第28話 Dear
特に訓練を受けているわけではない。
「ぐうう!」
今も簡単に反撃を受ける。
「ま、だだぁ!」
振るう拳は素人同然。大きく振りかぶるだけで、落ち着けば人間でも誰でも対処出来る大きな動きだ。今も半身をずらしただけで、拳は空を切り、前のめりにつんのめった。
「こ、のぉお!」
気をつけるのは『防御領域』のみ。振り返りざまに裏拳のような動きで当てよとする。
しかし、動きはやはり素人。格闘のいろはもない。回避するのには何の苦労もいらず、ただ後ろへとステップをとるだけでよかった。
「逃がすかぁ!」
逃げるも何もない。追ってくる姿はまさに猪突猛進。ただ走ってくるだけだ。
「うぐ!?」
顎先めがけ、蹴りを飛ばす。勢いがそのまま跳ね返り、真後ろへと地面にたたきつけられた。
「ぐ……」
立ち上がろうとするが、脳しんとうを起こしているはずだ。すぐには立て直せない。
そう、何度も何度も、こいつは……新垣青比呂は地面にたたきつけられ、倒れた。倒された。
だというのに。
「……どうした、アカジャク」
まだ半身を起こすのがやっとの新垣青比呂が、うなり声を上げながら身をよじり、立ち上がろうとする。
「追い打ちはもうしないのか」
もう体はボロボロだ。見るまでもない。
打撲、骨折もしているだろう。内臓にもダメージはあるはずだ。
頭の皮膚も額も割れ、顔は血まみれだ。腕もざっくりと傷を作り、足にも無数の傷跡が赤黒い血で防護服を汚している。
だというのに。
「来ないのなら、こっちから行くぞ」
だというのに。
もう踏み込む足も沈みかけだ。突き出す右拳に勢いも重さもない。それを手のひらで受け止める。
それをそのまま、強引に引き抜く様にして地面から引きはがし、放り投げる。
「うああ!?」
二度地面を跳ね、重たい音と共に新垣青比呂は地面を転がった。
もう立てまい。もう立てまい。
だというのに。
この男を倒せるというビジョンが、全く頭に浮かばない。
「……どうした、アカジャク」
うずくまっている新垣青比呂の体から……傷口から、硝煙の臭いにも似た煙が漂い始める。
傷口が、炎で埋まっていく。裂傷に火が走り、血液は引火したかのように火を呼び体中を纏い始めた。
「また俺から行ってもいいんだな?」
第28話 Dear
どういうことだ、と残っていた『ウタカタ』や『カタワラ』、川上も戸惑っていた。
圧倒的に青比呂が押されている。
仕掛けるたびに反撃され、押さえられ、迎撃される。
しかし。
「……アカジャク、が……」
一人の『カタワラ』がつぶやく。上手く言葉に出来ないのであろう。それは見ている川上も同じだった。
「……皆さんはここを離れないで下さい」
と、川上は返事を待たず、青比呂、アカジャクの一騎打ちを少し離れていた位置で見守っていたせせらぎの元へと駆けつけた。
「せせらぎ……!」
「……」
せせらぎは無言のまま、指輪をぎゅっと握りしめている。
「じょ、状況を教えてほしいの。今青比呂くんはどうなってるの? 体力の残りや気力、それに『カタワラ』としての力は……」
「……今の私には、分からない」
つぶやくせせらぎの指輪は、かすかに赤色に輝くだけで、とても指示を飛ばすほどの濃い色合いではなかった。
「力の全て、青比呂に預けた」
言うと、せせらぎは小さな笑みを浮かべる。
「心配ない。あいつ、勝つ。赤音の花、受け取った。やっと、受け取った。だから、勝てる。もうあいつは、一人じゃない」
せせらぎの微笑に応えるかのように。
「おおおおお!!」
火の粉を纏いながら、青比呂の右拳が『ミヤマヨメナ』に爆炎を発射させた。
アカジャクはそれを大きく後ろに飛んで回避するが、爆発地点で膨れあがった炎のドームが一気に破裂、紅蓮の飛沫をまき散らし、まだ着地していないアカジャクへと飛びかかった。
「何!?」
アカジャクは両腕を交差させ、頭部をかばい、降りかかる火の弾雨を浴びた。横を通り過ぎる「雨粒」は、地面へと突き刺さると熱で表面をえぐり、黒い弾痕を残す。
「っち……! 二発同時に撃っていたか!」
一撃目でアカジャクを引かせ、その僅差で追いついた二撃目が一撃目で空になった周囲の酸素を吸い込み、飛び散るようにして周りに引火した。引っ張られる勢いで炎は飛び交い、アカジャクへと降り注いでいた。
アカジャクは両腕に無数の焦げ跡を残し、しびれる痛みと熱で苦悶の表情を作る。
「まだだぁ!!」
燃える地面を駆け抜けてきた青比呂が、左腕の『ミヤマヨメナ』に宿る炎を直接飛ばした。しかし、速度は拳から打ち出すものよりも遅く、アカジャクは軽くジャンプしただけで回避する。
「いい気になるなよ!」
アカジャクは大きく口を開けて、喉の奥をほの暗い明かりで照らした。
