魔女の町、ドーラ

「リリアンはどこへ行きたい?」

 出立の準備を整えながら、ミリーが訊ねた。いつもの事ながら、この期に及んでまだ行き先が決まらないのだ。

「そうですねぇ――」

 リリアンが言い淀む。

「遠慮せずに言っていいよ」

 僕が促すと、リリアンは遠慮がちに口を開く。

「大魔女ルイーザゆかりの地に行ってみたいです」

 なるほど。リリアンはルイーザの子孫らしいし、宝剣の不思議な力の謎が解けるかも知れない。

「そりゃいいね。で、それはどこ?」

 恥ずかしい話だけど、僕は大魔女ルイーザは物語の中の存在だと思っていた。実在した魔女と知ったのは今度の一件以来だ。

「そうね。大魔女の版図はこの大陸の殆どに及んでいたはずよ。そういう意味ではどこもかしこもゆかりの地ね」

 ミリーも首を傾げた。

「お母様ならご存じかも」

 リリアンが答えた。僕は彼女にも母親がいる事にちょっと驚いた。

「もしかして、お母様も魔女さん?」

 ミリーが恐る恐る訊ねた。

「はい。わたしと違って、立派な魔女です。魔女シャイアといえば、その筋では結構有名なんですよ」

 この世界には本当に僕たちの知らない事が多いらしい。

 僕はミリーと顔を見合わす。ミリーもさすがに尻込みしている。

「大丈夫ですよ、ミリーさん。お二人はわたしにとっては命の恩人です。いくら母でも取り殺したりはしないです、たぶん」

 リリアンの言葉は益々僕たちを不安にした。が、リリアンはもうその気になっている。

「どうする?」

 ミリーが僕の顔色を窺う。

 リリアンがまた口を開く。

「それに、お母様の館の地下には財宝がたくさんありますから、きっとお二人には相応のお礼が出来ると思います、たぶん」

 それを聞いてミリーの表情が変わった。

「大丈夫よ、シータ。やぁねぇ、そんな顔して。あたし達、リリアンとは友達じゃないの。この際、お母様にもきちんとご挨拶しておきましょう」

 その前に一つ確認しておきたい。

「リリアン、お母さんも若い剣士が好みなの?」

 焼き肉になりに行くのはまっぴらだ。

「いえ、母は幼児が好みですから。わたしは乳臭くて嫌いですけど」

 僕は大きく溜息をつく。決まりだな。リリアンの実家に顔を出そう。


 領主からせしめた金貨は町の両替ギルドに預けて証書に代えてある。これでまた身軽に旅が出来る。各自背嚢一つを背負っていざ出発だ。リリアンの生まれ故郷は、ここから徒歩で四日程行った古い町、ドーラだそうだ。

「ねえシータ、少しは蓄えも出来たんだし、乗合馬車で行かない?」

 締まり屋ミリーとも思えない提案だ。

 リリアンが『そうしましょう』と言いたげな顔で僕を見る。徒歩で四日だから、馬車なら二日と掛からずに着けるだろう。リリアンは少しでも早く母親に会いたいらしい。

「そうだね。たまには馬車もいいね」

 僕は同意した。

 僕たちは広場近くの馬車停に出向く。

「ドーラ行きの馬車? 今はどこの町からも出ていないよ」

 切符を買おうと声をかけたミリーに、出札係の親父が言った。幸い、ドーラの近くを通る馬車があるというので、僕たちはそれに乗ることにした。

「ミミズクの三番から、もうすぐ出発だよ。早く乗んな」

 僕たちは急いで指示された停留所に向かった。

 六人乗りの馬車に、先客は二人だけだった。僕たちが乗り込むと、御者が声をかける。

「お客さん方、出発するよ」

 四頭立ての馬車がぎしぎしがたがたとにぎやかな音を立てて走り出す。

 少しの間、町の石畳をゴロゴロと走っていたが、やがて道は未舗装になり、車窓の風景も家並みが途切れ、畑が増えてくる。その畑も徐々に少なくなって、代わりに灌木混じりの草原になる。

