ドラゴン
湖水地方へ向かうには、あの馬車の街道を北に少し戻り、辻を西に行くのがいいだろう。歩いたことのない街道は少し楽しみだ。
僕たちは魔女シャイアに別れを告げ、早々に城を後にした。お礼の品は、またの機会に頂くことにする。『だって持ち歩けないから』業突く張りのミリーのことだから、ぜったい貰って帰ると思ったら、意外に潔かった。
「今度来るときは荷馬車よ」
ミリーが言った。どれだけ貰って帰るつもりなのか。リリアンは何も言わず、にこにこしている。
丘を下りながら、僕は魔女の城を振り返った。城の塔に絡みついたドラゴンが僕たちをにらみつけている。きっとシャイアに『おあずけ』って言われてるんだろう。
「生きるって、素晴らしいな」
ちょっとくさいセリフが口をついた。
「なにそれ」
城から離れ、ミリーは少しほっとした風だ。
ふもとの小径を、左手に城、右手にドーラの町を見ながら歩く。
「ならず者が一掃されて、町も生き返るわね」
ミリーがしみじみ言う。
「そうだな。リリアンのお母さんも株が上がったんじゃないか?」
「どうでしょう」と、リリアンは素っ気ない。人間の思惑など気にかけていないようだ。
径はすぐに街道に合流し、それを辿っていくと僕たちが馬車を下りた、あの分岐点に出る。
「あと一時間くらい歩けば、西への街道との辻に出るわ」
ミリーが言った。
来るときに、たしか馬車から茶店が見えていたはずだ。
「そこで食事にしようか」
そういえば、僕たちは朝食抜きだった。
ときどき街道を荷馬車が通る。そのたびに砂塵が舞い、僕たちは顔をそむける。
「お母さまに送って頂けばよかったですね」
リリアンが言った。
「ドラゴンの篭でか?」と、僕。
「それはないわ」と、ミリー。
空の旅も面白そうだけど、僕たち、ドラゴンの餌になりそうだ。
やがて茶店の屋根が見え始め、僕たちは辻についた。
茶店の窓際に席を取り、ミリーと僕は『本日のおすすめ』料理を頼む。リリアンは鶏料理だ。
ミリーが背嚢から地図を取り出す。
「街道を西に向かうと、最初の村はフラボね。日暮れまでには着きたいわね」
「フラボからは西に向かう乗り合い馬車があるんじゃないかな」
急ぐ旅ではないけれど、やっぱり歩きより馬車がいい。リリアンもうんうんと頷いている。
「そうね」と、ミリー。「それくらいの出費はいいでしょう」
そう聞けば、フラボまで歩く元気だって湧いてくるというものだ。
僕たちは早々に食事を終え、先を急ぐ。
西へ向かう街道も今までの道とあまり変わり映えはしない。乾いた草原にまばらに灌木が生えている。相変わらず、交通量は少ない。
やがて太陽が西に傾き、正面からの日差しにミリーが文句を言い始めたころ、草原が穀物畑に変り、やがて僕たちはフラボの村に到着した。
「まずは宿ね」
ミリーが言った。
僕たちは最初に見つけた宿に入る。部屋に通されると、僕たちは背嚢を置き、伸びをする。
「食事にする? それともお風呂?」
ミリーが思わせぶりに言うが、この宿に風呂はない。
「先に共同浴場に行って、それから食事、かな」
僕は答える。リリアンもそれに賛同し、僕たちは浴場に行くことにした。
町の中央近くにある浴場は、結構にぎわっていた。ほとんどは町民のようだ。こういうところは情報収集にはうってつけだ。時として、思わぬ儲け話に出会うこともあるんだ。僕は湯船につかって、周囲の話に耳をそばだてる。
『――そろそろアレの時期が近付いてきたなあ』
『クーロンの町は大変だろう』
『この町を通過する旅人も減っているし』
「それもあと五日の我慢だ』
たしかクーロンはこの先の町だ。何とかいう薬草が特産品だったと思う。
「すみません」僕はおじさんたちの会話に割り込む。「クーロンで何かあるんですか?」
