『青天』(2006年12月24日)
矢口晃
第1話
昔は百人近くいたサンタクロースも、みんな年老いて死んでしまい、今ではたった一人しかいませんでした。ですから、いくらサンタクロースといえども、もう以前のように世界中の子供にプレゼントを配ることはできなくなってしまいました。今では、せいぜい五十人から六十人の子供たちにプレゼントを届けるだけで、精一杯でした。
ですから、毎年寄せられる何万通というサンタクロースへの手紙の中から、運良く自分の手紙が引き当てられ、実際にサンタクロースからプレゼントがもらえるのは、実は大変めずらしいことなのです。その一人に、今年は日本の東京にすむ、健太郎君が当たりました。
もちろん、健太郎君本人は、サンタクロースの引いたくじに当選したなどと言うことなんて、知るはずもありません。クリスマスイブのこの日、健太郎君は他の世界中の子供たちがそうするように、ベッドの枕元に靴下を用意し、期待に胸を高鳴らせながら眠りにつきました。
夜になり、子供たちが寝静まったのを見計らうと、サンタクロースはフィンランドにある自分の家を、トナカイの引く橇に乗って、プレゼント配りの旅に出発しました。年々、歳を重ねるサンタクロースにとって、この仕事は予想以上に重労働でした。それは、彼の飼っている四頭のトナカイにとっても、まったく同じことです。以前は十何頭といたトナカイも、今ではたったの四頭ですし、その四頭ともすっかり年老いて、橇を引く力も、もう以前のように強くはないのでした。
それでも、サンタクロースは、プレゼントを配る仕事を休むわけにはいきませんから、嫌がるトナカイにびしびし鞭を打って、どうにか前に進むように仕向けるのでした。
橇に十分な速力のあるころは、サンタクロースもご機嫌にしゃらしゃらベルの音を立てながら移動していたものですが、最近はそのベルの音も、なるべく控えるようにしています。なぜなら、あまり大きく音を立てすぎると、その音に興味を持った野犬が、サンタクロースの後を追いかけて来てしまうからです。ですからサンタクロースは、特に大きな森に入った時などは、極力静かに、素早く通り抜けるようにしていました。それでも時によっては、突然現れたオオカミにトナカイが襲われたりして、危険な目に遭うこともあるのでした。
ところで、今年の冬の寒さは、世界的にも特に厳しいものでした。サンタクロースの母国フィンランドでも、何年ぶりという大雪に見舞われて、二日間にわたり都市機能が麻痺したというニュースが流れたこともありました。その他の国でも、例年は凍ることのない湖が結氷したり、流氷が異常に南下してきたり、寒気の厳しさを物語る現象が相次いで起こっているのでした。そんな中を、身包み一つで、トナカイの引く橇に跨って移動するのですから、サンタクロースの寒いことといったら、ありません。しまいにはトナカイの体力にさえこの寒さが影響したのか、フィンランドの国境を越えるまでに、四頭いたトナカイのうち一頭が、ばったりと倒れて死んでしまったのでした。
しかし、世界中には、サンタクロースの来るのを楽しみにしている子供たちが、たくさん待っています。いくら過酷な状況になったからといって、サンタクロースに、休むことなど許されません。サンタクロースは、少しでも早く南側の国に出ようと橇を急がせました。南側に行けば、寒さも大分和らいで、今よりも移動が楽になるだろうと思ったからです。
しかし、あいにく、橇は思ったほどのスピードはでませんでした。何しろ、橇には、サンタクロースのほかに、五十人分のプレゼントの入った大きな袋が積まれています。そこに加えて、トナカイが一頭少なくなってしまったのですから、いくらサンタクロースがトナカイに鞭打っても、これ以上速くならないのは仕方ありません。五十頭のトナカイで引いていた頃とは、違うのです。
そのトナカイも、サンタクロースが十人の子供にプレゼントを配る頃にはまた一頭死に、次の十人にプレゼントを配る内に、また一頭死んでしまい、とうとう最後の一頭だけになってしまいました。その一頭も、今はもう足に力も入らず、いつ立ち止まってしまってもおかしくない状態でした。無理もありません。長い足が全部埋まってしまうほどの深い雪の中を、もう何時間も懸命に重たい橇を引いてきたのですから。
橇は、やっとパキスタンとインドの国境付近に差し掛かったところでした。まだ、配らなくてはいけないプレゼントは、二十五人分も残っています。その中には、健太郎君へのプレゼントも、まだ入っていました。
「この先もう少し行ったところに、ガンジス川という大きな河が流れている。そのほとりで、いったん休憩することにしよう」
サンタクロースは、疲れ果てたトナカイに向かって、後ろからそう話しかけました。その言葉が分かったのか、トナカイの足にも、本の気持ち力強さが戻ったようでした。しかし、それも長くは続きません。また暫く駆けるうちには、トナカイはすっかり首を垂れ、ぜいぜい白い息を吐き出しながら、とぼとぼした足取りで、何とか橇を引き摺って歩いているのでした。
