第17話 Knockin' on heaven's door ③


「……」


 お兄ちゃん?


「……」


 おーにーいーちゃーん?


「……」


 もしもーし。聞いてる? ねえ、お兄ちゃん。


「ああ、ごめん、何だっけ」

「何だとは何か」


 頭にバケツを乗せられ、青比呂はしゃがみ、土いじりの最中だったことを思い出す。せせらぎは隣で仁王立ちになり、目を座らせていた。


「何度無視する、青比呂」

「……すまん、正直心ここにあらず、だ」

 

 ばけつをそっとおろし、青比呂は素直に謝った。


「また土、乱暴にほじるだけになってる。これじゃ花の根、痛む」

「そ、そうだったな……」


 慌てて花壇の手入れに戻った青比呂は、自分で掘り返した土をスコップと手で直し、土を整えて行った。


「どうした、今日のお前、なんか変」

「……。昨日、中々寝付けなくてな。寝不足なんだ」

「……」

「さて、次は水やりだな。じょうろに水を汲んでくる」


 せせらぎは何も言わず、視線だけを花園の外へ歩いてく青比呂に向けて立っていた。


 屋敷の裏手の井戸場で、水をくみ上げ、バケツに水を注ぐ。青比呂は額に汗を流しながら、「あれから何も起きていない……どうなってる」と口の中でつぶやいた。



□□□



 月夜がぶ厚い雲に明かりを削がれ、草地を駆ける足元も見えづらい中、三人の荒い呼吸が並んで走っていた。


「はぁ、はぁ。あ、青比呂さん!」

「ああ、分かってる。もう第六の壁まで来た。なのに追撃どころか見張りも警備も何もない」


 息を途切れさせ、深い藪を見つけた青比呂は底を指さし、辰彦と、同じく息を切らせ細い腕を引かれ走ってきたすいげつに隠れるよう指示した。


 藪に潜り込み、神経をとがらせ周囲の様子を探る。

 しかし、人の気配どころか何の音も聞こえない。ここは無人島なのだろうか、と思うほど、静かすぎた。


「すいげつ、大丈夫かい? 水、飲める?」

「は、はい……でも」


 すいげつの後ろ暗い気持ちが目元に出ていた。辰彦が差し出した水筒を、中々受け取ろうとしない。


「……やはり、私だけが助かろうなんて……」

「全てを救うのは無理だ。どのみち、個室にいたあんたしかはなかった」


 それも、恩行の残した見取り図に書かれていた情報から得たものだった。

 

 あの鉄の箱は本当に扉が開いままで、エスカレーターは稼働していた。そこからすいげつを連れだし、六つの城壁を通過することほぼ20分。

 今の今まで、誰一人としてすれ違わず、見つかることなくここまで来た。


「……どう見ますか、青比呂さん。こんなのありっこないですよ」

「ああ、あり得ない。脱走を見逃そうとしてるようなもんだぜ」


 闇になれた目で、七番目の城壁の影を見る。遠くに建ち、薄暗くなっているが、そこに戦力が集中している様子はうかがえなかった。


(……恩行が言ってた「最悪の結末」ってのは、何なんだ?……ここで一網打尽って罠じゃないのか?)


 しかし奇妙なことに、現実にはここは無人。そして広がり屋敷の外へと繋がる門までも無人である。


(何だ、考えろ。考え得るだけの「最悪の結末」を考えろ)

 

 と、いくら頭の中であらゆる想定を意識しても、ここで脱出される前に迎え撃たれる、という以外思いつかなかった。もし青比呂が脱走者を阻止するとするなら、ここで伏兵を置くだろう。だが、その気配すらない。本当に無人なのだ。


