第8話 怖い顔の家臣
「殿が田を?」
「はっ」
孝和殿にも、そのことが伝わっていた。
「農民のごきげんでもとっておったのか」
「そのようです」
「まことに何を考えておるのか。殿が田に入るなど、恥ずかしい」
「まことにございますな」
孝和殿は、広和殿のことをよく思っていないようであった。
「本間君!」
広和殿は、居室から顔を出し、通りすがりの本間を呼び止めた。
「殿、いかがなさいましたか?」
本間が居室に近づくと、殿は逃げるように中に入った。本間も、しどろもどろ居室の中へ入る。すると、
「殿!」
と大きな声を出した。なんと殿は、ふんどし姿で本間を出迎えたのだ。
殿は、本間の前に腰を下ろすと、
「これ、破れちゃったみたい」
と、はにかんだ笑顔で着物の裾を見せた。
「縫おうと思ったんだけどさ……」
縫うも何も、糸だけが絡んでおった。殿は、縫い物は苦手のようである。
「では、私が」
と、本間は器用に糸をほぐしはじめる。
「殿は、以前庶民であったと伺いましたぞ。しかし、縫い物は得意ではないようで」
「そうなんだよね。細かいことが苦手でさ。って、本間君すごいね」
糸がほぐれた。
「では、縫わせていただきます」
本間は、すぐに着物の布を合わせ、縫っていく。その様子を、殿は近くでじーっと見つめる。
「殿、そのように近くに寄っては、緊張で手が震えるにございます」
「そう? じゃあ遊んでるから」
と、殿は裸のまま庭に出た。
「誰もいないし、いいか」
青く晴れ渡る空を見上げ、背伸びをする。ここに来てから、休息という時間を過ごしたことがなかった。ふと思い出した過去を振り返りながら、日の暖かさを感じていた。
「空は広いよなー」
小言を口にしながら、両腕を枕に横になっていた。
本間は縫い物に集中していた。縫っているのは殿の着物。失敗など許されぬ。
目線を下に移すと、小さな花が殿の目に留まった。そのとき、隅田が通りがかった。
「殿!」
石の陰にいる殿は、裸である。
「隅田君。見てみて」
隅田は、殿に近づく。
「ほら」
見せられたのは、黄色い花であった。
「それは、
「ツヅミ? いや、たんぽぽ」
「たん? それより、何故裸でいられるのですか? 着物を」
「今縫ってもらってんの。ねえ、本間君」
殿は、居室にいる本間に呼びかける。
「もう少々お待ちください」
という声が返ってくる。
「だって」
隅田は、思い出したように殿に伝える。
「殿、秀和殿が、殿と食事をとのことにございます」
「いっしょにご飯食べるの?」
「はい」
「ですから、縫い物が終わり次第……」
「できましたぞー」
居室から声が飛んできた。縫い物が終わったようだ。
「着ればいいんでしょ?」
「はい」
食事は、秀和殿の屋敷で行われた。
「こんにちはー」
と、元気のよいあいさつで広間に入る。
「こちらにきなさい」
「何か、話?」
「疲れたのではないか思うてな。精の出る料理をともに食したいと思うたのじゃ」
「そうなんだよね。ちょっと腰が痛いかも」
「もうすぐできるころじゃ。待ってておくれ」
「うん」
と、広和殿は、庭を覗く。
「あっ、ここにもあるじゃん」
「何がじゃ?」
「ほら」
広和殿は、嬉しそうに庭に出た。
「これ」
秀和殿も立ち上がり、庭へ出る。
「ほう。鼓草か」
「ツヅミグサ? そういう名前なの?」
「ああ。春先になると咲く花じゃ」
「知ってるー。でも、ツヅミグサじゃないよ、たんぽぽ。きれいだねー」
「タンポポ?」
「うん。強い花なんだよ」
「花が強いのか?」
「そう。よくアスファルトの間に咲いてるんだ。どんなに環境が良くなくても、頑張って咲く花なんだよー」
と、楽しそうに花を眺めておった。
「お主は、花が好きなのか?」
「うん」
「女子みたいよのう」
「女? 花が好きな優しい男だっているのー」
「そうか」
料理人が料理を運んできた。鴨料理が何品か並ぶ。
「鴨?」
「肉は、力になるからのう」
これは、戦の後に祝いに食す料理。戦はしておらぬが、広和殿の仕事っぷりに、秀和殿はそれを祝いたい気持ちであった。
「お主は、民と接するのが好きなのか?」
「まあね。怖い顔してる家臣と顔を合わせるよりも楽しいし」
「怖い顔? ああいう顔か?」
秀和殿は、外で待機している坂本の顔を指差す。それに気がついた坂本は、厳粛な顔で殿たちの方を向く。
「そうそう。ああいう顔」
「ハハハハハ! あれは、生まれつきじゃ。昔から、ああいう顔をしておる」
「でもさ、少しくらい笑ったっていいじゃんね」
「そうだな。あれを笑わせるのは、相当な腕の持ち主でないと、できぬぞ。もし、あれが笑ったならば、結城をお主に継がせてやる」
