焼け付く喉越し4
シンさんはその長い槍を構え、そして呪文を唱える。
そこにイートミーが突撃した。太く長い腕をその長い金髪へと伸ばす。
その指先が届く刹那に一閃、槍で凪ぎ払った。
その一斬りで、イートミーの両手首が切断されて舞った。
それが再生するより先にシンさんは更に踏み込み槍の先を茶色の胸板へと深々突き刺した。
「ライトニング・ボルト」
名を呟くと同時にシンさんの魔法は完成した。
閃光、放電、噴火、突き刺した傷口か煮えて溢れて焦げて燃えた。
血液みたいに溢れ垂れるチョコレートはインクの染みのように全身に広がった。
そして膝をついたイートミーから、シンさんは槍を引き抜いた。
「お怪我はありませんでしたか?」
振り向いてあたしに微笑みかけるシンさんは素敵だった。その笑顔はあのレットと比べるまでもない。
「あれ? あなたは?」
そう呟いたシンさんの頭にチョコレートが垂れた。
「あっっっつ!」
頭のチョコレートを降り飛ばしながらシンさんは走って逃げていく。
その向こうでイートミーが再び立ち上がった。
火は消えている。ただ、その全身は湯気を上げ、流動し、グツグツと煮えて、半ば崩かけな体を無理矢理立たせていた。
その流動する腕が振るわれた。
動きは緩慢、だけどふにゃふにゃでつかみにくい。
それでもかわすと後ろから悲鳴が上がった。
振り向けば溶けたチョコレートの飛沫が野次馬に降りかかっていた。
そして逃げ惑う野次馬から飛沫が戻り、再生するイートミー、範囲攻撃に射程も伸びて、なんか強くなってる。
そのイートミーが更にデタラメに、拳から鞭へと変化した両腕をくねらせ振るう。
そして飛沫が飛ぶ。
阿鼻叫喚だった。
逃げ惑う野次馬に後から来た黄色の鎧たちがぶつかって団子になってる。
テントはひしゃげ、色々な物が踏み潰されて、そこにチョコレートが振りかけられる。
助けられない。
だけどそれでも、イートミーの狙いは最近のあたしで、だから飛沫で済んでる。
だから、あたしは逃げられなかった。
覚悟を決める。
イートミーの鞭があたしを狙い、あたしはかわす。
横なぎ、振り上げ、時に突き、飛沫に比例して細く長くなる腕はどんどん速く、なのに熱々なまま湯気を上げ続けていた。
息が切れる。
足が怠い。
かかる飛沫にあたしも熱い。
限界は、遠くない。
「こっちです!」
遠くで聞き慣れた声、リバーブの声だ。
ちらりと見れば野次馬の流れが変わっていた。
まるで新しい出口を見つけたみたいに横へ流れて行く。
なんとかなってる。
そう思い、油断した。
重い一撃が引き損なったあたしの右足を叩き潰した。
それは頭突きだった。
腕でなく弱点のコアから叩きに来るとは想定外で、だから回避が遅れた。コアは硬く、重く、しかも熱々だった。
更にチョコレートが垂れてくる前に引き抜いてはって逃げる。
そんなあたしに更にイートミーは、最早人の姿を失った全身を広げてた。
後は倒れるだけであたしは埋まる。避けられない。
それでもあたしは目を閉じなかった。
「ハンドレスマジック・ブルーハリケーン!」
風があたしの後ろから吹いた。それは強く、冷たく、乾いた風だった。
それを全身に浴びるイートミーは苦しむようにもがく。
だがそれもすぐに鈍くなった。風に冷やされて湯気は飛び、歪な形に固まった。
それでもイートミーは最後の力を振り絞るみたいに腕をくねらせ、あたしに振るった。
だけどそれは、見知らぬ人に止められた。
若い人で、背中に『チョコ・ラヴ』と刺繍があった。
その目は血走っていて、彼らはチョコレート・ジャンキーだとピンときた。
その彼らは組ついたままイートミーにかぶりついて租借し、飲み込む。
「うんまーーい!」
作ったような声だった。
