第31話 演算乖離
はぁ! はぁ! はぁ! 自分の息の音だけがやけに大きく聞こえる。
「私は、ただ足止めを命じられただけ」
走る。走る。
息が途切れそうになるのを無理につなぎ、足がもつれそうになるところを無理矢理踏ん張った。
「何故かまでは分からない。ただ、直々の命令だった」
何故だ。何故……何故そんなことを……? お前が、そんなことを!?
「総帥……霧島刻鉄から、明日の朝まであなたを目覚めさせるなと命じられた」
はぁ! と息を吐き出し、霧島邸が見え始めた頃、青比呂は角を曲がる寸前で足を止めた。
「はぁ、はぁ……何だ、あの警備は……」
正門にはずらりと並んだ『カタワラ』や黒服の男たち。黒塗りの車はおそらく防弾仕様の特別製だろう。他には救急車なども停まっている。
川上が病室でこぼした言葉がよみがえった。
「私は従っただけ。理由までは知らない。だけど……」
青比呂は吹き出した額の汗をぬぐい、痛みと重たい体を引きずって、裏手に回り込もうと再び走り出した。息は喉を割くようにはじき出され、肺は破裂寸前だった。しかし、止まるわけにはいかなかった。
「急いで……。あの子が……せせらぎが、姿を消したわ」
□□□
コンテナを積んだトレーラーがゆっくりと鉄の箱である研究室棟の入り口へとバックで寄せられる。沢山のケーブルやポンプがつながれたコンテナが、ゆっくりと電動のスライダーで下ろされていく。
それを見ていた石木田は、ポケット瓶のウイスキーを一口舐めて眉をしかめる。
「……んだ? この臭い……」
コンテナの開閉スライドが開いた。同時に中身を冷やしていた液体窒素の霧が周囲を霧の煙幕に包まれた。
同時に、その霧を吸い込んだ石木田は顔をしかめさせ激しくむせて咳き込む。
「うお……! な、なんだこりゃ……!」
吸い込んだのは濁った空気だった。液体窒素の霧をかき分け手早くコンテナの中身を滑れ出させ、鉄の箱の中へと移動させようとする白衣のスタッフは皆、ガスマスクを被っていた。
石木田は鼻をつまみ、口を覆ってウイスキーで口をゆすいだ。
「うえ……こんなんで大丈夫なのかよ……」
コンテナから運び出されたのは、大きな担架に乗せられた、うずくまる巨躯。
焼け焦げ、かつては大地を刻んだ爪はもうひび割れており、炎を砕いた牙は特殊な加工が施された銀の鎖で巻かれ封じられている。
その物言わぬ「死体」に、もう動く事などない「死体」なのに、石木田は無意識に一歩後ずさっていた。
「うひ~……コイツが『王の力』をねえ……」
「そこをどいてもらおうか、若いの」
「死体」を無遠慮にじろじろと見ていた石木田の後ろからしわがれた声がした。石木田は「ああ?」と不機嫌顔丸出しでにらみ返そうと振り返ったが、
「聞こえなかったかね。どいてくれたまえ」
白濁した眼球に捕らわれた石木田は、その声の主の老人から漂ってくる「業」の気配に気圧され、無言で下がった。
白い目を持つ老人……恩行は白衣を羽織り、「死体」を見上げつぶやく。
「……アカジャク……いや、「ゼロ式」か。ここまでやられるとはな。あの少年も成長出来たものだ」
冷凍保存の冷気が漏れる中で、恩行は「死体」の……アカジャクの肉体の詳細が記されたカルテを、他の白衣を着たスタッフから手渡され目を通していく。その間、白衣のスタッフたちは計器やパイプなどをアカジャクの死体につなぎ、研究室棟内への搬入準備を始める。
「よし、三番ドッグへ運んでくれ。早急に取りかかる。……『王の力』を、『器』へと移すぞ」
□□□
七つある外壁の一番外、つまりは裏門に当たる箇所には比較的警備は手薄に見えた。
だが、見張りに立っているのは青年の『カタワラ』が三人。誰もが精悍な顔つきで、油断なく周囲に気を配っている。手薄とはいえ警備のレベルが低いわけではない。
(何なんだ、この厳戒態勢……何が始まろうってんだ?)
