第23話 踏まれた花の名前も知らずに
吹き抜けの高い空洞に、螺旋階段を歩く足音が木霊した。
それに、恩行はペンを止めず小さなため息だけを落としてつぶやいた。
「このところ来客が多いな。珍しく忙しい」
コツン、と足音がテラスで止まり、恩行は後ろに現れた気配に振り向かず言う。
「それも総帥直々にいらっしゃるとは、何用かね」
「……実はこれといってなく。なんとなく足が向かっただけです」
鉄の仮面が静かな声で言う。それに恩行は「そうか」と小さく笑い、
「今日の戦闘結果、見させてもらった」
「……」
「戦況はまだ分からんな。だが、総帥……あなたが足を運んだ理由は一つだ。新垣青比呂。幼なじみのことで用があったのであろう?」
鉄の仮面からは何の反応もない。ただ腕を組み立っている。その様子にまた恩行は笑いを、苦笑を浮かべた。
「素直に言えばいい。心配だと。無茶な『ステイヒート』の使用で彼の体はどうなっているのか、と聞きたいのだろう?」
そこで初めてペンを止め、恩行は肩越しに振り返った。
「そもそも、彼は『ステイヒート』の性質をどこまで理解しておるのかね」
「川上から簡単な説明しか受けていないはずです。話すタイミングがなかった」
「そうかそうか。それはそれは」
恩行が深くうなずくと、視線だけを鉄の仮面に向けて言った。
「不運なことだ。もう手遅れだ。何もかも遅すぎた」
□□□
戦闘は夜戦部隊と切り替わり、青比呂たちの部隊は休憩のため一時補給や治療のため、屋敷に戻ることとなった。
慌ただしくなった屋敷を離れ、小屋へと一人戻った青比呂は、妙にだるくなった左腕に疑問を感じ、防護服を脱ぎ、素肌を確かめてみる。
出血や怪我の類いはない。ただの疲労だろうか。
マッサージがてらに腕をもみほぐしていた時、二の腕の裏にごり……とした、固く冷たい感触が指先にあたった。
「……?」
腕を上げ、違和感を感じた箇所を見た。
そこには、凹凸のない、真っ平らなプレートのようなものが張り付いていた。
いや、張り付いていた、という感覚ではなかった。もう皮膚の一部となり、筋肉と連動し、血肉を行き来する肉体となっている……それが、大小大きさは違えど、腕に一つ、二つ、三つと生まれていた。
「……何だ、これは」
試しにひっぱてみたり、ひっかいてみたりするが、取れる様子はなく痛点もない。
それに、この形状のものには見覚えがあった。
まるで、『ステイビースト』の体を形どる表面のようだ。
「こんなもの、あったか……?」
しかし、動かすに当たっては、何の問題もない。腕のけだるさはもう消えていた。
なら、問題はないか。
「次の出撃……どれだけ壊せるか……今は休んでおこう」
□□□
「彼、新垣青比呂の肉体は『防御領域』そのものになりつつある」
恩行はレポート用紙に犬に似せたシルエットと人型に似せたシルエットを簡単に描き、とん、とペンでつついた。
「人間だけではなく、生物には己を守ろうとする「防衛反応」が何にでも潜在している。それを特化し、体現化したのが『防御領域』だ。この辺りを総帥である君に説明する必要はないね」
鉄仮面は無言でうなずいた。
「よろしい。では、『ステイビースト』はどうだろう。彼らの「防衛反応」とは……? そう。「マザーシグナル」だ。アレは警戒し攻撃する手段でもあり自衛の手段でもある……そういうい意味では『防御領域』と同じ役割を持っていると言えるね」
とんとん、と犬型のシルエットをペンでさして恩行は続けた。
「そして『防御領域』が何故『ステイヒート』となるのか。答えと理屈は簡単。『ステイビースト』と同じ理屈のことをやっているだけなのだよ。自らの『防御領域』から「マザーシグナル」と同じものを放っている……それが『ステイヒート』の正体」
今度はペン先を犬型から人型に線を結びつけて、丸くまとめた。
「『防御領域』は人間の特化した「防衛反応」。その脳波こそが、「マザーシグナル」そのものだ。同じ周波数まで高められたそれは「マザーシグナル」と呼ばれるものになる。もっとも、そこまで発っせられるレベルになっていれば、『佇み病』になっているがね」
しかし、と言葉を一端置いて、恩行は手を組んで鉄仮面を見上げ、静かな声で言う。
「まれに人の形を保ったまま、超えてしまっても制御してしまう人間もいる。……新垣赤音がそうだった。そうだろう?」
そう言って、恩行は手元にあったレポート用紙を刻鉄の前に出す。そこには無数の計算式と記号で埋め着くされた公式や言語など、専門用語であふれたものが数十枚と恩行の手の中に収まっている。
「総帥。この『王の力』……本当に形にしても、いいのだね?」
鉄の仮面は、表情も意志すらも見せず、温度さえも感じさせない声で返した。
「変わりありません。スケジュール通りにお願いします」
「……分かった」
鉄の仮面の中身は、がらんどうなのかも知れない。そう思わせるほど、機械的な声色だった。
「で、話は君の幼なじみに戻るが、それもいいのかね。彼は『防御領域』そのものになりつつある……ということは、『ステイビースト』になる、ということでもある」
「……」
「まあ、形と見方を変えれば『佇み』になる、とも言えるが」
「あなたにしては、珍しい。誰かを気にかけるとは」
鉄仮面の言葉に、恩行は数秒言葉を途切れさせた。そして、ふと口元に笑みを浮かべる。
「……そうだな。自分でも思うよ。そしてそれは、君にも言えることだ」
「ありがたく受け取っておきます」
それだけ言うと、刻鉄は背を向け螺旋階段へと戻って行く。その背中へ、恩行の言葉が追いついてくる。
「勘違いしてもらっては困る。老婆心ではない。親切心でもない。同情でもなく、共感でもない。ただ……」
ぴたり、と刻鉄の足が止まった。振り返ると、恩行は腕を組み、とんとんとつま先で地面を叩き唸っていた。
この老人が言葉を詰まらせる。初めて見る光景だった。
「ただ……」
とん、と落ち着きのなかったつま先が地面に張り付いた時、恩行の顔が上がる。
「君たち戦士とはソリが合わない。それ故言えることがある。何故、そこまで死に急げる」
「……」
「何故、己を許そうとしない。何がそうさせる。プライドか? 地位か、それとも本能か?」
「……」
「私は、新垣青比呂という少年に、破滅願望を見た。彼もまた、死に急ぐ一人だった。自らの感情を許せず、自らを罰するため、破滅へと身を置こうとする。……もう、今や間に合わんだろうがな」
「その問いに答えることは簡単です」
鉄の仮面から、冷ややかな視線が恩行を射貫いた。
「戦士とは、死ぬために生きているのです」
足音が遠ざかっていく。それを聞き届けていた恩行は、手に握っていたレポート洋紙を整え、そっとテーブルの上に戻した。
「……ナンセンスな答えだ。ソリが合わないのも当然だ」
再びペンを走らせようとインクをつけるが、ペンを握る手に力は入らず、深い息を落とした。
「せめて、恨むことぐらいは覚えていてくれ。人間であるうちに……」
続く
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