第38話 「今」に咲く花のように


 地面に並んだ花弁はふわりと風に浮かぶように舞い上がると、青比呂の腕に吸い込まれる。花弁はすぐに「盾」の形状に戻り、青比呂に深い息を落とさせる。


「青比呂、どうだ?」

「かなりしんどいな……今のは乱用しにくい。何より花弁が離れてる間俺ががら空きになってしまう」


 せせらぎと青比呂は目を合わせず、あくまで視野を刻鉄にとらえたまま会話を交わす。


「舐めた真似を……俺で試し打ちか」


 踏み込もうとした刻鉄はずきり、と左腕が痛むのを感じた。先ほどの衝撃でどこかにぶつけたか。

 それに苛立ち舌打ちをし、刻鉄はうなり声を上げて右手に『王の剣』を持ち青比呂に斬り掛かる。

 

 青比呂はそれを迎えるかのように、自らも前に出て『グロリオサ』の表面を刃にぶつけ、剣戟を弾く。両方の衝撃は互いに跳ね返り、両者を大きくのけぞらせた。


「何故だ……!」


 上段からの一撃を弾くと、今度は『グロリオサ』が前に押し出され、突進しようとする刻鉄の動きをけん制した。刻鉄はやむを得ず後ろへと飛びながら突きの一撃を繰り出すが、その威力はあっさりと『グロリオサ』の表面に弾かれるだけに終わった。


 圧力が増している。剣先から感じる分厚さが、まるで巨大なタイヤでもたたいたかの様な反動を感じ取った。刻鉄の一撃は、その反動に弾かれ威力は相殺され、青比呂にはほとんど届いていない。


「盾が剣を凌駕するなど……防御が攻撃を陵駕するなど!」


 態勢を立て直し、『グロリオサ』を前に突進する青比呂に向けて刻鉄はうなり声を上げる。

 歯を食いしばり、柄を両手で締め付けると、横薙ぎに降った。体幹を崩さず、軸足をそのままに体を回転させたフルスイング。まともに当たれば、相手の胴体は綺麗に輪切りされるだろう。

 しかし。


「何故……ッ!」


 そ……と添えられた花びらは、やはり『王の剣』の衝撃も斬れ味も全て反射し、赤い火花を生んで刀身を外へと押しやった。

 振り込んだだけの勢いを押しも押し戻され、『王の剣』は派手に暴れて手の中から振り解かれて、大理石の地面を滑り、跳ね、そして突き刺さった。

ただ手から落ちただけで、大理石を切り裂くまでの切れ味を持ったそれを弾き返した『グロリオサ』を、忌々しくにらみつける。


「基本的にはあんたの方が強いに決まってる」


 『グロリオサ』を下ろし、弾んだ息を整えながら、青比呂は言った。


「俺は『カタワラ』としても駆け出しで、あんたはそれらを従える組織の頂点だ。敵うわけがない」


「……珍しいな、お前から謙虚な言葉が出るとは。だが今は侮辱にしか聞こえない」


 青比呂は、刻鉄のその言葉を聞くと、眉間に皺を寄せ、苛立ちをあらわにする。


「そうやってあんたが女々しいことやってっから、足元すくわれたりするんだよ!」


 青比呂が強く一歩前に踏み込んだ。ダン、と大理石を踏んだ靴底からは、淡い輪郭を持った花びらが舞い上がり、緑の線が迸り、つぼみが、胞子が、花々が波紋のように広がった。


「っく!」


 刻鉄は、迫り来る花畑の津波から身を投げ出し、大理石の上を転がり『王の剣』の元へと滑り込んだ。すぐさま『王の剣』を構え、だが、『グロリオサ』を前に突進する青比呂に対し、どうすればいいか、思考が真っ白になった。


「パニック、だと……俺が!? 俺が押されている……心で押されているとでもいうのか!?」


「うおおおお!!」


 青比呂が足を踏み込むたびに、磨き抜かれた床は緑を取り戻していく。枯れていた花が朝焼けの太陽を仰ぎ、水気を失った草が張りを巡らせる。その背景に広がる景色は、『王の剣』で飲み込んだはずの、新垣赤音が作り、せせらぎが育んだ、花園の景色だった。


