第13話 獣の声


 鬱蒼とした獣道をかき分け、枝を避けて草木を折らないよう慎重に歩き、足音を殺して、森林の中へと進んでいく。ほとんど道などなく、確かにはぐれたら最後山をさまよい歩く羽目になりそうだ。

 青比呂は少し前を歩く川上に着いていくのに必死だった。

 川上は足下の険しい森林だというのに、歩くペースは普段と変わらない。器用に枝や草木をかき分け、すいすいと進んでいく。


「ちょっと、音立てすぎ。いくら相手がもう動けない状態って言っても、警戒されすぎたら厄介なんだからね」


 と、肩越しに振り返った川上から小声で注意が飛ぶ。青比呂は出来うる限り音を殺して歩いているつもりだったが、それでも騒がしいレベルだったらしい。


 あとどれぐらいだろうか。こんな雑木林のような道に入ってから、時間感覚はなくなっていた。言っていた「人避けの結界」とやらのせいだろうか。同じような場所をぐるぐると回り続けているような気がする。


「止まって」


 頭がふらふらになりかけた頃、川上の鋭い声が耳に突き刺さった。ぼう、としていた意識が呼び戻される。


「ここよ。見える?」


 川上が隣に立つよう、草木を踏みつけ場所を作る。青比呂はそこにそっと立ち、途端バランスを崩しかけた。


「うおお!?」


 つま先のすぐ前は、断崖絶壁といっていいほどの高い斜面が続く、すり鉢状になった大きなクレーターが広がっていた。


「おい、落ちるな」


 と、青比呂を後ろに引っ張り倒したのは、今まで道中青比呂の背中におんぶ状態でくっついていたせせらぎだった。


「コントしてないで見なさい。『ステイビースト』が肉眼でも見える」


 言い返したい部分はあったものの、青比呂は言葉を飲み込み、クレーターの中をのぞき込んだ。


「……あれが……?」


 確かに三体、オブジェのようなものがクレーターの中央部分でうろうろとしている。

 外見は先ほどタブレット端末で見せてもらった通りの、馬を思わせるシルエットだった。だが、


(この感じ……)


 数日前に閉鎖病棟に忍び込んだ夜のことを思い出す。

 その病室で現れた、『佇み』。

 無機質で、機械的で、感情や表情、心など一切なく、ただ自動的に動くだけの「現象」……それと同じものが、あの『ステイビースト』と重なって見えた。


「……」

「どうしたの、青比呂くん」

「いえ、何でも」


 『佇み』は『佇み』だ。今は切り離して、目の前のことに集中しよう。青比呂は思考を切り替え、川上に顔を向けた。


「このクレーターは、まあ『ステイビーストほいほい』みたいなものね。動き回る『ステイビースト』が好む周波数……つまりに人間の脳と同じ周波数を疑似的に流して引きずり込む簡単な仕掛けよ。罠ってほどのものじゃないけど、目印代わりに各地に作られてるわ」

「入った連中は脱出出来ないんですか? 斜面は確かにきつそうだが、出られんとは思えないけど……」


 青比呂が横目でクレーターの中心部分を見ると、三体の『ステイビースト』はその場を離れる様子はなく、まるでゲームのNPCのようにうろうろとしているだけだった。


「人間の脳の周波数を、このクレーター全体か螺旋状に発しているから、『ステイビースト』は永遠とその周波数を追い続ける……つまりは出られないってわけ。まああのアカジャクとかになると、引っかかりはしないけどね」

「……そんな単純なものなんですか……?」


 それが今、街を陥れる驚異? 想像とはあまり結びつかず、青比呂はいまいち現状に危機感を覚えられずにいた。


「システム的にはね。ただ、対人戦となると話は別よ。それは今から味わってもらうことになる」


 川上の言葉から温度が消えていく。空気が張り詰めたものに変わっていった。


「じゃあ早速始めるわよ。あの三体、防ぎきってみなさい。それすら出来ないんじゃ、アカジャクと張り合おうなんて無理だからね」

「……やるさ。そのためなら、何でもな」


 左手の薬指が熱くなり、光を発し始める。


「確か、名は『ミヤマヨメナ』……か」


 青比呂の言葉に反応するかのように、指輪は蔦を無数に伸ばし青比呂の左腕に絡みつき、舞った青い花びらが腕に集結し、蔦と絡み合いつぼみが生まれた。

 人間のこぶし大はあろうつぼみは、徐々に膨張し、内側から割れんばかりに花弁を外へと押しやり、色が淡い青から鈍色に変化し始める。


 光がつぼみの中からあふれ出した。ゆっくりと開く花びらは、青比呂の上半身を覆う大きさにまで広がり、一輪の花となって「盾」の形を取った。

 青比呂が「盾」を頭の中でイメージした瞬時に、この『ミヤマヨメナ』は展開した。『防御領域』の発動は、思ったよりシンプルなものらしい。


「せせらぎはここに残って指揮をとって。と、いっても今回はそんな相手でもないけど……一応これを」


 と、川上がインカムを青比呂、せせらぎに渡した。


「余程のことがない限り通信が途絶えることはない無線よ。最初はこれで連絡を取り合いなさい」


 見たところ普通の、市販でどこにでもありそうなものだが、きっと特殊な仕掛けでもしてあるのだろう。青比呂はインカムを耳に引っかけ、せせらぎはインカム自体初めて見るらしく、川上に取り付けてもらっている。


