第36話 共に歩む、赤色の栄光
青比呂の体から昇る炎は、王室の空気を歪め熱気で黄金の風景をねじ曲げていく。
人型の火柱。青比呂の左腕に走った凹凸のないプレートが轟々と赤い揺らめきを灯し、左拳を強く握りしめるとその炎の高まりも一瞬で鎮火する。
火の粉が散った王室の中、刻鉄は残り三体となった影の騎士の奥で、警戒をあらわにしていた。
「バカな……そもそも『カタワラ』ではない状態で何故『ステイヒート』が使える!……いや、そもそも『ステイビースト』になる、だと……? 不可能だ、そんなことは!」
「そうか? お前が自ら『佇み』を生んだように、俺自身に今度は「マザーシグナル」を浴びせ続ける……内部から外に向かって」
刻鉄は「まさか……」と苦虫を噛み潰したような顔で青比呂を見据えた。
「アカジャク戦においてお前は『ステイビースト』を吸収した、と報告書に書かれていた。……その「ストック」を残していたのか」
青比呂は何も返さず、ただにたりと口の端を吊り上げた。その仕草に、刻鉄はわななき、首を横に振り「バカなことを……」とつぶやき、苦々しい顔で続けた。
「そんなことをすればただじゃすまない……。内側に残った『ステイビースト』が発する「マザーシグナル」で最悪自分が『佇み』に……『ステイビースト』になる。それをあえて……」
「もしものための切り札だったがな……意外にも上手くいったようだぜ」
刻鉄の前にいた影の騎士の一体が、青比呂へ突進した。盾を前にし、重量にまかせこちらを押し込むつもりだ。
そのスピードは見た目に反して速く、刻鉄との距離は目算で5メートルはあった間合いをわずか三歩ほどのステップで埋めた。
青比呂は構える間もなく突撃をまともに受け、盾のタックルで真後ろへと弾き飛ばされた。しかし、宙を舞った体は、左手につかんだ影の騎士の鉄兜ごと地面に着地し床を滑った。
共倒れになり重なった影の騎士と青比呂の体の間に、赤い光が生まれ、急速な勢いで膨張する。左腕のプレートが真紅に染まる。
「二体目!」
つかんだ左手から放たれる熱量で影の鉄は歪み、握った瞬間に砕け散った。影の騎士はそのまま霧に姿を変え、立ち上る炎に飲まれて消えていった。
「ありえない……」
刻鉄はむくりと起き上がる青比呂をにらみながら、唸るようにつぶやいた。
「こんな状態で、正気を保っていられるわけがない……」
「正気? そりゃそうだ。俺だってこんな危険な賭け、安全牌がない限り出たくはなかった」
青比呂は不遜な笑みを消し、残り二体となった影の騎士を視界の端に止めたまま、刻鉄を見据えて言う。
「お前は何も感じないのか。いや、聞こえないのか」
青比呂が静かな声でつぶやいた。刻鉄はその意味をしばし理解出来なかった。
どくん……と、まるで胎動のような鼓動が王室を揺らして、その景色さえも揺るがした。
刻鉄は『王の剣』を構え、影の騎士の二体は刻鉄の左右に着いた。
どくん……と、再び聞こえる胎動の音。刻鉄は左右に視線を飛ばし、警戒の念を張り巡らせるが、見当たるものは、立ちはだかるものは、ただ立っているだけの青比呂一人だけだった。
「お前、肝心なところでミスしたな」
青比呂の言葉と、青比呂の視線の先を見る。そこには刻鉄本人……ではなく、今まで以上に赤く点滅する髑髏の柄があった。
まるで救急車が回すランプの様にめまぐるしく光る柄に、刻鉄はふと顔を上げた。
「さっきの……あの時か……!」
青比呂が磔刑の幻術に倒れた時、起き上がる瞬間、青比呂は左手で『王の剣』の柄に触れていた。
「貴様、何をした!」
「特にこれといって、何も? ただ……」
ふん、と鼻で笑い、肩をすくめる青比呂はかすかに目を細め、
「……助けに来たぞってな。俺を安定させてくれる存在がいなきゃ、こんな危険な真似は出来ないぜ」
そうつぶやくと、青比呂は左拳を握り、体を包む炎を更に強く、大きく炎上させた。
「助けに……? 『器』を?……せせらぎを、か? ここまで来て、下らんジョークを……」
苛立ちを含み始めた刻鉄の言葉が途中で止まる。
