美しいの6

 あたしは嬉しかったんだ。


 レットの活躍は癪だけど、それでも最悪の状況から何とかなるとわかって、それでリバーブも復活して、とっても嬉しかった。


 だから、それにけちをつけるみたいに男爵が逃げ出すのは許せなかった。


 だから走り出してた。引っ付いた。


 ……今は激しく後悔していた。



 四頭の馬は鞭が鳴る度にグングン加速して行く。


 何処までも変わらない風景のお屋敷街でも流れる速度から落ちれば危険だと知れる。


 あたしは、馬車の後ろにへばりついてるのがやっとだった。


 そしてまた掴んでた飾りが、今度はコンドルの首が、もげて落ちた。


 これでまた掴める所が減った。


 飾りを捨てて新しい飾りへ、首をもいだ後の天使を掴む。


 このままだと落ちる。それは、困る。


 せめて上に這い上がろう、と思いたってなんとか下の何かの飾りに足をかけてよじ登る。


 と、その何かが崩れて滑ってずり落ちる。


 飾りは豪勢なだけで登りにくい。使えない。


 それでも踏ん張り、なんとか這い上がった。


 半ば四つん這いになって馬車の天井に張り付く。


 ……そんなあたしは男爵と目があった。


 へばりつくあたしと鞭を振り上げて振り返る男爵、お互い見つめ合って固まってしまった。


 ……それで先に動いたのは男爵だった。


 座席辺りから縦に引き抜いたのは、なんか見覚えのある長い杖だった。その先端の赤い宝石があたしに向けられる。


 男爵が何かを呟くと、宝石は煌めき、空中が発火、それが発射、有無を言わさずあたしにげんこつサイズの火の玉が飛んできた。


 これは回避だ。あたしは左へ体を滑らし、ずれるように馬車の側面へ身を投げた。


 刹那に火が掠めたのがわかる。


 避けれた。けど体が滑り落ちる。


 そうならないよう踏ん張るため、目に入った飾りに左足を踏み出す。


 ……その足が踏みつく直前まで、目指す飾りが飾りでなくて、高速で回転してる車輪の軸だとは気がつけなかった。



 ………………覚醒した。


 気を失っていた。


 青い空、硬い背中の感触、そしてこの上ない激痛。


「ぁっっっっっ!」


 叫んでるのに喉がつぶれたみたいに声がでない。


 涙、汗、涎、そして流血、吹き出せる全てを吹き出しながらみっともなく転がり回る。


 膝を曲げ、体を丸めて必死に押さえる左足は、脛の半ばから下が千切れて無くなっていた。


 飛び散った血飛沫の向こう側に靴を履いたままの足の切れ端が、道の向こうに転がっていた。


 血が流れ出る度に体温が落ちていくのがわかる。


 それでも、痛みにくいしばりながら首を巡らし視線を移せば馬車が、横転していた。


 浮いた車輪は空で勢い早く回ってる。気を失っていたのは長くなかったみたいだ。


 引いてた四頭の馬はいない。外れて先に行ってしまったみたいだった。


 と、影がかかる。


 そちらを見るのと頭を蹴られるのと同時だった。


 痛みと衝撃で頭がくらつく。


 それが治る前に更に蹴られて、あたしは体を丸めることしかできなかった。


「くそ女が!」


 吐き捨てたのは男爵だった。そしてまた蹴りが飛んでくる。


「邪魔! すんな! お前ら! 女は! 黙って! 俺の! 美技を! 誉めてりゃ! いいんだ! よ!」


 踏みつけるような蹴りが腕に、肩に、わき腹に、そして足の傷に、どんどん痛くする。


「余計なことしやがって!」


 吐き捨てて最後の一蹴りを胸に入れて、そしてあたしの頭に唾を吐きかけて、男爵は離れていった。


 その背中をあたしは黙って見つめる。


 ……痛くて痛くてそれしかできない。


 男爵が向かったのは馬車だった。


 壊れて開いた扉に頭を突っ込み、中を漁って何かを引き抜いた。


 そうして振り向いた男爵は、左手にあの長い杖を、右手に初めて見る剣を持っていた。


 剣は波打つ刃、フランベルジュだった。


 今さらそんな、なんて思うと同時に、男爵の顔を見た。


 その顔は、怒りに赤く煮えていた。


「なぶって楽しみたいが時間がない。それに足の無い女は気持ち悪いしな」


 そう言って男爵はフランベルジュを片手で素振りする。


「だから腹を引き裂いて道に撒いてやる。それで焦がせば足止めぐらいにはなるだろう」


 そう言ってから男爵が何かを呟き、杖をかざして先端から火の玉を浮かばせた。


「殺しはしない。生かして苦しめる。それが貴様の罰だ」


 そう口にする男爵、その手の二つの凶器に抗う余裕は今のあたしに残されてなかった。


 ……逃げなきゃ。


 思っても、全身痛いあたしは這うこともできず、寝返りするのが精一杯だった。


 それですら血を吹き出して瀕死となる。


 ……情けない。


 護る仕事なのにあたしは無様に、心の中で誰かに助けを求めてた。


 それしかできなかった。


 誰か、助けて。


 すがる思いで来た道を見返して……それで近づく蹄の音に気付いた。


 そして見た。


 道の向こうから、こちらに駆けてくる姿、その馬はホレイショだった。


 長い足で力強く地を蹴り、加速しながらもその上体はいっさいぶれてない。


 そのホレイショを駆るのは、この距離でも風に弾む頭でわかる、それはレットだった。


 その姿に、不思議とすがる思いも消えて、代わりの希望も失望も湧いてこなかった。


 ただ普通に、レットって乗馬できたんだ、なんてぼんやりと思ってた。


 そんなあたしを飛び越えて、まるで野うさぎを見つけたトンビのように、火の玉が飛んでいった。あの杖が出したやつだ。それがすごい早さで真っ直ぐホレイショへ、レットへ、放たれた。