「よし、じゃあ行ってくるか」


 拳を手のひらにたたきつけ、青比呂は急な斜面に身を投げ出した。

 瞬時に、頭にきん……と響く気圧差のような圧迫感が生まれる。クレーター中央でうろうろとしてた『ステイビースト』たちがびたりと動きを止め、顔だけを青比呂に向けた。


『もう「マザーシグナル」の射程距離に入ってるわ、すぐに『防御領域』で体をかばいなさい!』


 インカムから早口で川上の声が聞こえた。青比呂は慌てて盾、『ミヤマヨメナ』を前方に掲げ、『ステイビースト』たちとの間に割り込ませる。

 すると一瞬で頭を締め付けようとしていた圧迫感が消えた。体が楽になる。


「今のが「マザーシグナル」……確かに浴び続けてたら頭痛どころじゃなさそうだな」


 滑る斜面を慎重に進みながら、クレーター中央に近づいていく。三体の『ステイビースト』は綺麗に三体とも横に整列し、青比呂に向かって並んだ。


 クレーターの傾斜がゆったりしたものになる。青比呂はかかとで滑る足を止め、盾越しに三体の『ステイビースト』の様子をうかがった。


 すると、耳に入ってくる金属音のような、鳴き声のようなものが頭を殴りわずかに意識を失いそうになる。ぐらり、と揺れた姿勢で『ミヤマヨメナ』の内側に入った瞬間に、その音が消え失せ、青比呂は激しく息を乱し、吐き気を催した。


『何やってるの! 『防御領域』の外から出ちゃだめって言ったでしょ! 死ぬわよ!』


 インカムから川上の叱咤が飛ぶ。

 確かに、死ぬとは大げさなことではなさそうな気がした。

 ただわずかに『ミヤマヨメナ』から顔出しただけで、頭と意識が溶かされそうになった。その不快感は未だ体に残り、頭をズキズキと突き刺している。


(こんなのまともにもらったら……そりゃ『佇み病』なんて出てくるか)


 今目の前にいる三体の『ステイビースト』は、常に「マザーシグナル」を放ち続けているようだ。それは確認しなくても、注意深く感覚を研ぎ澄ませれば、『防御領域』である『ミヤマヨメナ』が反応しているのが分かった。


 『ミヤマヨメナ』の表面が、波打ち、ざわつき、そしてその波動を周囲に拡散しているのが体の感覚でとらえることが出来た。確実に『ステイビースト』の「マザーシグナル」を弾き、消耗させている。


(持久戦か……確かに肝を据えてかからないとな……)


 わずかでも気を緩めれば、『防御領域』をすり抜けて「マザーシグナル」が襲ってくる。

 二度の体験で体力ががくりと落ちていた。三度目ともなれば、立て直す気力も自信もなかった。


(しかし……)


 『ミヤマヨメナ』が弾く「マザーシグナル」は一向に止む気配を見せない。ただ『防御領域』で防いでいるだけとはいえ、集中力はどんどんと緊張感で削られていく。


 青比呂はインカムで川上に呼びかけた。


「あとどれくらいで『ステイビースト』は消滅するんですか? ほとんど変化なし、なんですが」


 インカムからは至って平然、とした声が返ってくる。


『そうね、三体同時となると、あと四時間ってところかしら』

「よっ……!」


 四時間!? この姿勢、この気力のままで!?


『だから言ったでしょ? 耐えるだけって』


 また甘くみていた。青比呂は自身の考えと現場での現実を軽んじていたことを情けなく思った。


「くそ、とんだ長丁場だ……こんな勝負だとは思わな……」


 愚痴をはき出していた青比呂の背筋がびくり、と冷たく凍り付いた。同時に、三体の『ステイビースト』のいるクレーターの上から草木をかき分け、無機質なシルエットが4体現れる。


「な……に!?」


 クレーターからこちらを見下ろすように現れたのは、四体の、同じ馬に似たタイプの『ステイビート』だった。


「ど、どういうことだ、川上さん!」

『……本来小型は群で行動するはずで、たった三体だけ引っかかるのはおかしいと思ってたけど……どうやらはぐれてた仲間を迎えに来たみたいね』

「冷静に分析してる場合か! どうするんだ!」


 三体相手でしのぐのがやっと、といったところで更に四体の敵増援。新たに現れた『ステイビースト』はためらうことなくクレーターの中に飛び降り、まっすぐ青比呂に向かって走り出した。


 無線の奥で、川上がしばし間を置いてから、こちらにではなくせせらぎに言った。


『せせらぎ、『ウタカタ』であるあなたの出番が来たわ』

『私も、あいつら殴りにいくのか?』

『そうじゃないの。本来『防御領域』で「守り」にしか能力を持たない「盾の戦士」が唯一「攻撃」に転じることが出来る方法があるの』


 傾斜を滑る『ステイビースト』は四方に分かれ、青比呂を左右から挟み撃ちにしようと回り込んでいた。


『それには『ウタカタ』と『カタワラ』の心の一致が必須となる、私たちの奥の手よ』


 じりじり、と頭にノイズが走り出した。「マザーシグナル」が、青比呂の頭の中を刺激し始めている。

 四体の『ステイビースト』は四方に回り込み、前には追加で四体、左右に一体ずつ、後ろに一体と完全に囲まれた形となってしまった。


『その名は『ステイヒート』。この場を乗り切るには、やってもらうしかないわ。ぶっつけ本番だけど、成功させなさい』



 続く

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