5.社会資源の紹介、そして――

 金本さんはノートに二種類の単語を書きました。

 私も障害者雇用については勉強をしましたので、分かっているつもりではありますが、それをどうやって患者さんに伝えるのか、金本さんのやり方をちゃんと見て勉強をします。


「障害者雇用、聞いたことはありますが……」

「はい。今の世の中ほとんどの会社で義務付けられている制度です。障害者手帳しょうがいしゃてちょうを持った障害者を決められた雇用することで、国から補助金が出るという会社側には嬉しいメリットがあるのですが、雇用される側にも嬉しいメリットがあります。それは、会社や企業さんで、障害者を受け入れる体制が整った中で雇用してもらえる、つまり理解のある環境で仕事ができるということです」

「な、なるほど」

「なので、本人さんがどこまでできるのか、会社側がどんなことを本人さんに配慮すればいいのかいろんなことを考えてくれます」


 金本さんは説明しながら、ノートにカリカリと音を立て分かりやすく書いています。

 以前、金本さんが言っていました。発達障害は、耳から入る情報にとても弱い人もいるので、目で見える情報で伝えることも視野に入れるのも大事、だと。

 きっとそのことを考えて口でも説明しつつ、こうやって目の前で書いているんでしょう。


「あ、あの。障害者手帳というのは……」

「はい。障害者手帳というものがあります。手帳には三種類、身体・知的・精神があって、カナエさんが申請できるのは精神の手帳になります。正式名称で言うと、“精神障害者保健福祉手帳”といいます。本人さんの病状や生活の様子で等級が決まります。等級は一級から三級まであって、一級が一番重度。三級が一番軽度です」

「ああ、初めて聞きました。そんなものがあるんですね。持っていると、障害者雇用として働くことができるんですか?」

「そうですね。あとたくさんメリットはありますよ。等級にもよるんですけど、携帯の基本料金、光熱費、NHKなどの公共料金が安くなったり、バスが乗り放題になるフリーパスがもらえたり、タクシーも安くで乗ることができます」

「あらカナエ。あんたバスよく乗るじゃない。タダだって」

「うん。タダは嬉しいな」


 二人は顔を向き合い、そんな話をしている。


「ただ、精神の手帳は初診から半年経っていないと申請ができないんです」

「ああ。そうなんですね」


 あ、そうです。手帳は六カ月経過していないと申請できないんでした。

 こうなると障害者雇用はしばらく利用することができません……。障害者雇用は、手帳が必須。

 ど、どうするんでしょうか。


「そうなんです。カナエさんはうちが初診で、まだ一カ月ほどしか経っていないので申請ができないんですけど――、その代わり就労支援を利用するのはいかがですか?」

「就労支援ですか?」

「はい。ここに至るまでに不安の多い方もいると思います。これまで長く仕事に就いたことのない方や、いったい自分がどんな仕事が向いているのか分からない方。そんな方には、ちょっと遠回りにもなりますが、就労支援という社会資源を利用することを勧めています」

「そ、そんなものがあるんですね」


 母子は再び顔を見合わせる。


「就労支援には三種類あります。まず、就労継続支援と言ってB型作業所びーがたさぎょうしょと言われるものがあります。ここは軽作業などを通して就労のトレーニングを行うところです。特に期限は設けていないので、ここを職場だと思って働いている方もいるようですね。結構いろんな作業内容がありますよ。内職やカフェ運営、お菓子作りとか。工賃は出るんですけど、月一万円前後です。ここは手帳は必要ないです」


 金本さんの説明が分かりやすいのか、カナエさんもお母さんも「うんうん」と頷きながらメモを見ています。

 本当に勉強になります。きっと金本さんは、私にも聞かせることを目的としているんだと思います。


「就労継続支援にはもうひとつA型作業所えーがたさぎょうしょというのがあるんですけど、ここは手帳が必須なので説明は今は省きますね。あとは就労移行支援しゅうろういこうしえんというものがあります。ここは二年という期限が設けられていて、その期間内に就労を目指してトレーニングをしていくところになります。事業所さんによって違うのですが、電話対応や書類作成、あとは面接練習や履歴書の書き方など。他には実際障害者雇用をしている会社に実習に行くこともできます。ここは訓練という位置づけなので、特に工賃等は発生しないんです。あとここは手帳は必須ではないです」


 こうして目の前のノートには、就労についての一枚の説明書のようなものが出来上がりました。

 カナエさんは「見ていいですか?」と言ってノートを手に取ります。お母さんにも見せながら「移行支援行ってみたいな」と言っている声が聞こえます。


「カナエさんは、うちの診察は今後オンデマンドなんです。薬の処方もないので、何か困ったことがあったら来てね、という形なんです」

「あ、はい。先生にも言われました。でも今後こういった就労について、どこに相談すれば……」


 カナエさんは困った表情をしています。

 そうだよね。不安だよね。せっかくこういったことを相談できる場所を見つけたのに、オンデマンドだなんて。

 でも金本さんは、更なる提案をします。


「カナエさん、そういった困ったことを相談できるところを紹介しますよ」

「え。あ、あるんですか?」

「はい、発達障害者支援センターというところがあります。ここでは、私たちみたいな相談員さんがいて、就労とか生活に関する困ったことを相談できる場所です。あとフリースペースもあってね、居場所として利用することもできるんですよ。あと――、オンデマンドって言っても、この病院とも完全に関係が切れるわけではないから、何かあったらまたおいで」


 金本さんは、にっこりと笑いかけます。


 ずっとどこかもやもやした表情だったカナエさんが、歯が見えるくらいの笑顔で笑ったこと。

 そしてちゃんと金本さんの目を見て、「ありがとうございます!」と言えたことを――。


 ああ。この表情、これです。

 私はカナエさんのこの表情を、忘れることはないでしょう。



 ◆


「――というわけなので、カナエさんが今日早速お電話してみると言っていたので、今後の対応お願いします」


 金本さんは、カナエさんの許可をもらって先に発達障害者支援センターへ一本電話を入れました。そうするだけで相手先の受け入れがとてもスムーズになります。

 また今回の検査結果も、カナエさんに持っていくようにと渡してあげていました。


「金本さん。カナエさん、いいお仕事に就けるといいですね」

「そうだね。ところで私の今日の説明、水嶋さんにも向けて話してたんだけど、だいたい分かった?」

「あ、はい! それはもうバッチリ! 見てください、こんなに水嶋ノートに書き留めたんですよ!」


 私はうっすらと金本さんの意図に気付いていたので、ちゃんとノートに一言一句逃さず書いていたんですよ。ふっふっふ。


「あら、そう。じゃあ次からひとりで大丈夫だね」

「ああっ! 待ってください、それはちょっと!」


 見捨てないでください、金本さん!


「ていうか、水嶋さん。そんなところに立っていないで、座ったら?」

「――っ!!」


 か、金本さん! そ、そこは! その席はっ!


「て、天使のっ!」

「は? 天使? あ、そうだ。そろそろいったん他の部署に放り投げようかと思っているんだけど、急性期閉鎖病棟に最初行ってもらおうと考えててね」

「きゅ、急性期閉鎖病棟ですか」


 入院患者さんのいる病棟ですね。

 これは外来とは違って、とても勉強になりそうですね。


「あ、担当はね、今田さんだから」

「あぎゃ! て、天使!」




 ――カナエ編 Fin.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る