「結城を? いいよ、それは」
「何故じゃ?」
「俺、もともと結城の人じゃないし」
「もともとは関係ないであろう」
「それに、孝和君がいるでしょ?」
「孝和か。孝和は、不器用な男でな。あまり、人前に立つ器ではない」
「でも、ちゃんと殿やってるんでしょ?」
「必死にやっておるぞ。しかしな、殻に閉じこもってばかりで、さっぱり結果が出ぬ。優秀な家臣に囲まれればと思うて、家臣の教育にも力を注いてきたのじゃが、皆保守的でのう。これでは、いずれ他国に攻められる」
そんな後継ぎの話には、興味がないのか、広和殿はお腹いっぱいのようであった。
「おいしかったー」
「そうか。お主はよく食べるのう」
「うん。腹が減っては戦はできぬって言うしね」
「これから戦にでも行くのか?」
「うん。家臣との戦にね」
「ほう。何をするのじゃ?」
「囲碁。今日は、田島君と。田島君もああいう顔してるから、コミュニケーションをとらないとね」
「コミニケー?」
「なんていうの? 俺と家臣との距離を縮めるっていうか、信頼関係を築くみたいな?」
「それはよいな。家臣たちも、お主を好いてきたころであろう」
「どうだろうねー。隅田君、原君は俺のことを心配してる。本間君は、最近楽しそう。熱海君、石野君、川瀬君は、なんだかんだで楽んでる。他は、俺を希少動物扱いしてる。問題なのは、田島君。俺のこと嫌いみたい」
「嫌わておるのか」
「視線が他の人と違うんだよね。尖ってる」
「ほう。田島……か」
秀和殿は、田島という名に聞き覚えがあった。田島とは、昔、秀和殿の重臣であった者の名であったからだ。
その晩、広和殿は田島と囲碁をした。
「ねえ、俺のことどう思ってる?」
殿の単刀直入な質問でも、田島はうろたえなかった。
「好き? 嫌い?」
「いえ、殿は殿ですので」
近くにいた隅田が口を挟む。
「そうですぞ。好きか嫌いなどと、男に尋ねるものではございませぬ」
「なんでー? みんなそうだけどー」
殿は、口を尖らせながら碁を打つ。
「好きって言ってくれるの、本間君だけだなー」
「本間は、少しおかしいのにございます」
「まあね。侍のくせに、ニコニコしすぎだよね」
「あの、殿も侍ですのに、いつもニコニコしております」
「俺は、ほら。侍じゃないもん。殿だから」
「そういえば」
と田島が口を出す。
「殿の剣術を見たことございませぬ」
「俺はほら。基本的に人を殺さないからね」
「しかし、敵がくれば……」
「もちろん、敵なら殺すかもしれないよね」
「そうか。田島はあのとき戦にはこなかったな」
それは、広和殿が空から降ってきたときの戦のことである。あの場にいた家臣は、広和殿の見事な剣術を目にしておった。
「私は見ましたぞ」
「隅田君、いたっけ?」
「ええ。ちょうど敵に槍を向けられておりました。しかし、秀和殿にお助けいただきました」
「へえー」
「いや、お待ちください。殿はたしか、農民上がりですよね? どこで剣術を?」
「俺、剣道部だったからね」
「そこで、癖のある切り方を学んだのにございますか?」
「何その、癖って」
「殿は、あの時、敵の頭を真っ二つにいたしましたが、基本は、首を切り落とすのにございます」
「そうなの。すごく惨いことしちゃったんだよね。もうしないから」
「殿」
「ん?」
囲碁のことである。
「あ……」
「では、私はこれで失礼」
と、田島は去っていった。
殿は、隅田を見た。
「もーう、負けちゃったじゃん」
「え、私のせいにございますか?」
「田島君に切り殺されたらどうするつもりなの?」
「何故、田島に?」
「俺、嫌われてるみたいだからさ」
「そんなことはないかと。田島は、殿のことを慕っております」
「でも、田島くん、何か企んでそうじゃない?」
「何故田島をお疑いになるのですか。東谷村に行ったとき、田島は殿のことを優秀だと話しておりました。それも、秀和殿よりも……と。……謀反を起こすなど、考えられませぬ」
「……そうかなー?」
「とにかく、殿は私がお守りいたします。安心してお休みください」
「はいはい」
と、殿は休む支度を始めた。
「俺のこと好きじゃない人に守られても安心できないよねー」
とつぶやく殿。それに対し、隅田がこう言う。
「殿のこと、お好きにございます」
突然の言葉に、はっと殿が驚く。
「気持ちわるっ」
「殿!」
せっかく言った一言をそんな風に返され、隅田は恥ずかしかった。
殿は、少し嬉しそうにしていた。
「寝ーよう」
秀和殿は、田島のことを坂本に調べさせた。
「広和も目をつけたか」
「はい」
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