第2話プロローグ2
――ガサッ
しばらくさまよっていると、突然目の前の草むらから何かが動く音がした。
これは、とうとう来たか?クマか?クマなのか?
まず見えて来たのはペガサスを彷彿とさせる角、そして白くてふさふさな頭、体…、
「え?ティッピー?」
まるい、とにかくまるくてふさふさした何かが出てきた。そう、それはまるでどこぞの珈琲店にいるであろうウサギに似ている物体だった。あぁ、一度でいいから幼女にいじめられたい。
しかし、その外見には決して見合わない体の半分以上の長さはある立派な角が付いている。
「きゅ?」
そいつはなんとも可愛らしい声をあげながらこっちを向いた。
見つめ合うこと数秒、
「きゅ!」
その小さくてふわふわな何かは出てきた草むらとは反対側の草むらに消えて行った。
あの生物は何だったのだろうか。少なくとも日本には生息していないと思う。ただ一つ言えることはあのくりくりの目はすごくかわいかった。もしもこのまま森で迷って死になら、一度でいいからあのかわいロリの目で見つめてもらいたかった。
学校での自分はハイドスキルが高まるばかり。最近では学校に来ていたのに、来ていなかったと勘違いされることも多々発生している。
……、かれこれ一時間以上はさまよっているのだが景色は一向に変わる景色はない。まっすぐにずっと歩き続けているから結構な広さの森だと推測できる。川を下って村やら町やらにたどり着くことは出来いかとさっきからずっと耳を澄ましてはいるけど、聞こえてくるのは得体のしれない鳥っぽい鳴き声となんかであったらやばそうな大型動物の鳴き声だけ。加えて言うなら、そこ木々の葉が擦り合わさる音を合わせたら完成かな。沢の音なんて一つも聞こえてきやしない。
日本の森っていうと、どことなく空気が澄んでて涼しいイメージがあるけど、ここはそんな天国のような場所とは似ても似つかないむしむしとした、まるで熱帯雨林のような場所だ。
そんな場所をいつまで歩けばいいのか分からないとなるとそのキツさは押して図るべきだと思うよ。それに、雨が多いためなのか地面が湿っていて、都会のちゃんと整備された道路を歩くよりもずっと体力を使う。普段の行動範囲が家から学校とアニメ*トまでしかない僕の体力ゲージはもうすでに黄色マークをたたき出しているだろうな。
「どうして僕一人だけがこんな森の中に放り出されたんだろう」
丁度いいところにあった小石を無造作に蹴り上げる。それは、地面を二回ほど跳ねた後、地面に埋まっていた岩に当たって茂みへと消えて行った。
僕がこんなに平静を保てているのも、このおおよそ道と思えるものがあるからだ。
こちら側の世界に来て、うろうろとしていた時に偶然見つけたものだけど、明らかに人の手が入った道が出来ていた。一見、獣道に見えたけど、明らかに刃物で切ったような枝先と、なんとなく慣らされた地面が永遠と続いている。
「これが、獣の仕業だったら」
漠然と不安に思っていることを口にしてみると、それがどんなに滑稽なものなのか分かる気がする。
でも、最も現実的で不安なのが、この方向で本当に出口に出られるのかだ。山手線じゃないんだから、始発と終着があるはずだと思う。でも、肝心の始発の方向が分からない。
なんとなくではあるけど、枝の切り口とか地面の様子でこっちが出口じゃにのかなとは思っているけど、そうじゃないかもしれない。そんな漠然とした不安にさっきからずっと付きまとわれている。
「…あれ?今、なにか聞こえたような…」
日本語ではない、けれど獣の鳴き声に聞こえない意思をもった言語のようなものが聞こえた気がする。
「…まさか、人、間なのか?」
日本語…じゃなかったよな?英語?中国とか?
いや、未開の地である可能性が高いんだ。そもそも言葉なんて通じないと考えた方が良いだろうな。
どうしよう。今更になってそんな得体のしれない不安が押し寄せてきた。今までは、人間に会えれば助かる。帰ることが出来るはずだ。そこに疑問を抱くこともなく考えてきた。けど、もしも、もしも言葉が通じなかったら?
……僕はどうやって帰ればいいんだ?
