宇宙のテラリウム

髙 仁一(こう じんいち)

第1話 完全食品 ver.1.01(完結)

完全食品


 ある藩の南方に位置するその島は、城主の圧政に苦しんでいた。年貢は米で納めなくてはならかった。しかし、その島は古い島で、太古から雨や風に削られてきたその表面には、水田を作るような平地は少なかった。しかも、土自体の質も良くなく、藩の求めるような米を育てることができなかった。

 そこで藩は島民に、米の代わりに黒糖を年貢として収めること命じた。温暖であれば栄養の少ない土地でも育てられるサトウキビを作らせたのだ。その目論見は成功した。その島で育てられたサトウキビは、煮込んで糖分を抽出すると、とても美味しい黒糖になった。そのままでもずっと舐めていられるような、美味しい砂糖だ。

 そのように島の特産を得て、年貢を収められるようになった島民たちだが、その苦難は終わらなかった。このサトウキビが高く取引できると知った藩は、さらにたくさんの黒糖を作るように島民に命じた。

 島民は山を切り、段々畑にしてサトウキビ畑を増やした。サトウキビだけでは根が弱く、山が崩れてしまうので、元々島にあった根の強い樹木である「蘇鉄」を段々畑の段々ごとの境界に植えた。

 そんな島民の涙ぐましい努力もむなしく、藩からの要求と圧力は増える一方で、一向に生活は良くならなかった。わずかな平地はすべてサトウキビ畑となり、それらをすべて藩に収めるため、島は慢性的な食料不足状態になってしまった。その結果、この島に安定してある植物といえば、先に話に出た「蘇鉄」しかない。その実には確かに炭水化物があるが、同時に猛毒を有していた。


 猛毒があったが、食べるしかなかった。


 蘇鉄の無毒化はかなり面倒な作業で、実をうすでひいてから、太陽光線の下に干し、また水にさらして干し、また水にさらして干し、を繰り返す。

 そうして得られたでんぷんは、貴重な炭水化物源として、そのままお粥にして食べた。それはただの炭水化物のかたまりで、味はなく、お世辞にも美味しいとは言えないものであった。それでも、「これがあったおかげで生きていられた」と、「先祖が命をつなぐことができた」と、時代が一回りした今、現在でも、目を潤ませながら話す島民は多い。




「教授、これを見てください。」


 画面は微小な、うごめくものを映していた。


「なんだねこれは…」

「これはこの島民の口内、頬の裏側から採取した唾液を拡大して映したものです。」

「で、この動くものは?島民は口内に寄生虫でも飼っているのか?」

「違いますよ、博士。これは寄生虫なんかよりももっと小さいものです。10億分の1、1ナノメートルの世界です。」

「すると、ウイルスかね?島民は何かの病に侵されていると…」

「ある意味、病気とも言えますが、もっと違う呼び方になると思います。例えば、『共生』とか。」

「ほう、こいつがいると人間に何かいいことがあるのか。」

「そうです。このウイルスがやっていることは、口内の物質を変化させることです。」

「ヒトの体に良いものなのか?」

「直接、体に良いものというわけではないのですが…基本的には、このウイルスは物質の味を変化させるんです。」

「なるほど、化学反応ででんぷんを糖に変えるのか。しかし、それは唾液の元々の特性じゃないか。」

「『基本的には』、です。それだけではありませんでした。このウイルスは通常の化学反応による物質の変化だけでなく、ごく微小な量ですが、『原子レベルの変化』をさせることができます。」

「まさか、それは核分裂や、核融合ではないか!」

「ええ、今でこそ核融合技術は身近ですが、『彼ら』は人類がその技術を確立させる前に、すでに自由に原子核を変換させることができたのです。炭水化物からタンパク質という分子レベルの変化に加えて、鉄分をも生成できることを実験で確かめました。」

「『生物学的元素転換』…とうの昔にエセ科学の烙印を押された理論が、ここで証明されるとは。」

「まさに錬金術です。このミクロ世界の住人はあのバカでかい原子炉がなくとも、元素変換をおこなえるんです。」

「奇跡の生命体…か…。」

「すごい発見ですよ、これは。」


 研究者たちは直ちにこれを本土へ持ち帰り、そのニュースは世界を駆け巡った。発見されたこの新種のウイルスは、原子炉をその身体に有する鉄腕のロボットの名前から取って「アトムウイルス」と名付けられた。人類のエネルギー革命をさらなる次元に引き上げ、無限のエネルギーを生み出すことを期待された。

 しかし、名付け元のロボットと違って十万馬力のエネルギーを生み出せるわけではなかった。いくら培養して数を増やしても、その発電量は微小で、これなら人間が自転車型発電機を漕いだ方がマシという具合だった。ただただ、そこそこの分子とわずかな原子が別のものに変化するだけだった。

 そこでアトムウイルスの研究者たちは、大規模な発電は元々の発電所に任せるとして、このウイルスの元々の特性を活かすことにした。「口内の味を変化させること」だ。そして、生み出された商品名がこれだ。


