第3話プロローグsideB



「…ここは?」


 真也は片膝をついた状態で周りを見渡す。

隣には直前まで一緒に話していた直紀と楓、詩織。それに、国語の担任教諭である藤村先生がいた。

周りにはフランスのサント・シャペル教会を思わせるようなステンドグラスが散りばめられ、また様々な角度から柔らかな光が入り込み、どこか神聖さをまとい厳かな雰囲気を醸し出していた。


「ようこそおいでくださいました。勇者様」


 真也はそれまでキョロキョロと動かしていた視線を正面へと向ける。

 そこに佇んでいたのは本当に人間だったのだろうか。その姿は光をまとったようにきらきらと輝き、まるで聖母のような優しさがにじみ出ていた。


「え、えっと君は?」


 真也は思わず見とれていた自分に恥ずかしく思いながら問いかけた。


「はい。私はここ、クレン王国の第一王女のシルフィアと申します」


 シルフィアは両手を胸の前で重ね合わせながら微笑みを重ねて応えた。


「あ、あぁ。僕は市ヶ谷真也。えっと、どうして僕たちはここにいるのかな?」


 真也はその雰囲気に圧倒されながらも、落ち着いた様子で問いかける。

 シルフィアはその姿に少し微笑みながら


「真也様たちは勇者としてこの国へ召喚されたのです」


「え?勇者だって?」


 今まで見惚れていた直紀が横から思わずといった様子で問いかける。

 その姿に思うところがあったのか、詩織は少しむっとした様子で直紀を睨み付ける。


「勇者って、魔王でも倒せっていうのか?」


 直木はその様子に気づいたそぶりも見せず、言葉を紡ぐ。


「はい、伝承では魔王は倒されてから百年から五百年で復活すると言われています」


 シルフィアはそこで一息をつき、改めて直紀たちを見つめ、


「私たちクレン王国は近頃、魔物や魔族の活動が活発化していることに気づき、その復活が近いのではないかと踏んでいます」


 そう言い終えるとシルフィアはやり遂げたような満足顔を晒し、ほっと一息をついた。

 その仕草に流されそうになった直紀だったが、


「では、僕たちにその魔王とやらを討伐して来いというんですか?」


 真也が横から怒ったように語尾を強めて、捲し立てるように言った。


「はい。そのようにお願いしたく思っています」


 その剣幕に圧倒されたシルフィアに代わって横に控えていた初老の男が言う。


「…あなたは?」


「私はこのクレン王国の宰相を務めさせていただきます、イグニスと申すものです」


「イグニス?」


「ねぇ、なんだか私たちが行くことが確定しているように聞こえるんだけど、私たちが承諾した覚えはないわよ?」


 言葉に詰まった深夜に代わって詩織が強い声音を出して宰相に言った。


「それにいきなり呼び出されて何が何だかわからないんだけど?」


 詩織はまっすぐに宰相の方を見つめ、語尾を上げて威嚇するように言い放った。

 詩織はゆっくりと腰に手をあて、ため息をこぼす。後ろでは、落ち着かない様子で楓が詩織を見つめていた。


「つまり、私たちを今すぐにでも元いた場所へ返してほしいとそういうことですかな?」


 イグニスが狙いすましたかのように言葉を挟む。


「そ、そうよ。なによ物分かりが良いじゃない」


 詩織は拍子抜けしたような様子で言い返した。


「いえ、勇者様方のお気持ちはよくわかります」


 イグニスはうんうんと頷きながら芝居がかった様子で言葉を繋げる。


「しかし、今すぐにというのは残念ながら出来ないのです」


「な⁉何でよ‼」


 詩織は小ばかにされたと思い、カッと言い放つ。


「伝承では魔王を倒せば光の扉が現れるとされていますが、私たちの知識ではそれを解明することは難しく、現状では帰る方法が分からないということになります」


 イグニスは申し訳なさそうに顔をゆがませながら言った。


「で、伝承って、過去にもそういう記録は残っていないの?」


「はい。何分、魔王が復活の兆しを見せたのは五百年ぶりでして、確実な記録は残っていないと言わざるを得ない状況です」


「そ、そうなの」

 そう言うと、詩織はしゅんとした物腰で一歩後ろに下がった。


「で、でもさ、魔王を倒せば帰れるかもしれないんだろ?」


 直紀がみんなを元気づけるように周りを見渡しながら訴えかける。


「え、ええ。そういうことになります」


「分かった。それなら…」


「いや」


 真也は直紀が言い終える前に口を挟んだ。


「そんな確証の薄いものでは僕たちは動けない」


「え?真也。何言ってるんだよ。どのみち魔王を倒さないと帰れないんだぜ?」


 真也は直哉の事を一瞥した後


「これは取引なんだ。イグニスさん。あなたは僕たちに何をくれるんだ?」


「と、取引です、か?」


 さすがの宰相でもこれは予想外とばかりに、持っていたハンカチで額をぬぐう。


「ああ。取引だ。僕たちは魔王を倒す。そのための訓練や衣食住に関わる全ての事は必要経費だろ?」


「は、はいそうですね」


 イグニスは真也のそれまで隠していたように見えた鋭い眼光にたじろぐ。


 これは…、まるでお若いころの国王陛下を思い出しますな。空気が震えているかのようです。


「命だ」


「え?今、なんと?」


 イグニスは一瞬、言われた言葉の意味を理解できなかった。


「だから、魔王を倒したあかつきにはそこのシルフィア王女とイグニス。お前の命を差し出せ」


「そ、そんな⁉魔王を倒したとしてもシルフィア王女を殺すというのですか?」


 な、こいつは何を言っているんだ?まだ会って間もないというのに、そんなにもシルフィア様のことが気に入らなかったというのか?


