第35話 フレイムオーバー
「うおおお!」
青比呂がうなり声をあげ、刃を構える刻鉄に殴るかかる。刻鉄の持つ剣……『王の剣』の刃渡りは70cmはあった。人間の腕の長さは成人男性でもせいぜい60cm程度。刃物を構える相手に素手で……自ら飛び込むのは自殺行為にも等しい。
「いくばかの戦いで経験が活かされるかと思いきや……情けないぞ、青比呂!」
刻鉄は右手に剣を持ち、手のひらの中でくるりと半回転させる。青比呂の拳が交差する寸前で、踏み込みかけた青比呂の足が浮いたまま停止する。
「……!?」
体重を乗せ、思い切り拳を打ち出す態勢になっていた途中のモーションで、青比呂の体は固まっていた。
刻鉄は青比呂に向けていた『王の剣』の赤い髑髏のついた柄をすっと下げると、左の拳で青比呂の腹部……みぞおちへと深く重い正拳突きを撃った。
「……っが!」
固定されていた青比呂はその一撃で硬直から解け、真後ろにたたらを踏み、よろめいて尻餅をついた。みぞおちに突き刺さった一撃は内臓をえぐるような衝撃を与え、嘔吐を招いた。胃液が喉の奥を焼きながら逆流し、酸の臭いが鼻の奥をつんと刺す。
「ぐ……っそお!」
奥歯を食いしばり、青比呂は再び立ち上がって突進する。右手を大きく引き、振り上げた拳を刻鉄の顔面めがけ振り下ろそうと全体重を前に投げ出す。が。
「見るに耐えん」
またしても、赤い髑髏の柄が青比呂の顔の目の前に突きつけられ、投げ出したはずの体重までその場に固定される。その踏み込んだ足を、刻鉄は無造作に下段蹴りで払うと青比呂は派手に横転する。青比呂は肩から床に強く体を打ち付けた。
「ろくな訓練も積んでない上に武装した相手に丸腰で挑む……それも格上の相手に、だ。そこにセオリーなど皆無。いい加減降参しろ」
刻鉄に見下ろされながら、青比呂はまたしても立ち上がる。息が切れ始め、消耗の色が見えだした。
「その柄……何かあるな」
「当然だ。これも『王の力』の一つ。民は王に絶対服従する義務がある」
今度は横に飛んだ青比呂に刻鉄は動かないまま、視線だけで追う。青比呂は剣を持たない左側に回り込んだ。動かない刻鉄にそのまま突進する。
「無駄だというのが」
青比呂が腕を伸ばし、つかみかかろうとする。刻鉄を取り押さえるつもりだ。取っ組み合いになれば互いにもつれ合い、隙が生まれる……青比呂はそう考えた。
しかし、それは所詮、ケンカもろくにしたことのない平凡な少年の浅知恵だった。
「分からんのか!」
刻鉄は左拳を固く握り足を瞬時に肩幅に開くと素早いショートパンチを青比呂の顔面に跳ねさせた。
「ぶッ!?」
青比呂の突進はそこで止まった。大した威力ではない。ただ拳をスナップさせ顔面に当てただけのジャブだった。しかし、狙いはジャブ自体を当てることではない。
青比呂がジャブの衝撃で一瞬頭が真っ白になった時間が狙いだった。その間、刻鉄は腰をひねり、『王の剣』を持った右手をストレートの要領で腰を回し青比呂の顔面寸前で止め、柄を突きつける。
「……ッ!……ッツ!」
「どうだ、まともにしゃべることすら出来まい。これが『王の力』の一つ、『絶対服従』だ。行使された者は『王』に絶対の服従を誓い、屈服する」
真っ赤な髑髏の柄をなでるように指を這わせ、刻鉄は『王の剣』を下ろす。同時に青比呂の硬直が解かれ、青比呂は数歩下がりまたしても尻餅をついて倒れた。
「これで分かっただろう。お前に勝機はない。くだらない抵抗は止めるんだ」
あくまで説き伏せる刻鉄の言葉に、青比呂は何も返さず、息を荒くし膝を立て、震える足で体を支えながら立ち上がった。
「……どうやら、徹底的に教え込まないといけないらしいな」
刻鉄は『王の剣』を両手で持ち、剣の腹を額に当てる。
「ここから先はいかなる聖人でも通り抜けることは不可能だ」
刻鉄の言葉を皮切りに、青比呂の両腕が意志に反して外へと引っ張られた。咄嗟の事態に青比呂は身をよじろうとするが、肩から先が麻痺したかのように動かない。
「ぐう!」
今度は言葉の自由はききそうだが、胸筋の筋までもが切れそうなほど引っ張られた腕がミシミシと軋み、これが何かと問いただす余裕さえなかった。そしてその腕が、強引に真上へと吊り上げられる。