 「盾」に展開した『グロリオサ』が赤く燃え上がる。その熱に呼ばれたかのように、下がった刻鉄の周囲の床も黄金の空間も、花々で囲まれ、彩りが舞う世界へと咲いていく。


 かつて、最も愛した人が作った世界が広がっていく。


 奇跡は起きなかった。

 絶望だけが取り残された。

 奇跡はなかった。

 

 そして訪れた現実の果てに、過去から咲いた決別の花が、彼を未来へと、今へと突き進ませた。


「このまま砕く!! その剣ごと、あんたを砕く!!」


 もうここにはいない。だから、もう立ち止まらない。


「『王の力』……ここで諦めるわけには、潰えるわけには、いかんのだ!!」


 かつての栄光を夢見た。故に、もう戻れない。


 同じだからこそ違えた。笑っていたかったから、涙はぬぐわなかった。

 最初からこの結末は決まっていて。

 最初から歩いていた道も決まっていて。

 最後にたどり着いた場所も決まっていた。


 だからきっと。


 だから。

 きっと。


 だからきっと、この結末を覆すために、新垣青比呂という少年は、日輪の空に向けて花を芽吹かせたのだ。


 燃え上がった『グロリオサ』が、天高く突き上げられる。


「!?」


 斬りかかろうとした刻鉄の足元から、小さな花が咲き乱れていく。


「歴史? 名誉? 確かに大事かもな。でもよ、それは今のあんたを……あんたが大事にする何かを犠牲にしてまで、踏みにじってまで台無しにしてまでやりたかったことなのか!?」

