第2話 愛の手紙。




俺の名前は本郷大和。

少し周りの人間より金持ちの家庭に産まれ、幼い頃から裕福に育ってきた。


俺は物心ついた頃から父に育てられてきた。

というのも俺が生まれてすぐに母親は死んだらしい。

だから俺は父さんの顔しか知らないし、正直興味もなかった。


昔から興味のあるのはアニメやゲームだけだった。だから誰かと接することも少なかったし、接しようとも仲良くしようとも思わなかった。

暇つぶしに絵を描くこともあった。

デジタルにも少し手を出した程度だが、それなりに描けていた方だと思う。


小学校に通い始めた頃。

他人に無関心な大和が初めて興味を持った女子がいた。

その子の名前は植村愛。

何に惹かれたのかは分からない。ただ、彼女が無性に気になっていたのだ。


植村愛がいつも連れて歩いていた子がいた。そいつはある意味で有名だった。

不知火彼方。噂によると自称女子で周囲に煙たがられて居るようだった。当の本人はそれに気づいてない様子で平然と学校生活を過ごす。

おそらくは植村愛が意図的に不知火彼方への情報操作を行っているのだろう。クラスの中でも騒ぎたがり屋の男子やマセた女子達が彼方にちょっかいを出さないように脅しをかけ、彼を守っているのだ。それに気づいたのをきっかけとして大和は愛への接触を図った。


「あんた、あいつのこと庇いすぎじゃね?」

「……あんた誰?」

それが初めて交わした会話の始まりだった。


当然、初めての会話に自己紹介が無ければそうなるだろう。


「あ、自己紹介してなかった。俺は本郷大和だ。同じクラスだから仲良くしようぜ」

「ああ、あのお坊ちゃんか…。私は植村愛」

「お坊ちゃんって、俺ってそんなイメージなの…」

「ええ、他の男子から聞いたけど、あなたが学校に持ってきてたゲーム機。あれ、子どもが簡単に買えるようなものじゃないんでしょ?つまりそういう事」


お互いに自己紹介をし、軽口を交わしあった二人。



「それで。さっきのはどういう意味?」

そして話は本題へと戻る。

「え?」

「え、じゃない。庇いすぎって言うのはどういう意味?」

「ああ、その話…。植村さんさ、傷つけないようにってあの子のこと庇いすぎに見えるんだよ。あんたらの詳しい事情に興味はないけどな」

「なら、口出さなきゃいいじゃん。変なの」



その日から、愛は時折、大和と話すようになっていた。大和と彼方が同じクラスのため、愛の代わりに彼方の様子を見て、それを愛に報告する。

そんな日課。




「昨日彼方とね…」「今日、彼方が…」「明日彼方に…」


愛はいつでも彼方の話しかしなかったが、それでも大和は一緒に居られることに満足していた。

次第にお互いを名前で呼び合うようにもなっていた。


大和は愛に好意を寄せるようになっていた。


以来、大和は彼方の話ばかりをする愛に複雑な感情を持ち始める。



ある日の事だった。

いつもの様に帰る約束をし、一緒に帰る大和と愛。


「………。

んでね、最近彼方ったら、綾姉のとこにばっか行って私に構ってくれないんだ。どうしてだろ…」

「さあ…な」

「うーん、もしかしたら大和と帰るようになったからかな?彼方、変なとこで気を遣うところあるしなー。

ね、私明日から綾姉や彼方と一緒に帰るね」

「……え?」

「突然でごめんね?でも少し前から考えてたことでもあるんだよ。綾姉はもうちょっとしたら引っ越すみたいだから一緒にいたいし、そうなったら彼方の面倒は私が見なきゃだもん。別に一緒に帰らないからって大和ととの仲が消えるわけじゃないんだから、大丈夫だよね?」


今までも彼方の事を一番に考えて行動していた愛。それは大和が良く知る愛で、大和が好きな愛だった。

頭ではそれを分かっているはずなのに素直に了承することが出来ない。


挙句に出てきたのは

「…愛にとって俺はその程度…か。いつも『彼方彼方』って…。結局俺なんかより……。

そんなに好きならずっとあいつといればいいだろ!」

という醜い一言だった。


「大和、ちが…っ」


一言残すと、愛の制止も聞かずにその場を去る。


家に帰り着くと布団に包まり、後悔の念に駆られて思い切り叫んだ。

親に何度「煩いぞ、大和」と注意されてもやめない、やめられなかった。


「明日、会ったら謝ろう」

そう決めてその日は眠りについた。



次の日、今まで遅刻することも休むこともなかった愛が学校を休んだ。

次の日もその次の日も…



愛が来なくなったのをいい事にクラスの連中が彼方にちょっかいを出すようになった。

偶然にもそれを目撃した滝沢担任が場を収め、彼方は急遽下校。



そしてその日行われた学級会で担任によって知らされた。


「不知火彼方さんが仲良くしていた隣のクラスの植村愛さんが交通事故に遭い、お亡くなりになりました。」と。


は……?