痛みは更に増し、青比呂は宙づりになる。腕を縛るものなど何も見当たらないというのに。それを振り解こうと体をよじるが、両足も何かが巻き付いたかのように固定され、青比呂は空中で完全に自由を奪われてしまった。
「く、くそ……ッ!」
「これも『王の力』の一端。お前は罪を犯した。『王』に逆らった反逆罪、よって磔刑に処す」
どん、という衝撃が体を揺さぶった。胸から背中を突き抜けるような振動が走り、それが一体何なのか、一瞬のあまり分からなかった。
気がつけば、ぼとぼとと、足を伝い血液が大量にこぼれ落ちている。宙につるされた自分の足元には、血だまりが出来ており、そこに赤い池が波紋を作っていた。
「え……」
それがまるで他人事のようだった。血液、といっても作り物のようで、実感がわかない。ワインでもこぼしたのか、そう思った方が自然だった。だが、血液の出所を目で追ってみる。
足は血まみれ、腰は血だまりになり、そして、胸には大きな穴が空いていた。
穴は綺麗に肉を、心臓をえぐり取り、背中まで貫通していた。吹き出る血液は湯水の如く、とどまることを知らなかった。
「あ……ああああ!!」
悲鳴が喉の奥から上がった。体中が恐怖に震える。支配される。これは、考えてはいけないものだ。意識を反らせ、と思っていても出血は止まらない、何よりももう、生きていくために必要な臓器がなくなっている。
その事実が、青比呂の思考を死の虜にした。
「……これが現実のものなら、俺も吹っ切れていたかもな……」
耳にかすかに届いた刻鉄の声が、青比呂の麻痺した意識の中ににじんでいく。
固く冷たい床の感触が、体に広がっていた。びくり、びくりと筋肉が痙攣している。頭が全くまともに働かない。
「今見せたものは幻術の類いだ。ただし、実行しようと思えばいつでもお前をまた磔刑にすることが出来る。今度こそこれが最後だ。俺の軍門に下れ、青比呂」
どうやら今、自分は仰向けになって倒れているらしい。すぐ側で刻鉄が立ち、耳元に『王の剣』を突き立てた音が聞こえた。
次第に意識が戻ってくると同時に視界に映る映像にも意味合いが生まれ始める。
青比呂は、死の恐怖のあまりに涙を流していた。がくがくと膝は震え、まだある心臓は膨れあがり激しく脈打っていた。
呼吸が追いつかない。酸素が足りない。いくら息を吸っても、肺がすぐに二酸化炭素としてはき出してしまう。まだ頭にもやがかかった状態で、しかし青比呂は仰向けに倒れていた体をよじりながら、起き上がろうとしていた。
「こ……く、てつ……」
視線が定まらない。ぼんやりとこちらを見下ろす人影を見上げながら手を伸ばし、その腕をつかみ取ろうとする。感覚が戻りきってない手のひらが、赤い髑髏に触れた。
「もういい……これ以上、醜悪なものを見せるな」
「こく……てつ……」
笑う膝を支えに立ち上がりながら、朧気な目を刻鉄に向けた。その目にはもはや活力はなく、消耗の色が強く見えた。顔も真っ青で、精気が宿っていない。
ゆらり、と崩れそうになった体を危なげな足取りで立て直し、大きく息を吸い込み、ゆっっくりとはき出した。
「落ち着いたか」
うつむいたままの青比呂の肩に刻鉄が左手を置く。
「で、だまし討ちの準備も整ったのか」
赤い髑髏を突きつけられ、顔を上げかけた青比呂は握った右拳を突き上げる寸前の姿勢で固まった。
刻鉄は一歩下がり、苦笑を浮かべた。
「全く、お前の執念深さには頭が下がるな。いや、ここは一途さと言おうか。そこまでして俺が気にくわないか?」
動かない体を震えさせる青比呂の目は、先ほどまでとは別人のようにぎらついていた。視線だで鉄板さえも貫通出来るのではないか……そんな気迫がこもっていた。
それに刻鉄は小さく嘆息し、突きつけていた柄を下ろす。青比呂を縛り付けていた硬直が解け、体が前に投げ出された。数歩飛び出す形で刻鉄を横切り、前のめりに倒れた。
「無様だ。俺には理解出来ん……何故そうしてまで逆らう。許せないからか? 仇だからか?」
息を途切れさせ、咳き込む青比呂はそれでも呼吸を整えようと泡を吹きながらも深呼吸を繰り返し、体をなだめていく。喉に詰まる息苦しさをはき出し、青比呂はやっとの思いで立ち上がった。
「……困るんだよ」
肩越しに振り返り、歯を食いしばって刻鉄をにらみつける青比呂は、左の拳を握りしめ、唸るように言った。