「いや、そんなことは言っていない。生命与奪権をよこせと言っているんだ。それにまだある」


「ま、まだですか?」


「ああ。魔王を倒すまでの間、お前が契約違反をしようものなら、即刻お前には死んでもらう」


「―ッ⁉」


「あなたは、シルフィア王女を奴隷にでもしたいのですか?」


 とんでもない勇者を呼び寄せてしまったと、深く後悔した。この真也というやつには嗜虐趣味があるのかもしれない。




「さてな。それは知らないさ。ただ一つ言える事は僕はお前の言っていることが信用できない。それだけだ」


 イグニスはそれを聞き終えると、唇をきつくかんだ。

 それを横で見ていたシルフィアは意を決したような顔をして、言葉を放つ。


「わかりましたわ」


「な⁉シルフィア様。国王陛下にお伺いも立てず、そんな勝手な約束をされてしま

っては」


「イグニス。お父様がなんだというのですの?これは、勇者様と私、そしてあなたとの契約ですのよ?」


「そ、それはそうなのですが」


 その、余りにも狼狽したイグニスの様子に真也は軽く嘲笑し、言葉を放つ。


「イグニスさん。宰相ともあろうものがそんな弱気でいいんですか?」


「っく、わ、分かりました。その契約、結びましょう」


「じゃあ、絶対的な効力を出す契約書を用意してもらおうか」


「はい。しかし、今すぐにというと難しいです。せめて一日猶予をください」


「もちろんだ。こっちも契約の注意事項を練らないといけないしな」


 真也はそう言うと、まとわせていた剣呑な雰囲気をはがし、元の穏やかな雰囲気に戻った。

 イグニスは話すことはもう終わったとばかりに踵を返し、奥の扉に消えて行った。

 シルフィアはどうしようかと顔を動かしながらイグニスの方を見つめていたが、勇者の方の残ることを決めたようだった。


「ね、ねぇ」


 先ほどの事があったせいなのか詩織が少しおっかなびっくりといった風に真也に話しかける。


「シルフィア王女のこと、どういうつもりなのよ」


「え?どういうつもりって?」


「だから、その、奴隷みたいにするつもりなのかってこと」


 話題が話題だからか、シルフィアもかたずをのみ込んで食い入るように真也の事を見る。


「いや、そんな、奴隷だなんて。そんなことするわけないよ」


「え?じゃあ、どういうつもりなの?」


「詩織、この国にとってシルフィア王女ってどういう存在だと思う?」


「どういう存在って…、かけがえのない存在とかそういうこと?」


「そう、かけがえのない存在。つまり、もしあのイグニスさんが何かを企んだとしても、王女。それも第一王女の命がかかっているとなれば簡単には動けないよ

ね?」


「なるほど!確かにそれなら簡単には動けない。宰相にとっては自分の命もかかっているしね」


 合点がいった。というような様子で直紀が真也に食いつく。

 その横でシルフィアが何か言いたそうな顔をしていたが、グッとこらえて結局何も口には出さなかった。


「でも、イグニスさんがそんな事をするような人には思えなかったけど」


 詩織は納得がいかないといった風に口をとがらせて言う。

 真也はそうかな?と首を傾げながら前置きをして


「僕は少なくとも魔王を倒したら帰れるなんて話は眉唾ものだと思う」


 両手を組んで考えるそぶりを見せながら、その実はっきりと言い切った。

 そこに、え?と直紀が声をあげて、疑問を投げかける。


「だって、おかしいと思わない?五百年も経っているとはいえ、国。いや世界を救った英雄の記録が何も残っていないなんて」


「そ、それはそうかもしれないが」


 直紀は最後の希望を失ったかのような心持で沈んだ顔をする。


「いえ、確固たる記録が残っていなのはしょうがない事なんです」


 そこで今まで話の成り行きを見守るだけだったシルフィアが声を少しだけ張り上げて割り込んだ。


「この国にも紙が存在しますが、それはとても作るのが大変で魔法的な効果と要素を孕みます。ですから、紙が使われるのは何かの商談といった契約でしか使われないのです」


 シルフィアはそう言い切ると、王女に求められる落ち着きから逸脱していた自分の行為に恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめた。


「でも、世界を救った英雄だ。その紙に残していても不思議はないんじゃないのか?」


「その、紙が発明されたのはごく最近の事で、先代の勇者様がご降臨なさった頃には存在しなかったものだと存じます」


 真也はその言葉になるほどねと、小さく呟いてから考えるような仕草をした。


「じゃあ、しょうがないよな。お、俺はシルフィア王女の子と信じるぜ?」


 直紀はいつもの溌溂とした様子でシルフィアに話しかける。



 

きゅるる~


「―ッツ⁉」


「……」


「す、すいません。そ、その朝食を食べてなかったもので」


 それまで黙っていた楓がその存在感を示した瞬間だった。


「あの皆さんお疲れでしょうし、お部屋でお休みになられては?」


 すると、五人全員を見渡し、これまでなるべく視界に入れないようにしてきた、異様な存在感を放つ五人目の年配勇者、藤村東吉郎をしっかりと視界に収める。


「すでに五人分のお部屋はご用意させていただいてます」


 シルフィアがそう言うと、五人の次女が出てきて


「こちらの者たちが普段の勇者様たちのお世話をさせていただく者たちになります。何なりとお申し付けください」


 シルフィアがそう言い終えると侍女たちはいっせいにお辞儀をした。

 同時に後方の扉が開き、


「こちらでございます」


 勇者たちはそれぞれの侍女たちに連れられて行った。


「ご年配の勇者様なんて、聞いたことがありませんわ」


 後にはそう小さく呟いたシルフィアだけが残された。

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