第32話 仮面の告白



 アカジャクとの決戦の余韻は、青比呂が気を失った後も空気を干からびさせ、肌にひりつく熱気をもたらす空気を漂わせていた。


 横たわったアカジャクの死体を側に横たわった青比呂の体を、せせらぎがそっと抱き上げ、膝の上に乗せた。


「お前、頑張った。ちゃんと、自分と向き合った」


 かすかな息を漏らす青比呂の顔を眺めながら、せせらぎは目を細め、傷だらけになった青比呂の頬をそっとなでた。

 せせらぎは静かに微笑み、


「今度は、私が向かい合う番……」


 口が「ばいばい」と形作られ、そっと青比呂の体を離した。温もりをいつまでもその手に覚えていられるように。感覚をいつまでもその体に抱きしめていられるように。名残惜しく、未練のようにも見られるように。


「とにかく本部と連絡を取って! あとそれから怪我人の緊急搬送を真っ先に! 引いていった『ステイビースト』はこの際放っておいて構わないわ! それと……」


 慌ただしく人が行き来する本部の前で、川上はふと辺りを見渡す。


「……せせらぎ? どこ行ったの……? さっきまでここにいたわよね……」




第32話 仮面の告白




 夏の暑さなどどこへ行ったのか。

 屋敷内を走り周り、花園へと出たのに、体はどんどんと冷えていくように感じた。

 血が、なくなっていく感覚だった。どんどんと体温が奪われる。脳裏をよぎる、嫌な予感に体温が奪われていくのが実感として体力をも削っているように思えた。


 勝手口から花園に出て、青比呂は花園の真ん中に立ち叫んだ。


「刻鉄、どこだ!」


 辺りを睨み、周囲に気を張り巡らす。そこでふと、辺りの雰囲気がいつもの花園の景色と違う気配を感じ取った。


「……花が……」


 側に並んだ花壇の側にしゃがみこむ。花は力なく首を折り、葉は茶色く変色して地面へと垂れ落ちていた。


 改めて花園を見渡す。

 全ての花がそうではないが、大半の花が、枯れかけの状態になっていた。


「そんなに花が大切か?」


 どこからか、空からか、地面からか、四方から響いてきた声に青比呂は戦闘態勢を取った。


「刻鉄! どこにいる! 一体何をしようってんだ!」

「慌てるな。すぐにお前を迎え入れる。そのまま動くなよ」


 ゴトン! と、大きな地鳴りが青比呂の足元で鳴り響いた。地震か、と咄嗟に身を伏せるが、側にある屋敷は揺れていない。ざわざわと枯れた花々が花弁や葉を散らしていき、地面に亀裂が走り始める。


「な、何だってんだ!?」


 花園が、丸々と円形に切り取られ、地鳴りと共に地面が沈んでいく。亀裂はあらかじめ花園の周りを取り囲んでいたのか、地面はあっさりと下へと落ちくぼんでいく。花園が、エレベーターになったかのようだ。


 花園はぽっかりと空いた夜空を高く仰ぐ天井に見せるまで下に落ち、地鳴りは収まった。

 花園が落ちた先は、淡い緑色にくすんだ岩肌を持つ、ドーム状の空間が広がっている。広さはかなりのものだった。巨大な洞窟……と言えるだろうか。青比呂はあまりの出来事に頭が着いてこず、言葉一つも出てこないでいる。


「驚くのも無理はないだろう。話す順序をつけるべきだったな」


 岩の空間に知った声が響く。こつこつと、固い靴音が聞こえ、青比呂は屋敷のあった方向へと向き直った。そこには、奥が見えないほど暗く長く続く通路が作られてあった。


「ここは代々霧島家が管理してきた霊廟だ。先祖を奉り、時には力を借り、「盾の戦士」として原点を見直し、その在り方を考え直す神聖なる場所……礼拝堂のような場所だとイメージしてもらえればいい」


 コツン、と固い靴音が止まる。鉄の仮面は淡々と言葉を綴り、まるで神父のようにこの空間……霊廟に現れた。


「刻鉄……!」


 青比呂の血液が、引き下がっていた差分を引き上げるように沸騰し、体が熱く加熱する感覚を固く握りしめた拳の中に震わせ、足元はすぐにでも駆け出そうと地面に靴底をこすりつけていた。


「そうにらむな。全て話すさ。ただし、お前が混乱しないよう、順を追って話す。故にすぐに答えには返せない場合もある。それを承知してくれ。全てはお前が納得出来るために、だ」


