第16話 Knockin' on heaven's door ②


 屋敷の見取り図は思った以上に早く手に入った。花園での手入れが終わり、せせらぎの小言からも開放され、屋敷の外側に設置されている自販機へと飲み物を買いに出た時、辰彦がすれ違いざまに何も言わず一枚の封筒をこちらの手に握らせた。

 青比呂は素知らぬ顔のまま炭酸ジュースを買い、喉に流し込むとそのまま小屋へと戻った。時刻は午後二時手前。


 封筒を開き見取り図を開いてい見て、はあー……とため息を落とした。

「なんだこりゃ……どっかの悪の組織の秘密基地かよ」


 屋敷全体がただでさえ広いのに、その外側にも防壁のように高い塀が建てられいくつもの施設が設けられている。何重にも囲まれた屋敷はもはや要塞と言えよう。


 囲まれた施設は全部で七つ。単純に七つの防壁が屋敷を囲んでいると考えていいだろう。


「こいつを抜けるのか……厳しいな」


 最初の壁となるのは、小屋の裏手に広がる平原の更に奥に設置された部署となる。あの「すいげつ」という少女が戻っていった方角だった。


「……偵察に行ってみる、か」


 地図を見ると距離は五キロほどだった。平原は草木が生え放題で慎重に隠れながら進めば見つかりにくいだろう。

 念のため、見つかった時に言い訳がきくよう、防護服を身につけ、青比呂は早速小屋を飛び出し、柵を越え、平原に身を潜めて進み出した。


□□□


 長く高くそびえる壁が敷地を区切り、城門のような大きい扉はちょっとやそっとのことでは開きそうにない、固く重たい門構えで、平原の奥に鎮座していた。


 青比呂は草地に身を潜めたまま周囲の様子をうかがう。見張りなどの気配はない。まあそれもそうだろう、これだけの立派な城門だ、侵入しようとするものはそういない。


 弊の高さは十メートルはある。よじ登るのは現実的ではない。追われている身でこんな場所を登っていたら、後ろから撃ち落としてくれといっているようなものだ。

 青比呂は地図を再び広げ、


「……研究室棟……?」


 城門に沿って目をやると、一戸の建物が見えた。遠くにあるようだが、ここから見るだけでも、かなりの規模の施設だと分かる。地図にも大きく書かれてあった。


「研究室、か……」


 ホムンクルス、という単語がよみがえる。

 青比呂には魔術やオカルトといった知識はほとんどなかった。辰彦は簡単に「人造人間」とまとめたが、そんなにあっさりと人間など作れるものなのだろうか。


「ここも……チェックしておくか」


 地図をたたみ、再び身を低くして草木に紛れ、青比呂は研究室棟を目指した。

 ここからの距離だとあと三キロほどか。歩くついでに思考が巡る。


(連れ出して逃げる、といったものの……)


 勢い半ばで言ったことには違いなかった。だが、残りの半分以上は本気だった。

 別にここにこれ以上いられなくても構わない。今までと大して変わらないだけだ。それどころか今は『カタワラ』としての力も得た。


「……まあ、半減はするか」


 『ウタカタ』の指示なくしては真の攻撃力は発揮出来ない。しかし脅かす程度には十分な代物といえた。そうだ、それだけだと自分に言い聞かせる。


 などと考えているうちに、「研究室棟」という建物の前までたどり着いた。

 四角い、鉄の箱で出来たようなそれには窓がなかった。扉は建物中央に設置されているが、それ以外に何の装飾もなく、とても建物とは感じられなかった。


 規模としてはちょっとした一戸建ての家ぐらいの大きさか。この中で、研究とやらが行われているというのだろうか。


「……地下、か?」


 研究資材や機材を奥にしては狭すぎる。となれば、本体は地下に広がっているのではないかと周囲を注意深く観察した。


 建物には扉一つだけ。周囲は草木が鬱蒼と生えており、見渡すだけでは何も分からない。


「そこで何をしているのかね」


 ひたり、と青比呂は呼吸を殺した。だが無駄だとすぐに悟る。

 男の声だった。


「君か、噂の問題児は。何でも罠一つを蒸発させたとか。興味深いものだ」


 どこからだ?