おじさんたちはびっくりしたような顔で僕を見る。
「旅の人だね?」一人が言った。「これからクーロンへ行くのかい?」
「そのつもりですが」
「クーロンの特産品を知っているかい?」
「確か、薬草だったかと」
「そう、薬草だ。竜のヒゲという植物から作った、解毒剤だな」
ああそうだ。薬の名前は『竜震丸』だった。
「薬草と関係のある行事ですか?」
僕の問いに、おじさんたちが互いに顔を見合わせている。
やがて一人が口を開く。
「まあ、そうだな。――薬草の採集には許可が必要でね」
また顔を見合わせ、もう一人が話を継ぐ。
「毎年、その許可を更新しなくちゃならないんだが、その期限が五日後に迫っている、という話だ。それまでに更新しないと、薬草が取れなくなるから、クーロンの町は大変なんだ」
あまり稼ぎにはなりそうにない話だ。おじさんたちは「お先に失礼」と、浴場を出ていった。クーロンの町が大変な理由は聞けなかった。
翌朝、僕たちはフラボの村を発つ前に、町の広場へ行った。一応、掲示板で美味しい仕事がないか、確認するためだ。
「ないわねぇ」
ミリーが腰に手を当てて言う。
フラボからクーロンまでの護衛の仕事でもあれば、旅のついでに小遣い稼ぎができたのに。
「これ、なんでしょうか」
リリアンが指さす。
『代理人、求む。委細はクーロン町長まで』
薬草採集許可の更新と関係があるのだろうか。僕は昨日聞いた話をミリーとリリアンにも教える。
「クーロンの町が大変になるほど、更新作業が面倒、ってことかしら」
ミリーが言った。隣町の掲示板にまで募集を載せるくらいだ。きっと大変なんだろう。交渉事ならミリーの得意技なんだけど。
僕たちは仕事にありつけないまま、フラボの村を後にする。クーロンに寄ることにしたので、結局馬車はなしだ。徒歩でも昼前には着けるだろう。
共同浴場のおじさんたちの言うとおり、街道に人通りは少ない。
フラボから遠ざかるにつれ、辺りの景色が変わってくる。少しずつ木々が増え、やがて街道は明るい林に入った。
木々を渡る涼しい風に吹かれながら歩いていくと、道はゆるやかな上り坂になった。
旅慣れないリリアンが遅れ気味になる。ミリーと僕は左右から彼女の手を引いて歩く。リリアンはなぜか嬉しそうだ。
右手の木々の切れ間に遠く、岩山が見える。上り坂が終わり、道はまた平たんになる。
「クーロンはもうすぐよ」
ミリーがリリアンをはげます。
すぐにクーロンの町に入った。
「どこかでお昼ご飯にしましょう」
ミリーが言った。異存はない。
食堂はすいていた。僕たちは奥のテーブルに案内される。
「後で町の掲示板を確認しよう」
オーダーを済ませ、僕は言った。
「そうね。フラボで見たあの掲示はたぶん、こっちにもあるでしょうけど」
「他に、わたしにもお手伝いできる仕事もあるかもしれませんしね」
「あら、リリアンは十分役に立つわよ、肉体労働でなければ」
確かにリリアンは戦力になる。人前では出せない技ばかりだけど。
「なんか、他の客がこっちを気にしてるんだけど」
どうも地元の町民らしき連中がこちらを気にしているようだ。まだリリアンが魔女だとばれるようなことは何もしていないはずだ。
「知らんぷりしてなさい」
ミリーが言う。僕は町民連中から視線を外す。
「何かあったら、みんなブタに変えてしまいます」
リリアンが下を向いたまま言った。そんなこともできるとは知らなかった。宝剣ルイーザの鍵を持ってから、彼女の技のレパートリーは増えているみたいだ。
「やめておきなさい」ミリーがリリアンをにらみつけた。
料理が運ばれてきた。田舎料理だ。
なんとなく居心地が悪いまま、僕たちは食事を終えた。