 言葉使いはいつもの落ち着いた、丁寧で柔らかい物腰の声であった。

 しかし、仮面から覗く目は、青比呂を視線だけでひたりと制した。あれだけわき起こっていた熱量が、びたりと停止し、凍り付いてしまう。

 まるで正反対の、矛盾した言葉と視線に青比呂は動くことが出来ず、言葉も上手く紡げなかった。


「焦る気持ちは分かる。そして。その間に話をしようというのだ。折衷案だ」


 声はやはり柔らかなままだった。だが、射すくめられた視線からは逃げられない。青比呂は火を飲む気持ちで唸る声を殺し、無言でうなずいた。


「助かる。そして青比呂……。お前は『神威』を……「盾の戦士」をどのぐらい知った?」


 ふと視界の端が明るくなった。淡い緑色の光がぼんやりと霊廟の中から漏れるように広がり始めだした。青比呂は周囲を警戒する。


 緑にくすんだ岩の壁が、ぼんやりとした光を発し始めていた。

 その光はまるで蛍の光のように柔らかく、儚く、しかし徐々に光度の強さが上がってきていた。


「この岩肌は特別製でな。細かい解説は省くが、スクリーンモニターのような役割を果たす。これも祖先の残した霊廟の機能の一つだ。俺たち「盾の戦士」が常に自分を……本当に「守りの戦い」を忘れない、と自戒の念を忘れず、取り戻すために、な……」


 言う刻鉄の声に、若干の陰りが入り込んでいた。しかしそれもすぐに消える。


「正直、俺はお前がここまで戦える戦士になるとは想像もしていなかった。その浅い考え……友人として、どうか詫びさせてほしい」


 その声は、憂いを帯びている様に聞こえた。刻鉄からの視線には冷たいものはなく、まっすぐで、ひたむきなものに変化していた。その実直さに、青比呂は戸惑った。刻鉄の目には、何の混じりけのない、誠意が感じ取れたのだ。


「そして見てほしい。俺たちの……「盾の戦士」の行方を」


 緑色の光が強くなり始める。緩やかに光度は加速し、岩肌には砂嵐のようなものが現れ始めた。

 それが、最近のテレビなどでは見られなくなった、「フィルムの砂嵐」だと気づく時には既に、結果が出ていた。


 人が、人の姿が映っている。何人もの人間がいる。それも、何かに向かって進み……いや、進軍している、と言えた。

 岩肌に映り込んだ人々は、見たことのないような武装に身を包み、手には武器と思わしきもの……分かりやすいものでは剣や槍、弓矢などを手にし、何かに向かって唸りを上げ突き進んでいた。


 何故、そんなものを掲げている? 何に対して、そんな武器を向けている?

 人々が向かう先が、岩肌に浮かび上がる。


「……ッ!」


 青比呂は息を飲んだ。何だこれは。この悪趣味でB級エンタメのような動画は。

 人々が向かう先にいるのは、言いようもない姿形をした、禍々しい「何か」だった。

 かろうじて人の形に近い「何か」もいた。だが、それは向かい来る人間の大きさとは比べものにならないほど大きく、果敢か、勇敢か、無謀か。挑みかかった人間を巨大な手で握りつぶすと大きな牙を持った口の中に放り込み、肉を咀嚼し始めた。


 人々は立ち向かおうとするものの、「何か」の群は圧倒的だった。あっという間に募っていた武装した戦士たちは蹴散らされ、食い散らかされ、後ろへと下がりつつあった。当然だ、見たことも聞いたこともないよな、「化け物」相手に剣や槍なんぞでどう戦えというのだ。


 しかし、後ろに下がる人間たちとバトンタッチするかのように前に出る人間たちが現れた。彼らは二組になり、前に出たもう一人が左手を掲げ、何かを叫んだ。


「……『防御領域』!?」


 岩肌に映った彼らが左手から放ったのは、青比呂の知る形とは違えど、確かに「盾」と呼べる障壁だった。その「盾」が、禍々しい化け物たちの進行を押しとどめる。「盾」はどんな巨人の拳が落ちようとも壊れず、どんな大蛇の突進にも崩れず、荒れ狂う百鬼夜行を食い止めていた。


 その隙に、後ろへと下がっていた人間の部隊は態勢を立て直し、「盾」の横から化け物たちを挟撃する。形勢逆転。化け物たちは徐々にだが押されていき、剣に、槍に貫かれ、鎚に潰され斧に砕かれ身をすりつぶされた。


 映像は、そこで静かにフェードアウトして行った。

 青比呂の背中には、冷たい汗があふれ、服がぐっしょりと濡れ肌に張り付き、気持ち悪意い嫌悪感を身に包ませていた。


「……い、今、のは……」


 ごくり、と乾いた喉に唾を通す。それだけでかなりの激痛を感じた。


「今のは、何だ。人間が……何と、戦って……いや、いや、そうじゃなく……」

「いきなりこんなものを見せられ混乱するのも分かる。お前が落ち着くまで待とうか」

「……」


 青比呂の頭にぐるぐると回る悪夢のような記憶の中、すくい上げられたのは、人間たちが一度下がり、それと同時に前に出た二人組の複数の人間だった。そう、左手を掲げ、『防御領域』を展開した彼ら。その左手の薬指には、自分と同じ指輪がはめられていた。


