昔話
「私が生まれた街は酷い辺境にある村だった。
現代において、ただの一般人が神様やら妖怪を本当にあると信じこんで本気で恐れているような、そういう古い因習を持ち続けている、そんな時代錯誤な村だった。
その村がどこにあったのか、どんな村だったのか……今ではもう思い出せない。
ただ、雪がよく降るところだったことだけは何故かよく覚えている。」
今でも雪を見るとあの村にいた頃のことを時々思い出す。
だけどどんな人間が住んでいたとか、どんな場所だったのか、という事はぼんやりとしか思い出せなくて、代わりに分厚く暗い灰色の雲から真っ白な羽のような雪がこんこんと落ちていく光景が思い浮かぶだけだった。
「子供なんて私を入れても極数人だった上に、昔から私は性格が悪かったから、友達なんていなくて、冬の間はずっと雪が降る空を見つめ続けているしかなかったから。
……冬だけでなくともそれは同じだったんだけど、なんでか冬の空が一番印象に残っている。」
自分の他に子供は何人くらいいたっけ?
確実に10人はいなかったし、途中で一人いなくなったことも覚えている。
お節介な奴だった、可愛げのない私を構い続けていた変わり者。
そういうところはほんの少しあの友人に似ている。
いなくなった理由は多分、私の前に……
「その村は水神様、っていう奴を信仰していた。
雨の恵みをもたらす蛇の神。
龍であるとも言われていたけど、幼い私にとってはそんなことはどうでもよかった。
心底どうでもよかったのに、どうでもよくなくなったのは私が7歳になった頃」
どうでもいいといつまでも言っていられたのなら、くだらない因習を信じる大人達を嘲笑い続けていられたのなら、私はまだあそこにいたのだろうか?
考えても仕方ないけど。
「干ばつが続いて、生活に困った村人達がその水神に生贄を捧げようとしたんだ。
その生贄ってのが私だった。
理由は色々ある、親が既に死んでたのもあるし、性格が悪くて愛想もなかったから嫌われてたし。
そういう厄介払い――口減しでもあったんだろう」
聞いた話だと、父親は私が生まれる直前に崖から落ちて転落死。
母も産後の肥立ちが悪くてそのまま衰弱死。
それで生まれたばかりの私は叔母夫婦に引き取られた。
誰に似たんだか、死んだ両親のどっちかはわからないけど、言葉が話せるようになった頃から私の性格と言葉遣いは悪かったらしい。
だからすごく嫌われていた。
「けど、一番の理由はこの声だった。
私の声は昔から普通ではなく、私が発する言葉には妙な強制力があった。
だからあいつらは私の事を神に捧げるべき特別な子供なんだ、とか言ってたけど、本当は怖かったんだと思う。
私の言いなりにさせられるんじゃないかって。
そういう理由でサクッと生贄にされる事が決められたらしい。」
私が何かを強く言えば聞いた誰かは皆、そうしなければならない、という強迫的な思考に陥ったのだという。
本人にはそんなことをする気は一切ないというのにだ。
……それは確かに今思うと、恐るべきことだったのだろう。
あの頃の私には自分の声が持っていた力のことも含めて何一つわかっちゃいなかったけど。
「それが決まった後、奴らは何も言わずに、寝ていた私を身動きが取れないように縛り上げて、猿轡を噛ませて声を封じた上で私を蔵の中に閉じ込めた。
……多分、その日の夕食に睡眠薬でも仕込まれていたんだと思う、じゃなきゃ流石に途中で目を覚ましていただろうし。
朝になって目を覚まして、真っ暗だし黴くさいし縄でぐるぐる巻きになってたから、物凄くびっくりした。
怖いとはあまり思わなかったな、それよりも驚愕が勝っていたし、その後も自分をこんな目に合わせた犯人への怒りが感情の大半を占めていたから」
あの時は本当に吃驚した、人生であんなに吃驚したのは……嫌な事に実は何度かあった。
「これはどういうことだと叫ぼうとしても猿轡のせいで言葉は発せられないし、全身荒縄でぐるぐる巻きにされてたせいで身動き一つ取れやしなかった。
それでも何とかしようと必死に足掻いていたら蔵の戸が開かれて、ハゲ散らかした
で、村長が直々に、お前は神にその身を捧げる栄誉を賜ったのだ、とか重々しく言われたけど、知ったこっちゃない。」
私がわかった事は奴らの身勝手さに自分の身が危険に晒されている、って事だけだった。
難しい話はわからなかったけど、奴等が自分を殺そうとしていることもなんとなく察しがついた。
それで泣き喚くようなガキだったもう少しは可愛げがあったんだろうけど。
今より更にクソガキで怖いもの知らずだった私はただ怒り狂っていただけだった。
「とにかく自由にしろともがいたけど村長とその取り巻きどもは何も言わずにその場を立ち去った。
それから先はあまりよく思い出せない、というか思い出せるような事がない。
ただひたすら暗くてカビ臭くて、口元が気持ち悪くて全身が痛かった、ただそれだけ。
多分1日に1回の頻度で誰かが様子を見にきてたけど、蔵の中じゃ時間が全く読めなかったから、それも定かではなかった」
その様子見が来るのも夜中だったらしく、閉じ込められてから日の光はほとんど目にしていなかった。
見る事ができたのは奴等が持ってきた懐中電灯の光だけ。
今思い出してみても、よく発狂しなかったものだと関心する。
「食事は与えられなかった、声を出させないために猿轡を外せないからだ。
だから、後半はすごくお腹が空いて、それがひたすら辛くて惨めだった事はよく覚えている。
何日経ったかわからない、人が来る回数も数えていなかったし
けど、私にとってはとても長い時間だった」
その空腹が一番辛かった。
思い出したくもないし、今でも腹が減ると時折あの時のことを思い出す。
昔はそれでよく顔を青ざめさせていたらしく、その度に奴が……
いや、これは別に関係ないな。
「……ただ、それが私が生贄として殺される直前のことであったんだろうって事はわかってる。
奴があの蔵に入ってきたのは」
それだけは多分確かな事だったんだと思うし、その時の事だけは……今でも何故か妙にはっきりと思い出せる。
思い出は色褪せる、記憶は劣化する。
それが一般論で私も概ねそうだとは思っているけど、それでも、目に、耳に焼き付けられたかのように、そっくりそのまま思い出せるような強烈な記憶は存在するのだと、あの時を思い出すたびに思う。
暗い狭い臭い痛い気持ち悪いお腹すいた喉乾いた。
出せ、出せ、出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ。
頭に浮かぶのはそればかりで、他にはろくに考えられない。
どうしてこうなったんだろう。
親がいないから? 口が悪いから? 子供だから?
