#1 運命の再会
僕はもう、ダメかもしれない……
「なになに、『捨てられた乗り物の化身ヴィハイキュバスは人間の美女の姿で現れ、男を淫らな行為に誘う。一度でもそれに乗ってしまうとたちまち美貌の虜になり、最終的に意思を奪われ操り人形にされてしまう』……何だこの都市伝説」
不気味なまでに静かな夜。
僕はほんの気まぐれで見つけたサイトをスマートフォンで見て、ちょっと後悔した。
一瞬止まった息をふう、と吐き出して、僕はスマートフォンをポケットにしまった。
「意志を奪われるくらいいちゃらぶされたい、なんて、何考えてるんだ僕……現実はそんなに甘くないっての」
こんな事が一瞬でも魅力的に見えてしまった自分が、情けなく感じる。
本当に僕はもう、ダメかもしれないな。
そう思いつつ顔を上げると、眼下に広がる街の夜景が視界に入った。
ここからの夜景はきれいだけど、今は逆に空しく感じる。
何だか、街にさえも笑われているような感じがして。
冷たい風が吹き、ざわざわと周りの木々が揺れる。
夜の闇に溶け込む森は、舗装された道のすぐ脇から不気味に僕を誘っている。
僕が一歩でも道を踏み外せば、瞬く間にその深淵に呑まれてしまうだろう。
でも。
今の僕には、それが酷く魅力的な世界に見えていた。
僕が今いるのは、丘の上に広がる公園だ。
ある理由で前から結構行っていた場所だけど、実は夜中に入るのは今回が初めて。
なぜなら、心霊スポットしても有名だからだ。
入り組んだ森が広がるおかげで、『自殺の名所』にもなっているらしく、霊を見たという情報が後を絶たない。
そんな所に夜1人で入るのは、余程の物好きだろう。
僕はいつの間にか、その1人になってしまっていた。
なぜか、『自殺の名所』と呼ばれる世界がどんな場所なのか、見てみたいと思ったのだ。
前の仕事をクビにされて以来、全く手に職付けられるめどが立たず、まだ17歳なのに暇を持て余していたら、こうもなってしまうのかもしれない。
僕は立派な、社会の底辺。
周りからは「弱者は弱者らしく地べたを這いずり回ってろ」と言わんばかりに、下に見られてばかり。
僕の心は、少しずつ確実に、闇に蝕まれていった。
こんな物騒な所を夜独りで歩いているのに思いの外平然といられるのが、その証拠だろう。
本当に、落ちぶれたものだ。
小学生の頃は、当たり前の人生を普通に遅れると思っていたのに。
こんなんじゃ、元に戻る事なんてできないだろうな。
ああ、僕はまだ成人してもいないのに、どこで道を踏み外してしまったんだろう。
きっと、5年前のあれだ。
あの出来事のせいで、僕の人生の歯車は狂ってしまったんだ。
「やっぱり、死のうか……ここで」
僕の決心が、言葉となって口から出た。
しばらく道なりに丘を上っていくと、僕にとってあまり見たくないものにたどり着く。
街を見下ろすような形で置かれている、大きな慰霊碑。『東日本大震災犠牲者慰霊碑』と書かれている。
5年前、この地で大震災があった。
そして、多くの人々が犠牲になった。
この慰霊碑は、その記憶を忘れないためのものだ。
見るだけで、古傷をえぐられる感覚。
僕が道を踏み外した元凶を、否応なしに見せつけてくる。
忘れたくても忘れられない。
今まで経験した事もない、大きな揺れ。
街を洗い流す、黒い波。
残された、無残な光景。
そこに、父さんと母さんの姿はなかった。
そう。
僕はあの時、何もかも失ってしまったんだ。
そんな僕はきっと、『光』を見る事なんて、できないだろう――
僕は目の前に立つのも憚れたけど、未練を残したくないし、意を決して慰霊碑の前へ向かう。
目を閉じて、そっと手を合わせる。
「父さん、母さん、ごめんなさい……僕はもう、ダメかもしれない……だから――」
それだけ言って、僕は手を降ろした。
最後にぺこりと一礼してから、慰霊碑の前を後にする。
これで、迷いはなくなった。
今日はひとまず帰って、明日になったら必要なものを揃えて、また来よう。そして――と考えていた時、かちゃん、と何かが落ちる音がした。
見下ろすと、落ちていたのは緑の巾着袋だった。
僕がショルダーバッグにずっと縛り付けていたものだけど、紐が解けてしまったようだ。
拾ってみると、中身は思いの外硬い。
そういえば、しばらく開けていなかったな。最後に開けたのはいつだったか。
僕は何気なく、巾着袋の中身を取り出した。
「……あ」
懐かしさで、思わず声が漏れた。
それは、片手で簡単に握れるほど小さい、飛行機の操縦桿。
ゲーム用のものじゃない、正真正銘の本物だ。
今でもほとんど汚れていないのは、ある意味奇跡と言っていいだろう。
その感触が、僕に訴えてくる。
考え直せ、今ならまだ間に合う、と。
でもそれを、僕は振り払った。
普通一般人が手にする事などできないこれは、僕の夢そのものだった。
でも、それを叶える事は、もうできない。
なら、もう持っている意味なんて、ないじゃないか。
ほら、目の前は崖になっている。
ここへ、捨ててしまえばいい。
別にこんな場所のゴミ拾いをする人間なんて、いないんだから。
「ごめん……」
誰に対してかわからないけど、それだけ言って、ゆっくりと操縦桿を振り上げる。
もう叶わぬ夢と、お別れするために――
ユウ――
「――え?」
誰かに呼ばれたような気がして、僕は我に返って手を止めた。
ふと、何かが光っている事に気付く。
光源は――僕の右手。
僕は驚いた。
今まさに捨てようとしていた操縦桿が、ぼんやりと光っている。しかも、心臓の鼓動のように点滅している。
どういう、事なんだ。
本来光るはずのないものが光っているなんて、変な幻でも見ているんだろうか。
目をこすって見直してみても、やっぱり操縦桿は光っている。
それどころか、音もなくガイドレーザーみたいな一筋の光を発した。
息を呑んだ。
まるで、行先を示しているかのようだった。
光が示す先。
そこは、慰霊碑の反対側にある森の中だった。
奥は暗くてよく見えないけど、何か大きなものが転がっているように見える。
「……何だ?」
妙な胸騒ぎがした僕は、引き寄せられるように光が示す先へ歩き出していた。
がさり、と草を踏みしめる音。
恐る恐る、でも一歩ずつ、僕は森の中を進んでいく。
操縦桿が発する光を、懐中電灯代わりにする形で。
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