第7話 ミヤマヨメナ

 アカジャクの長い舌が、燃える唇をなでる。目はらんらんし、獲物である黒服を捉え、前足を垂らして距離を測っていた。


「ひ……」


 一歩下がり、「盾」を前にして、恐怖で歪んだ顔を少しでもアカジャクから遠ざけようとした。

 

 だが。


「おいおい、どこへ行くんだ。一人にしないでくれよ、寂しいじゃないか」


 長いアカジャクの腕が伸び、すくんでいた縦長の「盾」を握りしめた。


「く、来るなぁぁ!」


 悲鳴と共に、握りつぶされる縦長の『防御領域』。黒服は完全に恐怖に支配され、頭は真っ白になっていた。懐から護身用の拳銃を取り出し、がむしゃらになってアカジャクへと引き金を引く。


 しかし、炎に包まれた装甲には、弾丸は通じなかった。弾丸は表面に届く前に炎で蒸発し、粉微塵になって消えてしまう。


 アカジャクは、はぁ……と落胆のため息を落とした。


「お前さんは『カタワラ』としても失格だな。そんなおもちゃでどうにかなると思ったか?」


 全ての弾丸を撃ち尽くした拳銃はもう引き金が引けない。黒服は涙目になって後ずさり、


「た、助けて……お、俺だけは助けてください」


 と、蚊の鳴くような声でささやいた。

 それにアカジャクは口の両端をつり上げ、にんまりとした笑みを作ると、


「だーめ」


 と、黒服の頭を丸ごとかみ砕いた。

 頭部を失った体は大量の出血で服を濡らしながら、ばたりと倒れる。


「まったく。貴様ら『神威』は守りの一族だろうが。それを放棄するとは、けしからんなあ」


 嬉しそうに歯ごたえを楽しみ租借し、殿に通らせたアカジャクは庭園の奥に見える大きな屋敷へと目をやった。


「さて、来てやったが刻鉄……とんだ肩すかしというか無駄足だったな。このまま『盾の一族』も食らってやるとするか」


「させない」


 アカジャクは不意に聞こえた小さな声に、ぴたりと体を止める。

 庭園を区切る方風鈴から、小柄な人影が姿を現した。


「これ以上、殺す、だめ。お前、倒す」


 片言の少女の姿を見て、アカジャクは歩みかけた前足から力を抜いた。


「……新垣、赤音……?」


「……」


「そんなわけがないか。だがあの姿はどういうことだ……? それに、この「空っぽ」な感覚……」

 

 アカジャクは笑みを消し、現れた人影……せせらぎを凝視しながらゆっくりと体を彼女の方向へ向ける。


「っぷぁ! どこだ、せせらぎっていうか藪の中突っ込んだらクモの巣が……!」


 今度は防風林に足を取られ、転がり出てきた青比呂が声を上げて立ち上がり、せせらぎと、それと対峙するアカジャクを目にする。


 せせらぎは一瞬青比呂に目をやっただけで、すぐに視線をアカジャクへと戻した。


「な、何だあれ……」


 青比呂はアカジャクの姿を見て、ぞわりと体中が、神経が、細胞が警戒信号を鳴り響かせているのを感じた。

 『ステイビースト』。間違いない、散々ニュースで報じられている。雰囲気で、本能がそれと感じ取っていた。だが、直に見るのは初めてだった。


 だと言うのに。


(何だ)


 どくん、と心臓が大きく跳ね上がった。


(何だ)


 いつの間にか左の手のひらに握っていた、一輪の青い花が熱を帯び始めた。


「……お前は」


 急に現れた人間、新垣青比呂にアカジャクは警戒というよりも探りを入れる目で青比呂の姿に目をこらしていた。


(知っている)


 青比呂の頭の中で何かがけたたましく鳴り始めた。鐘の音に似ていた。同時に頭痛のような、こめかみを突き刺すかのような鈍痛が、鐘の音と同時にうずき始める。


(こいつは)