「くそ……わけが分からん……!」


 見えない危機感だけが焦りをあおる。だが、立ち止まっていても危険が増すだけだ。


「……青比呂さん。俺、行きます」


 草を踏み分け、辰彦が膝を立てた。手にはすいげつのか細い手を握りしめて、恐怖に震える自分を必死に殺し、奥歯を強くかみしめていた。


「確かにここまで来ると、異常です。ですが……前に進まなきゃ、例え何が伏せていようが、その度に振り払います」

「……しかし、だな」


 言葉では押しとどめたいものの、現状は辰彦の言う通りだった。

 もうここまで来てしまったのだ。戻っても仕方ない。なら前に進むしかない。待ち伏せがあったとしても、その時に対応するしか、もう道は残されていない。


「青比呂さん……ここからは、自分が行きます。ありがとうございました」

「む、無茶いうな! 危険性を最大限まで考え尽くせ! 警戒するに超したことはないんだぞ!」

「もう、それは尽きました。あとは成すのみとなります」


 藪から立ち上がった辰彦は、かすかに口元をほころばせて、まだ藪の中に身を潜める青比呂に一礼する。


「本当に……青比呂さんと会えて、よかった」



□□□



 桶の水面に映る自分の顔を見つめ、青比呂は脳裏に焼き付いた二人の後ろ姿を思い出す。

 彼らは、結局無事に門を通り、霧島邸の敷地内から脱出した。

 その後までは分からない。その後、撃たれたか。そう考えるのが一番自然だった。


「ええい、くそ!」


 青比呂は悶々とした頭に桶の水全てをぶちまけた。おかげで土いじりの際に来ていたシャツまでずぶ濡れになる。


 ぽたぽたと前髪から垂れるしずくが石造りの地面に染みを作り、広がっていく。


「何やってんだ、俺は……」


 心底うんざりとした声が漏れ、ため息をついてもう一度桶に水をくみ直した。



□□□



「買い出し、ですか」

「そう。ちょっと商店街まで降りていって、買い物頼まれてくれない?」


 花園の手入れが終わり、濡れたシャツがあっという間に乾いた気温の中で、屋敷内の廊下はとても快適な温度だった。

 その中、待っていたかのように現れた川上が、はい、と買い物リストを手渡した。


「……あの、まあ……いいんですけど」


 書かれてあるものは、ほとんどが日用品だった。事務で使う小物やちょっとした資材など、「おつかい」であった。


「んー……これは私の独り言なんだけど」


 すっとぼけた顔をした川上が、あさっての方向を見ながらつらつらと言い始める。


「今朝から様子が変な青比呂くんをどうしたものかーってせせらぎから相談があったなー。まあぶらっと歩いて買い物でもしてきたら、気分転換にでもなるんじゃないかなー」


 棒読みもいいところであった。


「あ、そうそう。おつりは好きに使っていいわ。おやつ買うぐらいはあると思うから」


 じゃねーと、こちらの返事も待たず川上は廊下の奥へと姿を消した。青比呂は買い物リストと供にいつの間にか手渡されていた封筒を開いて見て、小さく息を落とす。


「……何、やってんだろな……ほんと」


 お土産でも買ってやるか、と青比呂は支度のため小屋へと戻っていった。

 空は晴れている。雲一つ無い晴天だった。夏の高い日差しが煌々と照りつけ、井戸端を通り過ぎるころには、水をぶちまけた形跡などとうになくなっていた。



□□□



 買い物のほとんどは商店街のホームセンターで事足りた。残り銭でお茶の一杯ぐらいはいただけそうだ。あとはせせらぎにおみやげとしてシュークリームを一つ買った。単に自分が買うなら、というだけで選んだもので、好みまで気にしてはいなかった。


 青比呂は買い物袋を下げたまま、商店街をぶらつく。特にこれといって入る店にこだわりはなく、適当に目に付いた喫茶店にでも入るつもりだった。ファーストフード店でもいい。しばらく、一息ついて考える時間がほしかった。

 

 昼前にはもどればいい。花園の手入れにはまだ時間があった。少し、昨夜のことで頭の中を整理し、考えに没頭したい、そうでもしなければ落ち着けなかった。


 しかしこの暑い真夏の季節。どこの喫茶店もファミレスも満室だった。気軽な避暑地は誰もが思いつく場所ということらしい。

 商店街を再び歩くことしばらく。オープンテラスの喫茶店が目に付いた。流石に外の席には誰もない。


「……まあ、ここでいいか」


 今日はうだるような暑さ、というほどでもない。直射日光さえ浴びなければ、まだマシな気温だった。

 青比呂はテーブルに買い物袋を置くと、店員にアイスコーヒーを頼んだ。

 店員は丁寧に注文を復唱し、一礼して店内にと戻っていった。ちなみに、店内は満席である。あまり広い店だとはいえない。


 青比呂がふうと息を吐き出し、どうしたものかと顔を空へと向けたとき、視界の端で、背の高い男が青比呂の後ろの席に着くのが見えた。

 物好きな客が自分以外にもいたものだ。その程度の認識だった。


「そんなに呑気でいていいのかねえ。お前も今は『神威』の一員なんだろうに」


 にたにたと笑う男の声が、青比呂から夏の温度を奪わせる。意識を、すぐさま左手の薬指に集中させた。


「アカ、ジャク……!? な、んで……」


 神経を逆なでするような太い野生の声。間違いない。でも、何故……!?