「掲示板でも見に行こうか」町の中心に向かって歩き出す。「あのイスカの村民を思い出すんだけど、なんとなく」
昼だというのに通りに人は少ない。家々の閉じられた扉の向こうに息をひそめた人の気配を感じる。
「雰囲気悪いわね」
ミリーも異様な気配を感じ取っているようだ。
「そうですか? 確かにイスカ村に似てますけど、人間の町なんてだいたいこんなですよ?」
そりゃリリアンが魔女だからだと思う。
掲示板は町役場の前に立っていた。あの『代理人、求む』の掲示もある。いや、他の募集掲示がほとんどない。
「不景気だな」つい、ぼやきも出る。
「きっとこれも『大変な行事』のせいね」ミリーもため息をつく。
「シータさん、ミリーさん」リリアンが僕の袖を引く。
リリアンが小さく指を指す。見ると、町役場の入り口からこちらを伺っている男がいた。男は僕と目が合うと、おずおずとこちらへやってくる。
「ふん、身なりはまともね」ミリーが小声で言った。
男は僕たちの前で慇懃にお辞儀をする。
「クーロンの町長、シュオンと申します。皆様はそのぅ、『代理人』にご興味がおありとお見受けいたしまして」
「この掲示じゃ、なんとも言えないわね」
ミリーが対応する。
「ごもっともです。よろしければ町長室でご説明をさせて頂きたいのですが」
僕たちに反対する理由もない。シュオン町長について町役場に入る。
町長室に入るまで、僕たちは小役人連中の痛いほどの視線を感じていた。
「みんなネズミにしてやろうかしら」リリアンがつぶやく。それもいいかもと、僕は思った。
町長室の応接ソファに、町長と向かい合って座る。町長の横に、助役が座った。
「で、なんなの、あの代理人って?」
ミリーが強気で口を開く。
「皆さんもご存じかとは思いますが、クーロンの主要産業は竜震丸という薬です」
「竜のヒゲから作る解毒剤ね」
「よくご存じですね。その通りです。解毒剤といっても、これが熱冷ましから腹下しまで、万病に効くという人気の品で――」
「その話、長くなります?」ミリーが町長の宣伝を遮る。
「失礼。で、その竜のヒゲという薬草は町の北にあるドラゴン峡谷の先、陽炎≪かげろう≫盆地にしか自生していないのです」
助役が壁の地図で場所を指し示す。
町長が話を続ける。
「竜のヒゲの採集権は、陽炎盆地の主と毎年契約しています。夏の最盛期をむかえる前、今がちょうど契約の更新時期なのです」
「それで? 何の代理人を募集しているの?」
「陽炎盆地の主がなかなか話のわからない、恐ろしいヤツで、本来なら町の誰かが行かねばならないのですが、誰も行きたがらないのです。それで、毎年この時期になると代わりに行って下さる方を募集しているのです」
「毎年契約しているのに、契約交渉が難航するの?」
「いやまあ、契約は取り交わせるんですが、無理難題を押しつけてくるもので」
「で、代理人の仕事は、その無理難題の解決も含むの?」
「いえ、無理難題は適当に受け流して頂いて問題ありません。代理人の方には、盆地の中程にある祠≪ほこら≫に出向いて頂き、契約書に印を貰ってきて頂ければ結構です」
なんだか簡単そうだ。当然、裏があるんだろう。
「それで、肝心の報酬額は?」ミリーが身を乗り出す。
「成功報酬で、金貨百枚です」
ただのお使いに法外な報酬だ。町長がミリーの顔色をうかがう。
「なんかうさんくさいわね。その金額では受けられないわ」
ミリーが冷たく言う。ちょっと意外だ。が、町長はうろたえている。
「では、いかほどなら?」
「そうね」と、ミリーは少し考える風だ。「こちらは三人だし、金貨六百枚なら、これ以上詮索しないで引き受けましょう」
僕はミリーの吹っ掛けぶりに腰が抜けそうだ。三人なら三百枚じゃないのか?