 四方に注意を飛ばす。だが、声はどこからともなく聞こえてくる。


「今の私は暇をもてあましてね。お招きするから、どうだい、話し相手になってくれないか」


 鉄の箱の扉が開いた。てっきり観音開きかと思いきや、スライド式だった。音もなく、重たそうな鉄の扉は後退し、真っ暗な空間を生み出した。ごくり、と喉を鳴らす。


「それとも、臆するかね。「470万の男」は」


 安い挑発だった。しかしここで引き返しては何の収穫もない。


(虎穴に入らずんば虎児を得ず……か、くそ)


 構えるのを止め、立ち上がり、青比呂は不機嫌面のまま鉄の箱に入っていった。



□□□



 入った途端、迎えてくれたのは地下へとスライドする大きなエスカレーターだった。他にもいくつか同じサイズの大きさのエスカレーターがあったようだが、内部は薄暗いライトだけが灯り、視界が悪かった。

 加え、青比呂が確認する前にエスカレーターが動いてしまい、


「……ったく。こっちのペースでやらせてくれよ」


 ただでさえ緊張しているのに、エレベーターの稼働は不意打ちだった。一瞬、体がすくんだ。

 悪態をつきながら拳を手のひらにたたきつけると、エスカレータに流されるがままに任せ、出来るだけ目に見える情報を得ようと視線を左右に飛ばす。


 思った通り、地下は何階層にも別れていた。

 そして予想以上に大規模な地下設備であった。スライドするエスカレーターは、広々とした、人気のないドッグのような通路を降りていき、吹き抜けの階層は五階まで続いた。


 おそらく、最深部だろうエスカレーターが止まった地点は、機械的だった上の階とは違い、天井は低く、空気は湿っていた。


 エスカレーターから通路へと出る。そこはまるで学園のような廊下が広がっていた。壁紙は白で統一され、雰囲気も落ち着いたもので、定期的にドアが並んでおり、しかし湿った空気は変わらなかった。


「こちらだ。来たまえ」


 外で聞いた男の声がする。廊下の突き当たりから聞こえてきた。青比呂は用心しながら、一歩一歩足音を確かめつつ進む。


「そんなペースでは年が明けてしまうぞ。何も君に危害を加える気はない。ただ私が暇をしている。それだけだ」


 進めば、突き当たりには螺旋状の階段がもうけられており、その上に声の主がいるようだ。


「行くのはいいが、何者だ、あんたは」


「私か? ただの雇われの学者だよ」


 嘘つけ、と毒づきたい気分だった。監視カメラでもあるのだろうか、こちらの動きは筒抜けのようだが、青比呂の感覚がそんな野暮ったいものではないと告げていた。


 肌で感じる。

 今から会おうとしている男は、ある程度のラインを踏み込んでしまった部類の人間だと。


 螺旋階段を上ると、階段の踊り場にあたる部分が小さなテラスになっていた。外は吹き抜けの空洞で、上にはエスカレーターで見たドッグのようなスペースが見て取れた。

 そのテラスに一人、白衣を羽織った男が椅子に座り、本を片手にして、青比呂に背を向けていた。


「やあ。「470万の男」。新垣青比呂くん。会えて嬉しいよ」


 本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった男は薄笑み浮かべて白濁した目を青比呂に向けた。


「ああ、この目のことなら気にしなくていい。見えてはいるからね。見た目がこうなっているのは、まあ私の処理がお粗末だったから、といったところだ」


 男の年齢は初老、にも見えたが若くも感じられた。全貌が把握出来ない。肌には張りがあり、皺といったものはないせいか。しかし髪には白髪が交じり、ポマードで後ろに流し固めている。


