第27話 りんの休暇
殿は、逃げていた。
暗い森の中に身を隠しながら、出口を探してひたすら逃げていた。するとそこに、一筋の光が見えた。殿は、その光に向かい突き進んだ。そのとき、目の前に松山が現れ、殿を鉄砲で狙った。
バン!という音とともに、殿は、目を覚ました。
汗まみれで飛び上がる殿を見守っていたのは、松山であった。
「殿。いかがなさいましたか?」
「松山君……」
殿は、松山を見るなり後ずさりした。
「殿……?」
そこに、はなが戻ってきた。
「殿!お目覚めになられたのですね」
「おはなちゃん!」
「ずっとうなされておりました故、心配いたしました」
はなが居室に入ると、生けられた一輪の花が姿を表す。
「花摘んでたの?」
「これは、城下で買ったのです」
その花を見て、松山が言う。
「その花は、南蛮から持ち込まれたもので、ひとつの茎にたくさん花が咲くことから、皆に愛されるという意味がございます。その花を飾れば、きっと殿は迷いから解放される、そう申し上げたのです」
「迷い?」
「ええ。何か、迷われておるようでしたので」
「俺、なんか言ってた?」
「家臣の名を口にしておられました」
「それで?」
殿は、松山を疑っているとことを松山本人に知られたのではないかと心配であった。
「名をあげていただけですので、内容までは」
「そう、ならいいけど」
はなが、持っていた花を棚に飾る。
「みんなは?」
「坂本殿は秀和殿の遣いに、隅田殿と原殿は大きな穴の指揮を執っております」
「他の人は?」
「屋敷の前で警護をしております」
「そっか」
「御気分が優れないようですが」
「変な夢見たからさ」
「そうですか。では」
松山は、居室を離れようとする。
「松山君」
「はい」
「なにか、悩み事ある?」
「いえ」
「そう」
「失礼いたします」
殿は、はなから渡された手ぬぐいで汗を拭く。はなは、松山が遠くに行ったのを見計らい、殿を心配する。
「殿」
はなが殿の手をとる。
「どうしたの? 急に」
「前に、松山殿が謀反を……とおっしゃていたので」
「びっくりしたよ。起きたら、松山君しかいないから」
「申し訳ございませぬ。本間殿に言われ、この花を買ってきたのにございます。本間殿がお付きなら安心かと思いまして。まさか、本間殿がいないとは」
「本間君、松山君に命令されてどっか行ったんじゃない?松山君のことはね、お父さんと孝和君、坂本君と隅田君しか知らないんだ。だから、しょうがないよ」
はなは、涙を浮かべた。
「どうしたの、おはなちゃん」
「そのようなことを知らないばかりに……」
「しょうがないよ。言ってなかったんだもん」
「しかし、殿が万が一……」
「おはなちゃん」
殿は、はなの頬を触る。
「肌、荒れてるよ」
「え?」
「お父さんの奥さん……お母さんになるのか?いや、そんなことはいいや。お局さんに何言われたのかわかんないけど、無理して書物なんて読まなくていいんだよ」
「殿……」
実は、はなは毎夜殿の読み終えた書物を読んでいた。
「殿の妻であれば、政務の書物を読むのは務めにございます」
「俺はね、おはなちゃんにはかわいい笑顔でいてほしいの。部屋に帰ってきて、おかえりってにこっとしてほしいの。政務を手伝えなんて言わないよ」
「しかし、殿の支えになるには、必要なことであると」
「俺の支えは、おはなちゃんがそばにいて笑ってくれることなの」
「殿」
「わかった?」
「はい」
はなは、殿のためになるよう、殿の妻としての在り方を模索していた。ろくに読めもしない書物を寝ずに読もうと励み、体調を崩しかけていた。
「慣れない環境だと大変だよね。わかるよ」
殿も、結城にきたばかりのころは、殿としての在り方に悩んでいた。今のはなの気持ちを、殿は知っていた。
「殿!」
そこにやってきたのは、坂本だった。
「坂本君さー、俺を守る気ある?」
やるせない表情の殿に、坂本は静かに尋ねる。
「何か、ございましたか?」
「別に。で、なんか用?」
「りん様がお呼びです」
「りんちゃん?」