 リリアンは馬車が珍しいのか、盛んに外の景色を眺めている。ミリーはさっきから僕に寄りかかって熟睡だ。向かいの席の相客たちも連れではないらしく、言葉は交わさない。

 馬は走るでもなく歩くでもなくといった速度で進み、そろそろ振動でおしりが痛くなり出した頃に次の村に到着した。

 ここで馬を交換するらしい。僕たちは村にただ一軒の食堂に追いやられ、そこで昼食だ。

「あーよく寝た」

 ミリーが大きくのびをする。僕は、彼女に寄りかかられていた右肩は痺れているし、お尻は痛いし、それに確かに腹も減っている。

 食事代は馬車賃には含まれていないから、各自が勝手に食べることになる。

「シータさん、ほら、このお店にはドラゴンもどきの串焼きがありますよ!」

 リリアンが品書きを手に嬉しそうだ。

「旨いのか、それ?」

 ドラゴンもどきはトカゲの仲間だ。僕は食べたことがなかった。

「人肉と合い挽きにして団子にすると――」

「リリアン!」

 ミリーが横から制止する。隣のテーブルには馬車の相客の一人が座っている。幸い、リリアンの話には気付かなかったようだ。

 結局、僕たちは定食を頼んだ。

 あまり旨くもない食事を終え、お茶を楽しんでいるところへ御者が来た。

「そろそろ時間ですので、馬車に乗って下せえ」


 馬車には僕たちの他には食堂の男一人しか戻らなかった。もう一人はここまでだったのだろう。

 馬車が走り出すと、直ぐに男が話しかけてきた。

「剣士さん方はそちらのお嬢さんの護衛ですか? まあ、南の街道を行かれるんだったら用心に越したことはないですからなぁ」

 男は旅の商人だと名乗った。他愛もない少女趣味の小物を行李に詰めてこの近くの町々を売り歩いているらしい。男の目には、僕たちはお嬢様とその護衛と映ったようだ。

「ときに、お嬢さん」男がリリアンに向き直る。「ドーラへ行きなさるんですか?」

 僕たちは馬車の中でも食堂でも、ドーラの名は出していないはずだ。

「あら、どうしてお分かりになったのですか?」

 リリアンが微笑む。

「いや、先ほど食堂で魔女の食事について話していらしたでしょう? お嬢さんは魔女に興味がおありのようだから、それならドーラだと」

「はい、わたしは魔女に会いにドーラへ行きます」

「やれやれ、勇敢なお嬢さんだ。しかしね、お嬢さん。ドーラの魔女シャイアはあなたのような人に、親切な応対などしてはくれませんよ」

 もちろんしてくれるさ。ミリーと僕にはどうだか判りはしないけれど。

 リリアンが曖昧に微笑んでいると、男が話を続ける。

「ドーラの町は魔女に支配されていると言われてきたけどね、今は様子が違うんですよ」

「え、どういうこと?」

 ミリーが体を起こす。

「少し前までは噂の通り、あの町は魔女に支配された陰気な場所でした。それでも乗合馬車は行きましたけどね。ところが、今では馬車も行かない」

 男がもったいぶって話を切る。

「魔女に何かあったのですか?」

 リリアンが心配そうに訊ねる。その愛くるしい表情に、男が口を開く。

「ちょうど前回私があの町にいた時のことでした。どこからか、ならず者の集団が町にやってきたのです。その連中の目的は魔女の館にあるという、財宝でした。その日の朝、三、四十人ほどの男たちが、魔女の丘にそびえる館を目指して出かけていったのですが、夕方にはみな傷だらけになって手ぶらで戻ってきました。町の者は、ならず者たちは魔女の怒りを買ったに違いないと思いました。ところが、男たちは町から逃げ出しもせず、酒場に居座ったのです。もし、シャイアの怒りを買ったのなら、たちどころに魔物たちが差し向けられ、ならず者などひとたまりもないはずです」

 僕はリリアンを見る。彼女が小さく頷いた。その目は『お母様ならそうするでしょう』と言っている。

 商人が続ける。

「ならず者たちはそのまま町に居続けました。そして、町人を脅したり、時には金のありそうな店を襲ったりと、傍若無人な暴れようです。そうなったらもう商売どころじゃありません。私は町を離れたんですが、噂ではならず者たちはまだドーラの町に留まっているとか」

 さすがに四十対二では勝負にもならない。しかも相手は場慣れした連中だ。見ると、ミリーも思案顔だ。一方リリアンはちょっと心配そうな様子でそわそわしている。

 僕はリリアンの膝に手を置く。

「行けば判るさ」

 リリアンが僕の手を取る。

「そうですね。魔女シャイアが、たかが四十人程度の人間に倒されるはずがないですもの」

 商人がため息をつく。

「それでも行くんですか」

 そう、僕たちはそれでも行く。


 馬車は途中の村で一泊した後、翌日の昼前に僕たちを街道の分岐点に降ろした。窓から手を振る、あきれ顔の商人の姿が小さくなるのを見ながら、僕たちは気合いを入れ直す。ここからドーラまではあと僅かだ。