しかし、町長と助役の顔には明らかに安堵がうかがえた。
「それで結構です。――君、契約書を」
助役が、僕たちとの代理人契約書を持ってくる。金額欄に『金貨六百枚』と記入し、町長がサインする。ミリーが契約書を読んでサインする。
「そして」と、助役が巻物を取り出す。「こちらが竜のヒゲ採集契約書です」
巻物には封がしてある。
「これに印を貰えばいいのね?」
「はい。祠に着いたらそれを開いて、盆地の主に印を貰って下さい」
盆地まではそれほど遠くないらしい。今から出ても、昼前には十分着ける。
「では、夜までには戻れると思います。金貨の用意をお忘れなきよう」
ミリーが挨拶をし、僕たちは町役場を出た。
北へ向かう道へ出たところで、僕はミリーに言う。
「よくもまあ、吹っ掛けたね」
「もっと吹っ掛けても、町長は承諾したでしょうね。金貨六百枚は、今のあの町に払えそうな限度額よ。町の規模からして、年間の予算額がだいたい――」
僕はミリーを遮る。
「なんで町長は払えない額でも承諾するんだよ?」
「ばかね。払う気がないからよ」
よく分からなくなった。払う気がないのに、ミリーは契約した。
「どういうことでしょう?」リリアンも不思議そうだ。
「あたしにも分からないけど、たぶん、この仕事は成功しないと思っているんでしょうね」
「それなら、成功報酬の金貨は支払わなくて済みますね」
「そりゃそうだけど」僕の疑問は深まるばかりだ。「成功しないなら、僕たちを行かせる意味がないじゃない」
「行けば分かるわよ」ミリーが言う。「気を付けて進みましょう」
この仕事に裏があるのは確かだ。僕たちは用心しながら先を急ぐ。
道は小川に沿って伸びている。きれいな水に、時々魚の影が走る。草木が茂り、きれいな花も咲いている。
竜のヒゲの採集は一年中行われているわけではないらしい。今の時期は根に薬効成分が少なく、採集に向かない、と助役が言っていた。そのせいか、人影を見かけない。
左右に山がせまり、やがて道は谷に入る。ドラゴン峡谷だろう。ここを抜ければ陽炎盆地だ。
不気味な音を立てて、、谷間を風が吹き抜ける。強い向かい風に顔をそむけながら、僕たちは進む。陽の差さない谷間は肌寒い。
前方に明るい日差しが見えてきた。
「谷を抜けるよ」
風を避けて、僕の背後に回っていたミリーとリリアンを振り返る。
突然、風がおさまり、僕たちは開けた草原に出る。そこは一面、見たことのない草に覆われていた。これが竜のヒゲだろうか。盆地は周囲を切り立った崖に囲まれている。向こう側の崖がかすんで見えた。
「あれじゃない?」
ミリーの指さす先に、祠らしき建物が見えた。それ以外に人工物は見当たらない。
「盆地の主はどこに住んでいるんでしょう?」
リリアンが辺りを見回していった。それらしき住居はなかった。
「行ってみよう」
僕が先頭に立ち、祠の方へと歩き出す。盆地はその名の通り陽炎が立ち、あまり先の方は見通せない。なおさら周囲の警戒は怠らない。
もうだいぶん祠が近くなったころ、リリアンが僕の袖を引っ張った。
「ちょっとまずいかも、です」
リリアンの視線を追う。と、右手の岩山の上で、何か大きなものが動いた。
「ドラゴンだ!」
「ドラゴンよ!」
「ドラゴンです」
それは野生のドラゴンだった。崖の上で陽の光を浴びて、その体が青黒く輝いている。ドラゴンがこちらを見下ろす。
「来るぞ」僕は剣を抜く。