「さっきから大人しいね。気軽にしてくれたまえ」


 好きで黙っているわけではなかった。

 身長は青比呂よりも高い。180cmはあるだろう。肩幅も広く、ガタイがいい。


「自分の処理って、言ったな……」


 何とか声が出せた。だが喉はからからだった。


「ああ。白内障を患ってしまってね」

「まさか、自分で自分を手術した、てのか」

「その通りだが、おかしいかね?」


 こちらが驚くのを見越しての薄笑みを浮かべて返してくる。


「自己紹介が遅れた。私は赤間士あかまし恩行おんぎょう。ここの科学、生物部門を任されている。変わった名前だろ? もちろん本名じゃない。でもこの名前は気に入っていてね。気軽に恩行おんぎょうと呼んでくれたまえ」


 まあ座りたまえと、恩行はテラスの隅に置かれてあった椅子を引っ張り出す。青比呂は何も言わず、どすんと腰掛けた。


「さて、今日はどうしてこんな僻地へ? 霧島邸……というより、『神威』でいうとここ理科室とか生物室のような、そんな微妙な場所だ」

「ま、野暮用でな」


 短く返すだけに終わらせる。饒舌なこの男のペースに飲まれては危険だと、本能が脳髄を刺激していた。うかつにボロを出すわけにいかない。用心するに超したことはないとなるべく言葉を選んで対話するつもりでいた。


「ふふ、君まで「すいげつ」のファンになったかい?」


 いきなり相手はジョーカーを切ってきた。青比呂ははぁ、とため息を落とすしかなかった。


「あの「すいげつ」って子は……何者だ」


 事実は知っていたが、厳密な真実は知らない。ここはもう開き直り、素直に聞いてみる殊にした。


「何者……ふむ、難しい問い方をするものだね」


 そういうと顎に手を当て、恩行は目を閉じ唸ってしまった。青比呂はてっきりこちらをくってかかるリアクションが来ると思っていたのだが……ここは恩行の言葉を待つことにしよう。


 恩行は数十秒ほど唸った後、目を開き言った。


「我々の先達といえばいいかな」

「先達……?」


 眉を寄せ、疑問符を浮かべる青比呂に、恩行は「そうだな」とうなずいた。


「『彼ら彼女ら』なくては、我々人間はいつまでも足踏みをしたままだろう」

「……ホムンクルス……ってやつか」


 わずかに恩行の目が黒く濁った、ように見えた。

 恩行はにたりと笑うと拍手をし、テラスを歩き回りだした。


「ところで青比呂くん。君はその「ホムンクルス」について、どこまで知識があるかな」

「……ほぼないね。漫画とかで読んだ程度だ」


 辰彦にも聞かれた通りに話す。それに恩行は大きくうなずき「結構」と満足げに言った。


「これはオカルトや魔術、もしくは錬金術と、多岐に入る概念でね。日本の伝統や昔話では『反魂の術』などもホムンクルスの製造と解釈されることがある」

「はんごん……?」

「簡単にいえば、「よみがえりの術」だ。死者を呼び覚ますのさ。その辺の文献を探ればいくらでも例は出てくるだろう。失敗談としてね。死んだものは死んだものだ、死体に魂が戻っても、死者であることは止められない。大抵はオカルトになる」


 饒舌に語る恩行は大して広くもないテラスを歩き回りながらつらつらとしゃべり続けた。


「魔術も発祥とする地域や文化、思想などで変わってくる。組織形態や解釈の違い、それらは無数に存在する。残念ながら魔術は専門外なので詳しく解説は出来ないが……」


 そこでようやく元の席に戻り、閉じていた本を開いた。そして開いたページをとんとんと指で叩く。


「『魔術師』と呼ばれるも彼らなりの「ホムンクルス」を製造している。何が言いたいかというと、一口に「ホムンクルス」といっても成り立ちはそれぞれ全く違う別物である、ということだ」