それに呼ばれたみたいにまた別の人が張り付いてかぶりついた。
「うまーーーい!」
「そうじゃない! 俺が手本を見せてやる!」
行ってまた、別の男の人が食い付いた。
「うんまぁ」
涎を垂らし、まさに恍惚といった表情で顔を赤らめるその人に、周囲から感嘆の声と拍手が響いた。
そして続く人も噛り付き、同じく恍惚の表情浮かべる。
……まさに、ジャンキーの顔つきだった。
気がつけばそのジャンキーに周囲を囲まれていた。
そして次々と、群がる蟻のようにイートミーに殺到して行く。
それから逃れようともがくイートミーだが、ジャンキーの数の方が強いみたいだ。
「はいちょっとごめんね」
そのジャンキー中にブラーが紛れ込み、前に掻き出ると、組付かれ動けないイートミーの顔にへと手を伸ばし、その指でコアを剥ぎ取った。
「熱っ、熱っ」
数回手の中で弄んだ後、つるりと滑って落ちて、地面に当たってコアは割れた。
……それで、イートミーは動かなくなった。
▼
あたしたちは夕焼けを見ながら逃げるように会場を後にした。
「あーもったいねー。ゴーレムのコアとか、超欲しかったのに」
「ダメだよレット、あのコアはたぶん軍用のだから危ないよ?」
「それは使い方次第だろブラー、俺ならうまく使えるって」
「どうだか」
「なんだリバーブ、表情暗いぞ」
「当たり前でしょ? あんた今日何やらかしたのよ?」
「仕事した」
「そうねレット、それであのセブン・エッジに睨まれるはめになったわ」
「別にいーだろそんなの」
「業界二位よ相手は! そこが本気で潰しに来たら私たちイチコロよ?」
「知るかよ。イートミー見逃したのも、壁をぶち抜いて逃げ道作ったのも、ジャンキーに無料サービスと嘘ついて焚き付けて乱入させたのも、ぜーーんぶあのシンがやらかしたんだろ?」
「あんたねぇ」
「レット、何度も言ってるけど、それは逆恨みだよ」
「何ぬかすブラー、ちゃんと今回ので証明できただろうが」
「何がですか?」
あたしの疑問にレットは邪悪な笑みで答えた。
「あのシンがなぁ、俺の偽物なんだよ!」
……はぁ?
「その顔、信じてないだろ新入り」
「そりゃそうですよ。レットはちゃんと現実を見てますか?」
「あ? イートミーすら食えないただ飯食らいが言うじゃねぇか」
「あんなもの食べられる方がおかしいんです」
「ほぉ、君はアレを口にしたのかね」
不意に話しかけてきたのはネロさんだった。
そうだまだ仕事は終わってないんだった。
「やっぱり不味かったか」
「はい、酷かったです」
あたしは正直に答えていた。
「だろうな。そもそもゴーレムを動かすにはその材質に触媒を練り込む必要があるらしい。イートミーはそれが体に無害というだけで、食べて美味しいものじゃない。それに、あの自重を支えるにはどうしても硬くしなければならないしな」
「あ、でも普通に噛み砕けるぐらいの硬さでしたよ」
このあたしの一言に、ネロさんは目を更に細めた。
「そうか、とうことは骨格を改良させたか。なら、地道に改善はしてたんだな」
「それに不味い不味い言ってるが、ジャンキーどもはウマイウマイ言って食ってたぞ」
「それは違うな」
レットの発言にネロさんは今度は首を降る。
「彼らジャンキーには味は解らない。わかるのは過剰な刺激と情報だ」
「情報、ですか?」
「そう情報だよ」
あたしにネロさんは皮肉な笑みを浮かべた。
「やつらはただ単に巷で流行っているとか、新聞で誉められたとか、数量限定とか、ランキングとか、そういったものを求めてる。だから実物がゴミでも毒でもうまいと言っては食らうのだ。いや、食らう自分に酔うのだな。まぁ、偉そうに言ってるが、彼らを産み出したのは我々評論家なんだがね」
そう言って、ネロさんは足を止めた。
見ればいつの間にか最初のホテルの前まで来ていた。