王室に確かに響いた。みしり、とぶ厚い鉄がひび割れる様な音が。
刻鉄は、ゆっくりと自らが手にする『王の剣』の柄を見下ろす。
「……何だと……」
赤い髑髏に、かすかにではあるが、亀裂が走っていた。それが、一つ、二つ、また一つと増えていく。
「何が……『器』が……」
「『王の剣』とやらの設計ミスじゃないのか? その赤い髑髏が『器』の象徴ってわけか……」
「何故……バカな、計算に間違いはなかった。問題なくアカジャクのパワーを……『器』として出来上がっていたせせらぎに移植させたはず……」
「出来上がっていた……?」
刻鉄の言葉に、青比呂は皮肉な笑みを浮かべた。
「それは完全にただ赤音のパワーだけを移植するためだけに、ってコンセプトでだろう?」
「そ、そうだ! アカジャクの中にある新垣赤音のパワーの受け取り皿として作っただけの存在だ! 言葉も特に必要ない、寿命など適当でいい、ただの入れ物であればいいだけだ!」
「それが……お前のミスなんだ」
二体の影の騎士が同時に青比呂へと斬り掛かる。それと同時に、青比呂が一歩前に足を踏み出した。どん! と床を踏みたたいた靴底から炎の津波が向かい来る影の騎士二体の上空まで登る。
間欠泉の様に吹き出した熱の波に一体の影の騎士は飲み込まれ、床を焼いて炎が消える頃には文字通り影も形もなくなっていた。
一方、回り込んで回避したもう一体の影の騎士は剣をかざし青比呂の左腕を狙い横薙ぎの一閃を繰り出す。
それを青比呂は、凹凸のないプレートになった皮膚で、ガチンと金属音を響かせ受け止めた。わずかに苦痛の表情を浮かべるが、プレート状になった皮膚には傷一つついていなかった。
影の騎士は一歩下がり、青比呂ののど元めがけ剣先を突き出す。青比呂はそれを前に出て体を傾ける。わずかな差で剣の切っ先が、プレート状になった皮膚の上に火花を散らし、突きは空振りとなった。
「このぉぉ!!」
青比呂が腰を回し左の燃える拳を影の騎士の甲冑へと叩き込む。屈強で大きな体躯を持つ影の騎士の鎧はびくともしない。だが、拳が直撃した脇腹付近は熱で甲冑は貫通され、青比呂の手首まで飲み込んでいた。
ぐらり、と影の騎士が足を折り、倒れていく。その重たい体が、内側からわき出した炎で包まれ、灰となって消滅する。
「刻鉄……お前はさっき言った。「完全に体の一部となる」って。取りこぼしはなくなる……ってな。つまりは全部が全部を一切合切吸収したんだろう?」
浅く息を途切れさせ、青比呂は刻鉄へゆらりと振り返った。
刻鉄は未だ脈動を止めない赤い髑髏の柄をもてあましていた。王室を揺らす鼓動に、刻鉄は焦りを見せ始める。
「そうだ、あれだけのパワーを手に入れたんだ!そのために計算され設計された器なんだ!」
またみしり……と赤い髑髏に亀裂が入り、別の亀裂へと繋がった。内側から光る点滅は、どんどんと加速していく。
刻鉄は舌打ちし、『王の剣』を両手に持ち、構えると青比呂に向かい走った。
正眼の構えから唐竹割りの一撃を、青比呂は燃える左腕のプレートで受け止める。
「そのため……の時点でもうその計算はなりってないんだよ」
左腕が火を噴いた。燃え猛る火炎が『王の剣』を弾き飛ばし、刻鉄は大きくバランスを崩す。
「お前の想定していた『器』はガーデニングにいそしむか?」
「……!?」
「シュークリームを食いに街に行きたいなんて言いだすか?」
「な……に?」
態勢を立て直した刻鉄は、自らが持つ武器の鼓動の大きさと、青比呂の言葉に、顔をこわばらせる。
「お前の知る器は、託された花園を大切に守りぬこうとする器だって計算にいれていたのか?」
赤く染まった左の拳を振り上げ、刻鉄へと打ち込んだ。素人同然のただの大ぶりの一撃である。だが、それを刻鉄は回避出来ず、『王の剣』の腹で防御するだけで精一杯だった。
「まさか……!?」
「せせらぎの中で、赤音は生きている」
拳を止めた剣を振り払うように、青比呂は強引に左腕を真横に振り切った。刻鉄のガードが崩れ、一歩、二歩と後退する。