 それにホレイショは怯まず、レットは逃げず、駆ける足を緩めなかった。


 代わりにレットはその手を前へ突き出した。



「ハンドレスマジック・プロテクション!」



 刹那に爆発、爆炎、火の玉が弾けた。


 道を塞ぐほどの大火、その中にホレイショたちが霞む。


 すぐに熱風が流れてあたしの頬を撫でた。


 蹄は、鳴りやんでなかった。


 まさに霧散させ突っ切って、ホレイショは大火を無傷で駆け抜けた。


 速くて、なのに軽やかな足取りで、そしてあれだけの速度をすぐさま緩めて減速して、ホレイショはあたしの前までピタリと立ち止まった。


 その騎上から、レットが笑いながら見下していた。


「何だ新入り、だらしない……な」


 言ってレットは、固まった。


 その視線はあたしの千切れた足を見ていた。


 そして探して、流れ出た血と、転がる千切れ落ちた足を見つけた。


 ……レットから笑顔が消えた。


 はらりと下馬したレットは、ホレイショの手綱を引いてその目を覗いた。


「ホレイショ、ブラーとリバーブ連れてこい」


 らしくない真面目な声でレットが命じると、ホレイショは理解したみたいに鼻を鳴らし、踵を返して来た道を駆け戻って行った。


 残されたレットはシャツを脱ぐと袖を絞って紐にしながらあたしの元まで来て、そして膝をついた。


「痛いぞ」


 そう言ってレットはあたしの左足の残りを掴む。苦痛に唸るより先に持ち上げられてシャツを巻かれ、膝の上で縛った。


「傷を地面に着けるな、心臓より高くに上げとけ」


 そうしてあたしを仰向けに寝かせるレット、そのテキパキとした動きは、まるで別人だった。


 そして立ち上がり、あたしをまたいで、レットは男爵の前に立った。


 その背中を見上げるだけで、あたしはレットが睨んでるんだと感じだ。


「治療は済んだか色男」


 睨まれてる男爵が睨み返してる。


「流石は護衛ギルド! いいアミュレット持ってるな!」


 一声と共に杖を突き出し次なる火の玉を放った。


 それにレットは手を突き出した。


 そして爆発、その前に爆風、目の前で吹っ飛んだ。


 燃え上がる炎は、しかし見えないガラスに阻まれてるみたいにレットを避けて流れた。


 それが風によるものだと、あたしは肌に感じだ。


 そして炎が消えて、レットは前に踏み出した。


「生意気な!」


 更に火の玉、これにレットの歩みは止まらず、手も出さなかった。


 そして火の玉は着弾せず、手前で爆散し、またもレットを焼くことはなかった。


 それでもなお火の玉は雨あられと飛んでくる。


 その全てが触れられず焼くこともなく、遥か手前で弾かれた。


 異様な風景、弾くレットは言葉もなく、ただ歩くだけだった。


「くそがぁ!」


 男爵が叫び、ひときわ大きな火の玉を捻り出し、発射した。


 視界を覆うほどの大火、それさえも、レットには届かなかった。


「……なんだその程度か」