「俺ぐらいの『ステイビースト』ともなれば、人間の姿に化けることなんぞたやすいことだ。ああ、店員さん、メロンソーダを一つ頼む」


 注文を聞きに来た店員は「かしこまりました」と一礼して去って行く。その様子を見る限り、この存在は普通の人間に見えるらしい。


 青比呂は注意深く、背後を伺う。

 丁度、青比呂の前方にはブティックのショウウィンドウがあった。そこに映る人影によく目をこらしてみせる。


 座っているだけだというのに、背丈は青比呂より頭二つ分は高い高身長だった。広く大きな肩幅に、茶色のロングコートを羽織っている。この存在の前では、季節感など皆無なのだろう。

 そして何より目を引いたのは、まるで首輪のようなぶ厚い鉄の輪が、男の太い首にぶら下がっていたことだった。アクセサリー……にしては、悪趣味といえた。まるで首輪だ。


「ところでお前さん、もう『神威』の暮らしには慣れたかい?」


 運ばれてきたメロンソーダを口に含みながら、軽い口調で言う。世間話の口調であった。


「……」


「はは、そう警戒するな。今日はドンパチやろうって来たわけじゃねえ」


 青比呂の元にもアイスコーヒーが運ばれてくる。だが手は着けられずにいた。喉はカラカラに渇き、痛みさえ覚えているというのに。

 熱で氷が溶け、カラン……とグラスを鳴らす音が響いた。


「まあ様子見だな。お前さんが「どこまで行ったか知ったか」を見に来た……野次馬だ」

「どこまで……?」

「そうだなぁ……お前さん、『王の力』って言葉はもう聞いたかい」


 びくり、と腕が反応する。左手が、防御に回ろうとしていた。


「その様子だと、聞いたことぐらいはあるようだな」


 『王の力』。あの鉄の地下室で、恩行が口にしていた言葉だった。

 あの時は何のことだか、もしくは戯言だかと聞き流していたが、アカジャクから同じ言葉を聞くとは思わなかった。


「まあ、それがどんなものかは自分で確かめるんだな。そっちの方が面白いだろう。ゲームだよ、ゲーム」


 カカカと笑い、アカジャクはメロンソーダをごくごくと喉に流し込む。


「まあ軽くヒントを出すとすれば……かく言う俺もそれを追っかけていてね。是非とも手に入れたいと思っている」


 再び、アイスコーヒーの中の氷が鳴る、熱で一回り小さくなったそれは手着かずのまま、水滴だけをグラスに張り付かせていた。


「だがその「力」は今宙に浮いた状態でな。普通に手に入れるというわけにはいかん。入れ物がいる。『王の力』を納めるべき『器』がな」


 『器』……これもまた、恩行が口にしていた言葉だった。何だ、この符号は。青比呂の中で不安だけが広がっていく。


「その「力」は何せ強力すぎてな。俺でも手に余る状態だ。


 アカジャクは立ち上がり、伝票を手にし席を離れよとしていた。

 それに慌てて青比呂は振り返って言った。


「待て!……何で、俺にそんな話をする」


 人間形態となったアカジャクは、太く不敵な笑みを浮かべこちらを見おろした。


「以前にも言っただろう、「皮肉」だと。俺はお前が答えにたどり着いた時、どんな顔をするのかが楽しみでたまらん。まあ、それだけのことだ」


 青比呂は椅子に張り付いたまま、動けなかった。頭は真っ白になり、左手の感触など遠くに置いてきてしまった。雑踏の中へと消えていく、人に化けたアカジャクを見送る形となった青比呂は、額から流れてきた汗をぬぐうこともできなかった。


「何だってんだ……どいつもこいつも」


 氷が溶け、すっかりぬるくなってしまったアイスコーヒーだったものをすすり、青比呂は苦い顔のまま、半分も飲まず会計を済ませた。




 続く

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