もう、二度と会えないって、思ってたんだ……

「地震……? 結構大きい……!」

「ユ、ユウッ!」

 すると。

 あいすが不意に驚いた声を上げて、僕に抱き着いてきた。

 幼い子供のような、さっきまでとは明らかに違う抱き着き方だった。

「津波が! 津波が来るっ!」

 明らかに恐怖に怯えた声を出しながら、胸に顔をうずめるあいす。

「あ、あいす……?」

「嫌だ……津波は、津波は、嫌だ……っ!」

 津波。

 何度も繰り返すその言葉が、僕にあの時の記憶を呼び起こさせた。

「お、落ち着いて! ここは丘だから! 津波なんて来ないから――!」

 僕は自然と、あいすの体をしっかり抱き締めていた。

 とにかく、安心させるために。

「怖い……怖いっ! ユウ……ッ!」

 あいすは僕の胸の中で、子供のように叫び続ける。

 僕にできる事は、ただ抱き締め続けるだけ。

 すると、揺れが次第に収まっていき、何事もなかったかのような静寂が部屋に戻る。

 収まった。

 でも、あいすはまだ怯えているのか、もう言葉すら出なくなっている。

「収まったよ、あいす。大丈夫、緊急地震速報はなかったし、多分震度4くらいだよ」

「……」

 呼びかけても、あいすは顔をうずめたまま、返事をしない。でも、震えは止まっている。

「あいす? あいす?」

 おかしいと思ってよく見てみると、あいすの目は力なく閉ざされていた。

 体を軽く揺すっても、反応しない。

 気絶、している?

 地震だけで気絶する人なんて初めて見たけど、あり得なくはなかった。

 僕も経験した、を経験しているなら。

 何より、それが原因で戦闘機であるなら――

「……ふう」

 僕はあいすを抱いたまま体を起こす。

 たったそれだけの事に、かなりの勇気を振り絞ったような気がした。

 だって、触れた肩の肌は、すべすべで妙に触り心地がよかったから。

 変な邪念を振り払い、念のためスマートフォンで地震情報を調べた。

 案の定、「この地震による津波の心配はありません」と書かれていた。

 さて、これからどうしようか。

 さっきから顔色が悪そうなのもあるし、気絶したなら一応救急車を呼んだ方がいいのだろうか。いや、でも戦闘機が化けた存在を病院に連れてって、大丈夫なんだろうか――?

 とにかく、考えても始まらない。

 とりあえずさっきの場所に戻ればベンチがあるから、まずはそこに連れて行こう。

 僕は肩に担ぎ上げる形であいすを抱え、元来た道を戻っていく。

 下り坂で足が滑らないように気を付けながら。

 とはいえ、これ結構恥ずかしいな……やっぱり救急車呼びたい。


「君、一体どうしたんだい?」

 元来た道に戻ってきた時、夜景を見に来たと思われる男の人と鉢合わせた。

 不審者を見るような視線。

 仕方がないか、こんな所で男が女を担いでいるのを見たら、僕だってそうなると思う。

 とにかく、近くに人がいるのは都合がいい。手伝ってもらおう。

「あ、すみません。ちょっとこの人が、気絶してしまって、救急車を呼ぼうと思ってるんですけど――」

「この人? 人なんてどこにもいないじゃないか」

 でも。

 男の人は、不思議そうに僕を見ながら、予想外の事を口にした。

「え!?」

 僕は耳を疑った。

 目の前の女の子が見えていないような言葉。目立つくらい担いでるって言うのに。

「な、何言ってるんですか! 今、ちょうど僕が担ぐ形にはなっていますけど、ちゃんとここにいますよ!」

「そ、そっちこそ、何おかしな事言ってるんだ」

 男の人は、何を思ったかスマートフォンをこっちに向けてきた。

 すると、画面を覗き込む男の人の表情が、少し青ざめたように見えた。

「う、うん、やっぱり、何も映ってない。あんた、変な幽霊に取りつかれてると思うぞ? 悪い事は言わない、すぐ帰った方がいい。じゃ、俺はこれで」

 早口で言い終わると、まるで逃げるように男の人は去っていく。

 もしかして、さっきカメラを向けていたのだろうか。

 そう思った僕は、試しに自分のスマートフォンを自撮りモードにして、僕とあいすの様子を映してみる。

「え……!?」

 途端、僕は言葉を失った。

 画面には映るはずのあいすの姿はなく、ただ僕だけがおかしな格好で映っていたんだから。

 あいすは、確かに僕が担いでいて、重さも感じてるって言うのに。

 これじゃまるで、幽霊じゃないか。人間じゃないみたいじゃないか――いや、あいすは戦闘機が化けた姿だから人間じゃないのは当たり前、か。

 でもなんで、幽霊みたいに他の人には見えてないんだ?

 とにかく、これで救急車を呼ぶという選択肢は、なくなった。


     * * *


 結局僕は、あいすを自分のアパートまで連れて行く事になった。

 あいすをそっと、お世辞にも広いとは言えない部屋の中へと連れて行く。

 勘違いしないで欲しいけど、やましい気持ちがある訳じゃない――多分。

 相手が幽霊みたいに他の人には見えない存在なら、救急車を呼んでも相手にされないだろうから仕方なく、と思っただけ――多分。

 そんな事はともかく、僕の部屋はワンルームだから、ベッドにはすぐだ。

 ソファなんてしゃれたものは、ここにない。寝かせようと思ったら、もうベッドしかない。

 そこにそっと横にして、あいすが目覚めるのを待つ。

 ショルダーバッグを降ろすと、部屋は途端に静かになる。

 かちかちと響く時計の音だけが、時が流れている事を実感させてくれる。

「……ふう」

 僕はようやく、落ち着ける時間を得られた。

 あいすを見下ろす形でベッドに座り、手に取った操縦桿を握りながら、状況を整理する。

「あいす……本当に、君なんだね……」

 自然と、あいすの顔を見ながらつぶやいていた。

 本当に、非現実的だと思う。

 目の前にいる僕好みの女の子が、ずっと憧れていた戦闘機で、なぜか他の人には見えなくて、しかもいきなり抱き着いてキスしてくるなんて。

 でも、夢じゃない以上、信じるしかない。

 彼女が、どういう訳か人間の少女の姿を借りた、F-2B戦闘機23-8114号機だと。

「ずっと忘れてて、ごめん……もう、二度と会えないって、思ってたんだ……戦闘機の姿をした、君と……」

 僕は、ずっとあいすの事を忘れていた。

 どうしてなのかはわからない。

 あの出来事のせいで、人々の前から姿を消したからだろうか。

 でも、本当は、会いたかった。

 だって。

 僕は初めて君と出会ったあの日から、ずっと君の事を追いかけていたんだから――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る