第14話 一に顔、二に床、三に手

「は? 男娼にとって大事なこと?」


 男娼たちの朝餉あさげの片づけがようやく終わった九ツ少し前、一段落ついたすずが台所でお茶を飲んでいたときのことである。


 広間の方から宿木のだるそうな声が聞こえた。どうやら禿かむろたちに囲まれているらしい。可愛い声ではしゃぐ禿たちの微笑ましい光景を思いながら、すずはお茶を傾けつつ、宿木の言葉の続きを待つ。


「そりゃあ男娼で大事なのは一に顔、二に床、三に手だろ」


 お茶を噴いた。


「はいはい、お約束ね」


 台所で最後の皿を拭き終えたおせんが、呆れた顔で手拭きを持ってくる。


「ご、ごめん……じゃなくてあいつは禿たちになんてことを!」


 すずは乱暴に湯呑ゆのみを飯台に叩きつけ、勢いよく立ち上がった。


 広間ではあぐらをかいた宿木が面倒くさそうに禿たちの相手をしていた。

 当の禿たちはといえば無垢むくな瞳を輝かせて、宿木の男娼講義に聞き入っている。


「ちょっと宿木! こんな純真無垢な子供になに教えてんのよ」


 宿木が首を後方にひねる形で、すずを見上げてくる。


「なに言ってんの。こいつらもいずれは男娼になるんだから、知っておくべきだよ」


「ねえねえ、手って何?」


 年少の禿がすずの着物のすそを引っ張る。


「えっ、手……。手っていうのは」


 実のところ、すずも詳しくは知らないのだ。顔と床まではわかるのだが。


「手は手練手管てれんてくだねたり、甘えたり、かせてみたりな。月の兎がよくやってるやつだよ」


 なるほどー、と禿たちが真剣な面持ちで頷く。


「ああ、真っ白な禿たちが黒くなるじゃない!」


 宿木が面白がるような笑みを浮かべてすずを見る。


「……あんた、こいつらが本当に汚れのない子供だと思ってるわけ?」


「あ、当たり前でしょ。まだこんな小さいんだから」


 ふうんと言って宿木が禿たちに向き直る。


「なあ、床ってなんだかわかるか?」


「わかるよ。布団の中で女の人をよろこばせる技でしょ!」


「その技が上手い男娼は、とこじょーずって言うんだよね」


 禿たちが得意げになって答える。


「そうそう。良く知ってるな」


 宿木に褒められ、禿たちが嬉しそうに笑い合う。


なんでは知らないくせに、は知っているの!?

すずは心の中でツッコんだ。


「夕顔兄さんに教えてもらったもんなー」


「なー」


 その様子を満足そうに見ていた宿木がふいに顔を上げ、すずを見る。

 直感的に嫌な予感が背筋を走った。


「今度、すずが相手役してくれるってよ。なっ、すず?」


 にやりと笑った宿木の顔は悪意に満ちている。


「ちょっ……」


 否定しようと禿たちを見れば、きらきらと輝かんばかりの期待に満ちた視線とぶつかった。客を取らない禿たちにとって、生身の女を練習台にできるのはまたとない絶好の機会である。