「そんな情けないままのあんたでいてもらっちゃ……赤音になんて報告すりゃいいか困るんだよ」
「情けない、だと」
刻鉄を包む気配に険しいものが混じり始める。柄の赤い髑髏が鈍い光を放ち始めた。
「あんたは昔から勉強もスポーツも何でも完璧で、俺も赤音も、あんたのことが大好きだった。だが、今の姿は何だ……。今のその様は」
ゆっくりと振り返り、青比呂は左拳を掲げわななかせる。それに呼応するかのように、『王の剣』の髑髏の柄が、赤い灯りを強くしていく。
「青比呂……お前の言っている言葉の意味が分からん。圧倒的に押されているのはお前の方なんだぞ」
「勝ち負けの問題じゃない……仮面に頼った次は今度は『王の力』か。いつから自分の足で立てなくなった」
刻鉄はふと手にした『王の剣』の柄の光に気がついた。灯る光は徐々に強くなり、微弱な点滅を繰り返し始めていた。
「……青比呂、お前……何かしかけたか」
「さあな。だが、その『王の力』ってやつ……完璧な力ってわけじゃなさそうだ」
青比呂が無造作に歩き出し、間合いを詰める。刻鉄は舌打ちし『王の剣』を構え、今度は剣の切っ先で円の字を中に描き、切っ先を床に突き刺した。柄に手を添え、眉間に深い皺を作る。
「これだけは使いたくなかった……だが、お前を止めるにはこれしかなさそうだ」
突き刺された剣の影が、四つに割れた。四方に伸びた影は刻鉄の前に滑り込み、防壁のように並ぶ。
「これも『王の力』の一つ。『王』には常に身を守る護衛がいる。お前に突破出来るか」
地面にうずくまっていた影が、ガチャリ、ガチャリと金属音を立てて地面から這い上がり、立体化していく。平面だった影を突き破り、ぶ厚いガントレットが飛び出す。
鉄兜が突きだし、体を纏う甲冑が軋みを上げて組み立てられ、鉄のブーツが床を砕く勢いで地面に突き立った。
「護衛、ね……そのご立派な騎士様たちが、お前の手札か。……だがな」
薄暗い影で出来た鎧兜で身を包む四つの影が、刻鉄を囲む形で出現した。それには生命の気配など感じられず、機械のように感情もなく、手にた両刃の剣と盾で青比呂を捉えていた。
並んだ四つの影には呼吸もなく、付け入る隙も見当たらない。
生物ではない。本当にこれはマシーンなのかもしれない。青比呂はそんな印象を持った。
影の騎士の一体が、予備動作なく地面を蹴り青比呂に向かって斬りかかった。盾で身を隠しながら右手の剣を引き、突きの態勢を取る。
「聞こえたんだよ。……あいつの声が」
影の騎士の突きが、青比呂の体を捉え繰り出される。突進から体重をスムーズに乗せた、見本のような突きの一撃だった。左に避ければ、すぐさま刃は横薙ぎの一閃に変わり首を落とすだろう。
右に回避出来ても左手の盾で押し出され、よろけた隙に再び剣の突きで串刺しにされるだろう。
それに青比呂は特に動くことなく、ただ握ったままの左の拳をぶらりと揺らし、
「だから……邪魔するな!!」
刻鉄は青比呂の声と、そして手に握る『王の剣』の柄が光ったことに気を取られ、目の前で何が起こったかを確認し損ねた。
轟々と。
影の騎士の剣は炎に飲まれ、それでも勢いを衰えさせない火の津波は、騎士の甲冑を飲み込み火柱となり、影の鋼鉄は溶解していく。影は煌々と燃えさかる熱風の気流に切り刻まれ、色も形もなくなっていった。
「……な、に?」
青比呂の左拳には、凹凸のないプレート状のものが張り付いていた。それが、炎を発し、青比呂の左拳を燃やしている。
「逆なら……って、考えたんだ」
青比呂の額に、プレートの皮膚が浮かび上がり、それが首元、左腕の裾から覗く腕と、亀裂のように走り現れ始める。
「『ステイヒート』を多用しすぎれば自分が『ステイビースト』になってしまう……なら、『ステイビースト』になれば、『ステイヒート』を多用できるんじゃないかってな」
青比呂の髪が赤く染まっていく。髪の一本ずつが火で包まれ、左腕はほとんどが凹凸のないプレートとなり、袖を燃やしていた。それを、青比呂は無造作に破り捨てる。引きちぎられた布は地面に着く前に灰になり、粉微塵へと消えていった。
続く
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