一瞬、先生が何を言っているのか分からなかった。

理解した途端、大和は悲しむと共にとても後悔した。

だってそうだろう。


あんなに好きだった愛との最後の言葉は自分の気持ちを押し付けただけの醜い言葉だったのだ。


もっと色んな話をしたかった。行きたかった場所だってたくさんあった。

受け入れられなくてもいい。断られてもいい。ちゃんと自分の気持ちを伝えておけばよかった。

そう思った。


後悔という後悔に飲み込まれ、自責の念に駆られているうちに気づけば学級会も終わり、教室は空になっていた。

窓の外を見てみても真っ暗だ。

ぼーっとしながらも慌てて帰る準備をする。



校舎を出ようとしたところで、もしかしたら先生に心配をかけていたかもしれないと考えて職員室に行く。

職員室に着き、担任の名前を呼ぶも応答はない。


「滝沢先生なら今隣の応接室に行ったよ。なんでも生徒の親御さんがいらっしゃってるそうでね」


たまたま戻ってきた他の先生が教えてくれた。

大和は先生に頭を下げ、隣の応接室へと向かう。



「ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」

「いえ、こちらこそ監督不行届でした。申し訳ありませんでした」


二人の女性が互いに謝るように話してる声が聞こえた。

一人は滝沢先生の声、もう一人は知らない女性の声だった。


気まずげに無言が続く。

数秒後、それを破ったのは女性だった。


「私、『彼方のために働かなきゃ』ってそればっかりであの子のことを何も考えてあげられてなかったんです。あの子が言うことにも真剣に耳を貸してこなかった。

それに比べて姉さんや植村さんはとても彼方のことを考えてくれて、正直助かってました。特に愛ちゃんには感謝をしてもしきれないくらいです。同い年でいっつもあの子のそばに居てくれて。本当に本当に…」

「ええ、愛ちゃんは本当にいい子でした。自分の事よりも彼方さんの事もしっかりと面倒を見てあげてて…。

あの、不知火さんは知ってましたか?

愛ちゃん、学校で彼方さんがいじめられないように私のクラスメイトに話したり、説得したりしてくれてたんです。

だから、私もそれを見て安心していたんです。安心して半ば放置をしてしまっていたんです…。

愛ちゃんの優しさや頼もしさに甘えてしまってた結果に今日のようなことが起こってしまいました。私、教師失格です」

「そんなことはありません。あなたは立派な教師です。今回のことは私の責任です。私がもっと彼方の気持ちに寄り添ってあげられていたら…」


そこからはお互いに自分を責め続けるだけの話だった。


少し間が空いてまた無言が始まった。


なんだかこの場にいるのが申し訳なくなってきた大和が去ろうとした時、滝沢先生が切り出した。


「不知火さん。私、一度愛ちゃんに『彼方さんをひまわり教室に入れないか?』と提案したことがありました。当然愛ちゃんはそれを受け入れませんでした。

『彼方は障害者じゃない。私と同じ女の子です!』ってきっぱり断られたんです。

次の日にお母さんと話したのでしょう、『彼方がひまわりに入るなら私も入る』とそう言いに来ました」

「そんなことが…」

女性はなにも知らなかったのだろう。

とても興味深げに、けれど悔やむように言った。


「あとはですね、二年生に上がった頃からうちのクラスの本郷大和くんの話もするようになったんですよ」

「本郷……!?

まさかこんな事があるなんて……」

「不知火さん…?」

「あ、すみません。大丈夫です」

いきなり自分の名前が出てきたことにびっくりしながら続きを聞く。

さっきまで大人しかった心臓が煩くなる。


「最初は話すだけだったみたいですけどね。次第に一緒に帰るようになっていったみたいです。『大和は彼方のことを一緒に悩んでくれたし、私に彼方の様子を教えてくれたから!』そう聞いてます」

「もしかしたら愛ちゃんがその大和くんと帰り始めたから、彼方は姪の綾香と帰ることが多くなったんでしょうか…」

「それもあるかもしれませんね。あ、それでとある日のことなんです。愛ちゃんが凄く落ち込んだ様子で私に相談をしに来ました。話を聞くと『私、彼方の事ばっかで大和の気持ちを考えてなかったかも…』『でも会って話すのが気まずい』なんて風に話すんです。だから私彼女に助言をしてあげました。すると彼女。ぱーっと顔キラキラさせて『分かった!やってみる!先生ありがとう!』って去っていきました」

「えっと…、先生は愛ちゃんに何を…?」

「手紙です。手紙ならば気まずくて言えないようなことも伝えることができる、そう思って彼女に提案しました。綾香さんの下校時刻までずっと書いては持ってきて、訂正してっていうのを繰り返して出来上がった時はそれはもう大喜びで…、『明日、大和に渡す!』ってはしゃいで帰っていく様を見て私も嬉しい気持ちになりました。

ただ、今日の大和くんのあの様子を見る限りだと、愛ちゃんからの手紙は彼に届いてなかったのかも知れません」


手紙…?