「本当に! やったあ」


「大丈夫だよ、すず姐さん。俺、ちゃんと練習してるから、きっとうまいよ」


「ずるい。僕の方が気持ちよくできるもん。すず姐さん、僕が先!」


 たまらない。最低の拷問だ。


 禿たちから四方に引っ張られながら、恨みを込めて宿木を睨みつければ、平然とした顔に、ほら見ろ、もう黒いだろと言わんばかりの笑みを浮かべていた。



 宿木からの嫌がらせを受けた数日後、すずが入口近くを通りがかると、一人の女がなにやら張見世をしきりに覗き込んでいるのが暖簾のれんの隙間から見えた。


 なにも客が張見世を覗き込むのは不思議なことではない。ただ、その様子がどこか真剣過ぎるのだ。


 気になって見に行けば、女は格子に顔を近づけ、まさに男娼の吟味中ぎんみちゅうといったところだった。


 仕立ての良い着物にも見慣れてきたすずでさえ、思わずため息をつきたくなるほどの上等な着物に身を包み、これでもかと化粧を施した顔は、女でも見とれる艶やかさである。


 女の視線が月の兎で止まり、再び流れ、宿木で止まる。

 女はそのまま、つつっと妓夫台に近づいていき、見世番に男娼を指名する。


「へい、すぐにお出し申しましょう。宿木さん、お支度ぅー」


 もったいつけるようにゆっくりと張見世から出てきた宿木が、ちらりと女を見る。いつも通りの気怠そうな目には、胡散臭いものでも見るような色が滲んでいた。



 浅草寺の明六ツの鐘が響く中、女を見送ったらしい宿木があくび混じりに戻ってきた。

 すずたち奉公人はすでに働き始めている。

 すっかり目が覚めているすずとは対照的に、宿木はいつにも増して怠そうな様子である。


「おはよう。これから二度寝?」


「ああ、寝る……」


「なんかすごく疲れてるね」


「なに、あの女。おそろしく貪欲どんよくだわ……。あんなの毎日相手にしてたら、こっちが老ける」


 生気を根こそぎ持っていかれたらしい。

 宿木は台所で用意していた朝餉の漬物をひょいと一切れ掴んで口に入れると、ゆらゆらと左右に揺れながら階段を上って行く。


「寝ながら歩いて、危ないなあ」


 宿木の足取りがあまりにも危なっかしくて、ついつい階段を上り切るまで見ていたすずが台所に戻ると、おせんが手を止めないまま言う。


「男娼ってのは本当に体力勝負だからねえ。たとえどんなに嫌な客でも指名が入ったら相手をしなくちゃなんないし、多少体調が悪くても休めない」


 だから本当はもっと精のつくもの出してあげたいんだけどねえ、と呟くおせんにすずも頷く。


 他の男娼たちに比べれば良いものを食べている昼三男娼だが、それでも毎夜のことを考えれば、すずたちには想像もできないほどの重労働だろう。


 男吉原でも女吉原でも共通するのが、その寿命の短さだった。

 粗食と不摂生ふせっせいな生活は言うに及ばず、荒淫こういんによる病気の蔓延まんえん、医者にかかる金もないため効果の怪しい民間療法――。


 ここほど死の原因が溢れているところもないだろう。


 すずにできることと言えば、せいぜいおいしいご飯を作ることぐらいだ。


 そうしてすずたち飯炊き女が腕によりを掛けて作った朝餉だったが、男娼らに一瞬でぺろりと平らげられ、もう少し味わってほしいと、おせんと文句をこぼしていると、いつかのように禿たちが騒ぐ声が聞こえてきた。


「ねえねえ、教えてよお」


「とこじょーず、とこじょーず」


 歌うようにはしゃぐ禿たちの相手をしているのは、どうやら月の兎と夕顔らしい。


「だからこの間も教えてやっただろうが」


「月の兎は教え方が荒っぽいからね。あれじゃあ覚えられないよね。ねえ、俺が手取り足取り教えた技はちゃんとできるようになった?」


「できるよ。ほら、見てて」


 一人の禿が何かを披露したのか、広間が爆笑の渦に包まれる。


「おう、うまいじゃねえか。床惚れってのは大事だからな。顔で負けても床で勝てってな」


「月の兎が言っても説得力ないけどね」


「なあ、月の兎兄ちゃん。俺、まだできない技があるんだ」


「どんなやつだ?」


 禿が身振り手振りで説明しているらしく、いったん広間が静かになる。

 すずはいつの間にか止めてしまっていた息をつく。顔が火照って熱かった。


 年頃のすずにとって男吉原での生活はときにして、刺激が強すぎる。ましてや禿たちはその幼さ故に直接的で容赦がない。心の臓が余計に脈打つせいで、間違いなく寿命が縮まっているはずだ。


「だってすず姐ちゃん、駄目だって言うんだもん」


 突如として自分の名前が挙がり、すずは文字通り飛び上がった。

 押し殺したような夕顔の笑い声が聞こえる。


「くくっ、まあ、そうだろうねえ」


「おーい、すず! どうせ聞いてんだろ。ちょっと来いよ」


 月の兎が大声で呼ばわる。


「やだ、うそ。どうしよ」


 先日の宿木との一件を思い出して慌てるすずを、おせんが覗き込んでくる。


「あっは、すず顔真っ赤じゃん」


 おせんは弾かれたように笑いながら、いま連れていくよー、と勝手に返事をしてしまう。


「ちょっとおせんちゃん!」


「いいからおいでって。すずもそろそろこういう話に慣れなきゃ」


「むりむり! 慣れないよ」


「まあまあ」


 なんだかんだとおせんに引きずられ、すずはみんなの前に引っ立てられた。


「あーあ、真っ赤になっちゃって。おぼこちゃんだね、すずちゃんは」


 夕顔の言葉に、禿たちが一斉におぼこ合唱をはじめる。


「どーせ私はおぼこですよ!」


 居たたまれなさ過ぎて、もう開き直るしかない。海千山千の月の兎たちならともかく、彼らから直伝を受けている禿たちにでさえ勝てる気がしないのだから。


「ところでさ、実際のところうちで一番の床上手って誰なの?」


 ふいにおせんがそんなことを言い出した。

 すっかりおぼこの血祭に上げられているすずへの助け船のつもりだったのかもしれないが、話を振る方向がまったくの見当違いだ。これでは顔の熱が冷めるどころか、ゆで上がる。