せせらぎ……どこにいる。
頭には嫌な予感しか浮かんでこない。具体的なものは想像出来ないが、それがより一層、不安をあおり立てた。
(くそ、どうにかしてあの三人の気を引かないと……)
青比呂が外壁の角から様子をうかがっていると、三人のうちの一人が無線らしきものを手に取り、なにやら短いやりとりを行っていた。定期連絡か何かだろうか。
連絡を終えたらしく、一人が他の二人に短く言葉を発すると、その三人は門をくぐって中へと入ってしまった。
「……?」
青比呂は唖然とする、というよりも、どう反応していいか分からなくなり軽いパニックになった。
今、裏門には誰もいなくなった。警備する人間がいない。これは、どういうことだ?
罠か。しかし自分が今ここにいると知られる理由はどこにあるのか。川上が知らせたのだろうか。いや、それは意味が無い。なら最初から病院にいる時点で応援を呼ぶなり出来たはずだ。通報するという回りくどいやり方をする理由がない。
なら、何かのトラブルか?
青比呂はそっと門の側に近寄り、観音開きの隙間から中を覗いた。そこからは、真っ暗な夜のとばりが降りているだけで、人影もなく明かりもなく、何の気配も感じられなかった。
「……どういうつもりだ……だが」
今は迷っている暇はない。なら、一か八か。賭けるしかない。
「トラブルであってくれよ……!」
青比呂は扉から身をすり抜けさせ、霧島邸の敷地内へと侵入した。
そこから六問目、五問目の門と警備らしいものはやはりなかった。これではまるで、辰彦の脱走と同じケースである。
それが、否応なしに嫌な予感に火を付け焦りを加速させる。
そして、とうとう青比呂は霧島邸の庭園へと出た。出てしまった。
「はぁ……はぁ……」
息が途切れるのは、体の不調を無理して走ったから、だけではない。この不気味なまでの警備のなさ。まるで誘い込まれているようで、大蛇の口の中に自ら進んで入り込んでいるような気分になっていた。
青比呂はひとまず現状は無視して花園へと向かった。藪と雑木林を突っ切り、裏庭へと飛び出た。
月明かりに照らされ、涼やかな風に花びらをなびかせる花々は眠っているように見える。
だが、そこにせせらぎの姿はない。
「……せせらぎ! どこだ!」
声を上げてみるが、返事はない。
それに取って代わるように、花びらが風にざわつき始め、花弁が夜空へと舞い、渦を練って一斉に夜空へと吸い込まれていった。その風圧に思わず青比呂は両腕で顔をかばい、視界の中で月夜に消えていく花びらたちをお見上げ、見送り、腕を下ろす。
「青比呂さん」
聞き慣れた声がした。
空から視線を前方へと戻した。とっさに構えそうになった青比呂は、声の主の姿を見て、びたりと体を硬直させた。
「……た、つ……ひこ……?」
花びらが呼び込んだかのように、花園に二つの影が立っていた。
「辰彦……すいげつ……」
どういうことだと、我が目を疑う。しかし、一人の青年と一人の少女がそこにいる。
風に揺れる花々が語っているかのように、朧気で、不明瞭で、目を離せば消えてしまいそうなほど儚い「映像」だった。
「俺たちは、間に合いませんでした……」
辰彦が苦笑めいた顔でつぶやいた。
「だからせめて、あなたたちはと思い、私はあなたに言葉を託したのです」
すいげつが歌うように言う。
「言ってください。彼女に。「間違いではなかった」と」
花たちが風にそよぎ、歌うように花弁を重ね合わせ揺らめいた。
再び花吹雪が舞い、それに青比呂は視界を覆われた。
「ま、待って……待ってくれ!」
消えてしまう。本能がそう感じた。このまま見えなくなってしまったら、二度と彼らとは会えなくなる。花びらの洪水の向こうに手を伸ばそうとする。だが、膨れあがる花弁の波は青比呂をの足を止め、顔にも吹きつけ、呼吸すら困難にする。
「俺には……俺は、何が間違いなのかが……!」
花びらの滝が落ちていき、その余韻を残すかのように、数枚の花びらが伸ばした青比呂の手の甲に落ち、微風に吹かれていった。
「……何なんだ……一体」
何もかもが置いてけぼりだ。事態ばかりが進んでいく。なのに、自分一人状況が飲み込めていない。