ドラゴンが羽を広げて、谷へとダイブした。崖沿いに落下し、地面すれすれで水平飛行に移行する。まっすくこちらへ向かってくる。
ミリーも僕の右に立って剣を構える。リリアンは背後に隠れた。魔法の効かないドラゴン相手では、魔女は分が悪い。
ドラゴンは甲高い声で鳴き、鈎爪を広げて僕たちの上を飛び越す。ミリーと僕は剣を振るって爪をそらす。あれに引っ掛けられたら致命的だ。
リリアンが魔法攻撃を試みているが、案の定効き目はないようだ。
ドラゴンはいったん上昇し、方向転換してまた僕たちに襲い掛かる。
「祠の陰まで行こう!」
僕はリリアンを急き立てる。何もない草原で、空からの攻撃をかわし続けるのはむずかしい。
ドラゴンの二撃を何とかかわし、あと少しで祠というところで、リリアンが叫ぶ。
「もう一頭、来ます!」
そいつは断崖の上を飛び立つと、僕たちの上を旋回し始めた。
「伏せろ!」
鈎爪攻撃の第三撃が来る。それをなんとかかわしたとたん、上空のもう一頭が急降下し、僕たちに火炎を吐いた。
僕は火を噴く竜を初めて見た。まるで絵本のようだった。
さいわい、僕たちは丸焼きを免れた。リリアンが防御魔法を放ったんだ。火はリリアンの得意技でもある。
「リリアン、ゴーレムは作れる?」
僕にちょっとアイディアが浮かんだ。
「はい、できます」
「ドラゴンのゴーレムは作れないかな?」
「目の前を見本が飛んでいますから、出来るかもしれません」
ドラゴンに直接魔法は効かなくても、間接的な魔法攻撃なら使えると思う、防御魔法が使えたように。相手はドラゴンだ。空を飛ぶゴーレムが作れれば、対抗できるかもしれない。
僕たちはようやく祠の陰に走りこんだ。リリアンが呪文を唱える。僕はミリーと連携しながらドラゴンの攻撃をかわす。ドラゴンたちも祠は壊したくないようだ。鈎爪攻撃も火炎放射も、祠を避けている。
と、一番近い岩壁の途中から、一頭の土色のドラゴンが湧き出した。リリアンのゴーレムだ。
ドラゴン対ゴーレムドラゴンの戦いは見ものだった。明らかに二頭のドラゴンが優勢だったが、ゴーレムドラゴンの傷はリリアンが呪文で素早く修復していく。はじめは緩慢だったゴーレムドラゴンの動きも、徐々に慣れたのか、素早くなっていく。反対に、二頭のドラゴンの動きが鈍くなってくる。生身のドラゴンたちは疲れて来たんだ。
すでに二頭とも、僕たちを攻撃する余裕はなく、土色のドラゴンと戦っている。やがて一頭が草原に降り、もう一頭もそれに続いた。ゴーレムドラゴンが二頭に急降下攻撃を加える。
ドラゴンたちが頭を下げ、鳴き声を上げた。
「もう大丈夫です」
リリアンはそう言うと、降り立ったドラゴンたちに近付いていく。彼女はドラゴンたちの正面に立ち、ゴーレムドラゴンを自分の背後に降ろした。
彼女の前に頭を下げているドラゴンたちに近付き、リリアンは両手をドラゴンたちの鼻面に置く。しばらく何か唱えていたが、やがて僕たちを振り返る。
「契約を結びました。この子たちは、今からわたしの僕です」
「やったぁ!」
ミリーがジャンプした。
「裏切らないの?」
僕は恐る恐るドラゴンに近付く。
「裏切りません、ドラゴンですから」
リリアンがゴーレムドラゴンを土にかえす。が、二頭のドラゴンは草原に伏せたままだ。
「怖がらなくても大丈夫です」リリアンが笑いながら言う。「お二人のことも主人だと認識していますから」
僕はちょっと尻尾の鱗に触れてみる。硬い。
ミリーは近付かない。
「ちょっと祠を見てみましょ」
ミリーに言われて思い出した。僕たちは契約書に印を貰いに来たんだった。