一体何が書かれてるのか。

大和は怖くなった。



「これを聞いてもいいのか分かりませんが、その手紙にはなんて?」


愛が俺に伝えたかったこととは何か。

何故か知るのがとても怖くなった。

やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。


「あ、ちょっと待っててください。記念にと愛ちゃんに貰った下書きがありますから…」


聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたい。


「じゃあ、読みますね…


『大和へ

昨日はごめんなさい。今まで大和は何も言わずに相談に乗ってくれたり私の代わりに彼方を見てくれたりしてくれて、私にとってもそれが当たり前になっていた。だから、大和が何を思っているのかを考えられていませんでした。

昨日、大和があんな事を言った理由は、ごめんなさい、分かりませんでした。

多分、私はこれからも彼方のことを一番大事にするし、大和も言ったように彼方と一緒に居たいと思う。

一緒に帰らないって言ったのも嘘じゃない。もうすぐ引越す綾姉との時間も欲しいから。



でもそれは大和が必要ないってことじゃない。



知ってると思うけど、私は彼方や大和とは別のクラス。だから私が学校にいる彼方を助けるためには大和の手助けが必要なの。

それにそれだけじゃない。

私は彼方のことも彼方と一緒に過ごした時間を大事にしてきたけど、私にとってはそれと同じくらいに大和と一緒にいた時間も大切なんだよ。


だから、今までありがとう、ごめんなさい。


これからも彼方のことを頼むこともあると思うけど、宜しくお願いします。

これからも仲良くしてください。


植村愛』


愛ちゃんの手紙は以上です。」



愛からの手紙。

それに何も感じないわけじゃない。



「……っ、……ひっ…」


ただ、何かを口にするより先に思わず嗚咽が漏れた。



「あれ、大和くん…?」


嗚咽を聞いてここにいた事に気がついたのだろう。

呼ばれた声に顔を上げると、扉を開けた滝沢が慌てたような顔で見ていた。


「あー、聞いちゃったのか…。

明日ちゃんと渡そうと思ってたの…

ごめんね、大和くん。」


大和を部屋に招き入れながら申し訳なさそうに謝る滝沢。

部屋に入り、椅子に座らせられて自然と女性と向き合う形になった。


まだ涙が止まらずにグズグズ言ってる大和を女性が抱きしめた。

「あなたが大和くんね。初めまして、私の名前は不知火菜穂香。不知火彼方の母親です。いつも息子がお世話になっております。」


なんだか本当の母親のように俺のことを優しく包み込んでくれる。思わず大和も抱き返した。

「もう大丈夫…です」

なんだか恥ずかしくなり、菜穂香さんに一声かけて離れた。


「ほ…本郷大和です…。」

目を擦りながらもきちんと自己紹介をする。恥ずかしい。


なんでだろうか。

この女性は俺を慈しんだ目で見てくるのだ。


俺に母親がいないからそう思うだけかもしれないが、菜穂香さんはとても母親だった。

女性は不知火彼方には似ていないように思う。


そんな時だ。

「大和くん、私先生の話を聞いて思ったの。あなたは愛ちゃんのことが好きだっただよね?」

「…!!!違いまっ、そんなことないです!」

突然尋ねられ、指摘され動揺を隠せない大和。

その様子は自ら「そうです」と言ってるようなものだった。


そんな大和の反応とは大きく違い、菜穂香さんは目を伏せる。

「辛い…よね…。だってね、この歳で大切な人の死を知っちゃったんだもんね…」


その言葉は大和を慮るだけではなく、色々と含むところがあるような言い方だった。


まるで今日初めて会う前から俺のことを知っているような……。


「聞いてたかもしれないけど私、彼方のためにって仕事ばかりであの子のことをちゃんと見れていなかったの。その代わり、私の姉さんや綾香ちゃん。愛ちゃんは本当に彼方のためを思ってくれていた。きっとあなたも……。だから言わせて。ありがとう大和くん。」

