第20話 開いた扉の末路
こつこつと、螺旋階段を歩く足音に向けて、恩行は、テラスに持ち込んだテーブルに向かったままつぶやく。
「すまんが今日は珍しく忙しい。おしゃべりは出来ないよ」
こつん、と、足音が恩行の後ろで止まる。
「……あんたが言ってた最悪の結末。こういうことだったんだな」
「……話は回ってきたようだな」
恩行は振り返らないまま、ペンだけを動かしている。その背中をにらみつける青比呂は、拳を握りしめ、振るわせながら苦い口で言った。
「辰彦……川部は、首をつって自殺したそうだ」
「……だろうな。現実に耐えられん。後追い自殺を図る。きっとそうすると分かっていた」
彼は、ロマンチックな青年のようだったからな、とつぶやいた後、テラスに椅子が乱暴に転がされる音が響いた。
「ふざけるなよ……」
青比呂に胸ぐらをつかみ上げられた恩行は、抵抗の意志を示すことはなく、ただ黙って、白濁した目を青比呂に向けていた。
「それが分かってて鍵を開けていたのか? こうなることが分かってて!」
「その通りだ。それに、何度も何度も、口を酸っぱくして言ったはずだ。「最悪の結末」になると」
白い目はむしろ、哀れみを込めているようだった。苛立ちをあらわにする青比呂をおさめようとするのではなく、ただそっと青比呂の手にしわがれた手を添え、言う。
「そしてそれは、君自身にもいえることだ」
「何……?」
老人の目には何も映っていないように見える。だが、青比呂は脳髄を通り超して心臓も通過し、精神を打ち抜かれているような、そんな錯覚を覚えた。
胸ぐらをつかむ手は、いつの間にか離していた。
「君は何故、そこまで妹に固執する。家族だから? 兄妹だからかね?」
恩行の言葉に、青比呂は何かを言い返そうとする。しかし、言葉が喉の手前で遮られ、呼吸すらままならなかった。
「違うかどうか。しかし君は、妹を……新垣赤音という、一人の女性を……」
「だまりやがれ!!」
赤い熱が左手に籠もり、テーブルの半分を吹き飛ばした。乱暴に振るっただけの左腕はだるく熱を持ち、『防御領域』すら発動はしなかったが、指輪は赤く光り熱で空気をねじ曲げていた。
恩行は、乱れた胸ぐらを整えもせず、ただ静かに青比呂に告げるように言う。
「何故君は生き急ぐような走り方をするのか。何を焦っているのか。君は常に焦っている。急いている。いや、追い詰められている。何故だか分かるかね」
恩行の言葉が淡々と続く。青比呂が口を挟めない、という単純な理由からだった。青比呂はただ、奥歯をかみしめうずく左腕を押さえながら、痛みに耐えるよう顔を歪ませていた。
「それは君自身が、自分を追い詰めているからだ。「抱いてはいけない」という禁忌の感情を罪とし、その代償行為としてとんでもない速度で走ることが出来ていた。自らを傷つけるために、だ」
青比呂は呼吸を求めるため、息を吸い込もうとするが、体が「呼吸」を忘れてしまっている。頭が真っ白になっていく。
「私が初めて君に見たものは、破滅願望だった。何もかも、前に進むと見せかけているようで、全てを道連れにして世界をも破滅させてしまおうという、とても悪質なものだ」
やっと息が吐き出せた。荒く咳き込み、喉を整え、青比呂は混濁する視界の中で、うなり声を上げる。
「……だったら何だ。早速あんたを道連れにしてやろうか」
「……」
恩行はただ静かに首を横の降るだけだった。
「君は逃げている。真っ当に生きることから逃げているだけだ」
「何だと……俺がいつ逃げた。知った風な口を!」
熱で沸騰しそうな左腕を持ち上げ、恩行に突きつける。しかし、恩行は微塵たりとも動こうとしない。
「見ただけで分かるほど、君の魂のあり方は歪すぎるのだ。矛盾に気づきながらもそれを嘘で上塗りし、正当化して自分を騙し、前向きでいるつもりでいる。……欺瞞そのもの。悲しい存在だ」
「説教かよ……後にしてもらおうか。蒸発した後にな」
「私を殺したいのなら好きにしたまえ。ただし」
そこで初めて恩行は身なりを整え、テーブルを起こし、書きかけだったノートを拾ってペンも回収する。青比呂には背を向けていた。
