第2話 ⚪火の無いところに煙は立たない

●火のないところに煙は立たない

【坂下美華】二か月と十一日前


 桜灯りフェスタ。今年も営業本部長の物件絡みで半ば強制的に参加させられているボランティア。河川敷の公園で毎年開催されるライトアップされた桜とジャズのイベント会場の設備維持と管理。維持管理といっても社員総出で参加させられているボランティアは、イベント会社のスタッフがアタフタと走り回る姿を眺めながら時折パンフレットを通行人に配るだけの雑務に終始している。弁当代とチケット代の要らない音楽観賞だとも言えなくもないが、ジャズのような玄人向けの音楽に疎い美華には手放しで喜ぶようなことでもない。三十路の独身女にも休日することは幾らでもある。

「今年は……桜、ないね……」

 総務課の直属上司の明石智美が僅かに咲いている桜を見上げる。明石も自分と同じく三十歳を目前にしていた頃、独り身の気楽さと時折取り憑かれる極端な孤独に身悶えしながらもそれに耐えて必死で自分の価値を押し上げてきた筈で。ただ、枝の先端で申し訳無さそうに一番早く淡い色の花びらを広げている桜のように、個の技術と言うか抜きん出た才能を早くに開花させた女はそれ以外の部分では潔く散るしかないのだろうと、美華はぼんやりと思う。同時に、他の蕾は自分を美しく魅せるタイミングを心得ていて周囲が自分を飾り立てる時が来るまで気付かない振りをしながら身を固く閉ざしているのだとも思う。

「どっちか分からないけど、私も早く咲いてしまえば良かった……」

 美華のタメ息に似た呟きを、明石が桜を見詰めたまま拾い上げる。

「何それ? でも、気付いたなら明日にでも咲いた方が良いわ。映画の中で瑛太が言ってたわよ。『裏口から悲劇はおこるんだ!』ってさ……」

「明石さんこそ意味分からないですよ」

「映画の台詞だから、分からなくて良いの。とにかく、人生は劇的に変化する瞬間があるのよ。そして、それを決めるのは私達。でしょ?」

 言って微笑む明石を見ながら、美華は声を上げて笑った。そして昨夜見た深いピンク色の液体の中に沈んでいた地球が静かに浮かび上がる不思議な夢を思い出した。

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