これは夢です。私は悪夢の中にいるのです。

 夜更に出会ってしまった、八の字眉の貧相な困り顔さん(時任三郎をそれはそれはものすごく残念にして、遠藤健一の前歯をはめ込んだような…お顔)の真の目的がわからぬまま、私はその困り顔さんの顔に足を当てぬよう細心の注意を払いながらブレーキペダルを踏み続けております。爪先だけで(しかも、いつものとは違う左足で)ブレーキペダルを踏み続けるというのは、なかなかに大変で脹脛が『限界でーす!ちょっと休憩させて!!』と申しております。ちょっと緩めても…と力を抜くと足元の暗闇から


「もう少し強く押してください」


 と声がして、私の足を再び持つとブレーキを押すように誘導するのです。相変わらずカチャカチャと何かをいじる音は聞こえて来ます。困り顔さんは『固いな〜ちきしよ〜』などと小言を言っておりました。何分くらいそうしていたでしょうか、三度目に足を持たれた時でございました。ぐーっとブレーキを踏み込ませると同時に、困り顔さんの顔が若干移動し、顔に足を押しつけるような体勢に持っていかれたのです。普通では考えられないかもしれませんが、左足が相当疲れてしまっていたためか私は困り顔さんの顔を踏むくらいなんてことございません!と言う謎の心境に達してしまっていたのでございます。それでも顔に触れぬよう注意は払い続けておりましたが。


 それから更に数分のち…困り顔さんは遂に何も言わずに足を持ちブレーキを踏み込ませようとします。と、同時に顔に足裏をつけようします。

 カチャカチャ…カチャカチャ…チロッ…

 カチャカチャ…チロッ


 !?!?!?足裏に何かぬめっとした感触が!?!?いやいや、まさか!!え??ベロ?

 それは、ベロ??いえいえ、たまたまですよ!ほら、一生懸命になるとベロが出ちゃう方っていらっしゃいますし…ね??


 チロ チロッチロロ…


 気のせい、気のせい、そんな事ある訳がございません!!不思議なもので、現実を受け止めきれない時、人は その現実を疑うのでございます。己の足の感覚を疑うのでございます。


 チロチロチロ チロロっ


 まさか。


 チロッチロッチロロロロロ


 まさか!まさか!まーさーかー!!


 この段になりましたら、流石にお馬鹿さんな私でもただ事ではない事に気付きました。出会った序盤から浮かんでは消えていた変態疑惑を時系列で申し上げます。


 1、下から覗きたい変態→暗闇では何も見えますまい。


 2、足を触りたい変態→そこまで執拗にさわるわけでもないですし…


 3、踏まれたい変態→踏んでませんよ!ギリ浮かせてますよ!


 4、足の裏嗅ぎたい変態→これか??


 しかし、こやつの真の目的は


 5、足の裏舐めたい変態!!!


 そして、即座に思いついた対応策は

 1.このまま頭を踏みつけ逃げる

 2.カバンの中にあるスマホで撮影

 3.平常を装い早く終わらせる…


 1は逃げ切れるかどうかに不安が残ります。サンダル片方脱いでますし…ドジな私の事です、車から出るだけで転びそうな予感すらいたします…

 2は不穏な動きやシャッター音、フラッシュで逆上されては困ります…いや、この方になら勝てるかしらん??いえいえ、とは言え男性でございますよ?助手席に置いたカバンに手を伸ばしかけて諦めてしまいました。

 3…か…。


「あの…まだですかね…」


「もうちょっとです…」


 声をかけてしばらくは、チロチロが止まります。が、暫くいたしますと再びその奇行が始まるのです。


「そろそろいいですか?」


 自分で言いつつ、何についてでございますか?とツッこんでおりました…。困り顔は困り顔で


「もう、もう少し…」


 だから何がじゃい!!と内心絶叫です。またしばらく耐え忍び、


「まだですかね?」


「もう、終わります、もう…ちょっと…」


 私はご機嫌で飲んだ帰り道に何故このような目に遭ってしまっておるのでしょうか…やっぱりカメラで撮ろうかしらん?いえいえ、この様な変態を怒らせたらどの様な結末になるやら想像もできません…


「もういいですよね??」


 少しだけ強めに申してみました。


「はい!直りました!!」


 遂に困り顔さんがおっしゃいました!!皆さん!!開放宣言でございます!!晴れて自由の身でございます!!内心、本当に安堵いたしました。私は最後まで、平静を装い続ける事が出来ました。女優と呼んでください!大女優と呼んでください!!これほど自分を褒めてあげたいと、思った瞬間はございません!!こんな事を申しましたら、かのメダリストに失礼でしょうか??いえ、そのくらい褒めても良いくらい私は耐え忍び、怯える事なく演じ続けたのです。

 いそいそと舐められた感触が生々しい左足を困り顔さんの顔に当てない様に抜き、車外に逃して右手に持つサンダルを履こうとした刹那、サンダルをずっと持っていた右手もお疲れだったのでしょう、手からサンダルが落ちてしまったのでございます。


「イデっっっ!!」


 事もあろうに、手から滑り落ちたサンダルはエクソシスト状態で車外に放り出している困り顔さんの下半身、股間に落下したのでございます。これは奇跡に近い出来事でございました。天罰でございます。神様はやはり、いらっしゃるのです。


「あ、すみません」


 涼やかに言うと、股間でバウンドし、地面に落ちたサンダルを拾い上げ左足を入れたのでございます。ただ、、サンダルが汚れる気がいたしまして、爪先だけをひっかけるように履いておりましたが…。


「では、失礼します」


 まだまだ大女優でございます。何事もなかったように立ち去り、相手が見えなくなるまで大女優でなくてはなりません!!本当に何事も無かったように言いました。困り顔さんは若干前屈みで車から這い出ると、


「助かりました」


「ありがとうございましたっ!!!」


 と深々と私にお辞儀をしたのでございました。それは、何に対するお礼でございましょうか……一刻も早く立ち去らねば…左足を少し浮かせて引きずるように歩き、念のため家とは違う方向に曲がり、車が動く音を聞いて振り返り、街灯に照らされ遠ざかるピッカピカのセルシオを眺め心底安堵したのでございました。


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