のかわいさに滅ぼされます。

 旦那様。今宵のメニューはこちらでございます。

ほう、これは?

はい。今宵はフランスパンと野菜スープの二皿となっております。こちらのフランスパンは少々硬くなっておりますので、こちらの野菜スープにつけてお食べください。

ふむ。どれ、食べてみるとするかの。

…むむ。これは……。

どうかなさいましたか?

うむ、これは…、うまい。うまいぞ!

それは、ありがとうございます。

うむ。ほめて遣わす。この一見あっさりとしていそうな野菜スープに秘密があるな?口に入れたときに広がるあっさりした緑色。しかししてその味わいは深みがあり、しっかりと後味を残してくれる。

さすが旦那様でございます。私の工夫などお見通しでございますね。しかし、今宵は旦那様にも見破れなかった隠し味がありますれば。

ほう。なんだ?申してみよ。

はい。それは、

それは?

それは、空腹でございます。

なに?空腹とな?

はい。空腹は最大のスパイスでございます。

かか。こいつは一杯食わされたな。


「ふ」


「はは」


 その瞬間、僕とこの幼女の間に何かが通じ合った。…気がする。

 ランプを灯した後こちらを見守っていた男の目が何故か生暖かかった気がするが、きっと気のせいだったと信じたい。

 幼女はふんすっと息をつくと食べ終わった空の食器を配膳台に載せて引き上げて行った。その様子はさながらメイドさんだ。肩掛けのエプロンもあれば完璧だな。

 

その後ろについて男の人も出ていくと、一人の静寂が残された。


「今日は人生に残る濃い一日だったな。なんだか一生分の頑張りを見せた気がする」


 走り回ったせいか臭いが少し気になるけど、疲れているせいかすごく眠い。

 言葉が通じない中、体を洗うのも億劫だし、今日のところはもう寝ようかな。

 そう思って、ベッドに寝転んだ途端。僕の意識は遠ざかって行った。

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