リリアンをドラゴンのそばに残したまま、僕はミリーと共に祠の扉を開ける。
「誰もいないな」
「当たり前でしょ」
「でも、陽炎盆地の主は?」
「ばか」
「?」
ミリーが説明を始める。
「この盆地の主は、どう考えたってあのドラゴンたちでしょう」
ミリーは話しながら祠の奥へと入っていく。
「あら、本当にあったわ、印章」
ミリーが背嚢から巻物を取り出す。竜のヒゲ採集の契約書だ。封を解いて、広げる。
「こんなことだと思った」
ミリーが巻物を僕に見せる。それは白紙だった。そりゃドラゴンとの契約書なんて、聞いたことがない。が、ミリーは構わず押印する。
「シータは二度目だから慣れているでしょ?」
「え、なんの話?」
「いけにえ」
「いけにえ?」
「そう。一度目は、魔女ブリリアンティアのいけにえ。二度目がドラゴンね」
そうか。僕たちはあのドラゴンたちへのいけにえにされたんだ。いけにえを受け取ると、ドラゴンたちは代わりに次のシーズンの採集を認めるわけだ。
でも、今回、僕たちはドラゴンに食われなかった。
「契約はどうなるんだろう?」
「さあ?」ミリーは巻物を背嚢にしまいながら、気のない返事をする。「知ったことじゃないわね」
きっとリリアンが命じれば、ドラゴンたちはクーロンの人たちの盆地への侵入を許すだろう。でも、ミリーも僕も、もちろんリリアンもそんなことをするつもりはない。最初に盆地に入った人たちがドラゴンに食われれば済む話だ。
祠を出ると、ドラゴンたちの姿はなかった。
「一緒に連れてはいけないから、しばらくはここで暮らすように言っておきました」
リリアンは嬉しそうだ。
「シャイアさんの五頭には及ばないけど、あなたも立派な魔女になったわね」
「はい。ドラゴンを使役できる魔女はステータスが高いんです。お二人のおかげです」
「そろそろ行こうか」
僕はドラゴン峡谷に向けて歩き出す。
今回は勝算のない、賭けのような仕事だった。金貨三枚あれば一年は食べていけるというご時世に、金貨六百枚は命を懸ける価値のある報酬だ。それもリリアンの活躍で、僕たちはやり遂げた。ミリーも上機嫌だ。
「でも、あの町長が報酬を素直に出すかな」
「出さないでしょうね」
「どうするんだよ?」
「脅すのよ」
代金の回収はミリーに任せておけば大丈夫そうだ。
ドラゴン峡谷を抜け、僕たちはクーロンの町に戻ってきた。行き交う町民が僕たちを不思議そうな顔で見る。
「トカゲに変えてやろうかしら」そういうリリアンの顔はほころんでいる。
町役場に到着した。僕は扉を開け、中に入る。小役人どもが一斉にこちらを見たが、無視して町長室へ向かう。
ミリーがノックし、返事を待たずに扉を開けた。
「お待たせしました町長、助役」
二人とも部屋にいた。僕たちは進められるのを待たずに応接ソファに座る。
目を白黒させている二人にかまわず、ミリーが背嚢から巻物を取り出す。
「陽炎盆地の主から印を貰ってきました。お改めください」
テーブルに広げられた巻物には、ただ朱色の印影のみがある。
町長と助役が向かいのソファに座る。助役が恐る恐る巻物に手を伸ばし、印影を確認する。
「でも」
と、町長が言いよどむ。
「なにか?」
ミリーは涼しい顔だ。
「あの盆地の主には会えなかったんですか?」
町長が額の汗を拭く。
「なぜですか? 会いましたよ、もちろん」ミリーが巻物の方に手を振る。「印を確認いただけましたか?」
「盆地の主が押印したと?」