「俺はさよならと言えた。せせらぎに背中を押してもらえた。そんな器を設計したのか?」
ビシリ! と、今までとは比較にならない、陶器が割れるような音が響いた。赤い髑髏に入った亀裂は大きく二つになり、それは目元から割れ落ち、まるで涙を流している様に見えた。
「まさか……不純物が混じっていた……『器』以外のものまで、せせらぎは何かを混じり込ませていた……!?」
点滅する光はどんどんと強くなる。その度に、髑髏の表面はひび割れ、内側からの光を外に漏らしていく。
「少なくとも、お前が思っている以上に、せせらぎは多くのものを得ていた。甘く見すぎていたんだよ。せせらぎに託されたものを」
「それが……『器』だけではなくなっていたとでもいうのか……!?」
刻鉄が防御に徹した構えを取る。青比呂は左拳に火炎をため込み、低く体を沈め、腹の底から声を張り上げ力の限り床を蹴り、刻鉄へと突進した。
「俺は、赤音の思いを受け継いだせせらぎを、最後まで守らせてもらうぞ!」
「ぐ……っ!」
突進する青比呂から遠ざかろうと、刻鉄はバックステップで飛び下がるが、かかとから火花を散らし靴底を火炎で押し出し走る青比呂はあっという間に距離をゼロにした。
「届けぇぇぇ!!」
青比呂の左の拳が、赤い髑髏に叩き込まれた。髑髏の表面が弾けて散り、そこからあふれ出る大量の花びらが王室の中に乱れ舞う。
花びらの暴風。淡い、桜色の花弁が赤い髑髏から流れ出し、飛び散り、吹き出し、洪水となって『王の剣』から解き放たれた。
「おおお!!」
青比呂の拳が、赤い髑髏の奥へと更にめり込んでいく。吹き出る花びらに押されそうになりながらも、歯を食いしばり、足をすくいそうになるほどの風圧の花弁の勢いを踏ん張り耐え、肘まで腕を押し込み、
「出てこい、せせらぎ! 俺が……俺がお前を守ってやるから!!……俺に、守らせてくれ!!」
青比呂の腕が髑髏の柄から引き抜かれる。その手には、小さな手が握られていた。
小柄な、しかし髑髏の大きさには収まるはずのない少女の姿が、無数の花びらと共に『王の剣』の柄から引きずり出された。
髑髏は完全に弾き割れ、花弁が咲かせた花火によって霧散する。
「ぐう!?」
刻鉄は手にした『王の剣』に起きた衝撃に耐えきれず、『王の剣』を手放しその場から大きく飛び退いた。『王の剣』は勢いで地面を滑り、回転しながら刻鉄を追うようにしてその足元へと転がった。
花びらは王室の床すべてに舞い降り、黄金の部屋を柔らかな花の輝きで埋め尽くした。
ひらひらと舞う花びらの雨の中、せせらぎの体を腕に抱き、青比呂はふう、と小さく息を落とした。
ぴくり、とせせらぎのまぶたが動き、ゆっくりと目が開かれる。
「遅れてすまなかった」
開かれたせせらぎの目に映った青比呂は、ややくたびれた顔で笑っていた。
「ど、う……して」
せせらぎから、かすれた声が漏れる。声は小さくても、青比呂にはしっかりと聞こえていた。
「間違ってなかったってよ」
「……え?」
せせらぎの顔にはまだ、戸惑いの色が強く残っている。
「すいげつって人が伝えてくれって言ってた。自分は、間違って無かったって」
「すい、げつ……」
その名前を聞いたせせらぎは、両手を握り、「そう、か」と小さくつぶやく。顔色に、段々と血色が戻りつつあった。
「知ってる人、なんだろ」
「私より、先にいた人」
せせらぎは目を閉じ、かすかに微笑んだ。その口元に、ひとひらの花びらが落ちる。
「間違いじゃ、ないんだ……」
声にはまだ張りはないが、せせらぎの体に体力が戻りつつあった。
「なあ……何が、間違いじゃないんだ?」
せせらぎの顔に落ちた花びらをとってやり、青比呂はくすぐったそうにするせせらぎに聞く。
それにせせらぎは、一瞬視線を青比呂から逸らしたが、しかし花の雨の中で青比呂を見上げ、はっきりと口にする。
「……
その言葉に、青比呂は「そっか」と苦笑した。
「はは、だったら間違いも何もあったもんじゃない。お前は最初から正しい」