「それで真実は変わらん。現実は待ってくれない。未来を閉ざし過去に閉じこもり、君はそこで何を得る。いや、何も得るつもりもないのだろう」
「今度は同情か? 忙しいって言ってたわりには相変しゃべるな……」
「聞け、若人」
まっすぐに立ち上がり、白濁した目を向けた恩行が青比呂の目を見て言った。
「今の君には、光る者が側にいる。それを忘れるな。その存在をないがしろにする真似だけは、決してするな」
指輪が、熱をなくす。腕に帯びていただるさが、冷えていった。
エラそうに、説教など。こんなやつは殴り倒せばいい。
「美味い! 何だこれ、何だこれ!」
ああ、そうさ。何もかもを無くしてなぎ倒して、今までそうやってきたじゃないか。これからもそうしていけばいい。俺は、赤音に……。
「今度、街に行きたい! シュークリーム、いっぱい食べる!」
赤音に……。
「もし、私たちのことが『神威』の人たちに知れて、せせらぎの耳にもはいったら、こうお伝えください」
赤音、と……。
「私、間違ってなかったよ、って」
「……」
「……。熱は冷めたかね」
こつん、と恩行の声がテラスに転がった。
「年寄りからは、これだけだ。今日はもう帰りたまえ」
恩行の言葉で、青比呂はいつの間にかうつむいていた顔を上げ、奥歯をかみしめ、言葉を発すること無くテラスを後にした。
去って行く足音を聞き届けながら、恩行は一人つぶやいた。
「説教、か……誰かに偉ぶるなど……私も年を取ったものだな」
□□□
三つのモニターだけが、夜の執務室の光源だった。
ライトの類いは備えられていない。
現に、三つのキーボードと特殊なコンソールパネル二つをタッチする刻鉄の動きには何の影響もないように見えた。
「よう、刻鉄。あの人間、案の定だ」
声だけが執務質に響いた。粗野で、にたにたと笑う獣の声だった。
「……。そんなことをわざわざ言いに来たのか、アカジャク」
「ああそうさ。愉快で愉快でたまらない。このワクワクを誰かと共有したくてな。いてもたってもいられなくなって来たわけだ」
刻鉄は、仮面の下で小さく息をついた。
「子供のようなところは変わらんな。はしゃぎすぎると、焼かれるぞ」
「はは、言うな。お前もこうなることを分かっていて兵をださなかったくせに。いずれどちらも破滅すると」
「その通りだが、そにに何の問題が?」
視線だけを出窓に飛ばす。口調は至って平坦で、何でも無い会話の一つだった。
「おお怖い。冷徹だなあ刻鉄は」
「効率を重視しただけだ」
「ならあいつ……あの新垣赤音の兄……あいつはどうする」
ぴたり、と刻鉄の作業の手がとまった。
「あいつも効率を重視した結果をとらせるか」
「……。予定に変わりはない」
「かかか。そうか。まあ俺は楽しめればそれでいい。今日はここまでとしよう」
獣の気配が消えた。静かな夜を取り戻した執務室に、再びキーボードを叩く音が響き出す。
「青比呂に問題はない。……何の問題もな」
と、一人誰に言うでもなくつぶやいた。
□□□
時刻は夜の十一時を越えていた。青比呂は小屋には戻らず、なんともなしに手持ちぶさたな感情が、花園へと足を運ばせた。
そこで、青比呂は呆れたものか、褒めたものか。
「まだ土いじりか……お前いつ寝るんだ?」
花壇にはまだせせらぎが、スコップを片手にしゃがみ込み、花の世話をしていた。
「お、何だ、お前こそ、どうした」
「……さあな」
せせらぎのまっすぐな視線に、青比呂は思わず顔を背けた。視線を合わせられなかった。
「心ここにあらず、どうした」
スコップを置き、青比呂のズボンをくいっと引っ張るせせらぎ。
「……ちょっと、疲れてるだけだ」
「そうか、じゃあ座れ」
せせらぎに手のひらをつかまれて、青比呂は不自然な姿勢のまま花園が一望出来る出入り口に腰掛けさせられた。その隣に、せせらぎがちょこんと座る。
「なあ、街、たのしいか?」
せせらぎは世間話をするかのように言う。昼間のようなテンションではない。
気遣ってくれているのだろうか。
「……楽しい、か。考えたこともなかったな」
「私は、行ってみたい。シュークリーム、もっと食べたい」
「……よっぽど気に入ったんだな。また買ってきてやるよ」
思わず苦笑がもれた。
懐かしい、そんな会話だった。
