第19話 Knockin' on heaven's door ⑤
山村とやらはずいぶん険しい山道の奥にあった。おそらく昔の豪族が構えていた天然の砦をそのまま村として開拓したのだろう。村の入り口に着くころには、足が棒になっていた。
『神威』拠点から離れること電車で数時間、バスを乗り継ぎ山道を昇った。周りの風景は青々と茂った草花だけで、道路も整備されていない。こんな先に人が住む場所があるのか……疑問が尽きなかったが、だからこそ「ここで住む」訳ありの人間もいるのかもしれない。
それだけ木々は覆い茂り、人気を遠ざけていく。地図でもなければ方向感覚が麻痺しそうだった。
そんな道とも言えない足場を踏んで草木をかき分け、汗だくにながら山を登っていった。
「青比呂さん、お久しぶりです!」
村の入り口で座り込んで休憩していると、うわずった声が弾んで聞こえた。入り口……と言っても明確な門構えがあるわけではない。
テント小屋がいくつも広がって配置されている。静かなもので、青比呂が……部外者がきたというのに誰も出てこない。
「いやぁ、もっと早くに招待したかったなぁー。長旅お疲れ様でした」
側に立ち、手をさしのべた辰彦は、まるで別人のように見えた。
穏やかな笑顔と柔らかい物腰。何も疑うこともなく、警戒心など微塵も感じさせない。
心を開いていた。そういえば聞こえはいいが、青比呂にはこう見えていた。
無防備だ。
「暮らしの方は、順調だってな」
立ち上がり、辰彦が促す村の中へと歩いて行く。
「はい。畑仕事とかまだ大変ですけど、近くには川もあって、山に入れば鹿や猪もいます。狩りの手続きさえ出来れば、食料に困ることはありません」
荒い山道の上にぽつんぽつんと立つテントのような家々を通り過ぎながら、一番奥のテントを目指した。
「ただいま、すいげつ。青比呂さんが来てくれたよ」
テント内は外見と違ってかなり家として機能していた。電気も通っており、すいげつが立つキッチンにはガスコンロもある。1DK、という間取りだ。
すいげつは料理の準備でもしていたのか、流し台から振り返ると、にこりと笑って一礼した。
家の真ん中にあるテーブルに座り、出してもらったお茶を前にしながら、辰彦の報告を聞く。
もうすっかり村に馴染み、ここの暮らしにも慣れ、暮らしていくことに支障はないとのことだった。
「そっか……上手くやれてんだな」
「はい。やはり『神威』を抜けてよかったです」
お茶を飲もうとした手がぴたりと止まる。
辰彦はそのまま続きをしゃべっていたが、今の言葉が何を意味するか、当の本人はもう気づいていない。
『神威』が、そんなに甘い組織だと思っているのか?
ホムンクルスを連れだして、それで終わるはずがない。恩行の言葉通りなら、最大の機密が漏れていることとなる。それを放っていく今の状態が、異常なのだ。
それを辰彦は疑問にも感じず、しかも今幸せに観じている。
「……で、それで上手くやれてたんです。……青比呂さん?」
「ん、ああ。悪い。疲れがでてたかもな……暗くなる前に下山することにする」
「そうですが。夕飯ぐらい一緒にと思っていたのですが……。すいげつの料理、すごく美味しいんですよ!」
まだ流し台にいたすいげつは反応に困っているようで、顔を赤くしうつむいていた。それに「照れるなって」と朗らかな笑みを辰彦が浮かべた。
辰彦のテントを出て、山村の出口まで戻ったとき、駆け足でこちらに近づいてくる気配を感じた。振り返れば、おぼつかなくなった足元で、すいげつが息も絶え絶えになり、激しく咳き込んだ。
「お、おいおい」
思わず背中をさすり、彼女が落ち着くまで青比呂は様子を見ることにした。
横顔から見える顔色は、あまり良くない。
「あ、青比呂、さん」
か細い声が、かろうじて聞こえた。
そこで初めて、すいげつの声を今日初めて聞いたことに気がついた。さっきまでのテントの中では、一緒の空間にいたにも関わらず、一言も話していなかった。
「どうした、かなり辛そうだが……」
辰彦を呼んでくるか、と聞くとすいげつは強く顔を横に振った。その代わり、息を整えながら一言、ぽつりと言った。
「せせらぎは……元気、ですか?」
意外な名前が出て、青比呂は言葉をなくした。
「知ってるのか? どうして」
「……」
その問いに、彼女は微笑を浮かべるだけで言葉を発しようとしない。ただその顔が、泣き笑いのような笑顔で、少しでもバランスが崩れれば、涙がこぼれ落ちそうなほど、偏り始めていた。
「もし、私たちのことが『神威』の人たちに知れて、せせらぎの耳にもはいったら、こうお伝えください」
涙をぬぐうように、精一杯の笑顔を咲かせ、すいげつは微笑みに力を傾けた。
「私、間違ってなかったよ、って」
「……」
その言葉の意味は、いくら考えても分からなかった。
青比呂はすいげつをテントまで送ろうとしたが、すいげつに「大丈夫」と断られ、しばし立ち尽くしたあと下山に入った。
□□□
「お前、この頃ぼけっとしてばかり。どうした」
翌日の花園。休憩時間中、上の空だった青比呂の隣に座ったせせらぎが、青比呂を見上げて行った。