 そこには複雑な図式や公式などが書かれ、知らない英字が綴られていた。魔術とやらについて書かれた文献なのだろうか。


「で、ここでようやく私の出番が回ってくるわけだが……その前に一応確かめておこう」


 ゆっくりと顔を上げた恩行からは、薄笑みは消えていた。白い目がこちらを捕らえて放さない。


「ここから先を聞くと言うことは、後戻りも出来なくなるということになる。つまりは完全に「荷担する」ということになる」


 声は変わらなかったが、どこか低く、地鳴りを思わせる深さを見せる底の知れないものを垣間見せるような、そんな錯覚を覚えた。


(……揺さぶり、じゃない)


 青比呂がここに来た理由。そして行おうとすること。

 何故かは分からないが、この男には全てお見通しらしい。

 なら何故、ここで退路を譲るような言葉を口にしたのか……それがふと青比呂の頭に引っかかった。


「質問を質問で返すのは失礼だと承知の上で聞きたい。何故そんな確認をとる。あんたは『神威』の人間なんだろ。謀反を起こす人間がいるんだ、通報すればいい」

「私は雇われだ。そこまで忠誠心がある人間じゃない。それに」


 と、いつの間に手にしていたのか、恩行の手の中にはチェスで使う駒が握られていた。ナイトの駒だった。


「……いや、言葉にすると野暮だな。まあ気まぐれとでも思ってくれたまえ」


 ふふ、と軽い笑いに変えて、手の中にナイトの駒を隠した。次に手のひらを開いた時には既に駒の姿は消えていた。


「気まぐれ、ね……そんなモンで命削られちゃたまらんぜ」

「だが引く気はなさそうだ。了承と得て、よろしいかね」


 青比呂は舌打ちし、「頼む」とつぶやいた。それに恩行は「welcomeようこそ」と芝居かかった仕草で一礼する。


「では場所を移そう。「現場」で見た方が早いこともある。何事も経験だ」


 そういって恩行は足軽に螺旋階段を降りていった。


□□□


「ここは……さっきエスカレーターで通った……」

「地下三階に当たる部分だ。まあ、殺風景だがそこは勘弁してほしい」


 床はタイル張りで、壁は頑丈な鉄で出来ていた。天井は高く、空間としてかなり広い。あのエスカレーターもかなり広い面積であり、大型の物資でも積み込むのに使われていたのだろうか。だとしたら、ここのドッグのような三階も、同じ規模の物資が通るのかもしれない。


「殺風景……にしては」


 壁の所々には、くすんだ汚れが目立った。

 汚れ、というよりも何かがこすれて出来た傷だろうか。固い鉄の壁の至るところに出来た傷は、小さいものから人間の頭ほどの大きさはある「くぼみ」とも見えるものもあった。


 それに、鼻を刺すような鉄さびの臭いが強い。少し前を歩く恩行は特に気にしていないようだ。


「理科室や生物室って言ってたけど、衛生面はどうなんだ? つまるところ臭いんだが」

「安心したまえ。殺菌処理には徹底している。感染症など起こしては、元も子もないからね」


 しばらく二人分の足音だけが廊下に響く。青比呂は警戒心を解かないまま、周囲に気を払いつつ歩いている。


(……特に何かが隠れてるとか、そんな気配はないか……だけど何だ、この雰囲気は)


 奥に進むにつれて、廊下の傷跡は大きく多くなり、目立ちだした。

 鉄さびの臭いも慣れるほど充満してくる。


「さて、ここら辺で話の続きをしようか」


 後ろを振り返らないまま、恩行は靴音を響かせ言った。


「ここでの……『神威』での「ホムンクルス」とは、他の魔術や文化とは違い、独自に開発、研究されたものだ。その研究は、雇われとはいえ私に受け継がれて四代目になる」

「独自……?」

「先ほども言ったように、使用、用途目的が他と異なるからさ」


 コツン、と恩行の足音が停止した。


「全ては、『王の力』のため」


 青比呂は、動けなかった。一歩でも前に出れば、恩行の横顔を見ることが出来ただろう。だが、覗いてはならない。本能が、危機意識がただひたすらに「逃げろ」と頭にガンガンと警報を鳴らしていた。


「ここに……『神威』において「製造」される「ホムンクルス」は『王の力』の『器』を目的とし制作されている。私は先代の研究者たちから仕事を引き継ぎ、「試作と実験」を繰り返し、「データを少しでもより良い精度」に仕立て上げるためにここにいる」


 コツン、と足音が廊下に転がった。


「……今、一歩下がったね……青比呂くん」


 こわばったのは、その事実に自分が気づかなかったからだった。

 気圧された。青比呂は、背中を汗でぐっしょりと濡らし、一歩下がり、戦闘態勢をとろうとしていた。


「で、そんな君が何を企みここに来たのかね? 哀れなホムンクルスの少女を救いだそうと来たのかね?」


 ゆっくりと白く濁った目が振り返る。目の焦点も瞳孔も曖昧な瞳なのに、確実に「見られている」と分かる視線は、青比呂にすぐさま飛び下がらせ、いつでも離脱出来る距離を開けさせた。


 しかし恩行はそれに何のリアクションも返すことなく、白濁の目で射貫いたまま続けた。


「だとしたら飛んだ不正解だ。『彼ら彼女ら』がかわいそうにでも見えるのかい? ずいぶんと上から目線だね、は」


 凍った手で心臓がわしづかみにされてた気分だった。やはり何もかも見通されている。自分が単独犯ではないことはおろか、主犯でもないことまでも。


「彼ら彼女らは生まれるべくして、望まれるべくして生まれた。その命を冒涜しようとしている。君たちの勝手な価値観と生き方の押しつけで。違うかい?」


 声を出せ。飲まれるな。

 青比呂は奥歯をかみしめて、腹の底に力をためて息を吐き出す。


「当人らの意志は?」


 そう短く返すのがやっとだった。やっと出た、わずかな言葉。だがその言葉を聞いて、白い瞳は大きく見開かれると、


「……あ……はは……あははははははははははははははは!」


 廊下どころか吹き抜けの通路全てに響きわあ足りそうな笑い声があふれかえった。


「意志。意志と来たか。君たちはずいぶんとロマンチックな考えのようだ。なるほど、連れだそうとするのもうなずける」


 深くうなずく恩行は、馬鹿にするといった様子などなく、むしろ関心深げに大きく何度もうなずいた。だが、視線はすぐに研ぎ澄まされたものに戻る。


「それが、最悪の結末をもたらすとしても、君たちは実行に移すかい?」

「……最悪?」

「そう、最悪だ。誰にとっても報いも救いもない話となる。むごい話だ。それでもいとわないと?」


 真正面から見据える白い双眸に、青比呂は後ろに下がりそうになる自分を押さえつけ、拳を固く握ることで体に力をみなぎらせる。


「じゃあ、ここにいることだけが、「ホムンクルス」たちにとっての幸せなのか。『王の力』とか『器』とか、よく分からん用語が出てきたが……具体的に何をやっている」

「人体実験だ。実際に人間では出来ない、研究、強化、実験。全ては『神威』のために成されている」


 返ってきた言葉は堂々としたもので、その言葉が左手の薬指に燃える熱で、凍てつきこわばっていた体に火を放った。


「加えて言うなれば、『王の力』とは……そこへ行き着くまでの試行錯誤の繰り返しだ。その先こそが、『器』と言える」

「……よく分からんことがよく分かった。ここまで聞いて、確かに後戻りなんて出来ないな……この場で沈めてやる」

「それならば、次の機会にしよう。今は彼女……「すいげつ」のことだろう」

「……話が早くて助かるぜ」

「彼女を連れ出し、『神威』を抜ける気なのだろう。君の仲間は」

「……ああ、そうだ」


 ここまで来てだんまりは通用しない。とっくに辰彦の存在も把握されていた。青比呂は苦い思いをしながらも、相手の底知れぬ「何か」に脅威を感じていた。下手に動けば足下を簡単にすくわれる。うかつな動きは避けたかった。