町長が疑念の顔で言った。
「まさか。ドラゴンがあの鈎爪の足で印章を扱えるはずもないでしょう。印はあたしが押しました」
「ど、ドラゴンには会われたと?」
「威勢のいい子たちでした」と、リリアンが嬉しそうに口をはさむ。
「では、盆地のドラゴンたちを倒した、と?」
「契約書に印を貰うのに、倒す必要はないでしょう? ドラゴンたちは今も元気に盆地の空を飛んでいますよ」
ミリーがさも当然といった風で告げる。
「本当にいい子たち」と、リリアンが付け加える。
ミリーが真顔になって口を開く。
「報酬を頂いたら、おいとまします」
町長を真っすぐに見据える。
町長がまた汗を拭く。
「まさか」と、ミリーは町長を見据えたまま、たたみかける。「あたしたちを若輩者と侮ってはいないでしょうね? それとも、あなた方はドラゴンたちより強い、と?」
「と、とんでもありません」町長の目がおよいでいる。「少し助役と相談させてください」
町長は僕たちの返事も待たずに、助役と共に町長室を出ていった。
二人はなかなか戻ってこない。
「刺客でも連れてくるのかな」
僕はそれも楽しいかも、と思う。きっとリリアンがネズミに変えてしまう。
「たぶん、あたしたちの力量を計りかねてるのね」
ミリーはあまり心配していない風だ。
きっと僕たちが子供だと侮っていたんだろうけど、ドラゴンたちに食われもせずに戻ったことで、町長は疑心暗鬼になっているんだ。実際のところ、金貨六百枚は町長の独断で出せる額ではない。僕らをどう値踏みするんだろう。
扉が開いた。
「お待たせしました」
町長がソファに座る。
「報酬は?」
ミリーが冷たく尋ねる。
「分割払いでお願いできないでしょうか」
払う気にはなったみたいだ。が、町長の申し出にミリーの眉が上がる。
「できません。あたしたちは旅の途中です。いま、全額を頂きます」
「金貨六百枚ともなると、すぐにはご用意が……」
「では、あたしたちの前で金庫を開けて見せてください」
ミリーが立ち上がる。一歩も引き下がるつもりはなさそうだ。
僕は剣の柄をいじる。武力行使もいとわない、という意思表示だ。
「わ、わかりました」
町長が折れた。助役に金貨の用意を命じる。ミリーがまた座った。
「でも、どうやって」と、町長がミリーの顔色をうかがう。
ミリーは知らぬ顔だ。ドラゴンとのやり取りを教えることはない。
町長は僕に向き直る。
「それで、ドラゴンは竜のヒゲの採集を許してくれるのでしょうか?」
「どうでしょね」と、僕は答える。「僕たちが受けたのは契約書への押印です」
「そうね」ミリーが引き継ぐ。「ドラゴンたちが契約を履行するかどうかは知らないわ」
彼らは行って確かめるしかない。
金貨が運ばれてきた。ミリーがそれを数える。リリアンも手伝っている。
「確かに」
ミリーが金貨を数え終わり、袋に詰める。
僕たちは恨めしそうな顔のシュオン町長と助役に挨拶をし、町役場を後にした。まずは両替ギルドだ。
いつものようにギルドに金貨を預け、証書を受け取る。証書を懐にしまって、ミリーはようやく笑顔になる。
「さあ、今夜の宿を探しましょ」
「いい宿に泊まれるね」
「無駄遣いはだめよ」
大金を手にしても、ミリーはミリーだ。僕たちは足取りも軽く、クーロンの町を行く。夕陽に照らされたミリーの横顔がほんのり赤く、きれいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます