8.本人のために
『うちの店を辞めて頂く、それがあの人にとっても一番いいことだと思いますよ? まぁ一番助かるのは私たちですけどね。ではこちらの意図はそういうことなので、それを主治医の先生にお伝えして頂いてもよろしいですか? あなたにあの人の状態を聞いたところで、医者ではないみたいだから答えられそうにないですし。なんかごめんなさいね、伝言係みたいなことをお願いしちゃって』
散々言いたい放題、ショウコや今田のことを罵っている笹谷。
最後に『相談員』である今田をバカにするような発言をすると、笹谷は電話を切ろうとした。
――自分のことを言われるのはいい。というか、言われ慣れている。だけど……、
――僕たちが守るべき患者さんのことをここまで言われるのは、我慢ならない。
笹谷のこれまでのショウコに対する発言は、今田の精神保健福祉士としてのプライドに火をつけた。
「それは――」
『はい?』
「それは出来かねます」
今田は強く言い放った。
その毅然とした態度に、同じ連携室にいる他のスタッフは全員今田に目を向け、固まってしまう。
電話をしていたはずの金本も、思わず耳から受話器から外し、今田の方に視線を向けた。ほったらかしにされている電話先の相手の声が『もしもーし、金本さーん?』と受話器から漏れている。
「僕たちは相談員です。決してあなたの伝言係ではない」
『な……っ!』
「それに僕たちが守るべきものは、あなた方のお店ではない。こちらで必死に病気と闘っているショウコさんです」
『な、なんなの、あなた……っ!』
「『店を辞めることが、ショウコさんにとって一番いい』? ショウコさんの人生を、他人であるあなたが決める権利はどこにもない」
笹谷の激しい鼻息が受話器越しに聴こえてくる。
まさかこのように言い返されるとは思ってもいなかったのか、怒りと動揺で興奮と混乱状態になっているようだった。
『なによ、あんた! 相談員とかって言うけど、結局はボランティアみたいなもんなんでしょ! そんなやつがなんなのよ、えらそうに!』
笹谷は狂ったように取り乱し、今田に向かって吼えに吼えまくった。今田はそのようなことを言われても、決して感情的になることなく笹谷の叫び声に近い発言に耳を傾ける。受話器の向こうからは、店舗内の職員と思われる声で『て、店長!』という焦った声も聞こえてきた。
「僕たちは精神保健福祉士です」
『は……? せいしんほけ……?』
「本人の意思を尊重し、本人に寄り添い、本人を守るのが我々の仕事です」
精神保健福祉士という聞いたことのない名称に、笹谷は一瞬戸惑いを見せる。
「あなたのように、精神疾患というだけで自主退職に追い込もうとするような人たちからショウコさんを守るのが、担当である僕の役目だ」
『し、知らないわよ、そんな医療保険みたいな名前の資格! うつ病だか何だか知りませんけど、そんな怠け病を雇っている暇なんて、この店にはないんです! 本人を守るですって? 訳の分からないことを言わないでちょうだい! そうだ、保健所……っ! 保健所にあなたのこと、クレーム入れてやるわ! 『やまざとの相談員の今田って人が、病院の利益しか考えずに頭のおかしいことを言っている』って!』
今田に向けられた脅しの一言。受話器の向こうでは、笹谷が額から汗を流しながら、勝利を確信した表情をしている。
きっとこの人は、こうやってこれまでの人生を歩んで来たのだろうと今田は悟った。
有利な立場にいるとお
「――どうぞ」
『は?』
しかし――。
そんな脅しは今田には通用しなかった。
「どうぞ。警察でも保健所でも好きなだけ駆け込んでください」
『な……っ!?』
「何度も言います。僕は精神保健福祉士です。本人の意思を尊重し、本人に寄り添い、本人を守るのが我々の仕事だ。本人の長い人生を考え、一番いいと思えるやり方を一緒に考えていく。雨の日に傘も持たずに外を歩くと、びしょ濡れになって困りますよね? 僕はその時、困っている人がショウコさんでなく、あなただったとしても――、僕はあなたを守る傘になる」
本人を思う熱い思い。
そしてそんな思いを持ちながらも、決して乱れることのない冷静さ。
笹谷は今田の言葉に圧倒され、へなへなとその場に思わず座り込んでしまった。笹谷の周りで声を上げていた数名のスタッフが駆け寄り「だ、大丈夫ですか?」と声を掛ける。しかし笹谷は、今田の言葉が頭から離れず、天井を見つめながら目を見開き、呆然としていた。
「それでは笹谷さん、またこの件に関してはご連絡をさせて頂きます。まだ今の段階でどうなるかは僕の口からは話せませんが、どうか、ショウコさんが休職や復職になった場合、少しでもご配慮頂けますと幸いです。それでは失礼します」
そう言うと、今田は電話を切った。
「ふ~」っと背もたれに体重を預けながら、息を吐く今田。
そして今田がちらりと隣を見ると、すでに通話口から『ツーツー』と流れている受話器を持ったまま、最後まで見守っていた金本が親指を立てた。
「よく言ったね、今田さん」
「やだなー、金本さん。聞いてたんですか? 恥ずかしいなぁ」
「ちょっとだけ、今田さんがかっこよく見えましたよ」
「えっ。ちょっとだけですか?」
今田はツッコミを入れながらも照れくさそうに、くしゃっと笑った。
「金本さん。でも僕、付き合うなら年上じゃなくて年下の女性がいいです」
「ほー、そうですか。なら、もっと男磨かなきゃね」
「あ、ですよね」
今田は『てへへ』と笑うと、一連の流れを荒川へ報告するため席を立った。
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