「百?いや、兆の味に変化する『兆味料』!本日発売!!!」


 商品の箱の隅には小さく、「アトムワクチン配合」と書かれていた。ウイルスという単語を抜き、消費者の嫌悪感を抱かせないためだ。人に対する毒性がないので、毒性を抜いたウイルスであるところの「ワクチン」から、多少強引だが、名前を借りることにした。それはアトムウイルス研究に巨額を費やした企業の、利益のための仕方ない措置だった。


 『兆味料』は食品の味を「食べた人が望んでいる味」に変えることができた。ハンバーグにかければ、その人がいつも使っているお気に入りのソースの味に変わった。ただの水に入れて振れば、オレンジジュースやグレープジュース、コーラやソーダ、今飲みたい飲み物の味に変わった。

 この調味料を使えば、子供の文句も出ることはなく、嫌いだった食べ物でもなんでもバランス良く食べれるようになった。痩せたいと思っている人は、これをサラダにかけて食べることで、「ふんだんに油を使ったステーキ」味のサラダを楽しんだ。カロリーを摂取することなく、様々な味を楽しめるということで国内外問わず注文が殺到した。

 順調に、爆発的に売上を伸ばし、アトムウイルス研究チームは潤沢な予算を得た。ウイルスの培養技術の革新は進み、ついに『兆味料』は大規模アップデートをすることになった。


「百?いや、兆の栄養素を補給する新『兆味料』!本日予約開始!!!」


 新しい『兆味料』は食品の分子や原子を変換し、「食べた人に必要な栄養素」に変えることができた。ただのでんぷんがタンパク質に変わったり、ビタミンや、さらに鉄分をはじめとするミネラルにまで変換された。いくら食事が偏っても、『兆味料』さえ摂取すれば、足りない栄養素を補ってくれる。いや、もはや普通の食事をとる必要もない。朝昼晩、ただの白飯だけを食べていたって、『兆味料』さえかけていれば様々な味を楽しめ、様々な栄養素を摂取することができるのだから。

 そう、『兆味料』は真の意味での完全食品となったのである。


 発電所の代わりにはならなかったものの、人類がより繁栄するための鍵であった「食糧問題の解決」がアトムウイルスによって達成された。培養技術のアップデートごとに生成できる栄養素は多くなっていき、生成元として用いることのできる物質の種類も多くなっていった。




「教授、これを見てください。」


 画面は微小な、うごめくものを映していた。


「これは誰の口内を映したものだね?」

「ごく普通の一般人のものです。『兆味料』を摂取したことのある人の、ですね。」

「ではやはりアトムウイルスか。しかし形が少し違うな。」

「ええ、アトムウイルスはその分子原子変換できるという特性から、自らの形を変えることも得意です。さっそく、新種のウイルスが出てきたようです。」


 アトムウイルスが生まれた理由にはいくつかの説があったが、現在有力な説は、進化論をもとにしたものだ。あの島の人々は長年、味のない「蘇鉄」のでんぷんを食べてきた。味のないでんぷんでは、腹は膨らむものの、どうしても体にストレスが溜まってしまう。また、栄養が偏ってしまう。

 そんな中、ある島民の体の中に偶然の突然変異によりアトムウイルスが生まれた。その島民や、その島民の血を引いた島民は微小ではあるが口内ででんぷんの味が変わりストレスが低減され、原子変換により栄養が補充された。栄養状態が周りの人間より良く、活力にあふれたその血族は次第に島での権力を握っていった。

 そうして、アトムウイルスを持たない、または分子原子変換の不得意なアトムウイルスを持つ島民は淘汰され、強いアトムウイルスと共生した島民だけが残ったとされている。


「この新しいアトムウイルスは何ができるのかね?」

「『兆味料』が売り上げを伸ばしてから、アトムウイルスは島以外にも生息地を拡大したわけです。さらにこのウイルスは自らをもっと繁栄させたいようです。」

「すると、イライラを低減させる物質とか、筋力が増加させる物質とかホルモン系の物質を生み出せるようになったとかか?人が強くなれば、ウイルスも繁栄できる。」

「いいえ、むしろ逆ですよ。このウイルスは味のあるものを味のないものに変えてしまいます。」

「は?今なんて…?これまでの特性と逆じゃないか。宿主の非になることをしてどうする。」

「物質を変えるという点では今までと同じです。人類をアトムウイルス依存から逃れられないようにするためですよ。」

「言っていることがよくわからないな。」

「このウイルスは人の食べるものをだいたい覚えたんでしょう。そして、味のあるものを味のないものに変え、味のないものを味のあるものに変えるんです。これから、人類がアトムウイルスなしでは味を感じられない時代が来ます。」

「なんと!それは大変だ!すぐに『兆味料』の販売を停止し、本物のアトムウイルスワクチンや特効薬を作らねば!!」

「そんな心配はいりませんよ。」

「なぜだ!普通の食べ物の味がわからなくなってしまうんだぞ!?」




「これまで通り兆の味を楽しめ、兆の栄養素を得ることができるんです。これからずっとアトムウイルスを摂取していればいいだけの話じゃないですか。」

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