「****‼‼」
「―ッ⁉」
近い、明らかに近づいてきている。
ふと、インドネシアの方では人食いの文化が未だに残っている民族がいることが頭をよぎった。
「くそ、なんでこんな時にこんな事を思い出しちゃうんだよ」
普段は何の役にも立たないくせに、変なところで頭の回転が上がりやがって…
「と、取り敢えず逃げないと」
そう決意して踏み出した一歩は予想以上に重かった。
重い…。自分の体じゃないみたいだ。
「くそ、予想以上に体力が残ってない」
「****‼‼」
ダメだ。また近づいてる。
「はは、まるで雷みたいだな」
やり過ごす、しかないか。
走りながら辺りを見渡し、具合が良さそうな草むらに身を隠す。
「**!***‼」
やつらは、顔を見上げれば気づかれる距離にいる。決して動くことは出来ない。気づかれれば何をされるかわからない。そんな緊張感に額や脇に嫌な汗がとめどなく流れ出す。
獣ならいかしらず、人間ならそんな些細な臭いのは気づかないはずだ。
…大丈夫。…大丈夫。
心で何度も繰り返し呟いて自分を落ち着かせようとする。しかし、止めることを知らない思考は、まとまりを見出そうとせず、底知れない不安はこっちを見続けている。
一分か、十分か、やがてやつらは足跡を立てながら向こうに走り去っていった。
「行ったか」
自分でも知らないうちに口からこぼれ出ていた。
さっきまでじめじめとしていた空気でも、今の僕にはじっとりと湿った服を乾かしてくれる気持ちよい空気に感じた。
「****‼‼」
「…え?」
後ろを振り返ると、茶色をした肌におおよそ日本人とは思えない野性的な顔、そしてその右手には鉈のような刃物がぶら下げられていた。
「はは」
気づけばそんな乾いた笑いが漏れ出ていた。
そうか…、騙されたのか。気づけば何とも間抜けな騙され方をしたものだな。
今の僕にはあきらめのような脱力感が満たされていた。もう体力は十分に残されていない。きっと逃げ切ることは出来ない。
やつが何かを叫びながら右手にぶら下げていた鉈のようなものを引き抜く。
その瞬間、言いようのない不安と恐怖が僕の中を満たした。
「あ、ああ、あああああああ‼」
足に渾身の力を入れて、林の中へと逃げ込んだ。林の中はこれまでと打って変わり、雑草と木の根のオンパレードだった。その中を無我夢中で逃げるが、最悪な足場と残り少ない体力が相まって満足に逃げることも出来ない。
幸いにして、離れて行った人たちが主力部隊だったらしく、追い付かれるまでにはまだ十分な距離がある。
「*****‼」
後ろからさっき会ったやつが叫んでくる。
くそ、くそ、くそ、
最悪だった。災厄だった。言いようのない後悔が僕の中を満たす。もしかしたら、いや、もしかしなくても、あともう少しタイミングがずれていたら、やり過ごすことが出来ていたかもしれないのだ。
自分の不幸を呪う。こんな時こそお得意のハイドスキルを発揮してほしいものだった。
「―ッぐあ⁉」
ガッデム‼
なんでこんなところに根っこなんかあるんだ!
後ろを振り返ると、さっきの奴らが追いすがって来る。
「くそ!」
僕は大きく叫びながら再び前に踏み出した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
肺を通って出し入れされる空気は僕の体を害意をもって徐々に凍り付けて行くようだった。
口から吐き出される白く濁った空気は、口元で広がった後、すべから僕のメガネを曇らせていった。それはまるで世界という大きな一つの単位が僕に対して意地悪をしているようで、どこか懐かしさと共に寂しさも覚えた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
もうどれくらい腕を振って足を太ももを動かしたのか。いったいいつまでこんなことを続ければいいんだと猜疑心に駆られる。
この永遠に思える重く辛い時間はいつまで続くのか、もしかしたらあとほんの少しなのかもしれないし、ひょっとしたらそれこそ永遠のように続くのかもしれない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
視界がぶれる。どうやら気づかない内に、木の根元に太い、それこそ幹を彷彿とさせるような根っこに足を引っかけたようだった。苦しい。辛い。気持ち悪い。何で自分がこんなことになっているのか。何で自分がこんな目に合わなくてはいけないのか。そんなことが頭をよぎる。あはっ、今更そんなことを考えても意味がないのに、どうして人間ってやつは、いや、僕ってやつはこんなしょうもないんだろう。あーあ、バカだな。
そう思った途端、黒く濁った地面は唐突にやってきて、走っていた時はあんなにも滑りやすくて柔らかい厄介な代物だと思っていたのに、すごく、すごく硬かった。
「*****!」
意識が途切れる間際、何語か分からないけれど、小刻みに揺れる視界の中からこっちに向かって叫んでいるように聞こえた。それはとても滑稽な景色に思えて、なんだかコントを見ているかの様だった。けどそれは、こっちに向かって怒鳴りつけると言うより、仲間に向かって何かを伝えている。そんな風に聞こえた。
不意に視界がぶれた。誰かが地面に手を着いている様子が見える。額から垂れた汗が冷えて本当は寒いはずなのに、少し涼しいと思った。
「っく‼」
また、視界がぶれた。誰かが僕の体を揺さぶっているようだ。っは、なんだ。すぐに殺されるのかと思ったんだけどな。いたぶる趣味でもあったのかもしれない。だったらもう十分だろうに、全身が薄い翠で覆われたこいつらは僕が想像していたものよりも残虐だったのかもしれない。段々と黒く染まっていく視界の中でそんなことを思う。
しかし、それは後ろから突然やってきた強烈な衝撃によって阻まれることとなる。
何度も何度も視界が地面と空を行き来する。そしてそれが何度目か分からなくなったころ、薄暗い木と木の合間からチラチラと見える空が視界に映った。
―ガサッガサッ
こちらに近づいてくる音がいくつも聞こえる。そこでふと、あぁこれは夢なんだとそう思うことにした。そして段々と視界は真っ黒に狭まって行った。
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