魔女シァイア
僕たちはまた魔女の丘の方へ歩き出した。リリアンは残りの男たちもおびき出して殺してしまいたそうだったけど、僕は彼女にそんなことをさせたくはなかった。人の命なんて大して価値はないと思うけど、彼女に掛かるとそれこそネズミの餌ほどの価値しかなくなってしまう。ならず者たちを皆殺しにすることが悪いことだと諭してやれればいいが、もちろんそんな事はない。とくに魔女にとっては。でも、リリアンは今や僕たちの友達だ。魔女だけど、友達に大量殺戮などして欲しくはない。
「でも、お母様の宝物を盗もうとした連中ですよ?」
リリアンは不満そうだ。
「放っておけよ。少しは君のお母さんの分を残しておいたら?」
こんな理由しか思いつかなかった。でも、リリアンはそれで納得した。
「そうですね。折角の楽しみですから、お母様にも残しておいた方がいいですね」
そう言うと、彼女はいつものうっとりする笑みを浮かべた。
町と丘とを隔てる小道の辺りで、リリアンが立ち止まる。
「あそこ!」
暗い夜空を指さす。目を凝らすと、暗い夜空にひときわ黒く、何かが近付いてくる。
「ドラゴンよ!」
ミリーが叫んだ。
「お母様のドラゴンたち! お母様がお帰りだわ!」
リリアンが嬉しそうに言った。
頭上を通過して館の近くに降りたのは、四頭の立派なドラゴン、そしてドラゴンからロープでつり下げられた大きな篭≪かご≫のようだ。
「お母様は遠くに出かけるときにはいつもあの篭に乗っていくのです。あのドラゴンたちと、館を守っているドラゴンは兄弟なんですよ。五匹の兄弟。お母様の僕なんです」
「ドラゴンを五匹も僕にしてるなんて、すごいわね」
ミリーが感心しているが、僕にはそれがすごいのかどうかも良く判らない。そんな僕にリリアンが説明してくれる。
「ドラゴンは魔法に掛からないんです。あの鱗には魔力を防ぐ力があって。わたしは大抵の魔物を従わせられますけど、ドラゴンだけはだめです。だから、ドラゴンを僕にすることは魔女のステータスなんです」
「そりゃすごい!」
「本当にすごいんですよ。もっとも、お腹を空かせるとお母様の言うことすら聞かなくなっちゃうんですけど」
「ドラゴンの餌って何かしら」
ミリーの問いに、リリアンはただうふふと笑うだけだった。ドラゴンたちがいま、空腹じゃないことを祈っておこう。
イバラのバリケードはすでになかった。
僕はまだ具合の悪そうなミリーをかばいながら、リリアンについて小径を登る。不安と恐怖、それに幾ばくかの好奇心に支配されながら、僕たちは館の扉の前に立った。
鉄の帯が付いた頑丈そうな扉には窓はおろか、取っ手さえない。扉の周りは冷たい石組みのアーチになっていて、その上には、ひときわ目立つドラゴンの紋章がある。いや、あれは紋章だろうか。銅か何かでできたドラゴンの、両の目が闇に赤く輝いている。
覚悟を決める間もなく、扉が音もなく開いた。城内の光が暗い前庭に溢れる。が、その光に暖かみが感じられない。それどころか、僕は足がすくんで動けない。
「魔女の、館」
ミリーがぽつりとつぶやいた。
現れたのはゴーレムだった。それも、なにやらネバネバしたもので出来たゴーレムだ。
「お母様特製のゴーレムよ。壊れにくいように、粘土に血を混ぜて練ってあるの」
リリアンが説明してくれる。僕はそれが何の血かは聞かない。
リリアンに背中を押されて、僕たちは扉を入った。冷たい明かりに満たされたホールに、リリアンの母は静かに立っていた。漆黒のドレスを身にまとい、大きな銀色のアクセサリーが胸の辺りを飾っている。顔立ちはリリアンによく似ているが、髪はリリアンよりも大分長く、腰の辺りまでありそうだ。
「鏡で見ていたよ」魔女シャイアが口を開いた。「夜でも魔法が使えるようになったんだねぇ」
どうやら、先ほどの酒場での一件のことらしい。遠くを見通せる鏡があるのだろうか。
「はい、お母様。これのおかげです」
リリアンが懐から大魔女ルイーザの宝剣を取り出して母親に見せる。
魔女シャイアの顔色が変わった。
「これは! 長らくその所在が分からなかった、魔女ルイーザの宝剣! おまえ、どこでこれを?」
リリアンがこちらをチラと見る。
「これはシータさんのものなのです」
魔女シャイアの視線が僕に注がれる。その冷たさに僕はちょっと身震いする。そんな僕に代わって、ミリーが一歩進み出て経緯を説明する。体調は戻ったみたいだ。魔女は、ミリーの話を静かに聞いている。
「――そういうわけで、今はリリアンに預けてあるんです」
「上出来ですよ、お嬢さん。その宝剣は私たち魔女の間では『ルイーザの鍵』と呼ばれている、大変貴重なものなのです。まさか王宮にあったとは」
「リリアンの力が増しているのは、その宝剣のパワーのおかげですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えますね。ルイーザの鍵のすべての力が明らかになっているわけではないのですが、宝剣には魔女の力を開花させる働きがあると言われています。つまり、ルイーザの鍵は力を与えるのではなく、元々あった隠れた力を引き出すのです」
「ほかにはどんな力が?」
ミリーが訊ねる。
「良くは判っていません。恐らく、大魔女ルイーザの居城に行けば何か判るかもしれません」
「大魔女ルイーザの居城?」
ミリーと僕は口を揃えて言った。そんなものがあったなんて。
「魔女ルイーザが死んでもう随分経ちますが、その居城は往時と変わらずにそびえ立っている、と言われています。城の地下には莫大な財宝が蓄えられていて、それを目当ての人間達が近付くこともありますが、生きて帰れた者はないと聞いています」
リリアンが宝剣をかざしながら口を開く。
「お母様。わたしはこの宝剣の謎を調べに、シータさんミリーさんと共にそのお城へ行ってみたいのですが」
そりゃ確かに、大魔女ルイーザ縁の地へ行こうか、と話はしたけれど、そんな恐ろしげな所に行くつもりはなかった。
「人間には無理でしょう」
魔女シャイアも、にべもなく言う。
「でも、魔女ルイーザはもう居ないんだから、そろそろ近付けるんじゃないかな」
ミリーが脳天気に言った。どうやら地下に眠る財宝に目が眩んでいるらしい。財宝なら、リリアンのお母さんから分けて貰えばいいのに。
「そうかもしれません。まあ、行けば判るでしょう」
何だか、もう三人で行くことを前提に話が進んでいるような気がする。
「で、お母様、そのお城はどこにあるのですか?」
そうそう、それを聞いていなかった。
「さあ」
「さあ?」
「わたくしも行ったことはありません。時々魔女仲間の集会で話題に上ることもありますが、用もないのに廃城に出向いたりはしませんので」
「財宝を回収しには行かないんですか?」
すかさずミリーが聞いた。
「これ以上財宝を集めても、置き場に困ります」
そういう事なら、リリアンを助けたお礼の品にも期待が持てそうだ。財宝置き場の片付けならミリーの得意技だ――まだその技を使う機会には恵まれていないが。
「あらあら、ごめんなさい。いま奥に食事の用意をさせていますから、座ってお話ししましょうね――おまえは町で何人か食べてきたのかい?」
魔女シャイアが娘を振り返る。
「はい、お母さま。でも、食卓はご一緒させてください」
僕はミリーと顔を見合わせる。
最近まで、僕は魔女が実在するなんて知らなかった。だから魔女の食事といえばおとぎ話に出てくるような、イモリや蝙蝠、毒キノコなんかを鍋でぐつぐつ煮込んだものを想像していた。けれども魔女ブリリアンティアと知り合って、そのイメージは崩れ去った。彼女は人間を焼いて食べる。
僕たちの心配を察してか、シャイアが口を開く。
「ゾンビたちには、人間を食べる――じゃなくて、人間が食べる食事を用意させています。心配なさらないで」
狼が豚を太らせてから食べる、という物語を思い出した。
食事の招待を断るうまい方便も思いつかず、また、魔女シャイアを怒らせでもしたらと思うと、僕たちに食卓につく以外の選択肢はなさそうだった。ミリーはまた顔色が悪くなっている。
「ミリーさん、シータさん、こちらです」リリアンが先に立って案内してくれる。
「ありがとう」と、僕は彼女に続く。
ミリーの耳元に口を寄せる。「財宝のことを考えて」
この城の地下にある財宝、大魔女ルイーザの財宝、ミリーなら、それらを手に入れるためなら多少のことは我慢できるはずだ――多少で済めば、だけど。
食堂は窓のない細長い部屋で、分厚い木でできたテーブルが置かれている。左右の壁に掛けられている絵画は、この城の歴代城主の肖像だろうか。見たところみんな女だ。
魔女シャイアが上座につく。その左手に魔女ブリリアンティアが座り、シャイアの右手に僕とミリーが座った。
ミリーは大丈夫かと彼女の顔を見ると、テーブルに並べられたカトラリーに見入っている。それは銀器ではなく、金で出来ているようだった。すべてのナイフ、フォーク、スプーンの柄には宝石が埋め込まれている。
「これ一本で、金貨五枚はするわ」
ミリーは大丈夫そうだ。
ゾンビがスープを運んできた。美味しそうな香りがたっている。が、皿の真ん中でカエルが仰向けに死んでいる。
「確かに、カエルは美味しい食材だけど……」
僕の独り言に、ミリーもうなずいた。
リリアンが立ち上がる。
「剣士ミリネアさん、剣士ルシターさん、あらためて、ありがとうございました」
シャイアが続ける。
「お二人とも、たくさん召し上がってくださいね」
ともあれ、ディナーが始まった。
「それで」と、さっそくミリーが切り出す。「大魔女ルイーザの居城について、何か手掛かりはないんでしょうか」
魔女シャイアは困ったような顔をする。
「確か、シャイアさんは大魔女ルイーザの系譜だと――」
僕が言いかけると、すかさずリリアンが口をはさむ。
「あれ、嘘です。そう言うと箔がつくでしょう? 魔女の世界は実力主義だけど、それでも生い立ちが卑しいものはさげすまれるんです。だから皆ルイーザの子孫だとか、直系だとか、本家だとか」
シャイアも口を開く。
「そうね。もともとは魔女間の他愛ない見栄の張り合いだったの。それが人間には効果があったので、今も皆そう名乗るのね。そもそも、大魔女ルイーザに子はいなかったと聞くわ」
やれやれ。お宝ザクザクのルイーザの城も、手掛かりなしか。
「でも、盗賊たちは辿り着けているんですよね?」
まあ、戻ってきた者がいないので正確な場所は分からないにしても、盗賊たちはおおよその場所は知っているという事だ。
ミリーが身を乗り出す。
「場所を教えてくれそうな人たちがいるじゃないですか!」
ゾンビたちがスープ皿を片付け、前菜を置いていく。
前菜がパティでなくてよかった。パティは血がにじむゴーレムを連想してしまう。が、これは何だろう? コリコリとした食感が面白い。
「それはコイです」
シャイアが教えてくれた。
恋? いや、鯉か。コイの唇だけを集めたものだ。いやなかなか。
メインディッシュは肉だ。何の肉かは聞かない。ヒトではない、と思う。
フォークで肉をつつきまわしていたミリーが顔を上げる。
「町にいるならず者たちは、きっと明日ここに来るわね」
「そうでしょうね」と、シャイアは楽しそうに言う。「少し遊んであげましょうね」
その夜は、個室を用意するというシャイアの厚意をお断りしてミリーは僕と同じベッドで寝た。僕たちに、魔女の城でひとり寝する勇気はなかった。
朝起きて、まずお互いがちゃんと生きていることを確認しあう。よかった、ガマガエルとかに変えられてはいなかった。
身支度を整えている間に、外が騒がしくなった。
「来たね、盗賊たち」
僕が言うと、ミリーがほっとした表情を浮かべる。
「よかった。これで朝食は食べないで済みそう」
僕たちは支度を終え、急いで階下へ降りる。
正面の扉は開いていたが、城内に盗賊の姿はない。腰の剣を抜き、外へ出てみる。
盗賊はせいぜい二十人くらいだ。前庭の中央に立つ魔女シャイアの周囲を囲んでいる。
「おはようございます、魔女シャイア」
僕は丁寧にお辞儀をする。ミリーも僕にならう。
「ミリネアさん、ルシターさん、おはようございます。よく眠れましたか?」
シャイアは盗賊の振り回す剣など意に介さず、僕たちに向き直った。
背後から一人が切りかかる。と、男の体が生きたまま溶けだした。男は剣を取り落とし、悲鳴を上げながら崩れていく。地面にシミが広がる。ミリーは顔をそむけた。
盗賊たちが及び腰になったところで、僕は一人に近付く。捕らえるのは簡単だった。そいつは、目の前で外側から溶けていく仲間の様子を見て、完全に戦意を失っていた。僕は男を玄関の石段の下に連れていく。
「ミリー?」
ミリーが男の前に立つ。
「あなたたち、魔女シャイアの居城を襲うなんて、バカね」
男の目に、少し生気が戻ってきた。ミリーが続ける。
「それもシャイアが帰還してから襲うなんて。それくらいなら大魔女ルイーザの城を狙えばいいのに」
背後から、次の犠牲の悲鳴が聞こえた。
「簡単にいうな」男が震えながら反論する。「あの城に入れた者はいないんだぞ」
「あら、行ったことがあるような口ぶりね」
「行ったさ。湖のヘリまではな」
「そこまで行って、すごすご帰って来たのね」
ミリーが男を馬鹿にするように言った。
「仲間が氷を割ろうとしたんだ」
「それで?」
「そいつら、みんな凍っちまった」
「ふ~ん。夏に行けば良かったんじゃないの?」
「あの氷は夏も溶けやしない。だいたい湖水地方の湖は冬だって凍らないんだ。あの湖以外はな」
いいぞ、ミリー。湖水地方か。たしか、大陸の中央から少し東に寄った辺りだ。ミリーも僕も、まだ行ったことはない。聞くところによると、緑の森に湖が点在する、風光明媚な土地らしい。
「湖の名前、あなた知ってる?」
「名前なんかあるものか。近くの町の連中もあの湖のことは口にすることすら恐れているからな。近付けるのは、俺たちみたいな勇者だけだ」
「――愚者」
ミリーはそうつぶやき、男をシャイアの方へ押しやった。
「凍結魔法ですね」
いつの間にか、リリアンが扉の脇に寄りかかっていた。
「あなたの力で何とかなる?」
「普通の魔法なら、解除できると思います」
ミリーの口元に笑みが浮かぶ。
「シータ、リリアン、今日中に出発よ」
いつの間にか、前庭は静かになっている。ゴーレムたちが地面に散らばっている盗賊たちの剣や持ち物を片付けていた。
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