「先ほど説明したように『神威』の「ホムンクルス」は特注でね。情報漏洩にも繋がる。連れ出せば責任者たる私の問題にも繋がる。だが……」


 恩行は手に再び、いつの間にかチェスの駒を取り出していた。

 その動きは一切分からなかった。ずっと睨み続けていたのにもかかわらず。


「その者の意志は、強いのかね」

「ああ。多分一生で一番強く張り出してるだろうぜ」

「……。戦士、なのだな」


 白い目の間に、深い皺が刻まれた。初めてこの男に、感情というものが見えた気がした。


「私は生まれ持っての学者気質でね。戦うばかりの戦士とはソリが会わないのだ。その彼とは、永遠に分かりあえんだろう」

「……あいつはそんなんじゃない。今だけだ。今この瞬間にだけ、戦士であろうとしている」

「……それが苦手だと言っているのだ」

 

 つぶやき、押しつぶされたようなその声は、眉間の皺には似合わない声だった。それが何かと確かめる前に、恩行が口を開く。


「時に君は、総帥と幼なじみと聞いたが。今も仲は健在かね」

「何だ、唐突に」

「これが、私からの最後のおしゃべりだ。付き合ってくれたまえ」

 

 その言葉に不意を打たれ、青比呂は一瞬間を作ってしまった。だがすぐに警戒心を元に戻し、


「……いや。俺もあいつも、変わった。あいつは迎えいれてくれる。かもしれないが……多分俺からは、二の足を踏むだろうな」

「それは、何故かね」

「……まだ分からないことがあるからだ。確かめないと気が済まないことがあるからだ」

「新垣赤音……その存在か」

「……」

「よかろう」


 そういうと、恩行はこちらに背を向けてゆっくりと歩き出した。


「今晩、この間の扉は開けておく」

「……は、はぁ!?」

「言っておくが、親切心でもなければ善意でもない。先ほど言ったように、結末は最悪のものとなる。だがそれでも構わないと愚行を選ぶのなら」


 奥が見通せない程暗くなる鉄の廊下へと歩を歩めていく後ろ姿が、最後に言葉を残していった。


「恨むなら、私を恨んでくれても構わんとその彼に伝えてくれたまえ」


 バタン、と、鉄の重たいドアが沈んだ音が聞こえた。青比呂は構えたままの状態で、最後の言葉を頭の中で繰り返していた。正直、困惑を隠せないでいた。


「どういうつもりだ……。何を考えてるか、さっぱり読めなかった……」


 彼の後を追いかけよう、という気にはなれなかった。青比呂は中途半端に振り上げた拳をほどき、来た道を戻っていく。一応迷わないよう、来た順番通り、地下のエスカレーターで地上に出よう。


 そう決めて、テラスまで戻ってきた。螺旋階段を降りようと、恩行が座っていた椅子を通り過ぎた時、視界の端に何かが引っかかった。


 振り返ると、先ほどまで彼が読んでいた本に、何かが挟まっていた。

 本の上には、チェスの駒……またしても、ナイトの駒が置かれてあった。


 青比呂はチェスの駒を手に取り、本からはみ出た厚紙の洋紙を引き抜いてみた。


「……おいおい」


 広げてみれば、一見して分かった。古くほころんでいるが、それは確かなものだった。


「……地図だ。この七つの壁の、見取り図」


 昼間辰彦が持ってきたものが屋敷を中心とした地図とすれば、こちらは外壁を中心とした地図になる。そこには、抜け道と思われる関係者入り口などが細かく書かれていた。


「最重要機密だぞ……なんだってこんな……」


 罠だ、と考えるべきだろう。パニックになりそうな自分に落ち着けと言い聞かせる。

 だが。

 戦士、とこぼした時の白い目とその横顔が、初めて見せた感情のような気がした。それが頭に引っかかっていた。何故、そんな顔をしたのか。

 まるで、泣き顔のように見えた。


「最悪の結末……」


 恨むなら恨め……。

 声に出してつぶやいてみた。それがざらりとした感触をもって、口の中に残った。




 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る