4.就労の選択肢
このためではないんですが、私はポケットに忍ばせておいたハンカチで涙を拭きとっていきます。
ナチュラルメイクはどんどん剝がれて、もはやすっぴん同様になっていきます。
もう最悪な初日です。明日から来ないでくれって言われたらどうしよう。
そんなことを思いながらも、私は涙が止まりません。
「水嶋さん、これはね誰も悪くないんだよ。彼らはいろんな生きづらさを抱えて毎日必死に生きているんだ。『むかつく』とか『空気読めよ』と言われながらも、一日一日を精一杯彼らなりに頑張っている。発達障害の子たちはね、自分に正直に生きているんだよ」
私は金本さんの言葉に固まりました。
毎日、彼らなりに必死に生きている――。
邪険にされても、変な子だと言われながらも、何度仕事をクビにされようとも、私たちと同じで、あの人たちも生きていくのに一生懸命なんだ。
私は何のために精神保健福祉士になったんだろう。
こんな人たちを守るためになったんじゃないんだろうか。
もっと発達障害の知識が広がって、こういった人たちが活躍する場がもっと増えてくれたら嬉しい。
「あ、金本さんが水嶋さん泣かせてる」
そんな時、後ろから声が聞こえました。
「はい~? 別にいじめているわけじゃありませんよ、今田さん」
今田さん?
あ、最初の挨拶をした時にそんなお名前の先輩がいたような――。
「大丈夫? 水嶋さん、本当にいじめられてない?」
今田さんがしゃがんで、顔を覗き込んできました。
えっと、あの。今泣き顔でぐちゃぐちゃなので、できたらあまり見ないでほし――
はうううっ!
め、めちゃくちゃかっこいい……っ!!
「いやっ! あの! えと! 泣いてまてん!」
「ん? 水嶋さん?」
「え、ちがてく! イケメ……、ちが! 眩しっ!」
「眩しい? 今日曇りだよ?」
「あの、その! 天使! 天使の羽が目に刺さって!」
私はあまりのかっこよさに突然立ち上がり、パニックで変な動きをしてしまいました。小学校地元で習った盆踊りのように手足をくいくいっと動かしながら、必死に泣き顔を見られないように何とかごまかします。
もう必死です。頭の中のちゃぶ台を「うおりゃあー!」っとひっくり返し、その上に乗っていたいろんな小物が『ガッシャ―――ン』と大きな音を立てて、床に散らかっていくような感じです。
「あはは。水嶋さんっておもしろいね」
「急にどうしたんだ、この子は」
あああ~。笑った顔なんて、マジ天使。
見れない。まともに顔が見れないー!
「あ、水嶋さん。ここ、ちょっといいかな?」
ん?
天使今田は、私の座っている椅子を指差しています。
も……、もしかして……。
「あ。ここ僕の席なんだ」
そして私は、気付いた時にはなぜかトイレにこもっていました。
「水嶋さーん。急にどうした? おなかでも痛いの?」
ドアをノックしてくれているのは金本さんです。
「天し……、いえ。違います。はい、突然おなかの具合が。すみません」
ドア越しに私は答えました。
今田さんのあまりにもイケメンっぷりに驚いて、思わず逃げてきてしまいましたが……。
もうやらかした感が半端じゃなくて、冷や汗ダラダラです。さっきからぽたぽたと床に落ちています。
「大丈夫? そういえば、カナエさんの診察終わったよ。後日心理検査をして結果によっては、こっちに回してくれることになったから、その時はまた一緒に対応しようか」
この言葉を聞いて、私はドアを開けました。
そう。私は相談員だ。
カナエさんのこと、おざなりに出来ない。
「お?」
「はい! 最後までよろしくお願いします!」
「よしよし、いい返事だ」
私は金本さんとまた、連携室に戻ります。
「他にもまだまだ教えることは多いからね。ビシバシいくから、覚悟するように」
「は、はいっ!」
そして二週間後――。
心理検査を行ったカナエさんの結果が出来上がりました。
行った検査は、
詳細はお話しできませんが(※事前に調べて挑む方がいらっしゃるため。そうするとちゃんとした結果は得られません)、これでその人のIQや発達のバラツキが数字化されて出てきます。
すごく印象的だったのが、IQというのはいくつになっても大きな変化はないそうです。知能とは生まれ持ったもの、そんな見方をします。
なので極端な話、二十歳にとった結果と、三十歳にとった結果はそこまで大きな差が見られないといいます(中にはデイケアなどでリハビリをした方は少しだけ数字が良くなっているのを見たことはあります)。
出来上がったカナエさんの結果を見せてもらいました。
そこには素人の私にでも分かるほど、折れ線グラフがガタガタと波打っていたのです。
「水嶋さん。これが、発達のバラツキだよ」
「これが……、カナエさんの生きづらさ」
検査の結果を説明するために、カナエさんに電話してそのための予約を取ります。次はお母さんにも来てもらうように、と念を押して。
それから四日後に、カナエさんとお母さんが来院しました。
カナエさんもお母さんも、挙動不審に待合室できょろきょろとしています。そんなお母さんの動きは、初診で来た時のカナエさんと同じに見えました。
再診の方の診察が長引き、予約の時間は過ぎてしまいました、カナエさんの順番がやってきて新井先生から結果の説明がされます。
カナエさんの診断名は――、『発達障害(自閉症スペクトラム障害)』。
新井先生から、私たち相談員に今後の相談に乗ってもらうようにとして勧められて、結果説明を受けた後そのまま相談員の面接へと入ります。
実はこの辺は事前に三人で打ち合わせをしていたので、スムーズに事が運ぶことができました。
金本さんと挨拶を済ませ、椅子に座ってもらうように誘導したのですが、カナエさんとお母さんは二人揃って、私たちの目を見てくれません。斜め下を向いたまま、ずっと机に向かって結果を受けての心情を話しかけています。
その何と突っ込めばいいのか分からない姿はさておき、二人とも結果を聞いての心情を改めて伺うと――、
『安心しました』
と一言。
自分がなんでこれまでうまく生活することが出来なかったのか、知ることができたと。
それは母も同じだったようです。
結果を聞いて、ショックではなく納得したということでした。
「私たちはなんとなくスッキリした気持ちなのです。もし今後のことで、カナエのためになるようなことがありましたら、教えてほしいです」
と、お母さんは私の白衣に向かって話しかけます。
「私もいろいろ分かったのでよかった。私はこの先も仕事したいと思っています。じゃないとお母さんばっかり苦労させているから」
と、カナエさんはテーブルに置いてあるティッシュ箱に向かって話しかけます。
「お二人の気持ちはよく分かりました。じゃあカナエさんはこれから仕事をしていきたいってことなんだよね?」
「はい。そうです。やっぱり仕事しないと、お金稼がないと生活できないから」
金本さんは、再度本人の意志を確認します。
「じゃあ、就労についての選択肢を増やすために、いろいろとお話しさせていただきますね」
金本さんはそう言うと、母子に持っていたバインダーを向けました。さっきまでメモを取っていたノートを契って、新しいページに変えます。
二人とも視線の向ける先ができたのか、同じタイミングでバインダーに視線を移しました。
「まず、就労というのは二種類あります。ひとつは一般雇用。カナエさんがこれまで働いてきたような働き方です。そしてもうひとつ、
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