 少し歩くと、前方にドーラの町が見え始めた。その右手には小高い丘があり、頂上付近に数本の塔が印象的な、陰気な館が建っている。

「あれがお母様の館、わたしが生まれた場所です」

 リリアンの歩みが早くなる。

「町は後回しにして、先に魔女の館に行ってみましょう」

 ミリーが言った。どちらも気が進まなかったけど、僕は黙って頷いた。

 近付いてみると、町並みと丘との間は小道ではっきりと分けられている。小道より丘側には家はおろか、畑すら、ない。

「ここから先はお母様の土地だから」

 リリアンはそう言いながら、小道から丘へと続く径≪みち≫に入る。通る人とてないだろうに、径は綺麗に整備されている。

「誰かいるんじゃないの?」

 ミリーの質問に、リリアンが答える。

「これはゾンビにやらせているんです。夜のうちに綺麗になるんですよ」

 径は丘の中腹で途切れていた。いや、径がイバラの藪に遮られている。どうやら、丘全体がイバラで囲まれているようだ。

「きゃっ」

 イバラに近付いたミリーが飛び退った。

「どうした?」

「大きなムカデ!」

 藪の下から、不気味な目がこちらを窺っている。

「違います、あれは毒ヤスデです」リリアンが説明する。「お母様の僕≪しもべ≫です」

「君のお母さんはヤスデを僕にしているの?」

「他にも、蜘蛛やカマキリ、サソリもいますよ。それが先鋒で、その次が大蝙蝠≪おおこうもり≫、その奥がオオカミたちとゾンビ、それからゴーレム。最後にドラゴンです」

 どうやら、この館の守りの事らしい。つまり毒ヤスデを何とかできても次々に強敵が現れるということだ。

「お母様がいらっしゃるときはこんな防御はしていないんです。近付いた者はただ殺すだけですから。わたし、見てきます。ちょっと待っててください」

 そう言い置いてリリアンはすたすたとイバラに近付いていく。と、イバラの方が勝手に動いて通り道を開ける。彼女が通り過ぎると、イバラはまた元のように防壁の形を整える。

「あの商人、ならず者たちが傷だらけで帰ってきた、って言ってたわよね。多分、これね。と、いうことは、連中がここに来たときにはもうすでにこの防壁はここにあったっていう事よ」

「つまり?」

「つまり、その時には魔女シァイアはもういなかった、っていう事」

 リリアンが戻ってきた。

「どうだった?」

「はい、お母様は留守だそうです。でも、そろそろ帰るって、連絡があったみたいです」

「誰に? 留守番がいるの?」

「留守番はたくさんいます。今、話を聞いたのはフクロウですけど」

「それで、どこに行ってるの?」

「それはフクロウも知らされていないようですけど、たぶん業界の理事会ですね。毎年この時期に開かれますから」

「業界? 理事会?」

「はい。母は理事の一人なんですよ」

「す、すごいね」よく分からないけど。

 僕たちは町へ入り、どこか宿を探すことにした。できればならず者の来ないところがいい。

 町へ下ってみると、まるで死んだように陰鬱な雰囲気だ。夕暮れ時だというのに、人影はまばらで通り沿いの店も殆どは扉を閉めている。僕たちは町の中心へと歩いて行く。

「あ、あそこは開いてます」

 リリアンが指さす。

「おいおい、あれは酒場じゃないか?」

「でも、二階は宿屋みたいだね」

 ミリーが言った。

 リリアンは躊躇する様子もなく明かりの漏れる店の方へと進んでいく。

「もう日暮れだぜ。魔法が使えなくなる時分だけど、大丈夫なのかな?」

「さあ?」

 ミリーと僕は及び腰だ。

「さあ、入りましょう」

 リリアンが振り返って呼ぶ。その顔には自信がみなぎっていた。何か考えがあるのだろうか。僕たちはリリアンに続いて店に入った。

 店内は賑わっていた。いや、荒れていた、と言った方が正しいのかも知れない。すでに酔いつぶれている者、出来上がっている者、わめく者、暴れる者、収拾がつかない状態だ。

 直ぐに中の一人が僕たちに気付いた。

「おい、子供だぞ!」

「女だ!」

 叫びながら、数人の男たちが酒瓶を手によろけながら近付いてくる。

 ミリーに抱きつこうとした男がいきなりひっくり返った。ミリーが足払いを食らわしたんだ。男は土間で頭を打ち、そのまま伸びてしまった。

「このアマ!」

 男がミリーに酒瓶で殴りかかる。ミリーは男の緩慢な動きを見切って、ひょいっとよける。男は勢い余って床に転げ、そのまま寝てしまった。

 僕はカウンターに近付く。

「この町で泊まれる場所は?」

 僕が訊ねると、バーテンダーが済まなそうに言う。

「あいにくですが、この通りなんで。他の宿屋は休業状態です。なにしろ旅人も来ないですから」

 それもそうだ。仮にここに空き部屋があっても、とても一般客は泊まれない。

「兄ちゃん、何しに来たんだ?」

 背後から酒臭い息が近付いてきた。

「おっさん、飲み過ぎだぞ」

 僕はカウンターにもたれかかった酔っぱらいを押しのける。

「飲んで何が悪い? お宝は手に入らねえ、町の女どもは蜘蛛の子を散らすように逃げやがる。飲まずにいられるかよ! せめて魔女がいりゃ一戦交えられるのによ」

 どうやらこの連中はお宝が手に入るまでこの町に居続けるつもりらしい。

 背後が騒がしくなった。

「おいアマ! 酌をしろ!」

 また酔っぱらいが来て、今度はリリアンに絡み出した。フロアのテーブルにいた連中が面白そうにはやし立てる。

 僕は気が気ではない。ここの連中は皆酔っぱらっていて相手にはなりそうもないが、さっきからどう数えてもここには十四、五人しかいない。残りがまだいるはずだ。

 突然、リリアンに絡んでいた男が叫び声を上げながら床に倒れた。男は叫びながら床を転がる。すぐに男の体から青紫色の炎が立ち上った。男の体は燃えていた。

 リリアンは涼しい顔でそれを眺めている。仲間たちが男の火を消そうとやっきだが、消えはしない。当たり前だ。火は体の中から燃えているのだから。男が息絶えるまで、長くは掛からなかった。やがて動かなくなり、炎も小さくなった。男の体は見るも無惨に焦げていた。

「きさまら、何をした?」

 別の男が僕に食って掛かる。

「酒の飲み過ぎじゃないの? アルコールにタバコの火が引火した、とか」

 男には僕が冗談を言ったのか、そうでないのか、判断がつかないらしい。実際、僕が言ったようなことが起こるものかどうか、酒で鈍った頭で考えている様子だ。が、リリアンは男たちにそれほどの猶予を与えはしなかった。

 なにやら音がする、と気付いたときにはもう、カウンター奥の壁の隙間からネズミの群れがバーに侵入し始めていた。毒を持つ大型のネズミ、黒ネズミだ。群れはバーテンダーには構わず、バーカウンターを回り込んでフロアに溢れ出す。

 辺りは騒然となる。ネズミの群れは、ならず者たちに襲いかかった。その鋭い牙には神経を麻痺させる毒がある。男たちが逃げまどうが、ネズミのすばしこさにはかなわない。足を囓られた男たちは次々と床に倒れる。一度倒れてしまえば、もうお終いだ。数十匹の黒ネズミが噛みつき、肉を食いちぎる。神経毒が男たちの体を麻痺させ、逃げることを許さない。彼らは生きながらネズミに食われているんだ。

 見ると、リリアンは口を半開きにし、眉をつり上げて笑っている。その目には冷酷な青い炎が見て取れる。恐ろしい、魔女の顔だ。僕の背中を冷たいものが伝う。

 床には、目をむき苦しみに体を小刻みに震わせながらネズミに肉を食いちぎられていく男たちが転がっている。

 ミリーが青い顔で扉を開け表に出て行くのが目に入った。僕も酸っぱいものがこみ上げてくる。

 魔女そのものの、残忍な薄笑いを浮かべているリリアンの脇を通り、僕も外へ出た。

 ミリーは道路の向こうにしゃがみ込んでいた。僕は彼女の背中をさすってやる。

「リリアンが魔女だって、思い知ったよ」

 ミリーは返事の代わりに吐いた。

「……もう大丈夫、だと思う」

 ようやくミリーが立ち上がる。そこへリリアンが口の周りを袖で拭きながらやってきた。少し食べたらしいが、その表情はいつもの穏やかで美しいものに戻っている。

「大丈夫ですか?」

 心配そうにミリーをのぞき込む。

「大丈夫よ。ただ、空きっ腹にちょっとこたえただけ」

 だが、リリアンは勘違いしたようだ。

「済みません、肉の焼ける香ばしい匂いにネズミちゃんたちのお食事ですものね。わたしだけ勝手に頂いちゃって」

 ミリーがしゃがみ込んで、また少しもどした。

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