「はい。すぐに、秀和殿の屋敷に」
「広和です」
「入れ」
そこには、秀和殿とりんがふたり、食事をしていた。りんの横には、本間の姿もあった。
「あのさ、本間君」
「はい」
「松山君と俺のふたりきりにしたでしょ?」
「ええ。松山殿でしたら安心ですので」
「お父さん、言ってやってよ」
「大事ないのであろう?」
「はあ?」
秀和殿は、謀反の疑いをかけている松山のことを本間に話そうとはしなかった。
「本間は、りんの付き人だったのじゃ」
「付き合ってったってこと?」
「付き合ってた?」
「恋人なの?」
「恋人?」
りんがふっと笑う。
「広和殿。この時代は恋愛という概念はありません。本間殿は、彼氏というより、先生でしょうか」
「先生なの?」
「はい。私が倒れているのを、本間殿が助けてくれたのです。それから結城に入り、いろいろなことを教えてくれました」
「ふーん」
「なんじゃ、広和。お主と同じところから来たのではないのか?もっと話をせぬか」
「いや、俺はもといた世界のことは覚えてないから……」
「私は鮮明に覚えております。生きるのに苦痛な世界でした」
「でも、この時代にみたいに戦はないでしょ?」
「はい。しかし、戦の世でしたよ。この時代と違うのは、負けても死なないことです。負ければ、人から白い目で見られ、苦しみに耐えながら生き続けてなければならない。生きることがつらい世界でした。どちらがいい世なのかはわかりませんが」
「そっか」
「海に飛び込んだのです」
「え?」
「死のうと思って。そしたら、本間殿に助けられました」
「傷だらけで漂流してきたのでしたな」
りんと本間は、そのときの思い出を語った。
「そういえばりん、小野家での暮らしはどうだ?」
秀和殿が、そうりんに尋ねる。
「小野殿には、大変よくしていただいております。器の大きいお方で、しっかりしております」
「飯田殿はどうだ?」
「小野殿のことを一番慕っている家臣です。照れ屋ですが、おもしろいお方です。そうだ。広和殿のことを褒めていらっしゃいました」
「ほう」
「広和殿、飯田殿の屋敷を張っていたことがありましたでしょ?あれ、飯田殿は気づいていたのです。嫌じゃないのかって訊いたら、妹の相手について探るのは当たり前だとおっしゃっていたんですよ。広和殿が納得するような男にならねば、なんて。あと、山城を説得するなんてすごいとか、城下をあれほど発展させるなんて優秀だとか、とにかく飯田殿は、広和殿ことがお好きです」
「そういう風には見えなかったけど」
「飯田殿は照れ屋なのです。小野殿もそうおっしゃっておりました」
「ふーん」
広和殿は、少し飯田殿について気になっていたため、りんからこういった話が聞けて安心したようだ。
「それで、りんちゃん、どうして結城に?」
そう、りんが今ここに理由だ。
「休暇です」
「休暇なんてあるの?」
「はい。小野殿から許可いただきました。小野は海がないので、結城の海で安らぎたいのです。ね、本間殿」
「そうですな」
広和殿は、仲良しのりんと本間殿をじっと見つめた。
「広和殿、私、聞きたいことがあったのです」
りんが、広和殿に近づき、耳元でささやく。
「殿。私のことがお好きなのですか?」
それは図星だった。
「別に……その……」
「奥さん、できたんですって?」
「ああ、そうだけど」
「何をこそこそしておる」
「広和殿に、小野家に伝わる先祖の知恵を。女子に憑りつかれる隙あれば、命あらず」
「憑りつかれる?」
「女子をみてボーっとしている隙に、斬られるということです。お気を付けを」
「うん」
確かに、広和殿がりんを初めて見たとき、憑りつかれたかのようにボーっとしていた。はなと話しているときも、そういった瞬間がある。りんは、このことを伝えるために、結城に帰ってきたのだった。
「小野殿には、ホームシックと申してあります」
りんは、その夜結城に泊まった。
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