「え、ああ……いや」
間違ってなかった。すいげつの言葉がよみがえる。
一体、何を間違ってなかったというのだろう。そもそも、間違いとは、正解は何をさすことになるのか。答えだけ出ても問題が示されなければ、言葉の一方通行で終わり、意図が全く読み取れなかった。
「なあ」
くい、っと青比呂の服をひっぱり、せせらぎが明るい声で言う。
「今度、街に行きたい! シュークリーム、いっぱい食べる!」
「そんなに気に入ったのか? 街じゃなくても食べれるが……」
そこまで言って、ふと、せせらぎが「街へ出る」という姿を全く想像出来なかったことに気がつく。せせらぎがここ、花園から外へ出る、その発想がなかった。
それはただの先入観だろうか。
(……まあ、気分を変える必要はあるな……)
ここのところ思い詰めすぎで、息苦しい毎日だった。息抜きの一つもどこかで行わないと、いざという時に動けなくなっては困る。
「よし、じゃあ今度でかけるか」
「うん、待ってろシュークリーム!」
□□□
辰彦は山から木の実や山菜を採って周り背負ったかごに入れ、下山する頃には夕暮れが山を紅色に染めていた。
軽い足取りで自宅でもあるテントへと向かい、鼻歌交じりで歩いていく。
「今日は結構な収穫だったなあ。山菜鍋とか、いいかもなあ。夏だけど」
ただいまー、とテントの中に入ると、生活音がないことに気がついた。
無音の空気に、辰彦は本能から想像したくもないものを連想しまいと、必死に自分の考えを押さえ込んだ。
「す、すいげつー? どこかな?」
一目で見渡せるテント内で、人影はないのに呼びかけるなど意味もない行動だった。
「……すい、げつ」
かごを投げ捨て、テントから出る。
周囲に変化は見られない。
『神威』が来た……そんな気配はなかった。
「すいげつ!」
声を上げて、村の中を駆け回る。だが何の反応も返ってこない。山村を一周し、村の高台まで登ったところで、途切れさせた息がはっと止まった。
山を見下ろせる切り立った崖の側で、見慣れた姿が横たわっているのが見えた。
「すいげつ!」
何故、何故、何故。
そればかりが頭を巡る。今まで何もなかったのに、順調にいっていたのに、全てが幸せだったのに。
辰彦はすいげつにかけより、身を起こそうと体に手を回した。
「すいげ……」
ぼとり。
重たい、粘着質なものが落ちた音がした。
辰彦は、抱き上げたすいげつの体に違和感を覚えた。
おかしい、何かがおかしい。
見覚えのあるすいげつではない。
何かが違っていた。何かが欠けていた。
具体的には、抱き起こした際に右の腕が、ちぎれて地面に落ちていた。
「え……」
思考が追いつかない。それに何より。
いとおしいと抱きしめた人は、何故こんなに軽い体をしているんだ?
まるで綿菓子のように、重みを感じない。
「……たつ、ひ……こさん?」
うっすらと、すいげつの目が開かれた。
「す、すいげつ……?」
「……ごめん、なさい……こうなるの、見られたく、なかったから……」
こうなる、って、何だよ。何が起きてるんだよ。
辰彦の頭は真っ白になっていた。
水月の口元から、血が一筋垂れて落ちていく。
「でも、私……しあ……わせ、でした……」
かくり、と首がうなだれ、そのまま地面へと落ちた。
四肢が崩壊した体を抱いたまま、辰彦はただただ、理解も出来ず目の前の現実も把握出来ず、何がどうなったかも分からず、頭の白地図を広げていくだけだった。
「あ~あ、むごいことするよなあ、人間は」
熱気が辰彦のすぐ後ろで風と供に生まれた。それに、ゆっくり振り返る。
そこには、全身を炎で覆い、凹凸のないプレートで巨躯を覆った2メートルはある狼の『ステイビースト』が、顔を愉快そうに破顔させて立っていた。
「アカジャク……」
「はは、俺を見てももう驚きようがないって感じだな。まあそりゃそうか」
めらめらと燃える牙が開き、喉の奥でアカジャクは笑った。
「面白い見世物だと思っていたが、中々見応えのあるものだった。まさか『神威』の造った「ホムンクルス」に肩入れするとはな。無知にも程がありすぎるだろ」
ぼとり、とまた何かが落ちた。今度は左腕だった。
「何故『神威』がお前たちを追わなかったと思う? 答えは簡単だ。『神威』特製の「ホムンクルス」はほぼ実験体にしか使われない。そのため寿命なんて適当に設定され、長く生きられるようになんてされてねえんだよ」
腕の中で血だまりがあふれかえっていく。どんどんと、体だったものが軽くなって、なくなっていく。
「まあ要するに眼中になかったってわけだ。ママゴトは楽しかった? クク」
そう言い残すと、炎の固まりはしなやかな動きで山の中へと消えていった。
辰彦は、腕の中をみる。
服が腕に引っかかっていた。大部分が崩壊し、内蔵や筋肉は半壊し、溶けかけ、黒い血液とともに自分の服を染め、大地を満たしていた。
「すい……げつ……」
辰彦は、二度と返事が返ってこない相手の名前をつぶやいた。
続く
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