そう言って菜穂香さんはもう一度俺を抱きしめた。


温かい。


「愛ちゃんのこと色々あって辛いと思う。だけどね、ここで挫けちゃダメだよ。さっき聞いた愛ちゃんが遺したあなたへの気持ち。あなたはこれを受け止めなきゃいけない。

そしてここからは私のお願いでもある」

菜穂香さんは一息おいて言う。

「これからも愛ちゃんの代わりに彼方の事を気にかけてやってほしいの。お願いしてもいい?」

母親が子どものこれからを他人に託すのはどんな時だろう。

それは母親のいない大和でも分かる気がした。

大事な人が心配な時だ。

大事な人を想っている時だ。


俺なんかでいいのだろうか。

そんなことを考えながら

「……はい!」


それでも大和は愛や菜穂香さんの託してくれた思いを背負って元気に返事をした。


大和と別れるとき、少し寂しそうにこちらを見ていた女性に手を振って家に帰った。


走り始める前に

「元気で育ってくれてるみたいで安心した……」


そんな声が聞こえた気がした。





次の日、彼方は学校に来なかった。

次の日もその次の日も…



大和は心配になって不知火家を訪ねることを決意。

菜穂香に教えてもらった道を歩き、目的地へと向かう。


途中、近くまで来るとなんだか辺りが騒がしかった。ここ最近近辺で何かあったのだろうか。


何があったか気になり、そこを歩いていた女性に話を聞く。


「ああ、なんでもその家の奥さんが首を吊って自殺されたそうよ」


不知火家の奥さん。

菜穂香だ…。


初対面で優しく話しかけてくれた女性。「これから息子をよろしく」と頼んでくれた女性。


でも信じられなかった。

菜穂香さんは自殺なんてする人じゃない。



そして、無性に心配になったことがある。

彼方のことだ。

ここ数週間の間に姉妹同然の幼馴染も母をも失った彼方はどうしているのか。


慌てて不知火家へ向かう。


もうすぐ着くだろう、と思える交差点の歩道。そこで顔に無数の傷を負い、アザだらけの足を露出した服で歩いている彼方を見つけた。


声をかけようとしたところ、井戸端おばさんの声が聞こえてきた。


「あれでしょ、例の子」

「ああ、障害のせいで母親を自殺に追い込んだっていう」

「奥さんも浮かばれないったらありゃしない。可哀想に…」



「あんたら大人として恥ずかしくないのかよ!」

その侮蔑があまりにも許せなかった。

だから自然に口をついて出た。


「なによ、この子」

「あの子の友達かしら。類は友を呼ぶってまさにこのことね」


「なんだと…」

「もういいよ、いつものことだから。ありがとね」


口が減らない井戸端おばさんに食ってかかろうとする大和だったが、それを止めたのは誰でもない、彼方自身だった。


「悔しくないのかよ…」

「もう慣れた」


そう一言いうと彼方はその場から背を向ける。


「なんでそんなことが言えんだよ!慣れたってなんだよ!」


聞こえてた上で敢えて無視なのか聞こえてないからこその無視なのか。


兎に角、彼方が反応することは無かった。



そしてそれが本郷大和と不知火彼方が交わした最初で最後の会話だった。




聞いた話によると彼方は転校したらしい。

愛や菜穂香さんに託された想いを叶えようとした結果だったのに最後に一言交わしただけで終わってしまった。

俺の頭の中には後悔ばかりが残った。



それ以降の小学校生活は何をするにも身が入らず、何やっても楽しくない。

そんな日々を過ごすだけの毎日で終わってしまった。


そうして季節が巡り巡って、大和は中学生になった。


小学校卒業後、すぐに父親の都合で隣町に引越し、そこの中学校に通っていた。

この学校は一学年毎に一クラスしかないような田舎の学校だった。

その中でも大和の成績は中の上くらいで、元々勉強が得意ではなかった大和にとって順位なんて気にする必要も無いような事だった。


一年生の中間考査後、ある噂が流れる頃までは。



通常、順位というものは一位・二位・三位と順番に用意される。

当然この学校、このクラスにおいてもそれは同じだった。


この学校で行われた一年生の中間考査。そこには一位が居なかった。


入学後の実力考査で一位を獲得したクラスメイト。彼が一位をとってやると豪語し、臨んだ中間考査。


彼の点数は五教科合計で499点。

理科で唯一凡ミスをして点数を落としていたものの言わずもがな高得点。後で確認してみてもクラスの中ではトップだったはずだった。


だが、そんな彼のクラス内順位は二位だった。



大和は違和感を抱いた。

それとともに一位をとってやりたい。

そんな気持ちになっていた。

「とりあえず次は二位を取ってみようか。何かわかるかもしれない」


そんな不思議な帰結から大和はクラスで一位になるためだけに勉強をするようになった。


一年生の期末考査。

大和はクラス内トップで二位になった。


またも一位はいなかったのだ。

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