第9話 いなくなった民

 「おー」

という声が大広間に響いた。広和殿が自ら手を加えた刀の出来栄えを、家臣たちに披露したからである。殿は、シュッと刀を振りかざす。

「おー」

という声が響き渡る。

「これで怖いもんなしだねー」

殿は、その刀をたいそう気に入っておった。


 皆が去ると、そこに孝和殿と広和殿の重臣本間が残った。孝和殿は、本間に耳打ちする。

「どうだ、あいつの様子は」

「常に城下へ行き、町人との距離を縮めておられます。今は、一角に穴を掘っているにございます」

「穴だと? 何をするつもりなのだ?」

「分かりませぬ。しかし、何か良いことが起きそうな、そのような気がいたします」

広和殿の行動に期待を示す本間を、孝和殿は疑う。

「お主、心を変えたのか?」

本間は、これまで孝和殿に仕えてきた身。広和殿の様子を探るよう命を受けていた。

「それがしは、広和殿に仕えさせていただいたこと、光栄に思っております。広和殿は、明るうお人柄で、優しく、才気あふれるお方にございます。これまで見聞きしなかったことやものに触れることができ、日々が充実しておるのです」

「ふざけるな。お主、あいつがうつけではないかと疑っておったではないか。そうような殿に今のように仕えたいと申すのか?」

本間はこれまで、事あるごとに広和殿の様子を孝和殿に伝えていたのである。

「確かに、広和殿は時におかしなことをしてみせたり、わけのわからぬことをおっしゃいます。しかし、そうような奇想天外な案が、城下の発展につながったのです」

そのとき、孝和殿は刀を抜き、刃を本間の首元に当てた。

「近々、お主を昇進させる予定であったにのう、残念よのう」

本間は、一礼し逃げるように去っていった。孝和殿は、刃を眺め、何か企んでいるようであった。


 「いなくなった?」

「はい。先日は、百姓の娘、今度は草履屋の嫁です」

広和殿は、城下で団子を頬張りながら、団子屋の主人を話しておった。

「百姓の娘が城下に行ったっきり帰ってこないってんで、道に迷ったのではないかと申したのじゃ。そしたら次は、草履屋の嫁じゃ。薬草を買ってくると言い残し、いなくなった。草履屋はそこ、薬草はあの店で売っておる。道を間違えるというのはおかしいと思いましてな」

その距離、店を6店挟むほどである。

「他にどこか寄っておるのではないか?」

と隅田が尋ねる。

「百姓の娘は分かりませぬが、ゆうについてはそんなことはございません」

そう話しながら団子屋ののれんをくぐってきたのは、草履屋の旦那であった。

「子が病気でしてね、薬草を買ったらすぐ戻ると申しておったのです。子が病気だというのに、家をあける親がございますか」

「それは、そうですな……」

「昨晩、辺りを探したのですが、どこにもいないのです」

草履屋の旦那は、腰を下ろすと、ため息をひとつついた。


 殿が城に戻ると、騒ぎが起きていた。

「広和殿。すぐ、大広間に」

大広間に着くと、皆、顔をしかめておった。

「来たか」

と秀和殿がことを伝える。


 「人質?」

「ああ。橋本が出しゃばってきおった」

橋本家といえば、先の戦で結城に逆転負けをしたのであったが、懲りずにまた攻めようというのであった。

「橋本って、そこそこ大きいよね」

「先の戦で手に入れた領地が目当てのようだ」

「それで女の子2人を」

「女子2人? 橋本は、結城の民を人質に取ったとだけ言っておったが」

「今、城下に行ったら、百姓の娘さんと草履屋のお嫁さんがいなくなったって言ってたから」

「では、人質とはまことのことであるのか」


 秀和殿の家臣坂本は、策を述べる。

「戦となっては、圧倒的に数で負けてしまいます。話をつけてくるしかないかと」

孝和殿の家臣松下も、こう述べる。

「あの領地は、多くの家臣が命を懸け、手に入れた地。明け渡すなど、死んでいった者たちを犬死させてしまうことになります」

秀和殿は、悩んでおった。ただで人質を解放してくれなどと、言えるわけがない。

 そこで、孝和殿は、広和殿を責めた。

「これは、関所を廃止し、他国の者を無用に結城に呼び入れた、広和殿の責任ではないかと思われます」

広和殿とその家臣たちは、驚いた顔で孝和殿を見た。

「何でも、関所を廃止するという案は、思いつきであったとか。偶然、城下は栄えましたが、それによってこういう事態が起こるのではないかと、少しは考えたのですか」

孝和殿は続ける。

「広和殿に仕える者が言っておりましたぞ。殿は、夜な夜なおかしな歌を口ずさみ、舞を踊っておると。身なりもしかりとせぬし、話す言葉も理解できぬそうだ。国づくりに関しても、今は穴を掘っておるそうではないか。皆、殿に疑問を抱きながら仕えておるのです」

