第10話 独りが終わり、数は二つに



 走った。


 手探りで始まり、やがて素人が出来るボーダーラインを超え、危険な領域にまで手を出した。


 走った。


 命の危機を感じたことは何度となくあった。それでも、この先妹が……赤音がいるのなら。もう一度会えるなら。また一緒に暮らせるなら。あの夕陽に戻れるなら。


 走った。


 気がつけば、当たりは真っ黒で、何も見えなくなった世界だった。


 走っていた。だけど、風景が変わらないことに気がついた。段々と夕暮れの景色は夜の空気に変わり、月明かりも消え星の明かりもなくなり、息が切れる頃には、自分以外の姿を見つけることが出来なくなっていた。


 そっと手を伸ばす。目の前に何があるか、全く見えない。

 とん、と壁のようなものが手に当たった。両手を伸ばし、その見えない壁を確かめてみる。


 何だ、この壁は。


 手前どころか、左右どこまで行っても広がっている。ここから先へは進めない。


 どんどんと、力任せに叩いてみた。だが、何の反応もない。


 おかしい。自分は前に進んでいたはずだ。前に、赤音のいる方角へ進んでいたんだ。だからこんな壁があるなんておかしい。赤音に会えるはずなのに、この壁が邪魔をするのか。


「現実も見れない愚か者……情けねえなあ。いくら探したって無駄に決まってんだろ」


 聞こえた声にはっとして、顔を上げた。石木田の声だ。


「新垣赤音は死亡。二年前の『セルフファイア事件』で死亡した。いや、自爆した、か」


 ち、違う! 自爆!? でたらめだ! そんなこと……。


「ムキになるなよ「おにいちゃん」。そんなに現実が受け入れられないかね」


 現実……現実って……何だ、それは。俺の現実はッ!


『噂通り、みたいね』


 次に聞こえてきたのは、女性の声。あの執務室の秘書官、川上と名乗った女性の声だ。


『死んだ妹の死が受け入れられない……危ない橋も渡っている。かける言葉を探してもいいかしら』


 声はご丁寧にも電話越しの音声で再生されていた。

 どこから聞こえてくるのかも分からないそれに、青比呂は上下左右を見渡し、警戒の目で暗闇をにらみつけるが、何も見えない。


「赤音は、死んだ」


 びたり、と体が凍てついた。

 赤音と同じ顔で、同じ声で、そんな言葉を聞いた。


「新垣赤音、死んでる。二年前に、死んでる」


 せせらぎ。お前もか。お前も、そんなことを言うのか?

 青比呂は足下をふらつかせ、見えない壁に背中をぶつけた。


「二年前、赤音は街と避難中の人間を守るため、限界以上の力を使った……」


 刻鉄の声だった。どこだ、どこにいる。いや、どこにでもいるのだ。四方八方から聞こえてくる。


「……あの時、あの戦場では全ての情報が交錯し混乱していた。俺でさえ、赤音の状態を把握し損ねていた……。俺が気がついた時にはもう……」


 膝を支える力が消えてなくなる。


 ずるずると、見えない壁に背中を引きずらせて、青比呂は地面へ落ちて行った。


 走って、走った先。

 ここが、ゴールか。

 何も見えない、誰もいない、真っ暗な深海のような場所が、求めていた答えだったのか。


「実に、皮肉。皮肉だな。いや、滑稽か。なんとでもいえる」


 耳に届いた獣の声に、左の薬指がびくりと反応した。


 あいつは……あの化け物は、何だったんだ?

 皮肉と言った言葉。それが頭に引っかかっていた。皮肉? 一体何に対しての皮肉だというのだ?


「自覚がないようだな。では特別に自己紹介をしてやろう。俺の名はアカジャク。史上最強の『ステイビースト』だ。そして二年前……貴様らが『セルフファイア事件』と呼んでいる大規模な戦闘。相手は大型の『ステイビースト』、それは知っているな」


 雄弁と語っていた言葉がよみがえってくる。にやついた、愉悦で歪む口元も思い出せるほど、記憶は鮮明になっていた。


「その大型の『ステイビースト』とは、俺のことだ」


 ……赤音と交戦していた『ステイビースト』が、あのアカジャクという、化け物……。


 視界の端。わずかに光る光源を目が拾い、顔を億劫そうに傾ける。


 左手の薬指にはめられていた指輪が、鈍色にくすんだ光を生んでいた。


「……何だ、これ……」


 いつの間に、こんなものが。青比呂はこんなアクセサリーを着けた覚えはない。

 だが、光は青比呂に訴えかけるようにゆっくりと点滅し始めていた。


「……そういえば……」


 赤音が刻鉄の『カタワラ』になった際、説明を一緒に聞いたことがあったのを思い出す。

 『カタワラ』とは、主に当たる『ウタカタ』の元に忠誠を誓うことで『防御領域』という超常の力を振るうことが出来る。その際生まれるのがこの「契約の指輪」だと言う。


 これは『防御領域』と同義で、この指輪が変化し「盾」へと展開し形になる。形、性能は個人によって様々である、と。


「……俺が、『カタワラ』に……」


 だとしたら、主たる『ウタカタ』は、誰だ?

