第18話 Knockin' on heaven's door ④
花園に戻ると、せせらぎはこちらに気がつきもせず、花壇の手入れにいそしんでいた。始終土をいじっている。熱心なのは結構だが、休憩しなくて大丈夫なのだろうか。
「おいせせらぎ」
「お、戻ったか穀潰し」
特に悪意のある声ではないため、余計に気分が沈んだ。
「……みやげなんか買ってこなければよかった……」
「みやげ?」
せせらぎが小首をかしげた。それに青比呂は乱暴にシュークリームの袋を放り投げる。せせらぎは慌てず冷静にそれを両手でキャッチした。
そして手の中に収まったそれを、まじまじと見つめ始める。
「何だ、これは。良いにおいがするぞ」
「何って……シュークリームだよ。食ったことないのか?」
「ない。固そうな食べ物だな」
「袋ごと食べるな。開けろ」
どうも要領を得てないようなので、仕方なく青比呂が袋を開け、中身のシュークリームを手渡す。
せせらぎは手にした瞬間、おお! と目を輝かせた。
「何だ、これ! ふわっとする!」
「美味いぞ。食ってみろ」
ふん、と鼻息を荒くし、せせらぎは大きく口を開けてシュークリームにかぶりついた。
「あ……」
皮の部分から中身のクリームが垂れてしまう。だが、
「う……」
せせらぎは肩をふるわせ、うつむいていた顔をばっと上げると、
「美味い! 何だこれ、何だこれ!」
顔中をクリームだらけにしてはしゃぎ出す。その後がつがつと食らいつき、あっという間に平らげてしまった。
「おかわりは? まだあるのか?」
「一個だけだ。贅沢言うな。顔中クリームだらけにしやがって」
と、青比呂はハンカチでせせらぎの顔をぬぐう。せせらぎは目を閉じ、くすぐったそうにじっとしていた。
(……黙ってりゃ、本当に生き写しだな……)
しゃべり、動き出すと完全に別人で、面影など巻単に薄利するが、やはりせせらぎという少女は、赤音と同じ顔をしている。それを今改めて思い知らされた。
ぬぐうハンカチを持つ指を、そっとせせらぎの唇に添えた。
(……バカだな。俺は)
ハンカチでぱちりとせせらぎの額をはたき、「はいおしまい。顔らってこい」とゴミを片付け始めた。
「べとべとするぞ」
「そりゃそうだ。お行儀が悪い」
「……うー」
「あと食い意地が張りすぎ」
「……ぬー」
「あとは……」
お兄ちゃんって、ほんといつもシュークリームこぼすよね。食べるの下手なの?
「食べるのが下手」
「し、知るかー!」
ぽかぽかと頭を叩かれるが、青比呂ははいはいと受け流し、べとべとになってしまったハンカチを指でつまむ。
「井戸に行くぞ。こいつも洗わないとな」
「むー。覚えとけ。次のシュークリーム、ちゃんと食ってやる。だから次も買ってこい」
「……俺が買うのが前提か」
□□□
小屋に戻ると、開けっ放しにしていた窓に一羽の鳩がとまっていた。青比呂がドアを開けても動かず、部屋に入ってきても飛び出そうとしない。人に余程なれているのだろうか。
でもどうして一羽だけこんなところに……と鳩を、その足をよく見れば、カフスのようなものが着いていた。そこに、丸い筒が着けられている。
「……伝書鳩、か?」
何だってそんなものが?
そっと近づいても、やはり鳩は逃げる様子はない。足の筒に触れてみても嫌がる様子はなく、筒の中に入っていた小さな紙は難なく取り出せた。
開いてみた青比呂は、ごくりと息を飲む。
辰彦からの手紙だった。
青比呂さんへ。
今自分たちはとある山村に匿ってもらっています。詳しい場所は伝えられませんが、今のところ『神威』の影はありません。まずは無事に脱出できたことだけをお伝え出来たら、と思い伝書鳩を飛ばしました。とはいえ、読んでいる時には『神威』に踏み込まれいてもおかしくはないのですが……。
手紙は短い挨拶で締められ終わっていた。
逃げおおせた? 『神威』の追っ手もなく?