空気を切り裂き、火炎の弾丸がアカジャクの口から発射される。『ステイビースト』形態の時よりも大きさは小さいが、速度は倍以上に跳ね上がっていた。
青比呂は即座に『ミヤマヨメナ』を掲げるが、花のフレームに衝突した瞬間、耳をつんざくような衝撃音と共にすさまじい重みが青比呂の体を襲った。火炎球は高速回転で燃える『ミヤマヨメナ』の炎をまき散らして四散させようとする。青比呂の靴底が地面をえぐり、片膝を突いてしまう。
「ぐ……!」
回転は更に速度を増していく。その度に重みと『ミヤマヨメナ』の炎を散らす勢いは強くなる。
「ダメ押しにもう一撃だ!」
アカジャクが肺を大きく膨らませる。口の両端から火が漏れ、喉の奥で二発目の火炎球が練られているのが分かった。故に、青比呂は「今だ!」と右拳を地面に打ち込んだ。
大地を割り、アカジャクと青比呂の立つ直線上に火炎が再起動した。
「な……ッ!?」
突如足元から現れた炎の波にアカジャクはバランスを崩し、何とか直撃は回避したものの、顔を上げた先にいる青比呂が再び右拳を引き絞っていたことに、一手対応が遅れてしまった。
「これが『決別』の花の! 俺たちの一撃だ!!」
『ミヤマヨメナ』に宿る紅が濃度を増し、高く広く、雄々しく花を咲かせる。火炎球は揺れ、舞う赤の波の中で摩耗され、撃ち出された勢いで霧散した。
「ぐ……!」
アカジャクは練りかけていた火炎の弾丸を発射するが、目の前を覆う花びらの壁に消され、その身ごと駆けた赤の衝動に貫かれる。
轟音が空気を振動させた。地鳴りが余波となり、見守っていたせせらぎや川上たちの足下を揺らした。空までも音を響かせ、遠くで稲妻が走ったような衝撃を抱え込んでいた。
バラバラ……と、空から焦土になった土が落ちてくる。
「……あの地面を走った炎……」
黒煙がもうもうと立ちこめる中で、アカジャクの声がする。
「そうか……突っ込んだ時に『防御領域』から放った炎を、一時停止……保留させ地面に維持させていたのだな」
乾いた風が吹き込んでくる。大地を焼く臭いを運び、酸素を呼び込み、熱で歪んだ戦場を浄化していく。
「器用なことをする……いつの間にそんなことが出来るようになった」
言うアカジャクは喉の奥でクツクツと笑っていた。
「出来たのは、赤音が手を貸してくれたからだ。……だが、もうそれもないだろう」
『ミヤマヨメナ』は既に指輪の形に戻っていた。青比呂は、枯れた喉で小さく笑う。
「もう、さよならと言えた。赤音はいない」
「……そうか」
噴煙が空へと運ばれていく。焼け野原となった大地に残っていたのは、巨躯の面影を残す、一体の『ステイビースト』だった。
「妹の仇討ち、成ったということか」
「仇討ち……とは違うかもな」
巨躯がぴくりと反応する。
「これは、俺が俺の意志で戦った。始まりは確かに赤音への妄執だった。だけどもう今は違う。お前と戦ったのは、一人の人間として。一つの答えを出したからだ」
「答え、か。興味があるな。聞かせろ」
青比呂は、泣き笑いのような笑みを浮かべ、目の端に浮かんだ涙をそのままに言う。
「大したものじゃない。ただ、「さよなら」が言えた……それだけだ」
「……そうか。それが俺の敗因とは、全く……面白いものだ」
巨躯の影が、震える足で起き上がろうとする。それを青比呂はただ何をするでもなく、見守っていた。
「敗因……負けを認めたか。この俺が。クク」
ガクリ、と巨躯の肩が落ちた。
「だが、悔いがあるとすれば……」
獣の顔が崩れていく。
「貴様に、敬意をも払える貴様に、更なる後悔を与えてしまうことか……」
「え……」
「『王の力』は……」
どさり、と巨躯は地面に落ちた。青比呂は駆け寄ろうとするが、自身に残った疲労、ダメージで足を取られ、もつれて膝を打ってしまう。
「あ、アカジャク!」
「……に、気をつけろ……」
獣は、完全に沈黙した。
もう二度と動かない、ただの塊になった。中身はない。それが、見ただけで理解することができた。
「……アカジャク……」
『王の力』……。最後に言いかけた言葉は、聞き取れなかった。
それは、アカジャクが力尽きたからか。それとも、駆け寄ってくるせせらぎや川上を振り返ることさえも出来ず、意識を失いかけている自分の聴力が弱っていたからか。
最後に夢を見たような気がする。
いつもの帰り道。赤音と、刻鉄と三人で手を取り歩く帰り道。
懐かしく、暖かい光景なのに。ずっと戻りたかった景色なのに。
何故か。胸がざわついた。
違和感がある。
しかし、それを確かめる前に、その夢からも、意識は遠ざかっていった。
続く
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