(落ち着け。冷静になれ。不都合には目をつむれ。現実だけに目を向けろ)
ふと、川上の言葉を思い出す。彼女は言った。足止めだと。
誰からか。
直々に命じられた。
それは、霧島刻鉄からだ、と。
「……何で、刻鉄は俺に足止めをさせた……? 刻鉄は、今どこにいる?」
青比呂はすぐにきびすを返し屋敷内へと飛び込んだ。土足のまま執務室へとひた走る。
その間誰にもすれ違うことなく、無人の屋敷を走り、執務室の前へとたどり着いた。
「刻鉄! いるんだろ、開けてくれ! 話したいことが……聞きたいことが……!」
ノックする勢いで叩いたドアが、その衝撃で開いた。ぎし……と、かすかに蝶番が軋む音がした。
「え……」
開かれたドアの向こう、執務室には誰もいなかった。ただ、部屋の中央にあるモニターの明かりだけが光り、光源となっていた。
「……刻鉄……?」
そっと中に入り、部屋を見渡しながらモニターへと近づく。部屋は相変わらず飾り気のないもので、隠れるスペースも何かを隠すスペースも見当たらなかった。
青比呂は乾いた喉を固唾で鳴らし、モニターの正面に回り込んだ。
モニターにはいくつものウインドウが立ち上がり、中には計算式やグラフ、その他自分では分からない専門的な用語で記されたスクリプトが始終ながれているものなどがちらばっている。
その中にふと、目に引っかかったものが青比呂の体をびたりと止めた。
「……『王の力』……『器』……?」
アカジャクが言っていた言葉だ。あいつがこだわっていたものだったということを思い出す。しかし、それが何故、刻鉄のモニターの中にある?
「そういえば……恩行のじいさんも……」
<『神威』において「製造」される「ホムンクルス」は『王の力』の『器』を目的とし制作されている>
その言葉が明確によみがえった。
「……「ホムンクルス」が、『器』……アカジャクでさえ手を焼いていた、『王の力』ってのを手に入れるためのものを形にするための……」
じゃあ、せせらぎは。
せせらぎは、何者だ?
ピピ、と不意に電子音が鳴り響いた。青比呂は半歩さがり左右を警戒するが、聞こえてきたのは音声で、声の主は意外な人物だった。
『青比呂か、遅かったな。途中で警備を解いてやったというのに、ずいぶん回り道をしたようだ』
声だけがモニターのスピーカー部分から聞こえ、それに青比呂は頬を伝う汗をぬぐわず、背中を濡らす汗も冷え、声が震えそうになった。
「こ……こく……」
『ああ、そのまま話してもいい。マイクにスイッチは入っている。ここまで来たと言うことは、おおかた真相には気づき出しているだろうな』
喉がすり切れるほど乾燥していた。息を吐き出すのもやっとで、青比呂はモニター前のキーボードにどん! と手を落とした。
「……真相って何だ。それより、せせらぎはどこにいる、刻鉄!」
『……』
「答えろ! いませせらぎはどこだ! どこへやった!」
『……彼女のついては、場を改めて話すとしよう』
「ごまかすな! 知ってることを全部話せ! あんたは……何をしようとしているんだ!」
これでは、まるで初めから変わらない……赤音の影を追いかけていた頃と、何も変わらない。
『ごまかそうとしているわけではない。ふさわしい場所を用意するといっているのだ。それに以前に言っただろう。せせらぎについて。「いずれ話す。いや、話す時が必ずくる」と。今が、その時なんだ』
ゆっくりと、諭すように言う刻鉄の声に、青比呂は首を横に振り、戸惑いの表樹をあらわにした。
「……何を言って……」
『あの花園へと向かってくれ。話はそこでつけよう』
通信はそこで一方的に切られた。同時に、モニターの電源が全て落ち、部屋は暗黒に包まれる。
出窓から差し込んで来る月明かりがかすかに部屋の輪郭を浮かび上がらせ、青比呂はキーボードに向けて思い切り拳を振り下ろした。
「……くっそぉ!」
派手に割れたキーボードはボタンを一つ一つこぼし、床にばらまかれる。それも、暗闇の中へと消える。
青比呂は執務室のドアを乱暴に開き、花園へと向かった。
続く
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