「さっきのは、何だったんだ……あの化け物どもは、まさか今更特撮だとかだなんてオチじゃないだろうな」

「ジョークが言えるぐらいには気が戻ったか」


 緑の壁に再び戦乱の様子が映し出される。また、見たこともない、形容しがたい姿を持った化け物たちに立ち向かう人間たちの様子が映っていた。


「これはいわゆる神話の時代だ。まだ神々がこの現世にいた時代、それに対なる存在もいた。鬼や悪魔、厄災や果てには邪神……日本神話に登場してないだけで、「それら」は当たり前に存在していたんだ」


 淡々と語る刻鉄の言葉に、青比呂は軽く首を横に振って苦笑いを浮かべた。


「順を追って話してくれるんじゃなかったのか? いきなりぶっ飛んだ話になったぞ、おい」

「飛躍してはいないさ。後は知るとおり。神話通り神々が活躍し、英雄たちが平和を勝ち取り、歴史は守られた。その影に、そんな存在がいた、と言うだけの話だ」

「……」

「だが、その中に見たはずだ。俺たちのよく知る、よく見たものと同じ力を」


 丁度そのことを頭に思い浮かべていた時だった。青比呂は図星を突かれたようですぐには口に出来ず黙り込んでしまう。


「俺たちの先祖の「盾の戦士」はそんな昔から戦っていた。だが……あの戦いを一瞬でも見たのなら分かるだろう。出来るのはせいぜい時間を稼ぐ程度だ。微力すぎた」


 刻鉄が手のひらを開き、ゆっくりと指を折りたたんでいく。


「先ほどみせた「小競り合い」程度ならまだ耐えられたが、本格的な合戦になれば文字通り盾にもならない。相手も日々進化進歩していくのだ。悪辣に、悪質にだ」


 刻鉄の視線が、握りしめられる手の中に落ちる。横からは見えない視線は、それだけでつららを……いや、氷柱に閉じ込められたかのような極寒の寒気を覚えた。


「かつてあった戦いにおいて、「盾の戦士」はあまりに無力になっていった。守りに特化した性質、といえば聞こえは良いが、前に出ることは出来ない種族だ。日々激化する戦いの中、「盾の戦士」は徐々に戦列から遠ざかっていった」


 映像にはもう、『防御領域』を使う人間を見ることはなかった。それよりも見たことのない技術や術、なのか。様々な攻撃方法で化け物たちを攻撃していく人間たちは確かに成長し進化を遂げていたと言えた。


「俺たちの先祖の歴史は……ほとんど残されてない。伝承もなく、語り継がれる内容もなく、文献も物語さえも希薄だった」


 青比呂は聞いているだけでずっしりと重たい鎧でも着せられた気分になっていた。小さく息をつき、まだ落ち着かない気分を隠しながら刻鉄の横顔を見て言う。


「それがお前ら……現代の「盾の戦士」ってわけか」


 ゆっくりと、鉄の仮面が振り返った。


「ああ。霧島の家を中心にして、もうわずかしか残っていない、弱小の戦士だ」


 仮面の下では皮肉めいた笑いを浮かべているような言い方だった。しかしその気配もすぐに消え、だが笑みの気配だけは消えず……鋭利な側面だけは残し、言葉を形にした。


「しかし転機が訪れた。それはお前の妹……新垣赤音の存在だった」


 青比呂の表情がこわばった。冷えた体を火が一気に貫き、指先の毛細血管までにも熱が行き届いた。

 

「彼女の存在は革命的だった。その力、有り様、カリスマ、何もかもが『神威』に……「盾の戦士」に失われていたそのものだった」


 鋭利さが溶けるかのように、刻鉄の言葉は熱に浮かされたような高揚を見せた。


「俺たちには、『神威』には……「盾の戦士」には、彼女が必要だった」

「……なら、何故。二年前、赤音に自爆させるような状況を作らせた! その場の指揮官はお前だったんだろう、刻鉄!」

 

 青比呂の怒声が緑のドームに強く響いた。

 同時に。ほぼ時間差はなく、仮面の目に宿っていた熱が不意に冷めた。いや、冷めたのではなく、別物に変わった……青比呂の肌が総毛立ち、深海よりも深い底の知れない暗い瞳の暗さに悪寒が走った。


「ああ、そうだ。だからこその『セルフファイア事件』……いや。『セルフファイア』だった」


 刻鉄から発せられる気配には、もうあの頃の……三人で歩いた夕焼けの帰り道の面影はなかった。そこでやっとあの夢で見た違和感に気がついた。

 あの夢でも。アカジャクとの戦いの後、意識を失い垣間見た夢の中での景色にあった違和感。


 あそこにいた刻鉄は。並んで歩いていた刻鉄は。


 刻鉄は、夢の中でも仮面をつけたままだった。




 続く

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