ようやくの思いで、ガンジス川の支流の、フーグリー川という川のほとりまでやってくると、サンタクロースは橇を止め、老いたトナカイの背中から鞍を下ろしてやりました。何時間ぶりかでやっと身軽になったトナカイは、水を飲むことも忘れて、どさりといきなり地面に倒れこんだなり、苦しそうにお腹を膨らませたりへこませたりしながら、呼吸の整うのを待っているようでした。サンタクロースは、そんなトナカイの哀れな姿を見ながら、ふとこんなことを考えていました。
(もう、これ以上、自分にも、トナカイにも、無理をさせることはできない。残念だが、残りの子供たちにプレゼントを配ることは、あきらめよう)
すると、そこへ、一人のあどけない女の子が通りかかりました。女の子は、赤い厚手のスカーフを頭から首にかけて巻き、不思議そうな目付きでサンタクロースの方を見詰めていました。
「おいで」
そういって、サンタクロースが手招きをすると、女の子は恐れる様子もなく、サンタクロースの傍まで近づいてきました。そして、汗と雪ですっかり汚れてしまったサンタクロースをまじまじと眺めながら、
「おじいさんは、誰? どこから来たの?」
と、利口そうな目をぱっちりと開けて、サンタクロースにそう尋ねました。
サンタクロースは、この少女にどうやって自分のことを説明したらよいか、しばらく考えた後、こう答えました。
「おじいさんはね、遠いお空の星から来たんだよ」
「遠い、お空の国から?」
「そうだよ」
女の子は、不思議そうにサンタクロースを見詰めたまま、また尋ねました。
「おじいさんは、一体、何をしに来たの?」
サンタクロースは、今度も少し考えてから、
「良い子にしているみんなにね、プレゼントを配りに来たんだよ」
「プレゼント?」
プレゼントと聞いて、女の子の目にうれしそうな輝きが灯りました。それを見たサンタクロースは、橇に積んであった袋を自分の方に引き寄せると、その中から手さぐりにとりだしたプレゼントを一つ、女の子へ差し出しながら、
「ほら、君にも、ひとつ上げよう」
と、優しく笑いかけました。
「これは、なあに?」
プレゼントを受け取った女の子は、嬉しさの反面、初めて手にするその小さなロボットのような機械に不思議そうな顔をしていました。サンタクロースは、それを見ると、女の子に、こう説明しました。
「それはね、ゲームボーイアドバンスという、ゲーム機だよ。世界中の子供たちが、遊んでいるゲームなんだ」
「世界中の子供たちが?」
「うん。そうだよ。だから、君もそれで遊ぶといいよ」
「わーい」
と女の子がはしゃぐその手の中にあるのは、東京の健太郎君が、サンタクロースにお願いしていたプレゼントなのでした。サンタクロースは、とうとう、健太郎君にプレゼントを届けられなくなってしまったのを、とても残念に思っていました。しかし一方では、目の前にいる女の子のとても喜んだ表情を見て、心のどこかで、ほっと安心しているのでした。
その後、静かに、
「ごめんよ。健太郎君」
と、呟くように口にしたのでした。
さて、翌朝になって目が覚めると、健太郎君は一も二もなく枕元に置いておいた靴下に手を伸ばし、プレゼントが入っているかどうか、確かめました。すると、健太郎君は、靴下が膨らんで、中に何か入っているのに気が付きました。
慌てて布団から飛び起きると、居ても立ってもいられないというように、健太郎君は靴下の中を調べました。すると、その中には、サンタクロースに頼んでおいたゲームボーイアドバンスが、きちんと入れられてあったのでした。
どかどかと廊下を走りながら、
「お母さあん」
と、健太郎君は叫ぶようにお母さんを呼びました。台所で、朝ごはんの支度をしていた健太郎君のお母さんは、その手を止めると、
「なあに?」
と健太郎君の方を振り返りました。
興奮が冷めやらない健太郎君は、お母さんに、ゲームボーイアドバンスを自慢そうに見せながら、叫ぶようにこう言いました。
「お母さん! ちゃんと、来たよ、サンタさん。ちゃんと、ゲームボーイを、届けてくれたよ」
それを聞くと、お母さんも驚いたように目を大きくしました。
「あら。本当? よかったじゃない」
「わーい、わーい」
健太郎君は、ばんざいをしながら、飛び上がって喜んでいます。その健太郎君に向かって、お母さんも嬉しそうに、こう話しかけたのでした。
「ちゃんと、サンタさんにお礼言うのよ」
「うん。ありがとう、サンタクロースさん」
健太郎君がそう言って見上げた空には、雲ひとつない青天が広がっているのでした。
『青天』(2006年12月24日) 矢口晃 @yaguti
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