第5話 せせらぎ / 面影


「……せせ、らぎ?」


 せせらぎ。心の中で「この少女」が言った言葉をなぞってみた。どんどんと「目の前の少女」から、赤音の存在が遠ざかっていく。


 違う。確かに、違う。

 赤音、ではない。

 赤音にしては、無機質で、空っぽいすぎる。


 まるで「中身がない」……がらんどうの銅像と会話しているような錯覚を覚え始めた。


「せせらぎ、か……」


 徐々に、思考が冷静さを取り戻し始めた。本当に解毒作用があったようで、体中の痛みが消えている。迸っていた熱も、今はない。


「……何故、赤音の名を知っている」


「名前だけじゃない。来い」


 せせらぎがそう言うと、鉄格子が勝手に開いた。側には、白い花びらが一つ落ちていた。


 青比呂が驚くまもなく、せせらぎは背を向けて通路を歩き出している。青比呂はどうやって鉄格子を開けたのかという疑問をとりあえず無視して、慌ててせせらぎを追った。


 通路は常に真っ暗で、一本道であったがどこまでも出口の見えない地底の底にでも閉じ込められたかのように感じた。


 それを救ったのは、まるで目印のように点々と落ちていた花びらだった。

 視界がほとんどきかない、闇に目が慣れても一歩手前さえ見通すことが出来ない通路の中で、花びらは光源のように通路に浮かび上がり、上へと続く階段に繋がっていた。


 やがて、花びらは鈍い光の天井に続く道を作り、階段を探りながら歩く青比呂は目を細めた。


「出口……か?」


 暗闇に長くいたせいか、わずかな光でも目に刺さるように痛く感じる。だが光があるということは、外に繋がっているということでもある。青比呂は焦る気持ちを抑えながら慎重に階段を上り、鈍く光る輪郭の「ふた」を腕で押し上げた。


 空気ががらりと変わる。

 湿気た地下の空気とは違い、生きた太陽の光とそよ風が運んでくる空気は、濁っていた肺を一気に洗浄し、一呼吸で汚れた二酸化炭素をはき出させた。


「ここは……」


 まだ日の光で視界がにじむ中、目の焦点が合わない状態で拾った情報は「香り」だった。


「……花……」


 視界が正常なものに戻り始め、青比呂は地下の階段から体を地上へと乗りだし、丁寧に敷かれた芝生の上に立った。


 視界一面を埋めるのは、ささやかなものから高く空へ向いたものまで、広げた花弁をまっすぐな太陽の光に向けて開き、青空を独占していた。


 見事なまでの花園だった。品種事に分けられ、色も花の高さも配置も計算されている。ガーデニングにそれほど知識があるわけではない青比呂でも、見とれるほどのこだわりを感じさせた。


 面積としては、大きくはない。裏庭、程度だろうか。だがそれでも、敷き詰めるでもなく並べるだけでもなく、花と花を咲かせ全ての花弁を日の光に浴びさせ、豊かさを持たせる花畑とも言えた。

 周りは防風林で囲まれている。しかし圧迫感などは感じられず、むしろ花たちを守る衛兵のようにそびえ立っているようだった。


「青比呂、遅い」


 ぶつ切りの言葉で言う和服の少女、せせらぎは、両手にじょうろを持ち、片方を無言で青比呂に差し出した。


「え……」


「水やりの時間。手伝え」


「は、はあ?」


「早くする。手伝え」


 言うだけ言うと、せせらぎは花壇の一角へと向かっていった。


「い、いや……それよりも、お前は赤音と一体……」


「こらそこ! 踏んじゃダメ!」


「は、はい!」


 駆けつけようとした足をビタリと止める。危うく花壇に足を突っ込むところだった。


「花はデリケート。乱暴、だめ」


「……」


 そういって水やりを再開した後ろ姿に、赤音の姿が重なる。

 だが、決して一致しないのに、今怒鳴られた時は、赤音にも叱咤されたことを思い出させた。


 青比呂は手に持たされたじょうろを見下ろしながら、


「おい、せせらぎ……だったな」


「何だ?」


「俺はどの辺の花に水をやればいい」


 そう言うと、せせらぎは傾けていたじょうろを戻し振り返った。後れ毛が頬に残り、大きな瞳は花園の奥に咲くひまわりに向けられる。


「あのひまわり、頼む」


「分かった」


 途中でうっかり花を踏まないよう花園を歩き、背の高いひまわりの側に立ってじょうろの水を傾けた。


「聞いていいか」


 水を注ぐまま、振り返らずに言う。


「これ、ここの花……全部お前が植えたのか」


 一通り水を巻き終え、後ろへと振り返った。和服姿の少女はちょこんと座りながら、小柄の花に小さなじょうろで水を注ぎながら言う。


「違う。私だけと、違う」


 返ってくる言葉は相変わらず片言の言葉だった。


 せせらぎは頬にかかった後れ毛を耳に流し、顔を上げてつぶやいた。


「赤音と一緒に作った」


「……」


「赤音に、花のこと、教わった」


 せせらぎの唇がほんの少し、笑みの形を作った。

 青比呂は左右に広がる花々を見渡し、小さく息をつく。


「……どうりで、花の配置に見覚えがあるはずだ」


 ベランダに作られた、小さなガーデニングの花々を覚えている。

 それはここにも、花の記憶を呼び起こさせた。


「……せせらぎ。教えてくれ」


 じょうろをそっと地面に置き、せせらぎに視線を合わせるため、中腰になって言う。


「赤音はどこにいる」


 まっすぐに青比呂を見返す瞳は揺らぐことはなく、そらされることもはぐらかされることもなかった。


「お前に、渡すもの、ある」


 瞳は色を変えず、向き合ったまま、せせらぎは小さな手のひらをそっと青比呂に差し出した。

 一輪の青い花。花弁は小さく、野草とも思えた。青比呂には花の知識があるわけではない。


「赤音から、預かってたものだ」


「赤音……ッ!」


 全身が総毛立つ。だが、青比呂が言葉を発する前にせせらぎが先に口を開いた。


「赤音に渡してほしい、頼まれた」


「頼まれたって……いるんだな! どこに……」


 せせらぎの肩をつかみ、叫びそうになった瞬間鼓膜を叩き腹の底を突くような轟音が、すぐ近くから響いてきた。


「何だ……!?」


 爆発音そのものといえた。青比呂は思わず音のした方向を振り返る。花園の向こうには広い霧島邸の敷地が広がっていた。


「ってか、ここは屋敷のどこに当たるんだ。一体……」


 するり、と青比呂の手の中から感触が消える。


「お前、ここにいろ。危険だ」


 花園を横切り、走り出したせせらぎは強めの語気で言った。


「お、おい! どこ行くんだ! てか何事だ!」


「来客だ。お前は来るな」


 短く言い捨て、和服だというのに素早い動きで花園を突っ切り、防風林の隙間を突破して行った。


 唖然としたままの青比呂だったが、再び聞こえてきた轟音に耳を揺らされ、眉間に皺を作った。


「来るなって言われてもな……ここまで来て引き下がれんぜ。赤音の側まで来ているんだ……!」




 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る