腕からせせらぎをそっと地面に下ろし、せせらぎは自らの足で床に立つ。その頭を、青比呂はぐりぐりと乱暴になでる。
「お前はあんな立派な花園を一人で守り抜いてたんだ。大したやつだよ」
せせらぎは一瞬虚を突かれたように目を丸くし、やがて目を細め、一粒の涙をこぼした。
「でも、赤音死んだ。私、どうしようもなかった。何もできなかった。そんな自分が嫌だった」
たとえそういう設定に作られていたとしても。
青比呂はせせらぎの頭を自分の胸に抱き寄せた。肩を震えさせるせせらぎは、そんな風に作られた自分を恨めしく思っている……嗚咽混じりの泣き声が、青比呂にそう思わせた。
「おんなじだな……俺ら」
せせらぎが顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て、青比呂はせせらぎの涙で頬に張り付いた横髪を指先ですくい取り、つぶやく。
「でも、俺はお前まで失ったら、本当に何も残らない」
そっとせせらぎの左手を手に取り、片膝を突いてひざまずく。
床は不思議と固くなかった。むしろ柔らかく、暖かかった。それは舞い降りた花びらのカーペットのためか。
「赤音の影じゃなく、お前だけを守らせてくれ。これからも、ずっと、何度でも何度でも」
「青比呂……」
「お前が俺を前に進ませてくれた。赤音はもういない。それを教えてくれたお前を。今度は俺がお前を連れて行く」
自然と、自分の口元がほころんでいることに青比呂は気がついた。それは、せせらぎがかすかに笑みを浮かべていたからか。
「シュークリーム、食いに行くんだろ」
「……うん!」
せせらぎから涙がこぼれ、笑顔もこぼれる。微笑みで涙は断ち切られた。
青比呂はせせらぎの左手の薬指にはめられた指輪を見つめ、そしてまっすぐにせせらぎの目を見てはっきりと言葉を口にした。
「ここに誓う。この指輪に誓う。生涯をかけて、あなたを守り抜くことを」
青比呂はせせらぎの指輪に唇を添えた。
周囲を囲んでいた花びらが、ふわりと浮かび上がり、赤色に染まっていく。
夕暮れを連想させる景色の中で、誓いは果たされた。
しかしこれはあの日の帰り道ではない。これからくる夜を越え、朝を迎えるための夕暮れ。
そのための赤だった。
花びらが赤に燃え広がり、離れていた刻鉄の目の前にまで迫ってくる。
「……『王の力』が……これで終わるはずがない……!」
火花となった花びらを柄のなくなった『王の剣』で振り払う。しかし、紅蓮の花に包まれた二人には近づけなかった。びりびりと、肌で感じていた。
「正式な契約が成されたか……これで、あの二人は初めて正式な『ウタカタ』と『カタワラ』となる……か」
青比呂の左腕や額、首筋にあったプレート面が燃え上がり、青比呂の指輪に輝きが灯り始める。
指輪は瞬時に茎へと姿を変え、腕を包み、大きなかぎ爪状の花弁を生み出した。その大きさは人間大はあった。
花弁は赤く、燃えるような色をしていた。その姿はチューリップなどを思わせるが、尖った先端はもっと鋭利なものだった。閉じた花弁は肘を中心にして伸び、「盾」というよりも「槍」を思わせるシルエットだった。
その「槍」が、閉じていたかぎ爪状の花弁が開かれ、半身を覆う「盾」となった。パラボナアンテナのように広がった花弁は、どんなものも受け止め、包み込もうとするような大きさと広さを持っていた。
「変形した……? これは、『防御領域』? でも、『ミヤマヨメナ』じゃない……?」
せせらぎが側に立ち、青比呂の腕に咲いた『防御領域』にそっと手を添えて言う。
「もう、赤音からの花は必要なくなった。これは、青比呂自身が咲かせた花」
「俺が……咲かせた花……」
つぶやく青比呂に、せせらぎはかつて赤音から聞かされていた知識の中にある記憶を引き出し、言葉にして伝える。
「そう。この花の名前は、『グロリオサ』。花言葉は、『栄光』」
続く
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