たったそれだけの理由で私はこんなに目にあっているのか?
ただそれだけで?
それはそれほど悪い事なのか?
こんな目に合わせられるほど悪い事なのか?
そんな訳があるか。
どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてお腹すいたどうしてどうしてどうして痛いどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
わたしがわたしはわたしなにもやってないのに。
……もう、なにがなんだかわからない。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
なんか、あかるくなた。
………………。
…………。
……。
っ!!?
その光に気付いて、ぼーっとしていた頭が動き始める。
縛られて身動きが取れないせいでガチガチになった身体をなんとかして光のある方に向けて顔を上げる。
これは人工物の光なんかじゃない。
太陽の光だった。
あまりにも強烈な光に思わず目を瞑る。
それでもなんとか瞼をこじ開けて、なにが起こっているのかを見ようとした。
ちゃんと見えるようになる前に光が弱くなった。
慌てて目を開くと半開きになった戸の外側に小さな人影が見えた。
どうやらその小柄な誰かがこの戸を開けたらしい、他には誰もいないようだった。
まだ完全に焦点が合わない目でその人影に目を凝らして数秒かかってやっと視界が明瞭になった。
戸の外側でこちらを覗き込んでいたのは、見知らぬ子供だった。
村に住んでいる子供ではない、あんな子供見た事ない。
あんな美しい子供はいなかった。
……当時の私の言語能力ではとても表現できないほど、というか今の私でも表現できないほど、その時見たその子供は美しかった。
それでもあえて今の私の言語能力で表現するとするなら……神々しい、とか天使のような、とかそういう月並みのものになってしまうが、もしも芸術家があの子供を見たら、きっと長々と無駄に詩的な表現をしつつ褒めちぎるだろう。
「……お前はなんだ?」
自分の状況も忘れてその子供に見惚れていた事に気付いたのは子供が発したその言葉を聞いて、たっぷり10秒経った後だった。
猿轡がなければ、むしろお前が何者だ、というツッコミをしていただろう。
「……ああ、そうか。それでは喋る事も出来ないか……折檻にしては、少しやりすぎだろう……お前、何をしでかしたんだ?」
動ける限りで精一杯首を横に振った。
私は何もしていない、と。
「その様子だと、心当たりはないといったところか……」
首をブンブン振り続けているとそんな声が聞こえてきたので振るのをやめる。
そして、改めてこいつは何者なんだとその子供の顔を見つめる。
「で、なんでそんな目にあっているんだ……と聞いても無駄か、仕方ない」
その子供はひょいっと蔵の中に入ってきて、私の元に歩み寄ってきた。
そしてしゃがみこんで私の顔に手を伸ばしてきた。
何をする気だと身体を強張らせた私に、もう警戒するなとその子供は言って、猿轡に手をかける。
少しの間、その子供はうまくいかずに手こずっていたが、すぐにそれを取る事に成功した。
「っ!!?」
猿轡を外された私は何かを叫ぼうとして、急に声を出そうとしたからなんだろうけど、噎せた。
激しく咳き込む私にその子供は大丈夫か? とか呑気に問いかけてきた。
大丈夫なわけがないだろう。
咳が収まった後、その子供を睨みつつ私は口を開いた。
「……お前、誰だ」
酷い声だった、掠れていて意味が通じたのが奇跡だと思うくらいには。
それでも、久しぶりに声を出せた事で確かにその時、少しだけだが気分はマシになっていた。
……今思うと、この時に言うべき言葉は別のものだった。
それでも問わずにはいられなかったんだ。
子供は黙って私の顔をまん丸に見開いた目で見つめていた。
「かがり」
聞き取れなかったのかともう一度口を開こうとしたところで、子供が何かをつぶやいた。
それが自分の疑問への答えだった事に気付いたのは、その後の子供のセリフを聞いた後だった。
「篝。僕の名前は傘峯篝」
そう名乗った子供は――傘峯は私の目をまっすぐ見ながらこう続けた。
「神殺しの一族の末裔だ」
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