広和殿は、家臣たちが自分のことをよく思っていないと気にしていたことだけに、肩を落とした。本間は、自分が孝和殿に報告したことで広和殿が責められているという複雑な想いを胸に、緊張した物腰で聞いていた。

「広和殿は、うつけなのではないですか? うつけに、国づくりは務まりませぬ」

 強い口調に、殿の心が折れてしまったのか、広和殿は一言も発せずその場を去った。隅田と原が、殿を追いかける。本間も追いかけようと試みたが、孝和殿の視線に委縮し、その場に残った。


 「殿」

早足で屋敷に向かう殿を、ふたりが追いかける。

「誰があのようなことを申したのかわかりませぬが、我々は殿を信じております」

「そうですぞ。穴を掘り進めていくと、民が喜び、また城下が栄えると、おっしゃっていたではないですか」

家臣の中には、広和殿の奇怪な行動を国づくりの新しき知恵だと考え、殿を慕う者が増えてきていたのだった。これまで秀和殿が手を焼いていた政務を上手くこなし、奇想天外な発想による国づくりに家臣として携わることを楽しみにするようになった者もいたのだった。

「殿」

殿は、足を止めた。

「……信じてくれてない人がいるんでしょ、あの中に。それに俺、うつけなんでしょ? ……バカなんだよね?」

殿は、また歩き出した。そして、居室に閉じこもってしまった。


 大広間は、静まり返っていた。

 秀和殿は、家臣を見渡し、本間を指名した。

「お主は、民が人質に取られたことが、広和の責任と思うか?」

本間は、広和殿の失態とは全く思っていなかった。それは、本間だけでなく、広和殿に仕える多くの家臣も同様である。

「……殿は、まだ経験が浅いのにございます。このようなことは、我々家臣が予想すべきでありました」

それを受け、坂本が言う。

「殿も家臣も、城下が栄えて浮かれておったということか? これでは、後が心配でござるな」

秀和殿は、結論を出した。

「この件は、わしの責任じゃ」

孝和殿は、反論しようとした。

「いや、しかしこれは……」

「そもそも、広和に任せたのはわしじゃ。家臣を指名したのもわしじゃ。橋本には、わしが行こう」


 夜、広和殿の家臣田島は、殿の様子を心配し居室に伺った。

「殿、入りますぞ」

殿は、布団にくるまっていた。

「田島君?」

声で田島だとわかったようだ。

「はい。殿、いかがなされたのですか?」

「……別に。俺……浮かれてたのかな」

暗い声の殿に、田島は諭すように話す。

「私は知っておりますぞ。殿が毎夜毎夜、書物を読み、結城のために力を注いでいることを。民のために、明るく振る舞っていることを。家臣のために、家臣の家族のために、人となりをよく観察し、接しておられることを」

「そんなことしたって、無意味なのにね」

「何をおっしゃるのですか。少なくとも、結城の民は殿に救われました。それに、私も」

「俺、田島君に何かした?」

「ええ。殿に仕えて、楽しいと思えたのです」

「それ、俺がおかしいからでしょ?」

「いいえ。――殿はまともにございます」

「……ありがと。そう言ってくれるのは田島君だけだね」

「そうかもしれませぬ」

殿は、布団から顔を出した。そこには、田島がひとり、笑みを浮かべていた。

「田島君……」

「はい?」

「いや、なんでもない……」

殿は、田島に何か言いたげであったが、飲み込んでしまった。



 そして、翌朝。秀和殿は、橋本へ向かう準備を終え、馬に乗った。

「参るぞ」

すると、そこに広和殿がやってきた。

「どうした、広和」

広和殿は、顔をあげ、

「俺も行く」

とつぶやいた。

秀和殿は、嬉しそうな顔をして、こう言った。

「待っておったぞ」

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