せせらぎが青比呂の横顔をのぞき込み、どこか不安げな顔で言う。
「何故、楽しい、考えたことない?」
「何故って……何でだろうな」
当たり前のことを、疑問に思う事などなかった。自分の中での常識は、果たして他の視点からみて、正しいのか。
「なあ、せせらぎ」
顔を上げると、月明かりがまぶしかった。今日は星がよく見える。
「お前は、ここを出たいと思ったことはあるか」
「ないぞ」
即答だった。思わぬ言葉に青比呂は二の句を告げず、せせらぎが言葉を先に続けた。
「ここ、赤音からもらった花たち、たくさんいる。おいてくわけにはいかない」
「……真面目だな」
ぽんとせせらぎの頭に手を置いてぐりぐりと押しやる。
「なーでーるーなー」
強引に頭を押さえる青比呂に抵抗するせせらぎだったが、手はのけられずやがてなでられるままになった。
「お前こそ、どうする。赤音の全てを知ったあと、どうする」
破滅願望。恩行の言葉がよみがえる。
もし全てを知ったのなら。いや、知っているとして。知った上でもう行動しているのなら。
「……その時になってみないと分からん」
道連れ。何もかもを。この側にいる、小さな体でさえも。赤音と同じ姿の、この体でさえも。
「青比呂、聞け」
せせらぎが、いつの間にかうつむいていた青比呂の前に立ち言う。
「私、お前の『ウタカタ』。主だ。だから、頼れ」
「……」
「その代わり、シュークリーム、買ってこい」
「……。安い主だな」
小さく笑い、再び頭をなでた。
俺がもし、赤音の真実にたどり着いた時、どうなるんだろう。
もう、分かっているはずだ。もう、それしかないと。
「破滅、か」
「ん? 何か言ったか?」
「特に。さて、小屋に戻る」
「あ、その前にちょっと手入れ手伝っていけ。ついでだ」
側にある光。これを俺はどうするのだろう。考える。考えれば考えるほど、それは深く自分の中に沈んでいく。
そこから先を考えるのは、結論を出すことが、出来なかった。いや、怖かった。
なぜなら、辰彦が自らの首をつるしたでろう光景が、あっさりと目に浮かんだからだ。
すぐ目の前に、辰彦の背中が見えた気がした。手を伸ばせば、肩に手が届きそうな距離だった。
そして一歩でも足を踏み出せば、並べる。同じ景色を見ることが出来る。
もしも光るものがあれば、今度こそ……。
青比呂はそこで思考を停止させた。
意味は無い。
結局行き着く先は、同じ結論にたどり着くだろう。
「なあ、せせらぎ」
土いじりをしながら、隣で花を手入れするせせらぎに呼びかける。
「なんだ」
「俺がもし。何もかもを無事に終えたら」
「うん」
「……。っはは。ないか、それは」
一人笑い出した青比呂を、せせらぎはきょとんとして見ていた。
「何だ、気になるぞ、話せ」
「いや、いいって。気にすんな」
「話せー。気になる-」
じゃあ聞くが。
我ながら、なんてことを聞こうとしたのか。
「もし無事に何もかもが終わったら、妹として俺を愛してくれないか」
などと。
気の迷いもいいところだった。
妹は、赤音しかいない。せせらぎはせせらぎだ。妹は赤音しかいないのだ。それを何を狂ったのか。代用しようとは、なんとも安易な慰めだった。
そう、一人の女性として、しかし兄妹だからこそでもあり、時には劣情も抱いた相手に成り代われなどと。
狂っている。我ながら、狂っていた。
狂っているからこそ、新垣青比呂という人間が成り立っているのではないか。新垣青比呂とはそういう存在だ。狂い、歪み、ねじれ、壊れている。
妹を愛していた。恋心も、愛情も、劣情も込めて、ずっとずっと側で、そんな
恩行の言葉がよみがえる。歪すぎる。悲しい存在だと。
綺麗な言葉でまとめてくれたものだ。ただこう言えば良い。
気持ち悪い存在だと。
自分の肉親がそんな目で自分を見ていたと知ったら、どう思う?
全くもって、笑いが止まらなかった。
□□□
適当にせせらぎをあしらって小屋へと戻る。そこで一人笑い続けた。いくらでも笑っていられた。夜が明けても、青比呂はケタケタと笑っていた。
笑って、いたかった。
続く
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