 ボソリと呟やかれたレットの一言は、冷たくて、今までにない嘲りだった。


 それに、男爵は更に顔を赤くした。


「良いだろう! 貴様に貴族の! 特権階級の特権を見せてやろう!」


 杖を真上にかざした。その先端からまた火の玉が現れて上空へと昇っていった。


 そしてそれを見上げながら男爵は何かを、はっきりあたしに聞こえるボリュームで唱え出した。


 意味不明なその声をさながら薪とするように、現れた火の玉がみるみる膨らんでゆく。そしてサイズが家を超えるまで膨らんだ。


 その下の男爵は赤い顔のまま叫ぶ。



「サモン・スピリット・イフリート! この場に現れ敵を焼き尽くせヴェスヴィラス!」



 最後の一声を切っ掛けに、火の玉が割れた。


 真ん中辺りが上から、左右に開いて、更にそれぞれがあふれでたみたいに流れて滴った。それが垂れて流れて地面に着くと、それは大きな拳となった。


 こうして完成したのは、人の上半身みたいだった。


 筋肉質で太い腕、その頭は不細工な犬のもので、紐みたいな下半身を揺らめかせて宙に浮かんでいた。赤い炎でできた体は目だけが黄色く、それ以外は赤く光って影すら消していた。


 太陽が降りてきたみたいな炎の塊は、実体化した精霊だった。


 ……初めて見る。


 その精霊の下、男爵が捲し立てる。


「領地の支配! 私兵の保持! 貴族の特権は数あれど! もっとも強力なのが精霊との独占契約だ! 我が家に伝わるはイフリート・ヴェスヴィラス! その召喚となれば魔法の最上位! 貴様ら庶民ごときに勝てるものか!」


 男爵が叫び、それを合図と精霊ヴェスヴィラスが流れるように進撃した。


 足音なく進み出ただけなのに圧倒的な威圧感、ここまでその熱が伝わる。


 こんなの、勝てる勝てないのレベルじゃない。


 なのに、レットは歩くのを止めなかった。


 そのレットに向けて、男爵が杖を向けた。


「焼き潰せ!」


 下された命令に、精霊のヴェスヴィラスは従った。滑るように前に出てレットに迫る。そして高々と右の拳を振り上げた。


 対するレットは歩くのそのまま、右腕を真後ろに引き絞って、そして息を吐き出した。


「シィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ」


 歯と歯との隙間から吐き出される吐息は長く、長く、区切ることはなかった。


 そして間合いが尽きた。


 そこは、ヴェスヴィラスの距離、振り上げられた拳がレット目がけて降り下ろされた。


 その拳のサイズはレットの全身が埋まるほどだ。


 それでもレットは止まらず、迎え打つように引き絞ってた右腕を突き上げた。


「ィィィィィィィィィィィィィィィァァァァアアアアアアアアアアアアアア!」


 レットの絶叫が道に響き渡った。

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