「……!」

「あんたが大事にしたかったことってのは、大切に守りたいって思っていたのは!」


 黄金の壁をひとひらの花びらが突き破り、伸びた茎が亀裂を生み、蔦が崩れ落ちる天井を絡め取る。


「それを奪い取ったものがあるってんなら! 俺がそれをぶっとばしてやる!!」


 大事なもの。


 帰り道。

 いつも三人で歩いた帰り道。

 遊んでいる最中よりも、戯れ、じゃれ合いながら帰路につくあの道のりが。


「お、俺は……」


 からん……と、刻鉄の手から『王の剣』がこぼれ落ちる。手で顔を覆い、大きく頭を振った。


「ち、違う! 俺は『神威』の総帥霧島刻鉄だ! 俺が「盾の戦士」を再び戦列へ……光ある世界へと導くんだ!」


 『王の剣』を手に取ろうと腕を伸ばす。だが、手が、腕が硬くこわばり、凍った様に動かなくなる。


「何を……何を拒む。何を悩む! そのために、俺は今まで……新垣赤音まで……あの子まで……!」


 ふと、視界の端から差し込んで来る赤い輝きに、刻鉄は顔を上げた。

 青比呂が掲げる『グロリオサ』の表面が透き通った水面の様に澄み渡り、太陽のまぶしさをもって赤く輝いていた。


「霊廟か……歴史が、それがお前を縛ってるってんなら!」


 かぎ爪状の花弁が折りたたまれる。光が統一され、『グロリオサ』の内部で更に「熱の速度」が加速していった。


「よせ……やめろ青比呂! そんなことをしても意味はない!」


 どん、と強い熱気が上昇気流となり青比呂の周囲に咲く花たちが喝采の花びらを舞わせた。


「そんなことをしても……何も………何も変わらん!」


 青比呂は左手を右腕に添え、膨大に膨れあがった赤い光を高い天井に向けた。

 刻鉄は喉の奥から、悲鳴の様な声を上げた。


「俺が赤音を殺した事実は変わらん! お前から赤音を奪った事実は変わらん!」


 青比呂は天を突く花びらを掲げ、力の限り叫び返した。


「だったら余計に……これからお前自身が変わっていけよ!!」


 赤い一閃が天を穿った。真紅の波状が天井を波打たせ、注ぎ込まれる大量の熱が天井に亀裂を呼び、液状化させ、更にそれを気化させる熱が更に下から押し上げられていく。

 赤い世界は、『王の力』で作り出された黄金の世界を穿ち、轟音を響かせた。その音が、黄金の壁や床をはがし、元の岩肌へと姿を戻していった。


 黄金の余韻は太陽に反射し欠片となって散らばり、霊廟だった地下空間に落ち、輝きをなくして消えていった。

 天井には、花園分以上の大穴が空き、朝を白く焼く太陽の光が差し込んできた。黄金の王室は紅色の光を浴び、透明な光へと混じり合い、明け方の太陽の中へと溶けていく。


「俺……自身が、変わる……」


 穿たれた大穴から見える太陽の光に照らされた霊廟は、傷だらけで壁はへこみ崩れ、床は切り刻まれ、ドーム状を保っているのが不思議なぐらいの荒れっぷりだった。


「大丈夫か、青比呂」

「……これが大丈夫に見えるか」


 青比呂は大の字に倒れ、息も絶え絶えだった。せせらぎは困った顔でしゃがみ込み、「人工呼吸か?」「それは意識のない時にやるんだ」と漫才のような会話をしていた。


「……『ウタカタ』の指輪を『カタワラ』の指輪に合わせてみろ。体力や精神力の譲渡が出来る」


 かすれた声で、刻鉄が言う。それにせせらぎは「おお!」と顔を明るくし、


「さすが醤油だな! 物知り!」

「……?」

「総帥、と言いたかったんだと思う」


 息を切らせながらもフォローを入れる青比呂であった。


「……せせらぎ。俺を憎まないのか」


 指輪を合わせようとしてたせせらぎは、その言葉を聞きつつ、刻鉄を見ようともしないで、


「しないぞ」


 と短くあっさりと答えた。


「何故だ。俺はお前を利用したんだぞ。非人道的な形でだ。大事なものも沢山奪った」

「難しいこと、分からん。けど」


 そこで初めてせせらぎは刻鉄を振り返り、にこりと笑った。


「青比呂と仲直りしろ」

「え……」

「ケンカ、よくない」


 せせらぎはあっけにとられている刻鉄の元に走ると、その手をつかみ、強引に倒れている青比呂の元へと引っ張ってきた。


「ちょ、ちょっと待て! い、いきなり何を……」

「あくしゅ」


 刻鉄の腕を青比呂にぐいっと近づける。


「仲直りのあくしゅ!」


 せせらぎが笑って言うと、青比呂は何とかといった様子で上半身を起こし、くたびれた苦笑を浮かべる。


「だ、そうだ」


 すっと、青比呂は右手を差し出した。それに刻鉄は言葉をなくす。しばし沈黙を置いてから、刻鉄は喉を鳴らして唾を飲み込み、


「……それで……いいわけがないだろう」


 視線を足下に落とし、刻鉄は力なく腕を下ろした。


「白状した通りなんだぞ……俺は、お前たち兄妹を……」

「このバカ鉄」


 うつむいた刻鉄の後頭部を、青比呂が力の限り平手ではたいた。不意の一撃に、刻鉄は前のめりになり転びそうになった。


「な……」

「じゃあ何か。お前だけ残る気か? 俺はもうあの帰り道にはいないぞ。赤音もな。俺が夢で見た時、お前はそこでも仮面を被ってた。いつになったら素顔で歩ける様になる」


 夢、と言われても混乱するばかりの刻鉄だったが、まっすぐに刻鉄を見据える青比呂の視線からは逃れられなかった。顔に手を当て、傷跡も消えた素肌に指を添え、その指を折り拳を握った。


「仮面……確かに、俺は仮面に頼ってばかりだった。お前の言う通りに」


 わななく拳を振り下ろせずにいる刻鉄に、青比呂は静かな声をかけた。


「……『王』になるって言ったよな。それは、本当に「盾の戦士」の『王』だったのか? それとも、「盾の戦士」の歴史にすがる連中の『王』だったのか?」


 刻鉄は唇をかみしめ、固く目を閉じた。肩が震えだし、あふれ出るものをぬぐおうともしなかった。


「俺には、お前が追い詰められてる様に見えてた。『王の力』に酔っていたんだと思っていた。だが違った。あれは依存だった。そうでもしなければ、あのパワーを制御出来ない……『王の剣』を握ることも出来ない」