「……何だ、この違和感は」
青比呂は申し訳程度に備え付けられていた机に向かい、手紙の裏にボールペンで文字を書き殴る。
「決して油断するな。絶対に何かあると思え。ない方がおかしいんだ。必ず仕掛けがある。『神威』が追ってこない理由も、必ずある。だから、無事でいてくれ」
短くまとめ、伝書鳩の筒に戻し、鳩を持ち上げると空に投げた。鳩は重力から開放されたように羽ばたき、高く空へと昇っていく。
鳩が見えなくなるまで空を見上げていたが、不安は一向に消えることはなく、焦燥感でじっとしていられなかった。
「そういえば……」
あの辰彦を「たっちゃん」と呼び、使いっ走りにしていた二人の『カタワラ』。あの二人は辰彦と同じ班、もしくは部隊編成なのかもしれない。少なくとも、今の自分よりも事情の変化には気づいているはずだ。
名前なら、辰彦からもらった地図と一緒にデータとしてもらった名簿の中にその二人を見つけることができた。階級的には中の上、といったクラスらしい。
早速向かおうとするが、直接聞きに行っても不味いかもしれない。うかつな行動で今辰彦の潜伏先がばれたりしたら、元も子もない。出来れば遠回しに二人から確認を取りたい……。
青比呂は守護服に着替え、執務室を目指した。その手前で、ばったりと川上に出会う。
「丁度よかった」
「あら、青比呂くん。あ、買い出しありがとうね」
「お礼なら後で。それよりちょっと聞きたいことがあるんだが」
青比呂はその場で適当な理由をでっち上げ、二人の『ウタカタ』のことを川上から聞き出そうとする。
「ああ、その二人?」
と、思い当たる節があるのか、小脇に挟んだタブレット端末をタッチし、
「昨日付けで部署は異動になってるわよ。今は霧島邸にはいないわ」
「い、異動……? な、何故ですか?」
「何故って……人事会議で決まったことだし、人員整備でもあるし、それに異動してもらった先は元々人手が足りなかったから、前々から異動志願者を募ってたの」
それがどうかしたの? と川上が不思議がっていたが、青比呂は平静を装い何でもないと執務室を通り過ぎ、廊下の角をまがった。
「このタイミングで、異動……? 偶然にしちゃ、これギャグだろ……」
たちの悪いブラックジョークだ。口封じ、という単語が脳裏をかすめるが、殺されているわけではない。それが返って不気味だった。
それからしばらく、伝書鳩を通じ、互いの近況報告を交換する日々が続いた。
辰彦の方は山村に馴染み、今は自給自足の生活を送っていると言う。
一方『神威』は静かだった。何事もなく過ぎていく。不気味な様子だと手紙に書くが、返ってくる返信には、用心すると言葉だけで、それ以上に今、すいげつとの暮らしの喜びが勝り、それを伝えたいという思いが強くなっていた。
そんなある日。朝方に伝書鳩が窓へと訪れた気配で目を覚ました青比呂は、はれぼったいめをこすりながら、筒の中の手紙を抜き取った。
そこにある文面を読むにつれ、青比呂の表情は険しく、苦しいものになっていく。
手紙には、こちらの暮らしはひとまず落ち着いた。一度訪れてほしい、との旨が書かれてあった。
「平和ボケしやがって……ッ」
だが、本当に『神威』は完全に切り離したというのなら、彼らはもう願いを成就させたということになる。
しかしそれを何故許すのか。
恩行の言葉がよみがえる。
”結末は最悪のものとなる。だがそれでも構わないと愚行を選ぶのなら”
そう言って消えた後ろ姿が、頭から離れない。
「狙うとしたら、俺ならこのタイミングを狙う。俺がのこの辰彦の潜伏先へ行き、場所へと案内させる……そこで叩く」
つぶやいて、短く鋭い息を吐き出した。
「上等じゃないか。俺がばれなきゃいいんだな? 俺次第なら……行ってやる」
続く
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