 赤い景色の中で、消えていった大切な者の影。

 飛び散り、帰らない帰り道を歩いていった後ろ姿。


「……う、うう」


 握りに握りつぶした左手は、青い花びらに火をつけていた。


 アカジャクはその様子を注意深く観察しながら、身を低く落としすぐにでも動けるように構えていた。四つ足を伏せ、前足と後ろ足の瞬発力をためる。


「青比呂」


 せせらぎが凛とした声で言う。


「もう目、そらす必要ない。現実に戻ってきた。その花、お前の過去、決別してくれる」


 せせらぎの言葉はかろうじて聞こえていた。だが、それ以上に。

 それ以上にこのはらわたから煮えくりかえる熱量に、全身の血液が沸騰しそうだった。


「名は『ミヤマヨメナ』。お前の「盾」、、果たせ」


「おおおおおお!!」


 せせらぎの言葉が自分に届いたのか、それとも、左腕に生まれた熱量の塊がうずき、「前に出ろ」と駆り立てたのか。


「ううおおおおお!!」


 喉の奥から、腹の底から、内側から、心臓から、脳から、それとも魂とやらからか。

 この『ステイビースト』を見た瞬間から、青比呂の抱いた感情は決定されていた。


 襲撃に備えていたアカジャクが、まっすぐに飛び込んでくる青比呂の接近を許した。


 腹の底に渦巻いていたのは、怒り。

 許せない、こいつだけは放置出来ない。

 たたきのめさなければならない。


 何故か。

 理由は熱で曖昧に溶けていた。体が勝手に動き、心も沸騰し赤色一色となった。


 視界が真っ赤になる。

 青比呂の左の拳がアカジャクの額に打ち込まれ、アカジャクは大きくバランスを崩し倒れる。すぐさま体をひねって体勢を立て直すが、驚きの色を一番に浮かべていたのは、当のアカジャク本人だった。


 青比呂は勢いのままごろごろと地面を転がり、乱暴に体を止めると、うなり声を上げて立ち上がる。


「俺に拳を、当てた……? こいつは……」


 目を鋭く尖らせたアカジャクは、青比呂の目を見て「……そうか」と短く小さな声でつぶやいた。


「お前、あの時の……」


 青比呂はそのつぶやきに眉を上げる。あの時?


「何があの時だ? てかお前は何だ。妙に……無性に癪に障るんだがな」


 憮然と言い捨てた青比呂の言葉に、アカジャクは目を丸くした後、大声で笑い始めた。


「ははは! 俺が何者か分からないで殴りかかってきたのか? 俺はてっきり「そのつもり」で来たんだと思ったんだがなあ!」


 前足を額に当てるという、人間くさい仕草でアカジャクがカカカと喉を鳴らす。


「そのつもり……? さっきから何言ってやがる……」


「自覚がないようだな。では特別に自己紹介をしてやろう。俺の名はアカジャク。史上最強の『ステイビースト』だ。そして二年前……貴様らが『セルフファイア事件』と呼んでいる大規模な戦闘。相手は大型の『ステイビースト』、それは知っているな」


 そこで言葉を区切られ、青比呂の左腕がびくりと跳ね上がった。


「その大型の『ステイビースト』とは、俺のことだ」


 考えるよりも、体が、体内の熱が、内側から突き上げる衝動が走る方が早かった。

 青比呂は熱を帯びた左腕を振り上げ、再びアカジャクへと飛びかかる。


「愚か者め。簡単な挑発にのりおって」


 アカジャクの前足がゆらりと昇り、次の瞬間には青比呂は真後ろへと弾き飛ばされていた。音は遅れてやってきた。鈍く、重たい金属音が、空気を振動させて庭園の芝生を波立たせる。


 背中を打ち付けた青比呂は、あっけにとられた顔で上体を引き起こし、そして左腕をまじまじと見た。


「何だ……た、て……?」


 アカジャクは自ら放った前足と、青比呂の左腕を交互に見やり、露骨な舌打ちをならす。


「それが、貴様の『防御領域』か」


 青比呂の左腕には直径90cmはある花の形をした「盾」が、蔦によって腕に縛り付けられ装備されていた。その花の形は、さっきせせらぎから渡された花と同じ形をしていた。


「『防御領域』が……俺に? 適正もなかったのに……」


 困惑しかける頭でせせらぎに目をやった。せせらぎはその場に堂々と立ち、青比呂をまっすぐ見つめて言う。


「言ったはず。赤音に託された花。赤音からの、花」


「赤音、から……」


 誇らしげに、広々と、花弁を広げ堂々と咲いた花は、上半身を覆うほどの大きさを持ち、そして何をも通さない強く頑強な意思で固められた表面は、鈍色に光り、太陽の下、全てを弾き返そうと輝いていた。


 先ほど、せせらぎが言っていた言葉がよみがえってくる。

 

 名は『ミヤマヨメナ』。



 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る