 花に包まれ、緑の中に落ちた『王の剣』に目をやり、青比呂は目を伏せ、小さく首を横に振った。


「二年前から……いや、ずっと前から、あんたは「盾の戦士」の歴史とやらに沿って生きてたんだな。「それ」があんたの現実だった」


 壁に亀裂が入り、床は割れ、その代わりに花が咲き乱れ、緑が芽生えた地下空間を見渡し、差し込んで来る朝の日差しを見上げて、青比呂はまぶしそうに目を細めた。


「それがどうこう、てのは俺が言う話じゃない。でもさ……それが嫌なら、辛いなら、そう言ってもいいんじゃないか?」


 日差しを仰ぎ、小さく息をつく。


「少なくとも……俺にだけは言ってくれよ」


 青比呂はもう一度、右手を刻鉄の前に差し出す。


「帰り道から戻ったら、ゆっくり休んで次の朝に出発だ。また一緒に行こうぜ」


 刻鉄は言葉にならない声で、朝の空に叫び、握りしめた拳を更にきつく振るわせ、目を熱くさせるものを流れるがままにした。


 霊廟だった床に並んだ花にそっと指を這わせるせせらぎが、ぽつりとつぶやく。


「赤音、言ってた。友だちとケンカしたら、あくしゅして仲直り。そしたらもっと仲良くなれる、言ってた」


 風が吹き込んでくる。朝のささやかなそよ風だった。花びらが揺れ、緑が踊った。


 刻鉄は目元をぬぐわないまま、青比呂と向かい合い、小さく笑った。


「……ありがとう」


 震える声で、今にもあふれそうな感情で、刻鉄は青比呂の右手を握り返し、青比呂も微笑を浮かべた。


「んじゃ、戻ろうぜ。もう朝ってことは……一晩中ケンカしてたのか、俺ら」

「だろうな」


 青比呂と刻鉄は共に苦笑を浮かべた。それを見てたせせらぎも、自然と笑みを浮かべていた。


「屋敷に繋がる階段は奥にある。崩落が起こるかもしれん、出るなら急ごう」

「上にはもう上がらないのか?」

「……ここまで破壊してはな。もう霊廟として機能しないだろう」


 だが、と刻鉄は付け加え、傷だらけになった岩肌と、草花に包まれた地面を見て静かに息をついた。


「この方が、この姿の方が安心して過去の魂も眠れる……そんな気がする」

「……そっか」


 二人は自然と目を合わせ、クスクスと笑う。もうあの夕暮れの帰り道には誰もいない。

 戯れていた時間もない。あるのは、今という現実だけ。

 草花が割れた岩肌から頭を出し、日の光を浴びていた。緑の葉が、風に揺られさざ波の様なコーラスを鳴らし、霊廟だった空間に静かな喝采を広げる。


「……あー……なんてかさ……」


 青比呂がそっぽを向きながら、やや顔を赤くさせ気まずそうに言った。


「何だ?」

「これは言っておいた方がいいかなって思ってたんだけど……」


 ちらり、とせせらぎを見やった。せせらぎはただ微笑をうかべたまま、こくりとうなずく。それに青比呂は小さく息をつき、わざとらしい咳払いをした後、刻鉄に向き直る。刻鉄はきょとんとしていたが、青比呂は視線を逸らしながらも、はっきりとした声で言った。


「た……ただいま」

「……」

「ほ、ほら! 微妙な空気になるだろう!? やっぱ言わなきゃよかった……」


 うつむき、笑みを隠していた刻鉄は顔を真っ赤にする青比呂に「そんなことはない」とつぶやき、


「こちらこそ……ただいま、だな。青比呂」

「……ああ」


 青比呂はうなずき、刻鉄が掲げた拳に握った自分の拳をこつんと合わせた。


 夕暮れには夜が訪れ、夜気は登った太陽に吸い込まれて消えていく。誰もいなくなった帰り道。もう二度と、戻ることのない三人で歩いた道に、


「じゃあ、行くか」

「奥から屋敷に繋がる階段がある。そこから出よう」

「シュークリームは?」

「気が早いなお前は……」


 歩き出した道が、花が添えられ草が泳ぐ道のりが、これから歩く道に変わった。



 続く


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