 見目麗しい男娼たちに囲まれ、眺めるのが三度の飯より好きなすずだが、その彼らが致す行為そのものはからっきしなのだ。想像するだけでくらくらしてくる。


 おせんの問いに顔を見合わせていた月の兎と夕顔が首を捻る。


「誰がって言われてもなぁ……」


「うーん、好みもあるし、俺たち昼三男娼は割床わりどこになることも少ないからねえ」


「割床?」


 聞き慣れない言葉にすずが首を傾げていると、背後から着流し姿の宿木がやってきた。二度寝の起き抜けらしく、着流しの着物は前がだらしなくはだけている。なんとも気怠い雰囲気だが、宿木の場合、妙に退廃的な色気が漂う。


「なに、割床も知らないの? あれだよ、ほら。廻し部屋」


 大きなあくびをしながら、どっかりと横に腰を下ろした宿木の足がすずの体に当たり、意味もなく心臓が跳ねあがる。動揺を悟られまいと密かに距離を取りつつ、適当に言葉を繋ぐ。


「廻し部屋って言われても……」


 甚五郎に妓楼を案内されたときに、ちらっと聞いた程度である。


「廻し部屋は俺たち昼三男娼と違って部屋を持ってない男娼たちが、客と同衾どうきんするための部屋だよ。二階に大部屋があるでしょ。あそこに布団を敷き詰めて、間を屏風びょうぶで仕切って」


「え……それじゃあ」


「そう、隣の布団の奴らの声も物音も筒抜けってね」


 宿木が口端を歪めて笑う。


「うそ……」


「昼三だって客が重なれば廻し部屋よ」


 絶句するすずをよそに、おせんは平然としたものである。

 声も物音も丸聞こえ。声も物音も。声も物音も――。


 すずの頭の中は沸騰ふっとう寸前である。


「それで言えば、一番の床上手はやっぱり月の兎だろうね」


「だな。この間なんかすごい派手に泣いててさ。こっちの女まで対抗意識燃やしちゃって、大変だったのなんのって」


「ええっ、月の兎兄ちゃん。泣いてたの?」


 禿たちが目を丸くする。


「違ぇよ。泣くってのは、切なく、甘く、声を上げるってことだ」


「俺たちが本気になってるって客に思わせて、自惚うぬぼれさせるんだよ。女は俺たちが泣けば泣くほど興奮するんだ。演技だよ、演技」


「僕もいっぱい泣けるようになるかなあ」


「お前たちならなれんだろ。だが、いいか。男娼が感じるのは恥だからな。俺たちはあくまで男娼だ。客と一緒に気持ちよくなってたら、こっちの身が持たねえ」


 月の兎の言葉に夕顔が意味深に笑う。


「月の兎のは演技に聞こえないからすごいんだよねえ。あれ、本気じゃなかったんだ」


「当たり前だろ」


「こっちへの当てつけかと思った」


「じゃあ、今晩辺りどっちが早く終わらせるか、勝負でもするか?」


「へえ、面白そうじゃん。乗った」


 盛り上がっていく月の兎たちの会話が、すでにすずの耳には遠い。

 めくるめく廻し部屋での光景が頭の中を駆け巡っていく。月の兎が、夕顔が、宿木が。うっとりするほど美しい彼らが屏風一枚を隔てて、それぞれの布団の上で――。


「ちょっと、すず!」


 慌てたおせんの声で我に返る。


「え」


 鼻の奥から何かが流れ落ちてくる。


「鼻血!」


 禿たちに指を差され、咄嗟に鼻を押さえる。


「おい、これ使え!」


 月の兎が袂から出した懐紙かいしを手渡してくれる。

 急いで鼻を押さえ、間一髪のところで着物を汚さずに済んだ。


「おまえなあ……」


 呆れたような月の兎の声。


「すずって結構助平だよね。どうせ俺たちが廻し部屋でしている姿、想像してたんでしょ」


 宿木に図星を差され、思わずうつむく。恥ずかしすぎて死にそうだ。


「助平な女の子って可愛くて、俺は好きだな」


 夕顔が嬉しそうに言う。

 再び禿たちが助平合唱を始める中、すずは真っ赤な顔でひたすらうつむき続けるしかなかった。

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