 それ以前に、何故自分に、適性検査では結果が出なかった者に『カタワラ』の指輪がはめられている?


 青比呂がそんなことをぼうと考えていると、光の点滅は速度を上げていく。どんどんと光は強くなり、光は早くなり、指輪から光量がこぼれ落ちそうになる。


「な……何だ」


 異常なその反応に、思わず立ち上がった。

 瞬時に、風が夜気を帯びて頬をなでた。草と土と、花の香り。それらが感覚を刺激し、意識を呼び戻してくる。


「ん? やっと起きた」


 立ち上がったままの青比呂は、茫然としている。ここは……。


「青比呂、手伝え」


 目の前にいるのは、土いじりで手を土まみれにしたせせらぎだった。両手にはバケツとスコップを手にしている。


「え……あ、いや……」


 青比呂は改めて周囲を見渡す。

 夜空が広がっている。衛兵のように立ち並ぶ防風林の上に昇る月が明るく、特にライトなどないのに、夜のとばりを羽織っていても咲いて並ぶ花々の姿はっきりと見えた。


 花園だ。せせらぎが地下から案内してくれた、赤音と共に作ったという、花園に今、自分は立っていた。


「なん……で、俺は……」


「お前屋敷でふらふらしてた。危なっかしくて連れてきた」


 ややご立腹の様子で言うせせらぎの言葉に、青比呂は「え?」と間の抜けた声をこぼした。


「そしたらお前、倒れて寝始めた。風邪引くぞ。バカでも風邪は引くぞ」


「……」


 二の句も出てこなかった。自分はいつの間に刻鉄の執務室から出たというのだろう。それすら記憶にない。


「それより、花壇の手入れ手伝え」


 と、せせらぎはバケツとスコップを青比呂に押しつけた。青比呂は反射的にそれを受け取ってしまうが、


「な、なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだ。それに今はそれどころじゃ……」


「『カタワラ』は『ウタカタ』の言う事、絶対服従。言う事、きく。これ基本」


「はあ? 誰が『ウタカタ』だってい……う……」


 両手の空いたせせらぎは左手の薬指を掲げ、これ見よがしに鈍色に光る指輪を青比呂の目と鼻の先に突きつけた。


「……まさか……」


「お前、昼間アカジャクと戦えた。それ、私が『ウタカタ』として赤音から預かった力、渡したからだ」


「な、にぃ!?」


 自分の左手の薬指にはまった指輪を見る。きっちりと、ぴったりと肌に張りつている。


「とれないぞ」


 青比呂の行動を予測したかのように、せせらぎが意地の悪そうな笑みを浮かべ言う。


「ちょ、ちょっと待て! 俺の立場はどうなる! 俺はやるべきことが……!」


「赤音か」


 笑みを消し、せせらぎは冷たい眼差しで青比呂を射すくめた。青比呂はその視線に縫い付けられたかのように、動けなくなる。


「お前、今のままで本当に赤音、喜ぶと思うか」


「……」


 まっすぐに向けられた視線から、反射的に目を反らそうとしていた。そんな自分に気がつき、舌打ちする。


「なら、聞きたい。……あのアカジャクって化け物……アイツは何だ? あいつは俺を見て「皮肉だ」と笑った……それが妙に引っかかってる」


 それだけではなかった。

 あのアカジャクという存在自体が、不自然なものに思えてならなかった。ただの強大な『ステイビースト』……というだけではない。「あれ」がいること自体が、何かを意味しているような気がしてならなかった。


 それは初めて目にした時、感じた熱のせいか、それともただの錯覚なのか。いわゆる武者震いの類いだったのか。

 今は定かではない。しかし、見過ごすには大きすぎる違和感だった。


「皮肉、か」


 せせらぎが青比呂の言葉をなぞる。


「今は花壇の整備、手伝え。答えなら、向こうから来る」


「……くそ」


 息を落とし、青比呂はせせらぎの隣にしゃがんで花壇の土にスコップを差し込む。


「なら、俺から提案だ。とりあえず、お前に従う」


 ざくり、と土をさして言う青比呂の横顔を、せせらぎが振り向いた。


「だが最優先であのアカジャクってやつを叩く。そして知ってることをはき出させる。少しでも赤音の情報をな。何が「皮肉」かも、たたき出してやる」


「……。あいつ、まともじゃないほど強い。見たはず。知ったはず。その身で」


「そこは工夫で補うんだよ。何のために人間に脳みそがあると思ってんだ」


「……。そうか」


 こぼれたせせらぎの言葉が、若干柔らかく聞こえた。せせらぎの方へと顔を向ける。


「こら、よそ見しない。土そんな乱暴にいじる、ダメ」


「この……可愛くないやつ……」


 月明かりの下でしばらくの間、土の手入れをする二人は花々に囲まれながらもいがみ合い、しかし整備は日付が変わる前には終了した。




 続く

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