「さて、君たちとのお喋りは楽しかったが、わたしはこれから清書をしなくてはならなくてね。ここでお別れだ」
「あ、ならサインを」
そう言ってリバーブが書類を取り出すとネロさんはサラサラとサインした。
「はい確かに」
「今日はありがとう。イートミーの感想の続きはまた今度聞かせてもらうよ。それじゃ。失礼するよ」
そう言ってネロさんは一礼して、足早にホテルへと入っていった。
「……ねぇ聞いた? また今度だって、やったじゃん」
ブラーが嬉しそうな声ではしゃぐ。
「でも絶対ネロさんも俺とシンとを間違えてんだぜ」
「レットまだ言うんです?」
あたしの言葉に、レットは首を回して肩幅に足を開いて大きく息を吸い込んだ。
「はあああああ!」
声と同時にレットの髪が爆発した。
毛根から風が吹いてるのか髪の一本一本がまっすぐ延びて丸い頭が倍以上に膨らんだ。
そして声と風が収まると髪はなびいて、下りた。
レットのモジャモジャは、伸びて、カールして、その髪型は貴族のような縦ロールになっていた。
「ジャジャーン」
笑い手を広げるレットは、全然違う感じになっていた。こうして見れば確かに、あのシンさんと同じジャンルの、イケメンと呼べない訳ではないだろう。
人の魅力は外見では判断できないってことなんだろうな。
「どうせお前らは俺をアフロだのボニーテールだの、シルエットでしか認識してないんだ。だから金髪ロンゲのイケメンが二人混ざると区別がつかない。現にあいつらは俺にこの鎧を渡したしな」
「レット、その髪型やめてって言ってるでしょ」
「何だよリバーブ、お前まだ金髪縦ロールに夢見てんのかよ」
笑うレットの頭をブラーが後ろから掴みかかって、ワシャワシャやる。
「おいブラー!」
ブラーは黙って手を離すと元のレットに戻っていた。
「ありがとうブラー」
「いえいえ」
「は! そーゆーことすんならこれやんねーぞ」
言ってレットは、何処からか紙の小さな箱を取り出し、蓋を開けた。中には茶色い固まりが四つ、あった。
「「レット!」」
「落ちたテントにあったんだよ。どーせあのままなら踏み潰されてたんだ。なら食ってやった方がいーだろーがよー。それに、お前らだって食ってみたいだろ?」
そう言って差し出されたチョコレートにみんな固まった。
あたしは、食べたから興味なかったけど、みんなは食べてないから興味あるのだろう。
それで、最初に動いたのはリバーブだった。
一つ摘む。
それに続いてブラーも一つ摘んだ。
だけどあたしは、手を出せなかった。
そのあたしの目の前でリバーブが食べたい。
「美味しいわね」
意外なリバーブの感想に思わず目を見開く。
続いてブラーも食べた。
「凄い甘いね」
「あらブラー、甘いの嫌い?」
「ううん。好き」
そう会話する二人は、美味しそうにチョコレートを食べていた。
その表情に負けて、あたしも一つ摘んで口に含んだ。
途端、舌の上に広がる甘味、ほのかな苦みがアクセントになって類い稀なコントラストが口の中に広がってゆく。芳醇な香りが鼻を抜けて、この美味をずっと味わっていたいのにとろける舌触りが流れて喉の奥へと落ちてしまう。
その流れさえも、愛おしい。
「いい香りね。これお酒?」
「ブランデーだと思うよ」
「吐かずに喉越し味わえよ。バケツねーからな。っつか、新入り大丈夫か?」
頭が快楽でどうかしてる。体を巡る血の流れが速くて強くて、心地いい。まるでエネルギーを直接注入されたみたいだ。
世界はチョコレート色に回ってる。
火照る。暑い。脱ご。
「おうちょっとまて!」
幸せすぎて、レット声まで美しい歌声に聞こえた。
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